2022年8月21日日曜日

オズランド(日本、2018年作) 監督:波多野 貴文

 「苦しくったってえ、悲しくったってえ、コートの中では平気なの。ボールが唸ると、胸が弾むわあ。レシーブ、トス、スパイク。ワン、ツー、ワン、ツー、アタック...」

 上は、あるTVアニメ・シリーズの主題歌の第一節である。上の歌詞を読んで、「ああ、あのアニメ!」と思い出せる方は、アニメの通と言えよう。

 そのアニメとは、1969年に放映された『アタックNo.1』である。『巨人の星』が男性版スポコンものの代表格であるとすれば、この『アタックNo.1』が女性版スポコンものの代表である。

 スポーツ根性ものの醍醐味は、努力が報われて、勝者になれる、或いは、勝者になれるかもしれないという、ポジティブな思いを共有できるところにある。もちろん、そこには「敗者」もいるのであり、努力が報われない、ネガティブな側面もあるのではあるが。

 この「醍醐味」は、スポーツの場面からそれを職業の場面へと移すと、新入社員の「成長」という形で味わえるものである。本作も、基本的にはこの、新入り根性ものの系列に入る作品である。そして、本作の女性主人公も成長する。ただ、ストーリー展開として、設定場所が遊園地であり、人を楽しませることの難しさという点での、ストーリーの深まりがないのは残念である。

 さて、遊園地側の登場人物の殆どが「ノー天気」でポジティブな人間として描かれる中で、一人だけ、表面の明るさにも関わらず、それがどこから来るのか分からないのであるが、ある翳りを見せる登場人物がいる。「オズの魔法使い」と言われる、女性主人公の上司、「小塚」である。(「こづか」ではなく、「おづか」と読ませるところが「味噌」であり、ここから「おず」、つまり「オズ」が出てくるという、駄洒落ではあるのであるが。)

 役柄自体にこの「翳り」を見せる必要はない訳で、これは役者の「芸」ではないかと思い、調べてみたら、この俳優が西島俊秀であった。ウィキペディアで経歴を調べると、国際的にも話題となった映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年作、濱口竜介監督)で主人公役をやっている男優である。この映画の西島の演技をニューヨーク・タイムズ紙が次のように批評している:

 西島の演技は、「鋭い批判的な知性を合わせ持っており、そのメランコリックで控えめな存在感が映画の重要なカギとなっている」と。(ウィキペディアによる)

 この批評を読みながら、本作での役作りも、さもありなんと頷くのは筆者だけであろうか。

オンリー・ゴッド(デンマーク、フランス、2013年作) 監督:ニコラス・W.・レフン

 女性の性の解放であるという、「錦の御旗」が飾り立てられたポルノ映画が、1970年代半ばにヒットしたことがあった。ヒットしたので、続編まで撮られた程である。この作品も、性愛映画の本場、おフランス製であり、その名を、『Emmanuelle』という。

 エマニュエル夫人は、タイに駐在している外交官夫人ということになっており、その日々の倦怠(アンニュイ)さから抜け出し、夫の「理解」もあり、次第に性に目覚めていくというのが、そのストーリーの大筋であるが、その背景には、タイという異国情緒が利用されており、そこには、ヨーロッパの社会通念、社会倫理、道徳一般が通用していない、特殊空間としてのタイであるからこそ、白人女性の性的解放もおおらかに唱えられるという、ヨーロッパ中心主義的視点が見え隠れしていた。その性的解放の一つとして、エマニュエル夫人が、タイ・ボクシングの、ある対戦の「賞品」になるという場面も登場したのであった。

