2023年6月30日金曜日

言の葉の庭(日本、2013年作) 監督:新海 誠

 恋の物語りとしてのセッティングとしては、大人びた高校一年の男子生徒と、同じ高校で古文を担当する、27歳の女性教員という取り合わせは、余りに無理があるのではないか。

 その違和感を抑え込むために、筆者は、主人公の年齢を無視して本作を観ていた。ゆえに、男子生徒は、せめて高校三年生とし、相手方は、23か24歳の、他の高校の古文の新米教員として欲しいところである。であれば、現実味も増すのではないか。或いは、日本社会では、こんな現実味のある関係は、むしろ拒否されるのであろうか。であれば、こんな関係を描きたいためには、新海は、逆手を取って、むしろ現実味のない関係をセッティングしたのであろうか。

 一方、主人公・秋月孝雄の回りの人間模様も興味深い。母親は、47歳の大学職員で、離婚経験者である。若作りにして、一回りも年齢の若い恋人を持っていると言う。26歳の兄は、恋人と同棲するために家を出ていくと言う。保守的倫理観の持ち主からは、母親が「だらしない」から、息子も「だらしない」結婚観を持っているのであると言われかねない、主人公孝雄の家庭環境である。であれば、孝雄自身が、自分の「恩師」に血道を上げるのも無理からぬことと、保守主義者はのたまうかもしれないが、こういう倫理的・道徳的摩擦もストーリーの中に取り込んだ新海の「勇気」を応援するものである。筆者は、単なる男女の陸み事に終わらせず、ストーリーに社会性を持たせるストーリーの書きぶりに共感する。

 さて、新海アニメのストーリー展開には、一つの特徴がある。それは、つまり、男女の出逢い、別れ、そして、その喪失感に由来する、離別の遠くからの「想い」の独白である。この特徴は、彼がアニメ作家としてアニメ界で有名になった、2002年の、ほぼ自作自演の短編アニメ『ほしのこえ』以来、新海アニメに通底するものである。ゆえに、本作でも、両主人公は、ストーリーの終盤になると、東京と四国に別れて住みながらも、手紙を通じて繋がりを保ち続けるという展開となる。その意味で、出逢い、別れ、そして、別離の中での繋がりの三位一体が、新海アニメの特徴なのである。

 さらに、本作では、このストーリー展開の特徴に、和歌が重要な媒体となって加わっている点が「ミソ」である。この点において、さすがは大学で日本文学を勉学した新海の教養が大事な土台となっていると言えるであろう。調べたところによると、本作に登場するのは、万葉集からの、詠み人知らずの、一連二首の問答歌であるという。

 物語りの比較的最初に、古文の教諭は、初めて孝雄に遇った、梅雨入り前の雨が降る新宿御苑で、孝雄との別れ際に、謎のような和歌を一首詠む:

 雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ

 (なるかみの しまし とよみて さしくもり あめもふらぬか きみをとどめん)

一夜をいっしょに過ごした女が、相手を返したくないので、雷が鳴るのを聞いて、雨が降ってほしいと願う歌である。高校生に贈る歌としては、かなり思わせぶりの歌である。

 問答歌であるから、今度は、贈られた歌には返歌がなければならない。それゆえ、贈られた当人である孝雄は、映画の中盤に次のような歌を返す:

 雷神の 少し響みて 降らずとも 吾は留まらむ 妹し留めば

 (なるかみの しまし とよみて ふらずとも われはとどまらん いもしとどめば)

返歌なので、歌の始めが最初の歌と共通になっているのは仕方がないにしても、相手の女性が、「君を留めむ」と言っているのに、「妹し留めば」と言っているのは、少々野暮であろう。但し、この歌を本作の文脈にはめ込めば、この返歌を詠っているのは、「うぶな」男子高校生であり、この歌の稚拙さは、肯けなくもない。

 とは言え、題名を『言の葉の庭』し、そのストーリーに『万葉集』からの恋歌を引いたのは、蓋し、ハイセンスの思い付きであろう。本作は、「大人の」アニメとして堪能したいものである。

2023年6月29日木曜日

天気の子(日本、2019年作)監督:新海 誠

 新海アニメ・ワールドの一つの特徴は、それが写真ではないかと、もう一度目を凝らす、写実的なアニメーション作画の精緻さである。それは、自然の風景や都市景観によく表現されるのであるが、この効果は、雨が降った後に太陽が差し込んでくる時の、刻一刻と変化する光彩の変化がアニメーション作画に付け加えられることにより、さらに強められる。ゆえに、新海は、ストーリー作りにおいて、「雨男」であると同時に、「晴れ男」でもあり、雨と、雲間から晴れだす太陽光は、お互いに「必要・十分条件」なのである。

 こうして、本作では、雨が降り続ける東京という、新海にとって絶好のセッティングが取られる。そして、これと、「晴れ女ならぬ晴れ女の子」がタッグを組めば、正に「最強」である。

 天気が晴れますようにという「願い」を考えると、人はすぐにでも「てるてる坊主」のことに思い至る。そして、ウィキペディアによると、さらに、この「照り照り坊主」の元ネタには、ある中国伝説があると言う。ウィキペディアは言う:

