2023年8月30日水曜日

噂の二人(USA、1961年作)監督:ウィリアム・ワイラー

 1961年上映の本作の原作は、女流劇作家Lillian Hellmanによる舞台劇『The Children's Hour』(1934年作)であり、本作の脚本も、最初は彼女が書いていた。ただ、同年に彼女の約30年来続いていた関係のパートナーであった、ハードボイルド・推理小説家の第一人者の一人Dashiell Hammettダシール・ハメットが亡くなったことがあって、彼女は、本作のための脚本書きから降板したようであった。本作の英語原題も、舞台劇と同じであるが、本作のストーリーの何を以って、「子供達の時間」という題名が付くのか、映画を観終わった後も筆者には見当が付かなかった。

 舞台劇の内容は、1809年という時代設定とスコットランドという場所の設定以外は、本作のストーリーとほぼ同じようであるが、ウィキペディアによると、作者のL.Hellmanは、その作意は、ストーリーに登場する女子生徒Mary Tilfordを、生来的に自分に都合がよくなるように事柄を組み合わせて「嘘」をでっちあげて、優位に立とうとする、いわば、「小マキャヴェリ的人間」として、描ききることにあった、と言う。ゆえに、三幕ものの、この舞台劇では、二幕目が終わったところで、Maryは、勝ち誇ったようにその座に安泰に座し、三幕目では、このMaryにおとしめられた二人の女性教員KarenとMarthの、社会的名声の失墜後の情況が淡々と描かれると言うのである。

 実は、本作の監督William Wyler(フランス・アルザス地方生まれのドイツ系ユダヤ人)は、上述の舞台劇がブロードウェイでヒットしたのを受けて、同じくユダヤ系アメリカ人のL.Hellmanの脚本化の下、1936年に、この舞台劇を映画化している。ただ、レズビアンのテーマを含んでいる内容を、正教徒主義のUSAでそのまま映画化する訳にもいかず、映画化題名の『この三人』に違わず、Karenの恋人のJoeにMarthaも恋してしまうという「三角関係」のメロドラマに仕立て上げたのであった。尚、この映画化の際には、Martha役を演じたのが、本作でMarthaの叔母Lily役を演じたMiriam Hopkinsであった。中々粋な配役である。

 日本語のウィキペディアによると、アメリカ映画史において、同性愛の描写が問題になったのは、1960年作の『スパルタカス』であったと言う。この映画は、カーク・ダグラスが金を出し、自分が主演でスパルタカスを演じるような自己宣伝映画であったが、最初に依頼していたアンソニー・マン監督が、K.ダグラスと衝突して降板すると、当時はそれ程有名ではなかったS.キューブリックが、代役で監督となり、撮影が続けられた。この映画では、トニー・カーティスが演じた、あるシーンについて、これをカットする自己検閲が取り出たされていた。T.カーティスは、この作品では、シチリア人の青年奴隷として詩吟を専門とするアントニウス役を演じており、共和制ローマ時代の権力者の一人で、マルクス・リキニウス・クラッススに促されて、彼といっしょに入浴する場面が撮られていたのである。この場面には、「香油によるマッサージやベール越しの撮影で妖艶さを増し、会話には牡蠣や蝸牛など食のモラルに関するものには同性愛に対するモラルを暗示するものが含まれていた」(ウィキペディアからの引用)と言う。T.カーティス自身も、この点について、ドキュメンタリー映画 『セルロイド・クローゼット』 の中で、この二人の「絡みがある場面がホモセクシュアルを匂わせる為に削除されたことを」語っている。(因みに、本作の中で、女子生徒Maryの寝床の近くの壁には、T.カーティスのブロマイドが飾ってある。)

 これを受けて、『スパルタカス』での、この「検閲」に関して、ウィキペディアによると、W.ワイラーも含めた、ハリウッドのプロデューサーや監督から、「これでは同性愛を堂々と描いている外国映画との競争に勝てないとの抗議の声が上がっていた」と言う。こうして、1961年10月3日、アメリカ映画協会は、「現代の文化、風習、価値観に合わせて、慎重・抑制を条件として、同性愛その他の性的逸脱を扱うことを認める」と規則を改正したと言う。本作『噂の二人』は、この性的規制改正後に映画協会のコード・シールを受けた最初の映画であったのである。