 原題を『Only God Forgives 神のみぞ、赦され給う』という、フランス・デンマーク合作映画たる本作でも、ストーリーの背景は、タイであり、ここは、ヨーロッパの道徳観念一般が通用していない、「無法」な特殊空間としてのタイである。ここでは、国技である一騎討ち格闘技「ムアイ・タイ」の技を極めた者が「神」なのである。彼こそが、犯罪者を罰することができるのであり、神の如く、犯罪者を容赦できるのである。この、地上に降りた神の名を「チャン」といい、私服なのであるが、制服警官を付き従えて、犯罪者を私刑/リンチして歩くのである。私刑の後、チャンは、Karaoque・バーで、目に涙を溜めて、恍惚として熱唱する。

 しかし、本作のメインテーマは、暴力の神聖さではなく、ある白人男性の「帰巣願望」なのである。この願望は、言葉の真正な意味で、血に塗られた形で、叶えられるのであるが、蓋し、本作の眼目は、このことを描くことにあるのであり、暴力やリンチの許されるタイも、神の如きチャンの存在もこれを正当化するための供え物にしか過ぎない。

 さて、本作がこの「帰巣願望」を描く必要性が、どこから来るのかと言うと、思うに、本作の脚本も書いている、コペンハーゲン生まれの監督、Nicolas Winding Refn (デンマーク語読みで、「ネゴラス・ヴェンデング=レフン」)にある。彼の、母親との関係がどんなものであったのか、それが、本作にどう関わっているのか、気になるところである。

 Wendingとは、撮影キャメラ・ウーマンたる母親の苗字で、Refnが映画監督たる父親の苗字である。両親に連れられてニューヨークに移住し、そこでNikolasはどれだけ母親の愛情を受けて育ったのか。彼は、学校はデンマークで卒業する。卒業と伴に、ニューヨークに戻り、当地のアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学するも、暴力沙汰でそこを放校される。彼が暴力をテーマによく作品を撮っていることに、彼が暴力に魅了されているのではないかという「不安」が筆者の頭をよぎる。

 アメリカの演劇学校を追い出された後、Nikolasは、再びデンマークに舞い戻って、短編映画などを撮ったりしていたところ、1996年に発表した、初期作品『Pusher』(製作国:デンマーク)で注目を集める。経済的理由から、『Pusher II』(2004年作)、『Pusher3』(2005年作)を撮り、珍しく他人の書いた脚本で、童顔の俳優ライアン・ゴズリングを主人公とした作品『Drive』で、2011年にカンヌ映画祭で監督賞を取る。その2年後に、同じくR.ゴズリングを主役に据えて、自らの脚本で本作を撮ることになるのであるが...

 赤い提灯が天井一面にぶら下がったカラオケバーでの場面などでその力量を示す撮影監督は、イギリス人のLarry Smithである。彼は、スタンリー・キューブリック監督の遺作となった『アイズ ワイド シャット』(1999年作)で撮影監督を務めたキャメラマンであると言えば、その力量の程も肯ける。Wending監督とは、これも暴力の不条理性を描いた『ブロンソン Bronson』(2008年作)でいっしょに仕事をしている。

 本作のビートを効かした、何かおぞましい背景音楽も印象的であるが、音楽担当は、アメリカ人で、元ドラマーのCliff Martinezである。スティーブン・ソダーバーグ監督の『セックスと嘘とビデオテープ』、『トラフィック』、『ソラリス』、『コンテイジョン』を手掛けているそうで、であれば、やはり中々のものであるが、Wending監督とは、ウィキベテアによると、『Drive』で既に共演している。

 私見、本作は観て、視覚的「後遺症」を残す「暴力映画」である。故に、観ようとされる方はそれなりの覚悟があられたい。

のさりの島(日本、2021年作) 監督:山本 起也

 映画製作にどこかのフィルム・コミッションが関わり、それに、そのどこかの地元の観光協会などが協力して、体のいい「ロード・ムーヴィ」である、なんて言う売り込みで提供される映画には気を付けたい。要は、その土地を回って歩くのは、結局は、その地方の観光スポットであり、ストーリーもそんな風に組み立てられた、事実上の「観光宣伝映画」になってしまうからである。