 「[当時の首都]北京には、頭が良く、切り紙が得意な美しい娘、晴娘[チンニャン]がいた。ある年の六月[日本であれば梅雨の時期]、北京に大雨が降り[続き]、水害となった。北京の人々はこぞって雨が止むよう、天に向かって祈願をし、晴娘も祈りを捧げた。すると、天から、晴娘が[四海龍王の内、尤も広大な領土を持つ]東海龍王の妃になるなら雨を止ませてやろうという声が聞こえた。街の人々を救うと誓った晴娘が頷き、同意すると、雨は止み、その瞬間に風が吹き、晴娘は消えた。その後、晴娘の姿は見つからず、空は晴れ渡った。以来、北京の人々は皆、雨が続くと、晴娘を偲んで切り紙で作られた人形を門[の左側]に掛けるようになった。」 というのである。(中国書の『帝京景物略』などに拠る。)

 これが、「掃晴娘(さおちんにゃん)」の伝説である。「掃」の字が最初に来るのは、晴娘に、雨雲を掃いて晴天にするための箒を持たせるためである。何れにしても、この伝説は、正に人身御供の話しであるが、これに、田舎から東京に家出をしてきた高校一年生の視点を加えることで、アニメ制作のターゲットとする年齢層を少々低くしたのが、今回の新海アニメのストーリー・セッティングである。大人びた高校一年の男子生徒と、古文を担当する女性元教員との関係を描いた『言の葉の庭』のセッティングに較べると、年齢が低くなった分、ストーリーがシンプルになり過ぎたのが、如何せん、気になるのが本作の出来であろう。

 しかも、気候変動をテーマにしている本作のストーリーにおいて、そのままにしていれば、東京は水没するというメッセージは、メッセージ性としては、筆者には弱すぎる。フライデー・フォア・フューチャー運動や「ラスト・ジェネレーション」という過激派さえもが生まれ出ている、今の時代を鑑みると、この不満感は余計に強まるのである。

2023年6月2日金曜日

昼下りの情事(USA、1957年作)監督:ビリー・ワイルダー

 本作は、果たして、「コメディー」なのか、或いは、コメディーであるとして、成功しているであろうか。喜劇は、悲劇を演ずるよりも、格段に難しいことを念頭に入れても、本作には、笑える部分がいくらかはあるにはあるが、観客を笑わせようとする意図が見え過ぎて、笑うに笑えないシーンがいくつかあったことも否めず、本作は、コメディーのジャンルを専門とするB.ワイルダー監督の手になるにしても、コメディーとしては成功していないように、筆者には、思われる。

 B.ワイルダー監督がA.ヘップバーンと共作して1954年に上映された作品『Sabrina:麗しのサブリナ』を人は誰も「ラブ・コメディー」とは呼ばないであろう。精々は「ロマンティック・コメディー」たる、この作品では、若いA.ヘップバーンは、中年のH.ボーガートとお相手をする。一方、その三年後の本作では、ストーリー上19歳であることになっているA.ヘップバーンは、金持ちのアメリカ人・中年紳士役のG.クーパーと共演している。

 若い女性が金持ちの中年紳士に恋することは、あり得ることであるので、本作でのG.クーパーが年が取りすぎていて、こんなカップルは考えられないという意見に筆者は組するものではないが、世界を駆け巡るプレイボーイとしての本作でのG.クーパーの役どころは、誠実感がただよう人間としての俳優G.クーパーと、どうしても違和感となり、それ故に、役柄と俳優の人間性との間のミスマッチ感が押えきれない。(映画に登場する、G.クーパーの世界を駆け巡るお色気の「行状」について、一つ、1953年という走り書きがある日本語の新聞記事の見出しがある。それには、「新聞王ケーン死す」とあり、恐らくは映画『市民ケーン』と関係がある記事の左横に、何か中国風の芸者に囲まれて、お風呂に入っているG.クーパーの写真が載せられてあり、それは、残念ながら、いかにも合成写真のように見える。)

 パリのコンセルヴァトワールでチェロを勉強しているパリ娘Arianeが恋に落ちるのであれば、その相手は、パリの、あるオペラ座でR.ヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を聴きながら、コンサート用のプログラムを望遠鏡のように丸めて、その一方からコンサート会場を覗くなどという無教養な人間であってほしくない、と感じるのは、筆者だけではないであろう。せめて、エスプリのある会話ができる漁色家であってほしい。こう考えると、本作の主人公Frank Flannagan氏のキャスティングも違ってくるであろうし、コメディー性ももっと他に探せたはずである。

 このコメディー性という点では、パリの高級ホテルHôtel Ritzに泊まっている、犬を連れたご婦人と共に、本作の初盤と、終盤への展開点で重要な役回りをする登場人物Monsieur Xを演じるJohn McGiverジョン・マッギーヴァーの存在に注目すべきである。アメリカン・「カサノヴァ」に自分の妻を寝取られた夫役で、その存在自体は何も笑えないのではあるが、彼の置かれた状況が作り出す「可笑しみ」は、その後のB.ワイルダー調の滑稽味につながるものである。ニューヨーク市っ子のJ.マッギーヴァーは、高校の英語の教員として働く傍ら、演劇に興味を持ち、舞台監督や舞台俳優として、活動していた。かつての同僚に誘われて、1955年に初めて、ある舞台劇の主役を務めたことにより、職業俳優となり、これ以降、その小柄で、はげ頭の容姿が印象深いところから、性格俳優としての道を歩むことになる。映画での初めての役は、本作であり、A.ヘップバーンとは、ティファニーの親切な店員として、1961年作の『ティファニーで朝食を』で共演している。