 本作では何といっても、映画終盤における、Marthaを演じるSh.マクレーンの演技の迫力が圧倒的である。それに対して、もう一人の主役Karenを演じるA.ヘップバーンは、印象としては、Sh.マクレーンの演技力に呑まれた形ではあるが、彼女が持つ生来的な清楚さに、映画ラストにおける「凛とした態度」が加わった演技をしっかりとこなして、好感が持てる。

 尚、A.ヘップバーンは、監督W.ワイラーとは、『ローマの休日』以来、八年ぶりの共作であり、この時の白黒映画の撮影監督の一人が、同様に白黒映画である本作での撮影監督F.Planerであった。W.ワイラーとA.ヘップバーンは、本作の撮影後、1966年に、『おしゃれ泥棒』で共作している。

2023年8月17日木曜日

ミッドウェー 運命の海(USA、2019年作)監督:マイク・フィリップス Jr.

 本作の主人公Norman Francis Vandivierヴァンディヴィエー(名前からして、フランス系アメリカ人か)は、1942年6月4日(日本時間では、21時間の時差があるので5日)、太平洋戦争における転機点となるミッドウェー海戦において、航空母艦Enterpriseエンタープライズ号より、艦上爆撃機「Dauntlessドーントレス」に搭乗して、日本の航空母艦を撃滅するために発艦した。さて、彼は、その任務を遂行できたのであろうか。

 映画は、しかし、攻撃の在り様を意外とあっけなく済ませた後は、攻撃後のN.F.ヴァンディヴィエーの運命を語り続ける。つまり、本作の意図は、ミッドウェー海戦の展開を綴ることに眼目を置いているのではなく、撃墜された後の、恐らく数日間漂流したであろうN.F.ヴァンディヴィエーの運命を代表させて、この海戦でアメリカ側の飛行搭乗員が舐めたであろう海上漂流の辛さを、N.F.ヴァンディヴィエーの人生の個人的回想を一部交えて、描いたものである。

 本作の監督であるMike Phillips Jr.マイク・フィリップスJr.は、約15年を掛けて実際にあった出来事を映画化しようとしたと言う。脚本は、Adam Kleinアダム・クラインが書いたことにはなっているが、原案はM.フィリップスが、当時の経験者の回想録などを参考にしながら、作っていたものであり、A.クラインはこれを手直ししただけであったと言う。製作もM.フィリップスが関わっており、この彼の拘り方は、尋常のものではなく、調べてみると、やはり、彼の個人的な関心があったのである。

 実は、本作に登場するThomas Wesley Ramsayラムゼイも、N.F.ヴァンディヴィエーと同様に、エンタープライズ号より艦上爆撃機Dauntlessに乗って、空母加賀への攻撃に加わり、その際に撃墜されて、八日間漂流した後、幸運にも、ある偵察・爆撃機用飛行艇PBYカタリーナ(双発で六人乗り)に救助されたのであった。しかも、このカタリーナ機のパイロットは、Th.W.ラムゼイのハイスクール時代のクラスメートであった。Th.W.ラムゼイは、1943年4月に、Navy Cross海軍十字章を授与された。Th.W.ラムゼイと同様に、N.F.ヴァンディヴィエーも、また、本作に名前だけ登場する、エンタープライズ号の航空群司令であったWade McCluskyマクラスキー海軍少佐も、その戦功によりNavy Crossを授与されている。W.マクラスキーの、燃料切れによって母艦に帰れないかもしれない状況の中、さらなる敵・航空母艦捜索に踏み切った「勇敢な」判断が、アメリカ側をミッドウェー海戦における勝利に導いた一つの、人間的要素であった。

 それでは、まず、予備知識として、太平洋戦争前期におけるUSAの、とりわけ空母を中心とする軍艦及び航空部隊の編成を見てみよう。

 USA海軍の部隊編成は、「Fleet艦隊」という上位編成から、Task force任務部隊、Carrier battle group空母戦闘群(略称:CVBG)へと下位に向けて、構成されている。空母の略称が、CVで、それに今度は、それぞれの空母に番号が付けられて、例えば、USS Enterpriseであれば、6番で、CV-6となる。USS Yorktownは3番なので、CV-3となり、このような番号は、恐らく発艦後に戻ってくる艦載機が間違わずに自分の母艦に着艦するように、空母甲板の前方に大きく書かれてある。