 本作にも、天草フィルム・コミッションなどはクレジットされていないが、天草市が製作協力し、バックパッカーの「オレオレ詐欺師」が、行きずりに天草に寄って、ストーリーが展開するとなると、観光宣伝映画の「危険」は、高かったが、本作をそれでも見たのは、俳優藤原季節が出る映画のトレーラーを偶然に数本見て、興味が湧き、本作で主演を演じるということで、事実上の観光宣伝映画で、どんな演技をするか一度観たかったからであった。

 観ての評価は、彼は、2020年の第42回ヨコハマ映画祭で、映画『佐々木、イン、マイマイン』と劇場版『his』(いわば、日本版『ブロークバック・マウンテン』か )で以って、だてには最優秀新人賞を取ってはいないと言う感想である。将来の彼の活躍を期待する。

 さて、この藤原にたかられる老婆役を演じたのが、原知佐子で、顔に見覚えがあったので、調べてみると、どの作品でその印象が残ったのかはもはや思い出せないが、経歴では、彼女の夫は実相寺昭雄であった。実相寺と言えば、アンファン・テリブルなTV映画監督として、『ウルトラマン』にも関わった人間で、1970年制作の白黒映画『無常』(実存主義とエロスをテーマとした映像美の傑作)が思い出される。そして、原の経歴の最後には、本作が原の遺作になったという記述があった。(合掌)

 最後に、もう一つ気になったのは、ストーリー中、天草市の過去を撮った8㎜映画を編集し、それを天草市民に見せるというプロットである。山本起也(たつや)監督が、京都芸術大学映画科の教授でもあれば、さもありなんという、ある種、理論的なアプローチである。

 そのプロットの展開過程を見て、映像自体にはメディアとしてはまだ未来があるであろうが、映画館というものは、このコロナ禍がそのプロセスをさらに加速させた形で、「過去の遺物」となってしまっているという実感である。本作では、映画館は過去の撮影物を見せるノスタルギーの場であり、最早、映像媒介の未来を担うものではないということである。

 映画館と同様に、天草市「銀天街」は、かつての華やかさを失い、寂しいシャッター通りに今なってしまっている。ストーリー中にも「地方創生」の問題が登場してくるが、観光に頼る、他力本願の「町おこし」では、先が見えている。東京一極集中の体制を打破するためには、地元の農業を基幹産業としたアウタルキーな地域主義的な経済構造の構築こそが必須であると、筆者は、本作を観ながら、改めて思った。

南極料理人(日本、2007年作) 監督:沖田 修一

 まずは、舞台設定の説明をしよう。場所は、「ドームふじ基地」である。有名な「昭和基地」が南極点から見て南極大陸の北東にあるとすると、この昭和基地から、南極点に向かうようにして、南西に約1.000kmほど大陸内部に入った地点に基地がある。基地の建設は、1995年である。

 なぜ「ドーム」と呼ぶのかと言うと、この地域は、南極高原の円頂丘(すなわち、「ドーム」)の一つの頂点であるからである。そして、その標高が3.810mと富士山の高さと近いところから「ドームF」、「ドームふじ」と名付けられた訳である。南極で、しかもこの標高であるから、月平均気温が、一年間で、昭和基地で0度からマイナス20度の間を動くのに対して、ドームふじ基地では、マイナス35度前後からマイナス70度まで下がるのである(年間平均気温マイナス54度)。南半球であるから、北半球とは寒暖の時期が逆転し、12月から1月が最も気温が高い時期になり、最も寒くなるのは、昭和基地では8月であるのに対して、5月であると言う。

 時代設定は、日本本土では平成不況が始まって数年経った1997年で、基地開設から二年後のことである。登場人物は、第38次南極地域観測隊の越冬隊の8人の「猛者」である。主人公は、この越冬隊の調理人となる西村淳であるが、彼が、一年以上の月日の間、自分を含めた8人の胃袋を、冷凍食品と缶詰でどう満たすかの奮闘記が、本作のテーマとなる。原作は、西村本人であり、彼が実地体験したものに基づいて、ストーリーは描かれる。つまり、本作は、極限状況での料理・クッキングものである。