 さて、本作には原作がある。その名を、『Ariane, jeune fille russeアリアーネ、あるロシア人の若い娘』といい、スイス生まれのフランス人 Claude Anetクロード・アネが、1920年に発表したものである。C.アネは、1868年生まれで、ソルボンヌ大学で精神科学を勉学し、卒業後一時会社勤めなどをした後、イタリア、ペルシャ、ロシアなどを旅行をして歩き、その旅行記を発表したり、テニス選手として、1892年にフランスのテニス選手権で優勝したりしている人物である。ロシア旅行の際には、ロシア革命を実際に体験しており、『ロシア革命、年代記 1917-1920』という本まで出している。ノンフィクション作品だけではなく、C.アネは、小説も書いており、その一本が本作の原作になる本で、彼のロシアでの体験が反映されているものと思われる。

 ウィキペディアの解説をまとめると、この作品は、1900年頃のロシアを舞台とし、叔母の許で育った、17歳のArianeという娘が、叔母の許しを得て、但し、叔母の資金援助なしで、モスクワの大学に勉学に行くところから始まる。そして、そのモスクワで、彼女は、アメリカ人の金持ちのコンスタンティンと知り合いになり、休暇でいっしょにクリミア半島に出掛けたりするという話しである。20世紀の初頭のロシアでArianeのような若い娘がいたということが中々信じがたいのであるが、女子学生のArianeとアメリカの金持ちの男性という関係は、確かに、本作に反映されている。

2023年5月4日木曜日

戦場のアリア(仏/独/英/ベルギー/ルーマニア/ノールウエェー、2005年作)監督:クスリティアン・キャリオン

 1871年に成立したドイツ帝国は、次の対仏戦争が起こることを想定していた。なぜなら、1870/71年の普仏戦争でフランスを屈辱的に破ったドイツは、そのフランスから、フランス東部のエルザス・ロレーヌ地方(ドイツ語でアルザス・ロートリンゲン地方)を奪い取っていたからである。対独復讐戦を誓うフランスは、対独防衛線たるマジノ要塞線を整えていたが、それに対抗すべく、ドイツ側も、全八個の軍(平和時における最大の軍編成単位)の内の七個を、オランダからスイスまでの西部国境沿いに、有事に備えるべく、対峙させていた。

 なぜ、七個もの軍を投入するかというと、ドイツは、対仏と対露の二正面作戦を取らざるを得ず、まず、対仏戦で自国軍を一気に投入して、フランスを壊滅させた後は、自国軍を東部戦線に回して、対露戦を遂行するという戦術上の目論見(いわゆる、「シュリーフェン作戦)があったからである。実際、普仏戦争時にならってのドイツ軍側の合言葉は、クリスマスまでには戦争に決着を付けて、「パリでまた会おう!」であった。

 戦争が勃発した直後の1914年8月、まずは、フランス側が対独攻勢を掛ける。英仏協商との関連でフランス側に立つイギリスは、ドーヴァー海峡を渡って、英国派遣軍を大陸に送り、フランス側から見て、北フランスからベルギーに掛けての左翼に布陣する。このフランスの攻勢を押え、今度は逆に反攻勢に出たドイツは、8月中旬に入り、協商連合軍を押し返し、ベルギー方面では、ブリュッセルまでも占領して、北フランスの国境、北海沿岸に押し寄せる勢いであったが、9月の第一次のマルヌの戦いを境に形勢が悪くなると、戦線を後退せざるを得なくなる。こうして、当初の運動戦は膠着状態に入り、相手側の塹壕まで50mないし100mの間隔しかない位置に両陣営が塹壕を築いて、対峙するという戦況に、遅くとも14年11月頭からは完全に陥ることになり、ヨーロッパは、寒さと泥の生活を兵士に強いる塹壕戦の中、厳しい冬の12月を迎える。そして、西部戦線は、12月24日のクリスマス・イヴに「奇跡」を体験する。

 この「奇跡」は、英語では、「クリスマス休戦」、ドイツ語では、「クリスマスの平和」(「大きな戦争における小さな平和」)と呼ばれている。しかし、それは、14年12月であったから、可能であったのである。それぞれの国の国力が問われる総力戦たる本戦争において、毒ガス、戦車、戦闘飛行機などの近代兵器が登場するのは、15年以降であり、砲撃も、14年段階では連続十字砲火のような激しいものではなく、前線における機関銃掃射が、本作での戦闘場面に見られるように、精々であったのである。その意味で、19世紀までの戦争における良き伝統たる、戦場における「騎士道精神」が、14年末までは未だに生きていたのであり、戦闘を一時停止して、戦場に取り残された戦傷者を自陣に連れ帰ることは、戦争という反ヒューマニズム的行為の文脈において、当然の「人間性の表現」であった。

 とは言え、上述の歴史的制約を背景とし、本作が、事実を基にしているという、映画の冒頭の言説に対して、本作のストーリーは、筆者には劇的に過ぎる。ゆえに、若干戦史を調べてみると、本作においては、芸術制作における「芸術家の自由」が許され過ぎてはいないかと思われる箇所が多々あったので、そのことをこれから述べていきたい。