 これらの空母に、さらに、空母護衛のための巡洋艦二隻、駆逐艦6隻が加えられて、Carrier battle group空母戦闘群となり、これを単位に、CVBGを数個組み合わせると、Task force(略称TF)レベルの部隊編成となる。こうして、1942年には、エンタープライズ号と空母Hornet(CV-8)号を基幹とするTF16、ヨークタウン(CV-3)号を基幹とするTF17などが存在した。

 一方、空母に載っている航空隊の構成はどうかと言うと、太平洋戦争開戦時の、エンタープライズ号も含めたヨークタウン級空母には、戦闘機、爆撃機、雷撃機、及び偵察機がそれぞれ18機搭載されていた。1943年以降には、エセックス級空母が採用されたので、これには、戦闘機隊36機、爆撃機隊36機、雷撃機隊18機が搭載されることになり、この編成が、Carrier air group空母航空群(大隊)のレベルの部隊編成となるのである。

 そして、それぞれの機種に対して、その載っている空母の番号が付けられる。故に、エンタープライズ号に載っている航空部隊には、6番の番号が付き、戦闘機隊(Fighting)は、VF-6と、爆撃機隊(Bombing)は、VB-6と、雷撃隊(Torpedoing)は、VT-6と、偵察機隊(Scouting)は、VS-6と呼称される。

 因みに、18機の部隊編成数が、航空軍での、いわゆる「Squadronスコードロン」と呼ばれる単位である。故に、1942年時のCarrier air group空母航空群(大隊)は、四つのSquadronで構成されていたということになる。USAの航空軍の部隊編成は、下からFlight、Squadron、Group、Wingとなり(英国空軍では、WingとGroupの順序が逆)、二つのGroupで一つのWing、三つのSquadronで一つのGroup、三つから五つのFlightで一つのSquadronとなる部隊編成である。仮に、Squadronを「航空中隊」と訳するならば、Flightを「航空小隊」、Groupを「航空大隊」、Wingを「航空団」とでも訳せようか。(国防軍時代のドイツでは、飛行機2機が基本的単位であったので、小隊4機、中隊12機となり、これが、Squadronに対応する。)

 以上の部隊編成の知識を以って、それでは、本作の主人公N.F.ヴァンディヴィエーの、1942年6月4日(ミッドウェー現地時間)の動きを見てみると、以下のようになる。

 PBYカタリーナ双発飛行艇から「日本の機動部隊を発見セリ!」との連絡が4日早朝に入り、さらに、「第四の空母、しかも不沈空母」とでも言えるミッドウェー島航空隊基地からの情報もあり、出動していたアメリカ空母部隊は、南雲機動部隊の位置をほぼ確定できた。日本軍の暗号がこの時期に殆んど破られていたこともあり、アメリカ側は、日本帝国海軍の大部隊がミッドウェー島を攻略しようとしていた意図も事前に分かっていたのであった。

 既に艦上に揚げられ、エンジンを回していた各飛行機は、時刻07:30にエンタープライズ号から発艦していった。VF-6の戦闘機隊からはF4F10機、VB-6の爆撃隊とVS-6の偵察隊からは偵察・爆撃用飛行機SBD33機、VT-6の雷撃隊からはTBD14機の、合計57機が飛び立っていった。同じTF16のホーネット号からも合計60機が加わっていたので、TF16 の任務部隊から、総計117機が送り出されたことになる。

 F4Fとは、「Wildcatワイルドキャット」のことであり、TBDとは、ダグラス社の雷撃機で、この頃の主力雷撃機「Devastatorデヴァステイター 蹂躙する者」である。SBDも、「Scout Bomber Douglas」と表記されることから、ダグラス社製の偵察兼爆撃用二人乗り飛行機(後部銃座付き)である。SBDの初期型は、既に1939年4月、つまり、第二次世界大戦勃発の約半年前から生産が始まり、翌年からは、SDB一型が海兵隊に、SBD二型が海軍に部隊配備されるようになっていた。第二次世界大戦開始と伴にドイツ空軍の急降下爆撃機Ju87シュトゥーカの活躍に衝撃を受けると、アメリカ軍側は、SBDの性能向上を要求して、その中期型SBD三型が、同時期に使用された日本の九九式艦上爆撃機と比較して、格段の性能の向上を得て、登場した。SBDの「綽名」は、Dauntless ドーントレス、すなわち、「dauntすることのない」、「怖気させられない、ひるまされない」の意味であり、SBD艦上爆撃機は、恐れずに豪胆にダイヴィングして爆撃を行なう急降下爆撃機である。