 主役西村を演じる俳優堺雅人が中々いい。それは、堺が醸しだす雰囲気が、本作の基調にある、状況から生まれる「滑稽さ」と上手くマッチするからである。この滑稽さを、原作が出しているのかは、原作を読んでいない筆者には分からないが、少なくともそれは監督の力量から来ていることは、監督の別作品から推して、自信を持って、言える。

 その監督の名を、沖田修一と言う。1977年に愛知県で生まれた沖田は、2002年から短編映画を撮り始め、2006年に初めての長編『このすばらしきせかい』を撮る。その3年後、本作で商業映画部門でデビューし、本作でその年に最も優れた新人映画監督に贈られる新藤兼人賞金賞を受賞した。作品を撮るペースは、長編映画部門で言えば、2、3年置きであり、2021年までの15年間に9本を撮っている。恐らく、必ず脚本を自ら書きながらの監督業なので、寡作と思われるが、筆者が観た内で、『横道世之介』(2013年作)と『滝を見にいく』(2014年作)、とりわけ後者がお勧めである。

滝を見にいく』については、筆者の批評も読まれたい。

2022年8月20日土曜日

女優ナナ(フランス、1955年作) 監督:クリスティアン=ジャック

フランスのアムール歴史映画はこうでなければならない


 赤味がかったブロンドを腰までの長さに垂れ、褐色の目には薄青いアイシャドウをつけ、肉感ある唇には深紅の紅を塗り、オペレッタ歌手の彼女はヴァリエテ劇場の舞台に立った。しかし、首から下はスキャンダルであった。黄金色の半ブーツを履いて、肉色のストッキングは身に着けてはいるが、前と後ろに形だけの白い布を付けている他は、コルサージュ姿である。彼女の名をNanaと言う。(この名前の第二音節にアクセントを置くのをお忘れなく! 因みに、コルセットかコルサージュでバストをリフトアップし、そのバストをさらに服で左右から寄せると、双なりの「バルコニー」が出来上がるが、デコルテのネックラインをどこまで下げるか、つまりバストの上半分を何パーセントまで見せるかで、その女性の家柄が昔は分かったという。その「デコルテ・何パーセント」のエピソードが、本作の始めの方でも出でくるので、ご注意!)

 こうして、Nanaは、パリの上層階級の、「その気」のある男性の「垂涎の的」となる。(このNana役をフランス人女優Martine Carolが演じているが、彼女はB.バルドーが出現する前のフランス版M.モンローである。)

 美人局の役割を演じるヴァリエテ劇場は、オペレッタの上演は、言わば、「イチジクの葉っぱ」であり、戦前の日本で言ったら、「置き屋」である。Nanaは、日本で言えば、世話をするのに大金の掛かる、言葉の真の意味での「傾城」・「花魁」である。19世紀半ばのおフランスでは、このような「花魁」をcocotteココットという。

 その、ほんの約80年前の、つまりフランス大革命勃発前の絶対王政期には、宮廷には、フランス王の公妾、つまりメトレス(ルイ15世時代のマダム・ポンパドゥール夫人など)がいたり、王侯の愛人となるクルティザンヌがいた。クルティザンヌcourtisane は、その語源から分かる通り、「宮廷人」であり、その意味で、平民・賎民の娘がなれるものではなかった。そこには、美貌と共に知性が求められ、彼女たちは、場合によっては、知的な社交場としてのサロンを「経営」しえたのであった。

 19世紀半ばのフランスと言えば、第二帝政期で、ナポレオン・ボナパルトの甥っ子ナポレオンIII世が、48年革命後の混乱の中、議会を解散し、叔父の七光を使って国民投票で勝って、フランス皇帝になった時代である。国民投票に勝ってというところが、既に今のフランス共和制の大統領制にも似ている訳で、ことほど左様に、絶対王政の時代は遠のいていた。ゆえに、クルティザンヌも平民化、或いはブルジョワ化して、cocotteとなり、自分の生計は自分で稼がなければならない「自営業者」となっていた。