 まずは、本作の群像劇における主人公の一人となるNikolaus Sprinkニコラウス・シュプリンクの存在である。ドイツ人俳優Benno Fürmannベノ・フュアマン演ずるところの、このベルリンの劇場の人気テノール歌手は、確かに実在した。この1879年にベルリンで生まれたオペラ歌手は、Walter Kirchhoffヴァルター・キアヒホフといい、彼も戦争勃発と共に志願して戦場に赴く。とは言っても、西部ドイツの、ルクセンブルク国の南に位置し、ロートリンゲン地方を管轄下に置くドイツ帝国第五軍の上級司令部付きの将校として勤務しており、彼は、さらに、この第五軍の名誉司令官たる、プロイセン王国皇太子Wilhemヴィルヘルムの副官でもあったのである。つまり、彼は、映画で描くような一兵卒ではなかった。因みに、本作でも登場するWilhelm皇太子を、ドイツ人俳優Thomas Schmauserトーマス・シュマウザーが好演しており、ヴァイマール共和国時代にはその出自から当然として王党派であったヴィルヘルムが、ナチ時代になると、イデオロギー的には必ずしも相容れないナチス党を支持した経歴を持つ、Wilhelm皇太子の内面的陰影をさりげない演技でよく体現していた。

 第一次世界大戦後の1922年に発刊された皇太子ヴィルヘルムの回顧録によると、ある時、キアヒホフ自らが皇太子に以下のように述べたと言う:自分は、クリスマスの祝日のために、第130歩兵連隊が守備する塹壕の最前線まで行き、そこで、戦友のために、ドイツのクリスマス・リートを歌ってきたのであります、と。

 もちろん、この時は、キアヒホフは、愛人と前線に赴いた訳ではないはずで、クリスマスの祝日が過ぎた12月28日に、ロートリンゲン地方の中心都市Metzメッツ市の市立劇場で、スウェーデン人のソプラニストLilly Hafgren-Waagと共にR.ヴァーグナーのオペラ『ヴァルキューレ』の第一幕目を歌ったのである。つまり、キアヒホフは、映画で描くところの、デンマーク人の愛人のソプラニスト、Anna Sörensen(ドイツ人女優Diana Krügerディアナ・クリューガー)といっしょに、フランス軍側に投降しなかったのである。さて、実物のキアヒホフを映画のストーリー上であそこまで「英雄」にしてしまって、いいものであろうか。

 次に、今や国際的俳優でもあるドイツ人俳優Daniel Brühlダニエル・ブリュールが、中尉として指揮する小隊が所属する第93歩兵連隊についてである。兵士たちが被る、尖がりの付いたヘルメット(Pickelhaubeピッケルハウベ)の布の覆いに、数字の「93」と書かれてあるところから、それが分かるのである。つまり、映画では、キアヒホフが述べている第130歩兵連隊ではなく、別の連隊が登場しているのである。

 では、その第93連隊とは、どういう部隊であったのか。そのためには、まず、ドイツ第二帝国の軍制を見ておく必要がある。上にも述べた通り、ドイツ帝国においては、八個の軍があった。さらに、その下の部隊の単位は、軍団(Korps:コーア)で、1914年時点では25軍団があった。軍団から下降して、下の単位は、師団、旅団、連隊となる。何れも下位の部隊二個からなって、その一つ上の部隊単位が形成されるから、25軍団は、50師団、100旅団、200連隊と理論上はなり、実際、ドイツ帝国時代には、217連隊が存在したのである。

 その217連隊中の、第130連隊と第93連隊である。第130連隊は、テノール歌手キアヒホフが関わった部隊であるから、第五軍に所属するとして、本作に登場する第93連隊は、どこに所属し、14年12月段階でどこに位置していたかである。所属は、第一軍、第四軍団、第八師団、第15歩兵旅団の所属である。この第15歩兵旅団は、戦史録によると、14年12月中旬までは、ベルギーのフランドル・アルトワ地方で塹壕戦を戦い、14年クリスマスの直前までは、フランス領フランドルで「12月の戦い」を戦い、丁度クリスマス第一祝日の12月25日からベルギーのフランドル・アルトワ地方で再び塹壕戦を戦ったことになっている。ゆえに、第93連隊は、「クリスマス平和」の14年12月段階では、ロートリンゲン地方ではなく、ベルギーの地にいたことになる。

 本作の監督は、フランス人のChristian Carionクリスティアン・キャリオンで、彼が脚本も書いているので、当然にフランス軍も一役買わなければならないことになったのであろうが、実際、この「クリスマス平和」にフランス軍側がどれだけ関係したかは、少々疑問である。それでからではないであろうが、ドイツ軍側を、上述のように第93連隊とすれば、基本的に「クリスマス平和」が成立したのは、ドイツ軍側とイギリス軍側とが対峙したベルギーのフランドル・アルトワ地方ということになるのである。

2023年4月16日日曜日

駆逐艦雪風(日本、1964年作)監督:山田 達雄

「一に脚本、二に脚本、(三・四がなくて、)五も脚本」


 タイトル・ロールの一番最初に、「協力 防衛庁」と出てくる。今の「防衛省」の前身である。制作年の1964年と言えば、第一回の東京オリンピックの年でもあるが、防衛省がまだ防衛「庁」であったことを思うと、時代は変わったとも思える。

 しかし、本作に防衛庁が全面的に協力したということであれば、それでは、本作は、防衛庁の「プロパガンダ映画」であり、「プロパガンダ映画」には、よくあることで、本作の脚本は、駄作中の駄作である。

 当時流行っていた「民衆視点」の歴史観よろしく、本作でも、一等主計兵の目で、駆逐艦雪風の、太平洋戦争中の運命が語られるが、ストーリーは、この「奇跡の強運艦」の「生きざま」を、おとなしく、その起工・進水・竣工から、戦後直後までを順を追って、詰まらなく描く。

