2025年2月27日木曜日

日本侠客伝-花と龍(日本、1969年作)監督:マキノ雅弘

 1960年代初めまでは、東映と言えば、「時代劇の東映」であったが、映画産業がピークを迎えた1950年代半ば以降60年代初めになると、東映の時代劇は興行成績が余り上がらなくなっていた。1963年に偶然にヒットした『人生劇場 飛車角』に目を付けた東映首脳陣は、その翌年から、時代劇映画のストーリーのテーストを残しながら、時代だけは明治・大正期に動かし、主人公を侍ではなく、任侠・やくざとする路線を取る。これが、東映やくざ映画路線の始まりであり、石油ショックの年1973年以降の、やくざ映画の実録もの路線と区別するために、1963年から1973年までの東映ヤクザ映画は、「任侠路線映画」と呼ばれる。その任侠映画スターの一角が鶴田浩二であるとすれば、そのもう一角が高倉健であり、高倉を主演とした任侠映画シリーズの一つが、本作の『日本侠客伝シリーズ』である。高倉を主演とする任侠映画シリーズには、他に『網走番外地シリーズ』と『昭和残侠伝シリーズ』の二つがあるが、両シリーズは、共に1965年より開始されている。この『昭和残侠伝シリーズ』こそは、義侠がその最後を飾って「残侠」として残っており、ヤクザの争いが「仁義なき抗争」へと堕していく時代への過渡期の「白鳥の歌」であった。このシリーズは、蓋し、高倉と池辺良との間の「男気」の美を描き切った傑作シリーズである。

 監獄ものと言える『網走番外地シリーズ』を抜いて話しを進めると、『昭和残侠伝シリーズ』は1972年までに九作が制作され、その内、三本が、本作の監督ともなったマキノ雅弘監督作品である。それは、第四作(1966年)、第六作(1969年)、第七作(1970年)であるが、その何れにも、本作にも登場する藤純子が絡んでいるのも興味深い。

  一方、『日本侠客伝シリーズ』は、1971年までに11本撮られているが、その内、第一作から第九作までがマキノ雅弘監督作品である。シリーズと言っても、話しが時系列でつながっている訳ではなく、各作が、『昭和残侠伝シリーズ』もそうであるが、独立しており、例えば、「浪花編」とか「関東編」とかがあって、場所が異なっても構わないのである。こうしたことから、本作の第九作には、火野葦平の原作を持ってきて、場所を北九州、時を日露戦争の終わった直後、即ち明治時代が終わる数年前としたのである。

  原作の『花と龍』は、1952年から53年まで『読売新聞』に連載された新聞連載小説であり、火野葦平は、自分の父親玉井金五郎と母マンが如何に苦労して「玉井組」を切り盛りしたかを描く大河小説を書き上げた。この原作を基に、東映は既に1954年に二部作でこれを映画化しており、62年には今度は日活が石原裕次郎を主演にして再映画化している。その二年後、東映はこの小説を再度二部作で映画化しており、主演は中村錦之助であった。本作によるこの原作の映画化は、これにより、合計で四度目となる。こうして、『花と龍』の映画化の筋と、『日本侠客伝シリーズ』の1964年以来のシリーズ化の筋が1969年の本作で上手く交錯したと言える訳である。

 原作者火野は、ウィキペディアによると、その自伝的小説『青春の岐路』で、昭和初期、つまり1926年頃の港湾荷役労務者(「沖仲仕」、本作中では「ごんぞ」)の姿を次のように描いている:「請負師も、小頭も、仲仕も、ほとんどが、酒とバクチと女と喧嘩とによって、仁義や任侠を売りものにする一種のヤクザだ。大部分が無知で、低劣で、その日暮らしといってよかった。普通に考えられる工場などの労働者とはまるでちがっている」。請負師には、元請けもあれば、下請けもあり、下請けには更に下請けの下請けがある状況は、入る労務役が急であれば、日雇いの労務者をかき集める「手配師」が介入する可能性がある。ここに、強力な手配師が港湾労務を取り仕切るヤクザ組織となるケースがあった訳で、1915年頃に神戸港では労務者供給事業から山口組を生まれ出たと言う。ここら辺の事情は、本作でも、請負師とヤクザ組織との勢力争いとして描かれている。

 さて、本作の題名の一部ともなっている原作名『花と龍』では、「龍」が意味するところは容易に想像が出来るのであるが、「花」は、独特の意味合いを与えられていると言われ、それは、玉井金五郎の理想、下衆なこの世にあっても人としての品格を持って生きることを象徴的に現していると言う。

 一方、映画である本作では、この「花」は、正に現実の花であり、それは、黄色い菊の花である。そして、この花は、同時に、後に妻になる前のマンの金五郎に対する愛の象徴でもある。映画の序盤、金五郎がヤクザと喧嘩をして頭を殴られ、それが原因で寝込むことになる。マンが金五郎を見舞おうとするのであるが、その際に、マンは、自宅の傍に咲いている黄色い菊の花を一本手折って金五郎が寝ている部屋に持って行く。マンは、金五郎の寝ている部屋で、早速一輪挿しにして、縁側の手前の小さな台の上に置く。画面は、金五郎が寝ているアングルから取られており、画面手前は畳、中景に台の上に置かれた一輪挿しの黄色い菊の花、後景が縁側の向こうにある庭のようであり、自然の緑色をしている。ここで、緑色に強い富士カラーが活きている。本作のラストシーンも、俯瞰アングルからズームアップして、門の前に咲いている菊の花のアップで終わっている。(撮影監督:飯村雅彦)


 そして、この花と龍のモチーフは、刺青のモチーフともなる。金五郎が駆け出しの頃、賭博をやって運が付いて勝った時、その賭場で壺振りをしていたのが、女壺振り師・お京(藤純子)であった。お京は、この時、金五郎にとっては、「幸運の女神」であった訳であるが、それ以来、二人は会わないままであった。しかし、金五郎がマン(星由里子)と所帯を持ち、玉井組を起ち上げた後のある時、金五郎はお京と偶然に会う。金五郎を心憎いとは思っていなかったお京は、再会を喜び、この機会に二人の仲が発展するのではないかと淡い期待も心に秘めて金五郎の家庭の事情を聞いたのであるが、金五郎にもう誰かいると言われて、僅かに見せた苦渋の顔を金五郎に隠す。それでも、金五郎との関わりを永遠に刻もうとして、刺青彫師でもあるお京は、自分の左肩に彫られた牡丹に蝶の刺青を見せながら、自分に刺青を是非彫らして欲しいと金五郎に懇願する。その心根にほだされた金五郎は、それを承知するが、龍に黄色い菊の花を彫ってくれるようにとお京に頼むのであった。

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