『オデュッセイア』は、古代ギリシャ神話の英雄で、知略の人オデュッセウスの冒険譚を詠った韻文の叙事詩で、24の「歌」から成っている。時系列的にはトロイア戦争が終わって、トロイアから故郷のイタケーに戻る行程が描かれるのであるが、文学的には、『オデュッセイア』では、初めの方で、オデュッセウスの息子のテーレマコス(「遠くで戦う者」の意)が父を探して父の戦友を訪ね歩く遊歴が語られたり、『オデュッセイア』の後段では、オデュッセウスがイタケーに戻って再び王位に就いてからの後日談が付け足されたり、更には、オデュッセウスの冒険譚自体が本人が回想しながら話すという具合に、文学的技巧が加えられて語られる、元々は口承・伝承されて徐々に形成された作品である。
という訳で、『オデュッセイア』の第一歌では、オデュッセウスは既に幾多の冒険を乗り切って、海のニュンフ・カリュプソー(「覆い隠す者」の意)の島で、心地よく七年の時を過ごしている場面が描かれる。これに続くのが、テーレマコスの遊歴譚で、ようやく第六歌になって、オデュッセウスと王女ナウシカアーとの邂逅が語られる。最初12艘でトロイアを出発した自分の船団が途中で全ての船が失われ、航海を同じくする船乗り達も本人以外全員が、怪物に食べられたり、海の藻屑に消えてしまったりして、オデュッセウスは、結局、一人素っ裸のまま、ある島の浜辺に打ち上げられているところを偶然に王女ナウシカアーに見付けられて、彼女の父の王宮に連れて行かれる。因みに、宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』の主人公名は、この王女の名前から採られている。
本映画の冒頭は、この第六歌のところから始まる。つまり、第一歌から第五歌までをカットして、その代わりに、トロイア戦争での「木馬」のプロットや、故郷イタケーに女王として一人留守を守るペーネロペーの「窮状」が描かれる。
制作スタッフのリストには監督Mario Cameriniマリオ・カメリーニを含めた七名の名前が挙がっている脚本家グループのよい思い付きであるのであるが、映画の初盤でのオデュッセウスは、嵐で頭をどこかで打ったのか、記憶喪失になっており、最初は、自分が誰であるかが分からない中、次第に記憶を取り戻しながら、映画内での物語りを進行させていく。
映画では幾つかの冒険は省かれるが、原作の第九歌から第十二歌は冒険譚の回想で、一つ目の巨人キュクロープス、魔女キルケ―、冥府での母やアキレスとの邂逅、セイレーネス(セイレーン達)との試練などが語られる。映画もほぼこの流れでストーリーが展開する。
『オデュッセイア』の第十二歌の終わりに、オデュッセウスはカリュプソーが棲む島に着くことになるが、映画では、ここはカットされて、オデュッセウスは、オデュッセウスを愛する王女ナウシカアーの理解を受けて、近くの島イタケーに向かう。
オデュッセウスがイタケーに着いてからの映画のストーリー展開は、原作とほぼ同じで、原作の第二十二歌で語られる、オデュッセウスが、ペーネロペーに対して傍若無人な「求婚者達」を殺戮して回るシーンが、映画でのクライマックスとなる。こうして、映画は、20年間貞節を守ったペーネロペーと、途中幾つもの恋愛関係を持ったオデュッセウスが、永遠の愛を誓い合う大団円で「Fine」となる。
「Fine」で終わるということは、本作はイタリア映画作品であるということになり、原題名も、イタリア語形の「Ulyssesユリシーズ」を意味する「Ulisseウリッセ」である。という訳で、本作の製作は、イタリア人のやり手のプロデューサー二人Dino De Laurentiis ディーノ・デ・ラウレンティースとCarlo Pontiカルロ・ポンティが担当している。本作が制作された年には、二人のプロデュースで『道』(監督F.フェリーニ)も製作されており、この作品は、57年にUSアカデミー・外国映画賞を獲得することになる。
制作国はイタリアであるが、映画内で話されている言葉は、英語である。カーク・ダグラスが主演であるから、英語が話されているのであろうが、もちろん、本作のUSAでの興行を目論んでのことであろう。監督は、ローマ人で冒険映画を主に撮ったMario Camerini マリオ・カメリーニで、スタッフの多くもイタリア人であるが、撮影監督は、ニュー・ヨーク生まれのHarold Rossonハロルド・ロッソンである。H.ロッソンは、無声映画時代からのキャメラマンで、1936年制作の『沙漠の花園』(The Garden of Allah)のカラー撮影をW.ハワード・グリーンと共同で担当し、この作品の撮影に当たっては、当時未だ珍しかった三色法によるTechnicolorを使用したことを以って、38年にUSアカデミー技術栄誉賞を授与されている。また、『オズの魔法使い』(1939年作)を始め、1940年度、44年度、50年度と、本作撮影前にUSアカデミー撮影賞にノミネートされていた撮影監督であった。本作も、Technicolorで撮影されている。