 こんな駄作に駆り出された松竹の看板女優岩下志麻も、役者としての見せどころがなく、出ては、そのままストーリー上から消える。62年に撮られた、巨匠小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』で長女役をこなした彼女は、66年に、松竹ヌヴェル・ヴァーグの立役者の一人篠田正浩監督と結婚し、日本現代アート映画の顔の一人になる女優である。それを思うと、本作での岩下は、痛々しいほどであるが、脚本が良くなければ、いくらいい俳優であっても、映画は救えないということであろう。A.ヒッチコックにならって、述べるとすれば、「一に脚本、二に脚本、(三・四がなくて、)五も脚本」とでも言えようか。

 筆者が、不肖、一脚本家であったとすれば、まずは、艦の腹に平仮名で左書きで「ゆきかぜ」と書いてあるのを、カタカナの右書きで「ゼカキユ」とする。時は、戦前であるからである。そして、時間軸を戦後の復員輸送艦時代(46年2月から同年年末まで)とし、そこを基点として、過去から飛び石的にエピソードを語って、ストーリー上の現時点に戻ってきて、さらに、エンドロールで、未来を語る。なぜなら、「ユキカゼ」は、戦時賠償艦としての運命を辿り、48年以降「丹陽(タンヤン)」と名称を変えて、中華民国海軍の軍艦となり、更には一時期、その旗艦となるからである。

 なぜ時間軸を復員輸送艦時代とするかは、ユキカゼが、「奇跡の強運艦」として、太平洋戦争を生き残ったことをはっきりさせるためで、そのためにいいエピソードがあるからである。

 ユキカゼは、終戦後、復員輸送艦として改造され、1946年2月11日に舞鶴から佐世保を経由して中国汕頭へ向かう最初の引揚任務に出発する。本作のラストシーンは、恐らくこの時の光景を映像化したものであろう。同年7月から10月にかけては、戦前には中国東北部と華北を結ぶ戦略的に重要な地域の、拠点港湾都市であり、また満洲から日本への引揚船の出発地としても有名となる満州・葫芦島市(ころとう-し)からの復員・避難民輸送任務に計五回当る。更に、1946年12月28日までに、ラバウル二回、ポートモレスビー一回、サイゴン及びバンコク二回、那覇四回の計15回の復員輸送任務を遂行し、約1万3千人以上を日本に送り届けた。その中には、ラバウルのあるニューブリテン島から復員した、後に漫画家として有名となる水木しげるもいたと言う。また、サイゴン及びバンコクへの往路では現地法廷へ向かうB・C級戦犯を乗せていたのである。

 この時期のことである。ウィキペディアによれば、無傷のユキカゼの姿を怪訝に思った引揚者のある一人が、「お国が大変と言う時に、一体この艦はどこで何をしていたのか。今あちこち見回ったが、弾丸の跡一つ無いではないか。内地を出たのはこれが初めてだろう!」と難詰したことがあったと言う。このエピソードは、ユキカゼの「強運」をよく物語るものであると同時に、敗戦直後の日本を活写するのに格好のものであると筆者には思える。

 この1946年を基準として、過去に遡るとしたら、ユキカゼは、太平洋戦争の緒戦から敗戦まで、16回以上の主要な作戦に参加しているので、それを一々追っかけていては、些末になる。それ故、三つのエピソードを選んで、駆逐艦本来の水雷戦に関わることが出来た第三次ソロモン海戦、駆逐艦が輸送任務に携わざるを得なくなるガダルカナル島撤退作戦、そして、「不沈艦」大和が「水上特攻」などという不条理な作戦に駆り出されて沈没し、ユキカゼが、海に放り出された大和の乗組員を救助したエピソードの三つを取り上げてみてはいかがであろう。

 駆逐艦とは、その艦艇類別において、19世紀末から20世紀初頭にかけて成立した類別であり、水雷艇に対抗すべき駆逐艇として誕生し、それが水雷艇駆逐艦に発展し、更に、名称の簡易化が行なわれて、「駆逐艦」となったものである。水雷艇に対して水雷を以ってする訳で、今度は、防衛的な意味だけではなく、駆逐艦そのものが、敵艦隊への水雷襲撃を行ない、更に、対潜、偵察・哨戒活動も担うに至る。最初は、戦闘艦として、「軍艦」に類別されていたが、日本では、日露戦争以降の1905年には、戦艦や巡洋艦などの艦種から自立して、独自の艦種となる。1912年(大正元年)に等級を制定し、計画排水量1.000噸以上を一等、1.000噸未満600噸以上を二等、600噸未満を三等駆逐艦と分類する。1931年に、三等駆逐艦の等級別を廃止し、34年には、基準排水量1.000噸以上を一等駆逐艦、1.000噸未満を二等駆逐艦とし、等級分類の変更を行なう。

 水雷艇に対する、より大きな攻撃力を求められていた艦種としての駆逐艦は、元々大型化への傾向を内在していたが、艦隊行動が出来る航海性能の高さや、艦隊決戦における水雷戦を十分に行なえる、より強い打撃力を要求されるに至って、この艦隊型駆逐艦への傾向は更に強められた。1921年のワシントン海軍条約により、主力艦の保有制限が取り決められると、制限された分を補助艦で補おうと、小型巡洋艦とでも言える、駆逐艦の重武装化へと向かう。

 こうして出来上がったのが、吹雪型駆逐艦である。計画排水量を約1.700噸とし、凌波性能を追求した船形による良好な航海性能、艦橋を露天式から密閉式に改めるなどの居住性の改善、排水量に対して比較的重武装にした兵装化(砲塔式12,7cm連装砲3基、61センチ魚雷9射線)を目指した。