 手練手管を尽くして、彼女等は、上流階級のお大尽から金を巻き上げる。このようなココット・Nanaの、女の一生を描いたのが本作であるが、それは同時に、愛欲に溺れた、ある公爵(名優Charles Boyerがこの役を好演)の運命でもあった。自らの愚かさ加減をしっかりと意識しつつも、自己の没落を見極める、このヨーロッパ的デカダンスの極みは、やはりこういう、いかにもシネマトグラーフ的歴史映画で味わいたいものである。

 本作では美術、衣裳、化粧に最良のスタッフを集め、キャメラマンは、Christian Matrasである。彼は、本作と同年にM.オフュルス監督の下、同様のテーマの作品『歴史は女で作られる』(原作:ローラ・モンテス)を撮っている。フィルム素材は、Eastmancolorで、その濃厚・濃密な深みのある色彩は、正にこのテーマに最適である。(Technicolorは、「総天然色」の宣伝に違わず、華麗な彩色であり、『風と共に去りぬ』は、やはりこの素材でなければ、合わなかっただろう。)

 原作は、社会派の自然主義作家E.ゾラであり、彼は、第二帝政期時代のフランス社会を文学的に活写しようとし、20巻の作品でこれをまとめる(1870年から1893年まで順次叢書として発表)。その一巻が『Nana』(1879年発表)である。原作の前半はストーリーに使われているが、本作の脚本の後半は映画独自のストーリー展開となっている。

 なお、E.マネも「Nana」という題名で作品を1877年に描(か)いており、女性の個室ブドワールで、紳士が同席しているという一義的な状況で、鏡を覗きながら化粧をしている若い女がそこには描かれている。本作鑑賞前に一度この絵をご覧になるとよいであろう。

2022年8月18日木曜日

元禄忠臣蔵 前編・後編(日本、1941/42年作) 監督:溝口 健二

日本映画史における三大巨匠が織りなす、国策映画を巡る人生模様とは

(No.3:溝口健二編、第三章)



 1937年に日中戦争が勃発するが、この年に溝口は、前年設立された協同組合日本映画監督協会の二代目の理事長を、協会が解散させられる43年まで、引き受ける。39年には映画法が制定され、映画産業に対する管理・統制が進み、42年に戦時統合が映画制作部門でも実施されて、映画界には、伝統ある松竹、1937年設立の新参者の東宝、そして、永田の大映の、三社体制が敷かれる。

 このような世相の下、溝口は39年から松竹系で、『残菊物語』に代表される、いわゆる、「芸道もの」を三本撮る。明治中期から、近代化のために強引に推し進めらた官製の欧化主義に対して、いわゆる国粋主義的、国家主義的、「日本主義」が台頭してくる。そこでは、欧米文化を物質「文明」と蔑視し、日本文化を日本精神「文化」の顕現したものとして称揚される。この日本精神主義を芸道の探求と重ね合わせれば、なぜこの時期に、つまり、日中戦争が開始された1937年以降に、溝口がこの路線と取ったかは明らかであろう。

 この立場をさらに推し進めてゆけば、日本人の精神性の根源、主君に対する忠義心に行き当たるのであり、それは、「忠臣蔵」において祝祭的に表象されるのである。ゆえに、41年/42年に、『元禄忠臣蔵』(前編、後編)を撮ることは、今更現代劇や東宝的戦争プロパガンダ映画を撮れない熟練した溝口監督の、彼なりの、誠に時宜に適った「国策」映画だったのである。