本作での色彩としては、普通のTechnicolorの色合いよりも、イタリア絵画的な油絵の濃厚さがあり、意外であるが、イギリス人Joan Bridgeジョアン・ブリッジがカラー・コンサルタントとして助言している。とりわけ、王女ナウシカアーを装った明るい紫と黄色のコンビネーションのドレスは、Technicolorの、さすがに輝度の高い色調で、印象的である。
この王女ナウシカアーを演じているのが、1951年にデビューしたばかりの、未だ初々しいイタリア人女優Rossana Podestàロッサナ・ポデスタである。それに対して、女王ペーネロペーを演じているのが、Silvana Manganoスィルヴァーナ・マンガーノである。彼女は、 ローマ生まれで、元々は写真モデルなどをしていたのであるが、1946年に「ミス・ローマ」となり、早速、映画界でデビューを飾ることになる。三年後には、『にがい米』(ジュゼッペ・デ・サンティス監督)で演じた助演級の、農業労働者の役で有名になり、50年代に入って、Gina Lollobrigidaジーナ・ロロブリジダなどと並ぶイタリア映画界のディーヴァとなった存在である。実は、彼女は、『にがい米』を製作したディーノ・デ・ラウレンティースと49年に結婚しており、彼の後ろ盾もあってか、本作では、キルケー役も演じており、オデュッセウスに恋する魔女として、貞節を通そうとする女王ペーネロペーとの好対照をなす、より魅力的な役を演じている。
本作に関しては以上なのであるが、今回、『オデュッセイア』のことを調べていて、この叙事詩の後日談があることが分かったので、これもまた面白い話しでもあり、ここに記しておく。その後日談とは、『テーレゴノス(「遠くで生まれた者」の意)』という。実は、『テーレゴノス』自体は今はもう散逸してしまっているのであるが、それを言及する他の書物や作品から、『テーレゴノス』の内容は、大体、次のようであると言う。以下、ウィキペディアの該当部分を引用する:
「テーレゴノスはオデュッセウスがアイアイエー島を去ったのち、キルケーからオデュッセウスの息子として生まれた。テーレゴノスは島でキルケーによって育てられ、ヘーパイストスが制作した毒があるアカエイの棘を穂先に付けた槍を授けられた。テーレゴノスは成長するとオデュッセウスに会いに行ったが、イタケーに漂着したテーレゴノスはそこがどこであるか分からず、空腹に耐えかねて家畜を襲い、家畜を守るために現れた老人を父オデュッセウスとは気づかずに[毒槍で]殺してしまった。殺した男が自分の父親だと知ったテーレゴノスは、オデュッセウスの遺体と、異母兄テーレマコス、その母ペーネロペーを伴ってアイアイエー島に戻った。オデュッセウスを島に埋葬すると、キルケーは3人に不死を与え、キルケーはテーレマコスと、テーレゴノスはペーネロペーと結婚した。」
この話しを読んで、筆者がすぐに連想したのは、テーバイ伝説のラーイオスとオイディプ―スの件であり、オイディプ―スも、父とは知らずにラーイオスを殺し、母親とは知らずにラーイオスの妻と結婚するという、あの「オイディプス・コンプレックス」で有名なオイディプースの話しである。
『テーレゴノス』では、テーレゴノスは、オデュッセウスの息子ではあるが、キルケ―が母親であり、ペーネロペーとは、世代の違いはあるとは言え、直接の血の繋がりがない訳であるから、テーレゴノスがペーネロペーと結婚したとしても、これを「オイディプス・コンプレックス」とは言えないであろう。一方、テーレマコスがキルケ―と結婚する動機が何であるかは測りがたいが、キルケ―にしてみれば、テーレマコスは自分が愛したオデュッセウスの面影を宿した存在でもあり、テーレマコスに魔法を掛けてでも、自分の傍に置きたいのは山々であったのではないか。とすると、英雄オデュッセウスの悲劇の最期を受けて、異母兄弟という間接的な血の繋がりを背景にして、しかも女性側が年上という世代が違った二組のペアの婚姻は、正に、本作と同様の大団円ではなかろうか。
キルケーとテーレマコス(「離れて戦う者」)からは、「ラティーノス」が生まれ、ペーネロペーとテーレゴノス(「離れて生まれた者」)からは、「イタロス」が生まれた。ラティーノスは「ラテン語」に、イタロスは「イタリア半島」にその名前を残したというのも、興味深い「落とし胤」と言えようか。
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