雄大な自然美、ぎらつく太陽、乾いた砂埃、アメリカ先住民、入植してくる白人、そして、その白人たちを護るべき騎兵隊、これらの要素を組み合わせて「西部劇」は語られる。このUSA特有のジャンル「西部劇」の古典的作品を撮ったのが J.フォード監督(1926年から40年間監督として活動)であろう。
このフォード監督が撮った、所謂「騎兵隊三部作」の一つで、1949年作の『黄色いリボン』、1950年作の『リオ・グランデの砦』の先駆けを取ったのが、本作、『アパッチ砦Fort Apache』(1948年作)である。主演は何れも、言わずと知れたJohn Wayneである。
南北戦争で恐らくは北軍義勇軍で名誉進級を遂げて「Generalジェネラル」と呼ばれたサースデイ(Thursday;Henry Fondaが、役としての傲慢さと人柄の冷たさを名演)は、南北戦後、合衆国正規軍に入り、「Lt.Col.中佐」となっていた。自らを「名将軍」と自負し、軍律と軍階級に厳格な中佐は、自分が何故フォート・アパッチの守備隊の司令官に任命されたのか理解できないでいた。スー族やシャイアン族ならまだしも、名もないアパッチ族に何故自分が当たらねばならないのか。この傲慢さが、結局は、自身の、そしてその命令に従った部下の命取りになるのであるが。
さて、アメリカ史について少し本を読んだことのある人なら、この「サースデイ中佐」が例の、無謀な功名争いの結果、1876年に第7騎兵連隊の数個中隊を壊滅に導き、自らも戦死を遂げたGeorge Armstrong Custer中佐をモデルにしていることを容易に想像できるであろう。
一方、J.ウェイン演ずるところの、Captain Yorkヨーク大尉は、サースデイ中佐の自殺行為的命令に抗議したため、中隊指揮権を剥奪され、ウェスト・ポイントの軍事アカデミーを卒業したばかりの、ほやほやのLt.二級ロイトナント、O'Rourkeオルーク少尉と供に輜重隊に回されたこのにより、この「虐殺」(James Warner Bellahの原作の題名がそうである)を辛うじて逃れえたのである。ラスト・シーンが示すとおり、数年後、連隊長に昇進したヨーク中佐は、アパッチの酋長Cochiseコチーズの後を受けて、ゲリラ戦を展開した「ジェロニモ」ことゴヤスレイの討伐戦へと出発するのであった。ストーリー的にはこれが第三作の『リオ・グランデの砦Rio Grande』につながる訳である。
アメリカ先住民に対するフォード監督の、本作での描き方は、筆者の目には制作年代の割には、ほぼ公平を保っているように見えて、好感が持てた。映画内では、騎兵隊側との会談で、アパッチの酋長コチーズに何故彼らが居留地から出て、メキシコ側に逃れたのかを滔々と語らせている。ただ、本作ではその理由が、あるアメリカ政府から商業権を得た一商人のせいにだけしているのは、さすがにフォード監督の限界であろう。現実には、アメリカ先住民からその生存権を制度的に剥奪していくのは、「偉大なる白い男」を頭に置くアメリカ政府であったのである。
最後に一言、 「英雄」伝説について。本作のラスト・シーンの直前にヨーク連隊長がジャーナリストの数人とインタヴューをする場面がある。
サースデイ中佐の戦死の理由を知っている者は、彼が真の英雄ではないことを知っている。一方、ジャーナリストたちは、逆に、その「英雄」ぶりを強調していて、連隊長とジャーナリストたちの両者の、その意識の開きを生み出させている。これによって、フォード監督は「英雄」というものは、「捏造」されるものであることを、正しくも提示している。
他方では、連隊の伝統としては、嘘でも「英雄伝説」が必要であり、その英雄のために犬死した部下たちを記憶に留める者たちも連隊の人間であると、ヨークに言わせている。その意味で、連隊、ひいては軍隊こそがTrooperたちの「家族」なのだという発想が出てくるのである。
退役する、ある騎兵大尉の悲哀を描く次作『黄色いリボン』も、この観点から言えば、ストーリーとしては当然と言えば当然の帰結でもあったのである。
この点、三作ともにイギリス人俳優Victor McLaglenが作り出した、何か「黒澤明流」を思わせる、ユーモアある軍曹像(本作では、Mulcahy軍曹役、その後の二作では、Top Sergeant乃至はSgt. Major Quinncannonあ役)に拍手を送るものである。(本作中の、新兵の乗馬訓練の、あのドタバタ喜劇的なシーンにご注目あれ!)
