クルト・ウルリヒ映画制作会社は、『三文オペラ』の映画化を1950年代後半には発表しており、その上映を58年・59年のシーズンに行ないたいとしていた。最初は、当時の西ドイツで最良の映画人の一人であったHelmut Käutnerヘルムート・コイトナーに監督を依頼し、この時から既にC.ユルゲンスの主役は決まったいた。しかし、H.コイトナーは監督職から降板し、様々な経緯を経て、結局、東ドイツから西ドイツに活動の中心拠点を移してから数年しか経っていなかったW.シュタウテが、本作の監督を引き受けることとなる。
彼は、本作の撮影が開始される60年10月の約二年前から、脚本の共同執筆に骨を折っていた。結局、取得した映画化権の期限が切れるところから、本作の撮影に踏切り、撮り終えた訳であるが、USAへ上映権が販売されると、買い取ったUSAの映画会社が、監督のW.シュタウテの許可を得ることなく、サミー・デイヴィスJr.の場面を付け足したのである。故に、映画冒頭の、サミー・デイヴィスJr.が「メッキー・メッサ―のモリタート」を歌う部分は、英語となっており、ドイツ語版でもその吹き替えは行なわれていない。
脚本の共同執筆をしていたW.シュタウテは、B.ブレヒトが1920年代後半に書いた『三文オペラ』のストーリーを、より映画撮影当時の1960年代の状況にマッチしたものにしようとしていた。その素案では、ロンドンのSohoソーホー地区に住む下層住民が、ブルジョワ階級が自分達の生活を脅かすのに対抗して、その抗議運動の一環として、『三文オペラ』を上演したという風にストーリーの枠組みを読み替えたのであった。
しかし、この案は、1956年に死んだB.ブレヒトの遺志執行人たるHelene Weigelヘレーネ・ヴァイゲルによって拒否され、W.シュタウテは仕方がなくほぼ原作通りに映画化せざるを得なかったのである。
とは言え、W.シュタウテは、可能な範囲で自らの可能性を模索している。確かに、映画は、正に、演劇舞台の真ん前にカメラを据えて、劇場での演技をそのままに撮影したようにされてはいるが、本作では、わざと金を掛けた舞台背景にし、わざと人工的に汚くした服装にエキストラの乞食達を装わせ、わざと高額な出演料を払わせる国際的俳優陣に演技をさせたのであった。また、原作中に出てくる歌の順序を変えて本作では歌が登場する。それぐらいの芸術上の「自由」は、W.シュタウテは得たようである。また、ストーリーの展開は、登場人物が歌を歌っている最中に場面が展開するようにしてあり、あたかもミュージカル的な手法である。これは、映画人たるW.シュタウテが、「叙事詩的流れ」を提唱する演劇人たるB.ブレヒトの舞台劇とは異なるものとして本作を制作しようとして苦心した点であろう。
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