ホテル酔月
御休息 お一人様 一〇〇円(一時間)
御泊り お一人様 六〇〇円
御食事 お一人様 一五〇円より
これは、本作に登場する一場面であるが、「ホテル酔月」は、現代であれば、「ラブホテル」と言うべき場所であろう。「ホテル」とすれば、聞こえはいいであろうが、本作が制作された年1960年ということであれば、「連れ込み宿」と言える所である。料金を見れば、約60年後の現在と較べて、何と物価が違うことかと驚かされる。この点は、本作の中では、映画の冒頭の上野駅とその駅前の風景を含めて、歴史的価値がある部分であろう。タイトル・ロールの背景となる蒸気機関車の力強い走りや、この場面の白黒を反転させて見せる意匠も中々である(撮影監督:岡田公直)。ドキュメンタリー性を強調し、フィルム・ノワールの臭いを出すためにも、意図的に白黒映画にした点も納得は行くが、何せ、ストーリーは二束三文ぐらいの価値しかない低劣なものである。映画の終盤、どこから現れるのか、「女狼群」が登場するのもご都合主義である。
東北の田舎から列車で東京に出てきた無辜の若い娘を暴力的に「囲い」、連れ込み宿で強制売春をさせるストーリーは、猟奇的で煽情的である。この手の映画を「Exploitation エクスプロイテーション」映画といい、時事問題や社会的にタブーとされるテーマを「exploit搾取する」して煽情的に味付けし、それで以って、好奇心を煽られた下劣な観客を映画館に呼び込もうとする、偽善的な映画である。本作もこのジャンルの作品臭がプンプンとする。
こんな映画にあの丹波哲郎が出演していることに意外さを覚えるのであるが、丹波は、1951年に「新東宝」に採用されて映画俳優となり、本作が制作された1960年の前年に新東宝を退社して、フリーランスとなっていたのである。故に、本作は、丹波が新東宝の作品に登場した最後期の作品の一本となる。丹波が新東宝を退社するに際しては、ウィキペディアよると次のようなエピソードがある:
「...1959年、丹波の『新東宝の作品のレベルが落ちている』との発言が記事となり、社長の大蔵貢は謝罪すれば許す考えでいたが、丹波は所信を曲げず、映画『双竜あばれ雲』を最後に同6月新東宝を退社」したと言う。
むべなるかなである。映画製作会社「新東宝」は、1947年に創業されたが、それは、「東宝争議」の中で、組合側にも経営側にも付かずに映画製作を続けたいという表向きの理由で創立されたのであるが、事実上はスト破りの形で、東宝に製作した映画を提供する会社であった。倒産する1961年までの14年間に800本以上の映画を製作したと言われているが、1955年に大蔵貢が社長・プロデューサーになると、「安く早く面白く」のモットーの下、それまでの文芸路線(溝口の『西鶴一代女』)などを離れて、「エログロ」とでも言える徹底した娯楽・大衆路線にシフトした。これは、USAのエクスプロイテーション映画ジャンルそのものであり、新東宝こそは、この方面で、他の映画会社に先駆けていたのである。同じく丹波が助演している新東宝作品『女真珠王の復讐』(1957年作)は、邦画史上初めての主演女優の後ろ姿のオール・ヌード・シーンが撮られて話題となった作品である。ヤクザ映画の東映が「東映ポルノ」を製作し始めるのが、1968年、日活が、「日活ロマンポルノ」を製作・配給し始めるのが、1971年であるのを考えると、新東宝の「先見性」がよく理解できるであろう。新東宝は、1958年に、この年に廃止された、いわゆる「赤線地帯」をテーマとした『女の防波堤』(プロの売春婦が米兵を相手にして、日本の淑女を守る「防波堤」になる)を製作しているが、同じ年には、『白線秘密地帯』なる作品が出ている。
「パイセン」と読む「白線」とは、もぐりの売春行為をいい、この作品は、この売春行為の組織を暴く警察活動をテーマしたものである。宇津井健、天知茂、菅原文太などが出演したこの作品を撮ったのが、早撮りの監督として有名な石井輝男である。この「〇〇線地帯」はシリーズ化されて、石井監督の下、1960年に『黒線地帯』と『黄線地帯』が公開されている。「黒線」とは、暴力団が組織するもぐりの売春行為を、「横線(イエロー・ライン)」とは、電話コールによる売春行為を指すと言う。本作の題名「0線(ゼロせん)」も、この「ライン・シリーズ」に掛けた、駅のホームの番線から外れた番線ということで付けたものであろう。進駐軍が日本に入って公娼制度が禁止される。これを受けて、売春防止法が1956年に公布され、「移行期間」を経て、58年に罰則が施行されることになると、売春行為は地下に潜ることになるが、新東宝は、正に、このプロセスをエクスプロイテーションしたことになる。
本作の制作された1960年は、日本映画史上最高製作本数となる547本が製作された年で、それは、今は存在しない大映を含む大手六社によるプログラム・ピクチャー作品群であった。観客動員数は、1958年に11億人強で史上最高であったものが、61年には八億人台に既に落ちており、日本の映画産業の衰退の兆しが早くも現れることになる。新東宝は、この61年に、大映は、その十年後の71年に倒産することになる。
2026年9月24日木曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0線の女狼群(日本、1960年作)監督:三輪 彰
ホテル酔月 御休息 お一人様 一〇〇円(一時間) 御泊り お一人様 六〇〇円 御食事 お一人様 一五〇円より これは、本作に登場する一場面であるが、「ホテル酔月」は、現代であれば、「ラブホテル」と言うべき場所であろう。「ホテル」とすれば、聞こえはいいであろうが、本作が制作された...
-
監督のIlya Naishullerイリヤ・ナイシュラーは、父親がユダヤ系ロシア人で、金持ちの家に育ったところから、子供の頃はロンドンの豪邸に住んでいたと言う。モスクワ生まれの彼は、その後、ロシアに戻り、希望であるロシア映画大学を受験するが、これには受からず、それで、モスクワの...
-
白樺派 ミーツ ハリウッド映画 白樺派は、明治末から大正期に掛けて日本の文壇の一主流となった傾向であり、その文学創作の思想的背景には、理想主義、人道主義、個人主義があったと言われている。その代表的文学者は、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などである。 何故ここで白樺派のことを...
-
シリーズ第七作 時:関東大震災の年1923年前後 場所:東京下町 対立抗争:伝統的組と新興ヤクザ組織 高倉は渡世人であるが、元々は料亭の主人の息子で、池辺は、この料亭の板前である。 ヒロイン:高倉と相思相愛の仲の芸者:藤純子 「任侠」とは、自分の命も顧みずに、暴力を以ってして...
0 件のコメント:
コメントを投稿