 1930年のロンドン海軍軍縮条約の結果、駆逐艦を含む補助艦艇の保有合計排水量と個艦排水量の制限が入り、日本は1.500噸(基準排水量)を超える駆逐艦の建造が不可能となる。初春型駆逐艦(計画排水量1.400噸)や、初春型駆逐艦の準同型艦ともいえる艦級「白露型駆逐艦」が建造される。しかし、この型は、小排水量に過大な武装を盛り込んだことにより、復元性能や船体強度が問題となり、最終的に、建造計画の中断を余儀なくされる。

 満州事変後の、国際連盟からの日本の脱退(33年)により、戦闘艦の建造制限がなくなると、日本は、再び、吹雪型の改良型を求める。これが、朝潮型駆逐艦であり、その後に建造される駆逐艦(陽炎型や夕雲型)の基本型となる。ユキカゼは、この陽炎型艦の八番艦である。

 全19隻が建造された陽炎型駆逐艦と、それから、その改良型である夕雲型駆逐艦とは、両者を合わせて「甲型」駆逐艦と呼ばれる。この甲型は、確かに、最新鋭の艦隊型駆逐艦として最良の完成形と言えるのであるが、しかし、対空・対潜能力が優れているとは言えず、太平洋戦争で第一線に投入されると、終戦まで生き残ったのは、陽炎型と夕雲型がそれぞれ19隻、そして、前身となった朝潮型10隻と合わせた全48隻中、ユキカゼただ一隻のみとなる。損耗率98%、生存率2%となり、いかにユキカゼが、強運艦であったかが窺われる。(因みに、甲型に対して、乙型駆逐艦、つまり、秋月型駆逐艦は、防空に兵装の重点を動かしている点で、丙型駆逐艦、つまり、島風型駆逐艦は、40ノットが出る高速艦である点で、丁型駆逐艦、つまり、松型駆逐艦は、兵装の重心を対空・対潜に移し、更に生産を容易なものとした点で、その特徴がある。)

 幸運艦としては、『呉の雪風、佐世保の時雨』と、白露型駆逐艦二番艦であるシグレが、よくユキカゼといっしょに言及される。シグレもまた緒戦当時からの「歴戦の勇士」であったが、1945年1月、輸送船団護衛中にマレー半島近海で米潜水艦に撃沈される。実は、この護衛任務には、シグレではなく、ユキカゼが当たることになっていたのであるが、機関故障のために直前に離脱し、このために、護衛の駆逐艦がシグレを入れて三隻に減っていた中であった。このシグレの沈没を以って、白露型駆逐艦全10隻が喪失したことになるが、シグレは、奇しくも、ユキカゼの身代わりになったとも言える。

 また、同年4月の坊ノ岬沖海戦においても、ユキカゼはその「強運」を示す。この、沖縄への海上特攻により、「不沈艦」戦艦大和、軽巡矢矧、駆逐艦浜風、朝霜、霞が沈没、駆逐艦涼月が大破、冬月が中破するという中、太平洋戦争中、三代目の艦長寺内正道は、ウィキペディアによると、「艦橋に椅子を置いて天井の窓から首を出し、航海長の右肩を蹴ると面舵、左肩を蹴ると取舵という操舵方法でアメリカ軍機の攻撃を殆ど回避した」と言われ、また、魚雷一本が命中しかけたものの、どういう訳か、ユキカゼの艦底を通過したというのである。こうして、ユキカゼは、敵潜水艦に攻撃される危険を冒して、長時間、大和他の乗組員の救助に当たった。その数日後には、中国の廈門市で座礁し、進退不能となった姉妹艦天津風が自沈し、全19隻建造された陽炎型駆逐艦もユキカゼ一隻となって終戦を迎えることとなる。

 中華民国海軍から除籍となり、既に60年代半ばに解体されていたという丹陽、即ちユキカゼは、奇しくも、真珠湾奇襲の丁度30年後の、1971年12月8日、横浜港において中華民国政府より、ユキカゼの舵輪と錨のみが返還された。現在、ユキカゼの舵輪は、江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている。

2023年4月12日水曜日

インディアン狩り(USA、1968年作)監督:シドニー・ポラック

 北アメリカ大陸の先住民ネイティブ・アメリカンの一部族であるKiowaカイオワ族は、18世紀に、恐らく、ヨーロッパから入植してきた白人たちに押しやられて西進せざるを得なかったスー族によって、南部大平原へさらに追いやられた。彼らは、言わば騎馬民族として、コマンチ族と同盟し、現在で言うテキサス州全土で略奪を行う。19世紀半ば以降になると、アメリカ・白人政府に、テキサスの「領土」を明け渡し、現在のオクラホマの保留地へ移住するよう強制される。これに対し、彼らは、再びコマンチ族と組んで一大抵抗戦を組織し、これにより、白人の入植地などは戦火で包まれることになる。こうして、彼らには賞金が掛けられ、その賞金を目当てに、白人の賞金稼ぎが彼らを追跡する。これらの、「インディアン」の賞金首を「ハンティング」する白人の賞金稼ぎを、本作の英語原題となる「Scalphunter」という。