このフォード監督が撮った、所謂「騎兵隊三部作」の一つで、1949年作の『黄色いリボン』、1950年作の『リオ・グランデの砦』の先駆けを取ったのが、本作、『アパッチ砦Fort Apache』(1948年作)である。主演は何れも、言わずと知れたJohn Wayneである。
南北戦争で恐らくは北軍義勇軍で名誉進級を遂げて「Generalジェネラル」と呼ばれたサースデイ(Thursday;Henry Fondaが、役としての傲慢さと人柄の冷たさを名演)は、南北戦後、合衆国正規軍に入り、「Lt.Col.中佐」となっていた。自らを「名将軍」と自負し、軍律と軍階級に厳格な中佐は、自分が何故フォート・アパッチの守備隊の司令官に任命されたのか理解できないでいた。スー族やシャイアン族ならまだしも、名もないアパッチ族に何故自分が当たらねばならないのか。この傲慢さが、結局は、自身の、そしてその命令に従った部下の命取りになるのであるが。
さて、アメリカ史について少し本を読んだことのある人なら、この「サースデイ中佐」が例の、無謀な功名争いの結果、1876年に第7騎兵連隊の数個中隊を壊滅に導き、自らも戦死を遂げたGeorge Armstrong Custer中佐をモデルにしていることを容易に想像できるであろう。
一方、J.ウェイン演ずるところの、Captain Yorkヨーク大尉は、サースデイ中佐の自殺行為的命令に抗議したため、中隊指揮権を剥奪され、ウェスト・ポイントの軍事アカデミーを卒業したばかりの、ほやほやのLt.二級ロイトナント、O'Rourkeオルーク少尉と供に輜重隊に回されたこのにより、この「虐殺」(James Warner Bellahの原作の題名がそうである)を辛うじて逃れえたのである。ラスト・シーンが示すとおり、数年後、連隊長に昇進したヨーク中佐は、アパッチの酋長Cochiseコチーズの後を受けて、ゲリラ戦を展開した「ジェロニモ」ことゴヤスレイの討伐戦へと出発するのであった。ストーリー的にはこれが第三作の『リオ・グランデの砦Rio Grande』につながる訳である。
アメリカ先住民に対するフォード監督の、本作での描き方は、筆者の目には制作年代の割には、ほぼ公平を保っているように見えて、好感が持てた。映画内では、騎兵隊側との会談で、アパッチの酋長コチーズに何故彼らが居留地から出て、メキシコ側に逃れたのかを滔々と語らせている。ただ、本作ではその理由が、あるアメリカ政府から商業権を得た一商人のせいにだけしているのは、さすがにフォード監督の限界であろう。現実には、アメリカ先住民からその生存権を制度的に剥奪していくのは、「偉大なる白い男」を頭に置くアメリカ政府であったのである。
最後に一言、 「英雄」伝説について。本作のラスト・シーンの直前にヨーク連隊長がジャーナリストの数人とインタヴューをする場面がある。
サースデイ中佐の戦死の理由を知っている者は、彼が真の英雄ではないことを知っている。一方、ジャーナリストたちは、逆に、その「英雄」ぶりを強調していて、連隊長とジャーナリストたちの両者の、その意識の開きを生み出させている。これによって、フォード監督は「英雄」というものは、「捏造」されるものであることを、正しくも提示している。
他方では、連隊の伝統としては、嘘でも「英雄伝説」が必要であり、その英雄のために犬死した部下たちを記憶に留める者たちも連隊の人間であると、ヨークに言わせている。その意味で、連隊、ひいては軍隊こそがTrooperたちの「家族」なのだという発想が出てくるのである。
退役する、ある騎兵大尉の悲哀を描く次作『黄色いリボン』も、この観点から言えば、ストーリーとしては当然と言えば当然の帰結でもあったのである。
この点、三作ともにイギリス人俳優Victor McLaglenが作り出した、何か「黒澤明流」を思わせる、ユーモアある軍曹像(本作では、Mulcahy軍曹役、その後の二作では、Top Sergeant乃至はSgt. Major Quinncannonあ役)に拍手を送るものである。(本作中の、新兵の乗馬訓練の、あのドタバタ喜劇的なシーンにご注目あれ!)
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