 さて、07:30からエンタープライズ号から次々とSBDも含む飛行機が飛び立っていく中、その約25分後の07:55前後に、「不沈艦」ミッドウェー島基地から発進したSBD部隊が、南雲部隊に攻撃を仕掛けた。この時は、日本軍側の直掩戦闘機・零戦が有効に防御したが、アメリカ軍側の攻撃はこれ以降、波状的に続く。

 8:30、第17任務部隊のヨークタウン号からも35機の航空部隊が発進する中、1942年4月に少佐に昇進して、エンタープライズ号に所属する艦載機を総指揮する第六航空群司令になっていたW.マクラスキー少佐率いるSBD部隊は、発艦して一時間も経っていたが、未だに敵艦隊を見つけられずにいた。あと一時間以内に敵を見つけなければ、みすみす母艦に戻るしかない。そして、実際、9:20頃、W.マクラスキー少佐は、母艦に戻れず、途中で海に不時着してでも、さらに、索敵することを決める。この彼の決断が、後になって、ミッドウェー海戦の勝敗を決する重要な契機になるのである。

 奇しくも、その後の09:55、W.マクラスキー少佐達は、日本軍の駆逐艦「嵐」を発見する。この駆逐艦は、本隊に戻るに違いないと判断したW.マクラスキーは、その後を追う。こうして、10:05、彼らは、南雲機動部隊を発見、10:24、その上空に達する。途中三機を失っていたSBD部隊は、30機になっていた。その直前には、ヨークタウン号から発艦していたSBD部隊も戦場に到着しており、両部隊は協同するが如く、攻撃に突入する。

 丁度、日本海軍側は、ヨークタウン号からのTBD雷撃隊の攻撃を迎撃しており、日本側空母の見張り員は、上空の監視を怠って、海面すれすれからくるTBDに目を奪われており、直掩戦闘機もこの対TBD邀撃のために低空に降りて戦っていたところであった。この隙を突いての高空からの不意打ちは、南雲機動部隊所属の空母三隻を一気に撃破・撃沈する形になる。正に偶然のなせる業ではあるが、間の悪い時というものがあるものである。

 W.マクラスキー少佐が先陣を切って空母「加賀」に突っ込む。自身は命中しなかったのであるが、別小隊の第二派攻撃の爆弾が「加賀」の艦橋付近に着弾、「加賀」の艦長は爆死する。その直後、今度は、ヨークタウン号からのSBD部隊17機が、空母「蒼龍」を襲撃し、これに三発を命中させて仕留めると、さらに、エンタープライズ号のSBD部隊の小隊で、さらに別動隊となっていた数機が、旗艦空母「赤城」を攻撃して、一発を命中させる。「赤城」は、爆弾の当たり所が悪く、一発の被弾で、その後は自己誘爆が続いて、最終的に友軍の魚雷で「雷撃処分」させられることになる。

 W.マクラスキー少佐が先陣を切ってから約六分間の出来事であったが、大日本帝国海軍にとっては、「魔の六分間」であり、これを以って、太平洋戦争は、USAが日本側に攻勢を仕掛けるターニング・ポイントになる。

 W.マクラスキー少佐が指揮したSBD部隊30機の内、艦上戦闘機の護衛なしでの攻撃であったので、爆撃後の離脱の際に、今度は上で待ち受けていた日本側の直掩戦闘機に撃墜されるケースが多くなり、エンタープライズ号のSBD部隊は、30機中14機が撃墜されたと言う。