 この賞金稼ぎの一味の一つが、Jim Howieハウイー(俳優テリー・サヴァラスが悪役を好演)を首領とする一団である。彼らは、酔っ払ったインディアンの一行を見つけ、彼らをあっさり撃ち殺してしまう。インディアン達が丁度毛皮も一山持っていたことから、一味はこれもチャッカリ頂いてしまうのであるが、それが、彼らの「運の尽き」であった。実は、この毛皮の一山の、元々の所持者は、Joe BassというTrapperトラッパーで、先程の、ハウイー一味に殺されたインディアン達に強要されて、毛皮と、それから彼が携行していた荷物を「物々交換」させられていたのである。

 さて、この「物々交換」の、インディアン側の交換物とは、何と黒人奴隷であった。この黒人は、コマンチ族から「黒い羽根」と呼ばれていたが、口から先に生まれてきたと言えるほど、口達者な奴隷で、本名をJoseph Leeといい、どういう訳か、学があり、中世のヨーロッパ知識人よろしく、ラテン語の箴言を引用し、Joe Bassとは異なり、読み書きも出来るという、文化人「奴隷」なのである。その一方で、彼は、野生で生きる術を何も知らず、腕力に訴えて敵対者に勝つ根性もない人間であった。

 この「文化人」の黒人奴隷Josephと、野生で生きる「野蛮人」の白人Joeの掛け合い、そして、この両者の、奴隷と主人の関係が次第に対等の関係へと発展していくストーリー展開が、本作の「旨味」であり、本作がウェスタン・コメディーの良作の一本であると言われる所以である。しかも、黒人と白人の立場が、文化人と野蛮人と逆転しているところに、本作の「コメディー性」があるのであり、人種差別の重い問題を、こうしたコメディーとして扱っているところに、本作の、とりわけ脚本(アメリカ人脚本家William W. Nortonの初期の脚本)の「強み」があるのである。

 黒人奴隷Josephを演じるOssie Davisも、白人の野蛮人を演じるBurt Lancasterも、1960年代前半からの公民権運動にひとかたならぬアンガジュマンを示してきた俳優であった。B.ランカスターが、本作の製作者の一人となっていることからも、彼の本作に対する思い入れの深さが感じられる。

 ところで、このランカスターとは私生活で一時深い仲であったのが、本作のヒロインShelley Wintersウィンタースで、本作では彼女は、その喉のいいところも示して、一曲歌っている。その彼女は、本作では、悪党ハウイーの、少々下品な愛人Kateを演じているのであるが、彼女を含む何人かの女性が馬車に乗り込んで、一味と同行をしている。こうした役柄で、S.Winters もこの映画のストーリーに絡むことになる。映画の終盤で、映画の初めの方でハウイー一味に殺されたカイオワ・インディアン達の仇を取る形で、その酋長「黒色のカラス」に率いられたカイオワ・インディアンの別動隊にハウイー一味が皆殺しに遇うことになる。この時、S.Winters達、白人女性達は生き残り、彼女達は、インディアン達に連れ去られる運命となる。

 その「運命」を悟ったのか、S.Wintersは一席演説をぶつ:„Indian Man, I don't know how many wifes you have now, but you're going to have yourself the damnedest white squaw in the entire Kiowa Nation!“(the damnedest white squawとは、今風に言えば、「とんでも白人スコー女」とでも訳せようか、squawとは、今では差別用語として使用が憚られるインディアン語で「女」を意味し、とりわけ、白人の妻となったインディアン女性を言うとのことである。)

 S.Wintersと言えば、1950年作で、アンソニー・マン監督の正統派西部劇『ウィンチェスター銃'73』で、J.ステュワートと共演でヒロインを演じた女優である。ここでは、開拓者の若い妻役を演じたS.Wintersは、表題のウィンチェスター銃を持って、危険とあれば、相手を射殺する女丈夫であり、仮にインディアンに生け捕りにされそうものなら、恐らくは、捕まる前に、自らを撃って自殺していただろう役柄である。その彼女が、18年後であるが、同じ西部劇ジャンルである本作では、インディアンの「妻」になることを、潔しくとはしないものの、それを受け入れるのである。『ウィンチェスター銃'73』が正統派ウェスタンの「走り」であるとすれば、本作の『インディアン狩り』を以って、西部劇ジャンルが変わっていく転換点がはっきりとマーキングされた言えるであろう。あの、アーサー・ペン監督の『小さな巨人』が上映されるのは、本作の二年後である。

2023年4月10日月曜日

大反撃(USA、1969年作)監督:シドニー・ポラック

文化論としての奥の深さがある、「変則」戦争映画。一度、ご覧あれ。


 アメリカの知識人にはよくヨーロッパ文化への賞賛から、そして、その底の浅いアメリカ文明自体への嫌悪感からか、歴史あるヨーロッパ文化に対するコンプレックス、乃至は、劣等感を持つ者がいる。本作に登場する、アメリカ歩兵部隊のベックマン大尉(パトリック・オニール)は、美術専門家でもあり、ヨーロッパ芸術に限りない尊敬を抱いている人物である。そのような人間の目から見れば、霧に包まれた冬のアルデンヌ地方の森の中にある、由緒ある城館の、伯爵夫人を「もの」にしているFalconerファルコナー少佐(バート・ランカスター)は、文化の花を踏みにじる「野蛮人」である。(因みに、少佐の階級の将校が、大隊ならばまだ分かるのであるが、小隊/分隊八人を率いているのも、アンバランスで不思議である。)

