21世紀の初年に起こった9.11.(ナイン・イレヴン)は、世界を変え、今年2026年は、あれから四半世紀が経った年となる。現在のトランプ現象も、この世界の変化と関連するものと見ることも出来るが、9.11.こそは、USAが対アフガニスタン戦争を遂行することになった原因であった。そして、USAとNATO「有志国」は、結局、敗退してアフガニスタンの地を去り、2021年に、USA軍に追い出されていたタリバン政権がカプールに再復帰する。
20世紀のアフガニスタン戦争は、1979年にアフガニスタンに侵攻したソ軍軍と、USAなどが支援した、アフガニスタンの部族社会に根差すジハード戦士ムジャヒディーンとの戦争であった。十年後の1989年、ソ連はアフガニスタンから撤退するが、その後のソ連の崩壊は、確かに、このソ連の対アフガニスタン戦争での敗退がその遠因であった。
アフガニスタンから追い出された大国は、実は、もう一つある。19世紀の大英帝国である。それは、ロシアの南下政策を恐れて、アフガニスタンをその影響下に置こうとして、インドに駐留していたイギリス軍と東インド会社軍が、アフガニスタン国内の紛争に乗じて、1838年にアフガニスタンに侵攻したことから始まる。このアングロ・アフガン戦争は、三次に及び、1919年にイギリスが、第二次アングロ・アフガン戦争でイギリスの保護国としていたアフガニスタンに独立を認めることになるが、第一次アングロ・アフガン戦争は、1838年から1842年まで続き、イギリス軍の敗退・撤退で終わる。
この戦いに加わっていた大英帝国陸軍軽歩兵連隊の一つが、本作の主人公Martin Feeneyマーティン・フィーニーが所属していた第88歩兵連隊Connaught Rangersコノート・レインジャーであった。この連隊は、1793年、即ち、フランス大革命中に創設されたもので、Connaughtは、アイルランドの北西部にある地域である。つまり、アイルランド人が徴用されて大英帝国のために海外遠征したことになり、アイルランド人にとっては、イギリスのために戦うことは、自分達がイングランドに支配されている存在でもあり、いくら金のためとは言え、アンビヴァレントな行為であった。1842年に命からがらアフガニスタンから撤退したMartin Feeney達は、インドに戻り、Martin Feeneyは、約五年間外地にいたのか、何れにしても、その後に連隊から脱走して、自分の故郷の地であるConnemaraコネマラに1847年に戻ってくる。しかし、自分の故郷は数年来の大飢饉で荒れ果てており、Martin Feeneyの母や弟は亡くなっていた。戻って間もなく、彼の目の前で甥っ子も銃殺され、義理の妹も姪も、住む家から追い出されて凍死する。こうして、Martin Feeneyの復讐劇が始まる。
アイルランドの地には、既に、12世紀以来、ブリテン島からの侵攻が相次いでいたが、清教徒革命時代のクロムウェル軍が本格的に侵攻して、宗教対立をこの地に招く。クロムウェル軍の目的は清教徒革命に反抗するカトリック教勢力の掃討であった。その後はアイルランド議会もあり、一応の自治も存在してはいたが、1801年には、アイルランド議会は閉鎖されて、アイルランドは同君連合国の形態で完全に英国の支配下に置かれる。そして、イギリス議会には、アイルランドからの議員が一定枠送られることが制度化される。しかし、イギリス議会に席を持っている議員の大部分は、もはや、アイルランドの地を踏んだこともない、アイルランド系貴族であり、アイルランドには領地があっても、そこの管理は、現地にいる領地管理代理人に任せていた。その代理人の下には、小作人と直接関わり合う仲介人がおり、収穫された穀物や地代の取り立ては、この仲介人が処理していた訳である。穀物は徴収され、地代も払わされる小作人に生きるために残っている食糧はジャガイモだけしかなかった。しかし、恐らく北アメリカからもたらされた病原菌が原因でジャガイモが腐って食べられるなくなる状況が現出した。このような事態は既に何度もヨーロッパを襲っていたが、1845年からアイルランドで起こったジャガイモ飢饉は、1847年に最悪の事態に至り、アイルランドでは、この年を、原題の通り、『Black '47』と呼んでいる。本作は、この大飢饉で亡くなった、当時のアイルランドの人口の12%に当たる約百万人と言われるアイルランド人と、糧をUSAに求めて移民となってアイルランドの地を去った人々を想う作品である。故に、本作の邦題は、たとえ、主人公がランボーを思わせ、音楽の一部がウェスタン映画を連想させる味付けがされているとしても、その追悼の想いをないがしろにする下品な題名の付け方である。