 VB-6の爆撃隊第三小隊にいたN.F.ヴァンディヴィエー准尉(Ensignエンサン:最下級の将校で、Lieutenantの下位、特任少尉的存在で、兵卒から昇格した予備役将校)は、英語のウィキペディアの説明とは異なり、赤城ではなく、加賀に対する攻撃の第三波ではなかったかと想像される。彼の機の爆弾が当たったかは定かではないが、投弾後、離脱の際に撃墜されたものと思われ、彼と搭乗員Lee Keaney水兵は、もはやエンタープライズ号には帰還することはなかったのである。N.F.ヴァンディヴィエー准尉は、行方不明のまま死亡宣告されて、1942年6月30日に、Lieutenant(junior grade二級少尉)に格上げされ、その戦功を表して、海軍十字章が彼に授与された。

2023年8月14日月曜日

イコライザー2(USA、2018年作)監督:アントワーン・フークア

 USAにおける、いくつもある情報機関の活動を調整する、閣僚級の人物、USAにある、いわゆるIntelligence Communityインテリジェンス・コミュニティー全体の統括官が、Director of National Intelligence国家情報長官(略称:DNI)である。この統括官の下には、16の情報機関が活動しており、この内、対外諜報を任務とするのが、有名なCIA、つまり、Central Intelligence Agency中央情報局で、DNIの直属として組織されている。さらに、組織的は、各連邦省の傘下の情報機関が、15あり、例えば、有名な組織が、司法省の管轄下のFBIである。FBI、Federal Bureau of Investigation連邦捜査事務局は、CIAが対外情報担当であるのにたいして、国内情報担当であると言える。司法省以外にも、例えば、財務省や国務省などにも独自の情報機関があるが、United States Department of Defenseアメリカ国防省傘下には、四つの情報機関がある。

 この四つの機関の一つが、National Reconnaissance Office国家偵察室(略称:NRO)で、この機関の担当は、宇宙空間ということになる。また、エドワード・スノーデンの情報暴露により、そのデジタル情報の違法な収集活動で注目を集めたNational Security Agency国家安全保障局(略称:NSA)も国防省傘下の情報機関である。

 しかし、国防省傘下の四機関の内で、Defense Intelligence Agency国防情報局(略称:DIA)が、陸・海・空軍及び海兵隊の各軍の情報機関を統括する形で活動しており、この機関は、1961年に軍事情報を専門に収集・分析し、各軍がさらに独自に持っている情報機関から上がってくる情報を整理する部署として設置されたものである。

 本部は、ワシントンD.C.にあり、各国の大使館にいる駐在武官の人事も、このDIAが管轄している。DIAの部局(Directorates)は、四つあって、分析部、オペレーション部、科学技術部、ミッション・サービス部に別れており、アメリカ、アジア・太平洋、ヨーロッパ・ユーラシア、中東・アフリカ地域と分担してそれぞれ情報センターを置いている。また、Defense Combating Terrorism Centerと呼ばれるセンターという、対テロリズム部門もあり、本作の主人公で、元DIAの凄腕の特殊工作員たるロバート・マッコールは、この対テロリズム部門の要員であったかもしれない。

 さて、ヴィジランテものである本作シリーズは、第一作で『タクシー・ドライバー』的ストーリーを軸にした展開であったものが、今回の第二作目では、一部の批評ではあまり新しみがないストーリーであると言われているのに対して、筆者は、好意的な評価を加えるものである。なぜなら、本作では、R.マッコールの古巣たる国防情報局DIA組織の内部的腐敗がストーリーの基軸になっており、ヴィジランテものに政治スリラー的要素が加わっているからである。

シャンボンの背中(フランス、2009年作)監督:ステファヌ・ブリゼ

 「直球、ストライク!」、この映画の、内容ではなく、ある「恋」の顛末を語る、その語り口を一言で綴るなら、こう言えるかもしれない。本作は、男の感情の動きを男の視線でエゴイスティックに描いているからである。なるほど、本作では、男性監督が、女性脚本家の助けを借りながらではあるが、自身で脚本を書いているのである。そして、本作の「味噌」は、中年男性の子持ちのピッチャーに、振りかぶるまでに随分時間を掛けさせ、自分に自信のない、未婚の若い代理女性教員には、直球を受けるためのミットを手に中々はめさせなかったというところであろうか。