 一方、伝統的権威をものともせず、傍若無人に振舞う「アメリカ人」に、ある種の生命のバイタリティーを感じているのが、ヨーロッパ人なのかも知れない。隠花植物のように日陰にぼんやりと、か弱く棲息しているものが、頽廃、そして没落を予言され、その没落を自覚しているのであり、それが西欧文明なのである。アメリカ人のそのバイタリティーの前には、歴史の覇権者としての席を譲らざるを得ないと見たのか、de Maldoraisドゥ・マルドレ伯爵(フランス人俳優ジャン=ピエール・オモン)は、自分より随分と若い伯爵夫人、実は自分の姪テレーズとファルコナー少佐の睦言を敢えて容認する。

 このように、頽廃するヨーロッパ文化対「野蛮な」アメリカ文明の間の「文化・文明」論風に解釈できる戦争映画というのも珍しいのではないか。本作の原作を読んでいないので、その内容には寡聞であるが、さすがは純文学作品(William Eastlakeの、本作の英題名と同名の『Castle Keep』)を映画化しているからであろう、中々奥が深い。浅薄な邦題『大反撃』では、全く当てる的が異なっており、困ったものである。せめて、『城塞死守』ぐらいには命名してもらいたかったものである。

 本作の前半における、この「文化・文明」論に「色合い」を添えるのが、ファルコナー少佐が率いる小部隊を構成する兵隊たちの顔ぶれである。上述の、美術専門家のベックマン大尉、宣教師志望の中尉、シャバではパン職人の軍曹、ドイツ車Volkswagen狂いの伍長、そして、小説家志望の二等兵で本作のナレーターを務めるベンジャミンなどである。このベンジャミンは、恐らくは、原作の作者Eastlakeの姿が引き写されている存在であろう。彼は、映画の終盤、ファルコナー少佐から、ある重要な「任務」を追わせられることになる。しかも、彼は、黒人であることも、気に掛けておいて点であろう。本作の制作が1969年であれば、60年代前半の公民権運動の展開、68年からの学生運動の高揚を背景にしていることは間違いない。

 と、ドイツ軍の機甲師団が、突如、城に攻めてくる。時は、1944年冬である。アルデンヌの森からのドイツ国防軍の、西部戦線における最後の「大」反撃が始まったのであった。城を死守するとなぜか決断したファルコナー少佐の命令の下、防衛線を敷くアメリカ軍分隊である。壕に囲まれた城の屋根に50㎜機関銃座と迫撃砲を据えさせ、彫刻とバラに埋もれた庭に塹壕が掘られる。

 こうして本作の前半とは全く異なるストーリー展開と後半はなる。攻めてくるドイツ軍と死守するアメリカ軍との戦闘の中、庭にある彫刻群は無残に打ち砕かれ、バラは踏み躙られ、城館は砲火の下、焼け落ちる。ベックマン大尉やファルコナー少佐も壮烈に戦死してゆく中、この映画の、殆んどシュールな大団円は、戦争とは、文化も文明をも破壊する「狂想曲」であることを表現している。最後の死の「狂宴」は、砲火の下、詩的でさえある。恰も、その死の灰の中から、不死鳥フェニックスが生き返るが如く、新しい文化が生まれてくるとでも言いたげである。


追記:

 原作者William Eastlakeについて、ウィキペディアで調べたものを簡単に記する。

 Eastlakeは、1917年にニューヨークはブルックリンで、イギリス生まれを両親の許で生まれた。その後ニュージャージー州で育った彼は、40年代の初めに、ロスアンジェルスで、本屋の店員として勤める。42年にアメリカ陸軍に入隊し、数か所の基地を移動する。1941年12月7日(アメリカの現地時間)の真珠湾奇襲攻撃以降、アメリカ軍に所属していた日系アメリカ人兵隊は、カルフォルニア州にあるCamp Ordに一時集められていた。Eastlakeは、ここの監視兵として、日系アメリカ人と接触することになる。彼は書いている:「私は、これらの日系アメリカ人兵より、アメリカ寄りで、アメリカ愛国主義のグループを知らない。」これらの日系アメリカ人兵は、日系人部隊に編成されて、ヨーロッパ戦線に送られる。後に、Eastlakeは、この経験を元に、『Ishimoto's Land』という作品を彼の最初の作品として書くのであるが、ある出版社がこのような作品を出版するには時期尚早であるとして、この作品は、この時に発表されていないままであった。

 Eastlakeは、彼がイギリス生まれの両親の許で生まれたという経歴であろう、イギリスに駐屯するアメリカ軍兵士がイギリスに早く馴染めるために世話をする部署に付くためにイギリスに送られる。その世話をした部隊と共に、Eastlakeは、ノルマンディー上陸作戦で「オマハ・ビーチ」に上陸。続けて、フランスからベルギーへと進攻する。こうして、本作のストーリーに反映される体験を彼自身がする。小隊長としてアルデンヌ地方にいた彼は、アメリカ軍のいう「バルジの戦い」、ドイツ軍のいう「アルデンヌの反攻」に遭遇し、右肩を負傷することになる。

 終戦後は、スイスやパリに行き、文学活動を行なう。パリ滞在中に発行した雑誌『Essai』に、上述の作品『Ishimoto's Land』が初めて発表されることになる。本作の原作となる『Castle Keep』は、1965年に発刊された。

ユリシーズ(イタリア、1954年作)監督:マリオ・カメリーニ

 『オデュッセイア』は、古代ギリシャ神話の英雄で、知略の人オデュッセウスの冒険譚を詠った韻文の叙事詩で、24の「歌」から成っている。時系列的にはトロイア戦争が終わって、トロイアから故郷のイタケーに戻る行程が描かれるのであるが、文学的には、『オデュッセイア』では、初めの方で、オデュ...