復讐劇は、まず、アイルランドの支配のシステムの下から始まる。故に、小作仲介人Beartlaから始まり、次に領地代理管理人Croninへ、そして、Lord Kilmichaelsキルマイケル卿へとシステムの上層に上っていく。とりわけ、Beartlaへの復讐はとりわけ凄惨であるが、それは、彼が同じアイルランド人でありながら、同胞を裏切って、逆に同胞を搾取する存在であったからである。
このアイルランド人収奪のシステムを暴力装置として支えるのが、まずは、大英帝国軍の、現地に駐屯する陸軍歩兵連隊である。本作では、それは、第68軽歩兵連隊となっている。この連隊は、1758年に創立された連隊で、本作に登場する若い将校は、恐らくは、イングランド出身の貴族の子息であろう。人を人とも思わない、とりわけ、アイルランド人は家畜同様と見做している彼の傲慢さは、観る者の神経を逆撫でする。
暴力装置のもう一つが、Royal Irish Constabularyコンスタビュラリー(RIC:王立アイルランド警察隊)で、その黒い制服は、ナチスのSSを思わせる。この警察隊は、19世紀の初めに治安維持の目的のために創設され、1822年のアイルランド警察隊法により、各Countyカウンティ―に配置される警察組織となる。この「警察」組織の第一の役割は、英国国教会教会区に納める十分の一税の強制的取り立てである。統計によると、1841年には、約8.600名の警察官がおり、その多くは、カトリック系であったが、本作の主人公の一人Hannahハナは、Feeneyの軍隊時代の上官であり、恐らく、軍役後にイギリスに戻ってきて、Irish Constabularyに勤めていた人間であった。RICは、実は、最初は、ICのみの名称であったが、19世紀後半にアイルランド人の対イングランド抵抗運動の鎮圧に「功績」があったことから、ヴィクトリア女王から、「Royal」の名称を与えられて、RICとなった警察組織である。
本作の監督Lance Dalyランス・デイリ―は、ダブリン生まれの映画作家で、2001年に、自らが書いた脚本をプロデュースし、その監督を務めて発表した『Last Days in Dublin』でデビューした。2008年制作の『Kisses』で、アイルランド・アカデミー賞の最優秀監督賞を受賞する。本作は、批評上も商業上も成功した作品と評価されており、本作で歌われるアイリッシュ・ゲール語の歌曲も、作詞を彼自身が共作している。2025年制作の作品『Trad』では、各地を巡業して歩き回る音楽グループを描いた音楽映画を制作しており、彼は、音楽的にも興味が高いようであり、この作品『Trad』には、本作で主人公の義理の妹役で登場し、アイリッシュ・ゲール語の歌を歌うSarah Greeneが脇役で出ている。
アイリッシュ・ゲール語とは、印欧語族のケルト語派に属する言語である。ケルト諸語の中では、ウェールズ語、コーンウォール語、ブルトン語がp-Celticに分類されるのに対して、スコットランド・ゲール語、アイリッシュ・ゲール語、マン語は、q-Celticに分類される。この区別は、語頭の[qu]音が、p-Celticでは、[p]音に変わったのに対して、q-Celticでは、それがそのままで残ったことによる。ゲール語は、アイルランド語では、「Gaelige」と綴られ、「ゲールグ」乃至「ゲールゲ」と発音される。ゲール語は、印欧語族の言語ではあるが、同じ印欧語族の英語を話す人間にはそのままでは通じない。その英語を話すインランド人が、ゲール語を話すアイルランド人を蔑む、文化的差別も本作にはしっかり描かれており、本作では、そのゲール語をたっぷり聞けるのも、本作の魅力であろう。ゲール語で、アイルランドは、「Éire(エーラ)」、イングランドは、「Sasana(ササナ)」と、そして、因みに、日本は、「An tSeapáin(アン・チャパーン)」と言うそうである。「アン」は、定冠詞である。
最後に、言わば、アイルランド人の視点に立った「語り部」という存在が、これまた、イギリス人将校と「原住民」との間の通訳としての役割も演じるConneely コネ―リーである。この役を演じているのが、Stephen Reaスティーヴン・レイで、彼は、北アイルランドのベルファスト出身である。元々舞台俳優であった彼は、その後、映画界にも進出し、アイルランド人映画監督Neil Jordanニール・ジョーダンが制作した『クライング・ゲーム』(1992年作)で、IRA暫定派のメンバーを演じてUSAアカデミー賞にノミネートされて世界的に注目された俳優である。以来、ジョーダン組俳優として活躍している。Stephen Reaが本作で歌うゲール語の歌は、子供が発音される音を意味もなく並べて作ったような、大人の童謡のような趣きがあり、印象的である。本作のエンディング・ロールで、作中で歌われたゲール語の歌が繰り返されるので、ゆっくりとこれらの歌を聞きながら、本作のストーリーの余韻を味わいたいものである。
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