 フランスの、ある地方都市での出来事である。時代は、未だCDが主に使われている頃である。フランスでの事情がよく分からないので、断言が出来ないのであるが、未だに「Madmoiselleマドモアゼル」という言葉が使われている時代である。既婚であるか、未婚であるかで、女性に対する「さん付け」を変えていた時代と理解するか。英語の、未婚女性に対するmissに対応するドイツ語Fräuleinフロイラインは、ドイツでは今は死語と化している。昔は、年を取っていても教員であれば、しかも、女性教員は未婚であることが前提とされていたことから、女性教員を、「Fräulein何某」と呼んでいたものである。フランスでもこの伝統があることから、本作のセッティングでも、女性の代教をMadmoiselleと未だに呼んでいるのかもしれない。

 さて、本作の原題は、「Madmoiselle Chambon」という。邦題は、『シャンボンの背中』としてあるが、蓋し、これは、天才的命名である。なぜなら、いかに既婚で子持ちのJeanジャンが、Madmoiselle Chambonに恋し始めたかの契機を一言で言い当てているからである。同じくフランス映画で『クレールの膝』(エリック・ロメール監督、1970年作)という作品がある。ある中年男性が若いクレールの膝を見て、彼女に恋するストーリーで、『シャンボンの背中』と名付けた日本の配給会社の担当員は、中々の映画通である。筆者としては、惜しむらくは、Chambonは、苗字であり、Madmoiselle Chambonの名前Véroniqueヴェロニクを使って、『ヴェロニクの背中』としたいところではあるが。

 ここで本作で使われている曲を挙げておくと、Jeanに望まれてMadmoiselle Chambonが自分のアパートで弾くヴァイオリン曲は、ハンガリー人のフランツ・フォン・ヴェチェイ(Vecsey)作曲の『La Valse Triste哀しみのワルツ』、Madmoiselle ChambonがJeanに頼まれてJeanの父親の誕生日で弾く曲は、Edward Elgerの『Salut d'Amour愛の挨拶』、そして、エンディング・ロールで流れてくるシャンソン曲は、シャンソニエBarbaraが歌う『Septembre Quel joli temps九月 なんて素敵な時よ』である。このシャンソンは、Madmoiselle Chambonの心持ちを歌った歌詞内容であるように思われ、夏が終わり、秋が始まる季節に、愛とも別れなければならないが、つばめが、夏が来ることを告げるように、今度の夏には貴方は戻ってくるかもしれないという希望で終わっている。

 最後に一言:

 Jeanを演じたVincent Lindonと、Madmoiselle Chambonを演じたSandrine Kiberlainの二人は、実は、1998年から2008年までの10年間、夫婦であった。本作の上映が2009年であるから、本作の撮影中は、二人は、既に別居中か、家庭裁判所で調停後の関係であり、そんな中でも二人は本作で共演していたことになる。という訳で、お互いの了解で離婚したと言うことであろうが、そんな二人が、出会って恋に落ちるという、恐らくは二人が結婚する前の、10年以上の前の自らの出会いと焦がれる恋を演じた演技力に、流石の俳優業のプロフェッショナル性が感じられるのである。

2023年8月13日日曜日

タイラー・レーク 命の奪還2(USA、2022年作)監督:サム・ハーグレイヴ

 本作の主人公Tyler Rakeが元所属していた組織SASR(「特殊空挺連隊」)は、実は、日本と、間接的ではあるが、関係がある組織である。


 体ががっちりし、胸板の厚い主人公Tyler Rakeは、今は傭兵として秘密裏にどこかの組織に雇われる存在であるが、元はSASR隊員であった。SASRとは、略語であり、正確に記述すると、「Special Air Service Regiment」であり、訳せば、「特殊空挺連隊」のことである。このSAS部隊は、英国にも、また、英国の嘗ての植民地の一つであったオーストラリアにも存在する部隊であり、T.レークは、オーストラリアのSASRの部隊員であった。SASRは、オーストラリア陸軍に所属する特殊部隊で、英国のSASを模範として、1957年に成立した。

 しかし、この部隊の前身は、太平洋戦争中に構成された部隊にある。太平洋戦争が大日本帝国軍のパールハーバー奇襲で始まった1941年の翌年、日本軍がニューギニアに迫ってくると、オーストラリア大陸の北岸が日本軍に脅かされることとなり、それに対抗するために、オーストラリア陸軍は、偵察を主な任務とする独立騎馬部隊を創設する。そして、日本帝国軍とやむを得ず戦闘状態に入る場合には、陸軍の正規軍が英軍と共に欧州、中東に配備されていたことから、独立の「特攻中隊」、或いは、「Z特殊部隊Special Force」が投入されることになっていた。現在のSASRは、これらの、大日本帝国軍を敵として、太平洋戦争中に成立した部隊の伝統を背景として、創設されたのである。

