2026年8月31日月曜日

シンデレラ(USA、1950年作)監督:ウィルフレッド・ジャクソン他

 ディズニー・アニメーションの長編劇映画第一作目『白雪姫』は、同時に世界初の長編アニメーション映画であり、1937年に公開された。日中戦争が始まった年である。テクニカラー作品で、その鮮やかな色彩には目を見張るものがある。アニメーションに短編作品しかなかった時代に数年の月日と巨費を掛け、その作画枚数は、約25万枚に上る。スタジオの存否を賭けた大作は、幸運なことに大ヒットする。この作品を以って、ウォルト・ディズニーはUSアカデミー名誉賞を受賞する。

 1940年二月に、長編劇映画第二作目の『ピノキオ』が、同年11月には、長編劇映画第三作目の『ファンタジア』が公開される。しかし、世界情勢は、第二次世界大戦が欧州ではその前年に既に勃発しており、日米の外交関係も険悪化する中、世相は、アニメーション・ファンタジー映画どころではなかったのか、ディズニー・スタジオは、この二作で大赤字を計上せざるを得なくなる。

 とりわけ、『ファンタジア』は、高度の芸術性を持っており、ほとんど台詞のない中、バッハ、ベートーベン、ストラヴィンスキーなどのクラシック音楽を八つの物語りに分けて描こうというものであり、上映の際には、音響のステレオ効果を利用している。しかも、その音響効果は、サラウンドの原型とでも言える音響再生方式を世界で初めて導入したものであり、音響技術の発展においても、本作は、画期的で、歴史的な作品であった。制作には、11人の監督、120人以上のアニメーター、103人編成のオーケストラ(「音の魔術師」と異名を取ったイギリス人指揮者レオポルド・ストコフスキーの下、フィラデルフィア管弦楽団が演奏)など、ウィキペディアによると、投入されたスタッフは、延べ千人、作画枚数は、約百万枚になるという、前例のないスケールでの製作となっていたのである。(因みに、日米開戦により、『ピノキオ』も『ファンタジア』も、日本での公開は、戦後復興後の1955年のことになる。)

 こうした経営的な苦境を戦中、終戦直後と何とかやりくりして、『白雪姫』のヒットをもう一度呼び起こそうとしてウォルト・ディズニーが社運を賭けて製作したのが、本作『シンデレラ』である。スタッフは約750名、作画数は、150万枚となり、『白雪姫』の約二倍の製作費を掛けたもので、この賭けにW.ディズニーは勝つことになり、現在の「ディズニー王国」の基礎をこの作品からの利益を基にして築けることなる。本作も、テクニカラー作品であり、『白雪姫』に較べるとパステル調である、その色彩を楽しみたいものである。

 本作の上映は1950年のことであり、USAでの当時の批評も大体芳しいものであった。しかし、一部には次のような批評も見られた:

 「この映画は中心人物であるシンデレラよりも動物を描写することに成功している。シンデレラはチャーミング王子と同様に、無表情で人形のような顔をしている」(ウィキペディアからの引用)

 なるほど、金髪で青い目をしたシンデレラは、確かに、美形ではあるが、個性的ではない。本作の悪玉Lady Tremaineレイディー トレメーヌが飼っている、同じく性格が悪いネコ・ルーシファーと、ジャックやガスらネズミ共とのやり合いは、『トムとジェリー』を思わせて、如何にもアニメーションらしい。

 本作の日本での公開は、『ファンタジア』(1940年作)などよりも早い1952年のことで、ウィキペディアによると、漫画家の藤子不二雄Aは、同年に本作について以下のように批評している:

 「一般的でオーソドックスな童話を借りて再び『白雪姫』の世界へ帰ろうと正攻法で描いたものだけに安定感に満ちている」が、その一方では、「登場人物の正邪、美醜をはっきり割り切ったことが、内容の理解に容易さを増した反面、生き生きとした活躍を見せる小動物に比し、人間の方を様式化し平版化している...」

 筆者もこれと意見を同じくするものであるが、この「様式化し平板化している」の謗りを免れているキャラクターが本作には一人いる。Lady Tremaineレイディー・トレメーヌである。シンデレラの継母であることの体裁を一応は取りながらも、亡くなった夫の連れ子であるシンデレラを事ある毎に陰湿に虐めぬこうとしているその陰険さは、「シンデレラ物語り」のポジティブな上昇志向とは真逆の性向であろう。

 『白雪姫』の嫉妬深い「女王」、本作の「レイディー・トレメーヌ」、更には、『眠りの森の美女』(1959年作)の「マレフィセント」などには、何か「悪」の系譜とでも言えるものがあり、「ディズニー・ヴィランズ」として彼女等はその名を連ねている。ウィキペディアには、以下の引用があるのでここに挙げておく:

 「トレメイン卿が病気で亡くなった後、トレメイン夫人はシンデレラの父であるリチャード卿 [ウィキペディアの英語版では「Sir」であり、そうであれば、男爵か騎士の位階] と結婚した。彼女は、自分の娘たちを手に負えなくなってきたため、彼の助けを必要としていた。しかし、シャトーでは、トレメイン夫人とその娘たちは、リチャード卿とシンデレラのもとで奉公することを余儀なくされる。そして、リチャード卿が貧困に陥り、王室に対して借金を抱えていたことが明らかになる。トレメイン夫人と結婚することだけが、[サー・リチャードにとって] その借金を緩和する唯一の方法であり、彼女は自分の名義では一文無しの状態にされてしまった。リチャード卿が亡くなると、トレメイン夫人は家の主導権を握り、復讐としてシンデレラを召使いにし、彼の娘を下層の使用人にさせることで最後の笑いを取ることにした。

 アニメ映画の出来事から数年後、シャトーは完全に荒廃している。トレメイン夫人は今や一文無しとなり、狂気に囚われ、家事を娘たちに押し付けるだけでなく、[実の娘達] ドリゼラとアナスタシアにも虐待を始めた。そこで、フェアリー・ゴッドマザー [映画の邦訳では「妖精のおばさん」] が現れ、シンデレラの願いに応じて義理の姉妹たちに再びチャンスを与えようとする。しかし、トレメイン夫人はフェアリー・ゴッドマザーを攻撃しようとし、彼女によって石の像に変えられてしまう。」( [  ]内は、筆者の注)

 このような、恐らくは後付けで考え出された「シンデレラの継母」の後日談は、本作を改めて観る上で、この悪役の魅力を更に高めてくれることであろう。

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