 SASRは、1957年に創設されて以降、60年代には、インドネシア・ボルネオ紛争、ベトナム戦争に、2000年代には、イラク戦争、さらに、2002年から2010年まではアフガニスタン戦争に投入される。

 因みに、アフガニスタン戦争投入中に、オーストラリア軍、とりわけ、SASRの部隊員による戦争犯罪が行なわれたことが、2017年にオーストラリアの放送局Australian Broadcasting Corporationよって明るみ出され、少なくとも39人のアフガニスタン人市民がオーストラリア兵によって射殺されたり、捕虜となったアフガニスタン人ゲリラが即決で処刑されたりしたと言う。とりわけ、SASRの部隊の場合には、テロ対策でパトロール中の新兵に、入隊の儀式として、新兵にアフガニスタン人の「処刑」を強要していたと言うのである。

 2022年には、オーストラリアの調査委員会が、19名の元兵隊に刑事訴訟を起こすことを提言しており、それを受けて、あるオーストラリアの将軍が、オーストラリア軍の名の下に、アフガニスタン国民に謝罪をするというところまでに事態が発展したが、その背景には、ある出来事が事態に火を注ぐ形となった。と言うのは、オーストラリア情報局が警察と共同して、2017年にこの件を報道したAustralian Broadcasting Corporationを、2019年に手入れして、事件の情報とその情報源を探り出そうした、報道の自由を脅かすスキャンダルが起こっていたからである。

TENET(イギリス、USA、2020年作)監督:クリストファー・ノーラン

 アメリカUSAの反ナチ・プロパガンダ映画『カサブランカ』のラストシーンを覚えている方は、本作のラストシーン直前のプロットが、『カサブランカ』へのオマージュであることが直観できるであろう!『カサブランカ』では、フランス・ヴィシー政府との関連からナチに「中立」的なカサブランカの警察署長・ルノーに向かって、カサブランカ駐在のナチ将校・シュトラッサー大佐を射殺したアメリカ人リック(H.ボーガート)が、"Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship." と言う場面があり、正に、悲劇的な形で、本作では、ある友情の始まりと終わりが同時に語られるのである。この意味でも、本作の監督Chr. Nolanが書いた脚本はよく出来ている。オマージュという点では、もう一本、フランスの犯罪・スリラーものの傑作『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督、1960年作)からの、間接的な引用(ボートに綱で曳かれる遺体の場面)が、本作の終盤に出てくることもここに述べておこう。

 さて、「SATORスクウェア」というものがある。縦・横五つずつのマスを取ると、25の区分が出来る。これに、ラテン文字を一つずつ入れていくのであるが、一番上の段にS・A・T・O・Rの五文字を入れるところから、この名称が付いている。

 さらに、縦の一番左の列にA・T・O・Rの四文字をS字の下から入れていくと、以下のようになる:

 S A T O R

 A

 T

 O

 R

 今度は、この方形の右下から、S・A・T・Oの四文字を、右読み、上に向けて入れていくと、以下のようになる:

 S A T O R

 A    O 

 T    T

 O   A

 R   O T A S

 SATORとは、ラテン語で「種を蒔く人」で、第五段目を今度は左読みすると、ROTASとなり、これは、「車輪、ホイール」の意味である。ゆえに、意味としては、「種を蒔く人は、車輪を」となる。本映画では、Satorとは、ロシア人武器商人で、未来と交渉のある人間の名前である。一方、Rotasとは、Satorの持っている建設会社の名前で、オスロ空港にある、脱税の目的で輸出入品(絵画などの芸術品)を保管している会社Freeportの所持している建物を建てた会社である。

 次に、SATORスクウェアの二段目に、左からR・E・Pと、四段目には、五列目のA字の左からR・E・Pと三文字を入れてみよう:

  S A T O R

  A    R   E    P    O 

  T                       T

  O   P   E    R     A

  R   O T A  S

 こうして、さらに、左から二列目と四列目の上から三段目にそれぞれE字を入れると、左から二列目には、また、AREPOが、二段目と同様に出来、四列目を下から読み上げると、AREPO、同列を上から読み下げると、OPERAという言葉が、さらに四段目を左読みにすると、同様にOPERAという単語が出来上がる。Arepoとは、恐らく、固有名詞であり、人名であると想像されており、Operaは、ラテン語で「仕事、努力」などの意味である。こうして、上の段から読んでいくと、「種蒔きのアレポは、仕事として(努力して)車輪を...」と解読できる。一方、本作では、Arepoは、フランシスコ・デ・ゴヤの絵を贋作した人物として、名前が挙げられ、本作の、名無しの主人公「Protagonistプロタゴニスト」が、Satorやその妻に接近する切っ掛けとなるものである。また、Operaは、絵画に対する音楽のオペラとして、本作冒頭の、キエフのオペラ・ホールの名称として登場する。

  S A T O R

  A    R   E   P    O 

  T    E         E     T

  O   P    E   R     A

  R   O T A  S

 上の図に、最後に、画竜点睛ではないが、このSATORスクウェアの中心にN字を嵌め込むと、三段目と三列目の左右上下、どのように読んでも、TENETという言葉が出来上がる。この言葉は、ラテン語で「維持する、保持する」の意味であるが、本作では、ある秘密作戦名として登場する。しかも、この言葉は、右から読んでも、左から読んでも同じ言葉になる、いわゆる、Palindrome回文である。そして、N字を二重に取るなら、右から読んで、ten、左から読んでも、tenで、つまりは、数字の10となり、N字が、時空上の結節点となるとすると、本作のクライマックスとなる、旧ソ連邦にある立ち入り禁止地域Stalsk-12での作戦が、昼の12時をN点とすると、それに順行する10分間と、N時点に逆行する10分間の、時間的に挟み撃ちに、つまり挟撃される時空を意味することになる。本作は、正に、監督Chr.ノーランによって、緻密に考え抜かれた、観る者の知的興奮を呼び起こす傑作である。

 量子力学やエントロピーの理論を以って、なぜ時間の逆行、より正しくは運動の逆行が可能なのかの説明が映画中にあることはあるが、Protagonistが映画の序盤で出会う女性科学者ホイーラー(Rotasの言葉と関係ありか?)が言っている通り、それは、見方の問題、感覚の問題であると言う。順行であれば、撃った弾は拳銃から飛び出し、逆行であれば、撃たれた弾を拳銃で受け止めるという、見方の問題なである。

 或いは、こう説明しよう。西部劇などを観ていて、走っている馬車の車輪が逆向きに回っているように見えることがある。この現象を、「ワゴンホイール効果」という。映画撮影では一秒間に24コマずつ静止画を撮り、それを連続再生することで、動画化している。つまり、毎秒二回転している12本スポーク付きのホイールを、毎秒24コマの映画用のカメラで撮影すると、スポークの位置がいつも同じ位置で映り、ホイールの回転が止まっているように見える。このホイールの回転速度が、毎秒二回転より遅くなると、今度は、静止状態から、ホイールが逆回転しているように見える動画になる。運動の逆行の現象も、こう考えると、カメラを目とすると、見方の問題となる訳である。

 であるので、理論的にどうして時間の逆行が可能なのかを推理するよりも、それが可能な映画的世界としてこのことを受け止めてしまうと、観ている者も、抵抗感がなく、ストーリー展開が楽しめるであろう。ゆえに、本作は、二度、三度と観られることをお勧めする。何回かと観ていくうちに、抵抗感が次第に薄められていくからである。

 なお、映像は、素材がIMAX版及び70㎜版であり、やはり、映画館の大画面で観たいものあるが、時間を刻むような音楽(本作より三年後に発表されたChr.ノーラン作の『オッペンハイマー』でも共作することになる、スェーデン人作曲家Ludwig Görranson)と共に、Chr.ノーラン組とでも言える、スイス生まれのオランダ人撮影監督Hoyte van Hoytemaとアメリカ人の女性編集者Jennifer Lameの仕事振りをじっくりと楽しみたいものである。

青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己

 冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる:  「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...