 しかも、ここで、溝口は、時代劇であれば、剣戟映画の通俗性を乗り越えた、つまり、情緒性を抑えた禁欲的で、精神性のある時代劇、否、前編、後編を合わせて合計223分の、しかも時代考証の各方面の専門家を九人も並べた歴史劇を撮ろうとした。その帰結は、浅野内匠頭の切腹の場面、吉良邸の赤穂浪士の討ち入りの場面がただ暗示としてだけ示される非大衆的「忠臣蔵」となる。

 浅野内匠頭の切腹の場面では、クレーンに乗せられたカメラが上方から状況全体を見下ろし、画面前景では閉ざされた門前で泣き崩れる家臣の場面を、画面後方では内匠頭が静々と切腹の場に赴く場面が、同一画面でカットなしで示され、カメラは、内匠頭の切腹する場面をアップで撮るというような「野暮」なことはしない。

 また、吉良邸の赤穂浪士の討ち入りの場面では、本来ストーリーのクライマックスを形作るであろう討ち入りが、内蔵助が別れを告げた、今は亡き内匠頭の正室瑤泉院の傍で、そのお付きの戸田局(梅村蓉子)が、本懐を遂げた四十七士の一人から届いた書状を読み上げることで、映像なしで、しかし、梅村の名演によりドラマチックに語られる。これほどのアンティ・剣戟映画があるであろうか。

 その逆に、討ち入りが終わった後の、ご公儀のご沙汰を受けて切腹するまでの内蔵助たちの姿に、カメラは、長回しの位置は保たれるが、あの冷たい距離感をなくして、「義士」たちに寄り添う。まるで、死に花を咲かせるために待機する特攻隊員の運命を予感でもするかのように。

 ここに、大衆から隔絶した、孤高の、ほとんど芸道の極を窮める、士道の自己陶冶の精神が示されたのであった。映画の冒頭に示される「護れ、興亜の兵の家」は、その精神において、その祈りは叶えられたのであった。(後編の後半、重要なプロットとなる、お小姓姿に身をやつした、高峰三枝子が扮する「おみの」の愛と死は、そうは言っても、恐らく隠された本音の、本作の浪漫のクライマックスであろう。)

 この精神の孤高を謳う、溝口の、ぶれない態度は、戦後、52年作の『西鶴一代女』、53年作の『雨月物語』、54年作の『近松物語』と結実する。これらの作品は、ヴェネツィア国際映画祭で受賞するが、『七人の侍』を含めて、何れも歴史映画である点に気を付けたい。ありていに言えば、それは、ヨーロッパ文化のデカダンス、「西洋の没落」を語るヨーロッパ人の、極東の、しかも異時代の文化現象を包摂しうる「したたかさ」を表していたのであった。

 一方、この徹底的に日本的であることが、逆に世界映画史における「国際性」を可能にさせ、ヨーロッパにおける長回しの巨匠アンゲロプロスこそが、溝口からその長回し手法を学び、それを吸収したと言う。さらに、ヌヴェル・ヴァーグの旗手J.ゴダールが、「好きな監督を三人挙げると?」との問いに対して、「Mizoguchi、Mizoguchi、Mizoguchi!」と口ばしる時、フランスのヌヴェル・ヴァーグは、実は、隠れた、第二次ジャポニスムであったと言えるのである。


(前段の第一章は、溝口の『西鶴一代女』で、第二章は、『浪華悲歌』で、お読みください。)

浪華悲歌(日本、1936年作)  監督:溝口 健二

日本映画史における三大巨匠が織りなす、国策映画を巡る人生模様とは

(No.3:溝口健二編、第二章)



 関東大震災が起こる直前の1923年に、日活から監督としてデビューした溝口は、トレンディーなものを追っていた。ドイツ表現主義が流行れば、試してみる。20年代後半には左翼的な「傾向映画」にも手を出してみる(『東京行進曲』)。満州事変後の1932年には、日活を辞めて新興キネマに入社し、同社第一作として溝口が撮ったのは、「入江(たか子)ぷろだくしょん」と提携した『満蒙建国の黎明』で、満州で二ヶ月間のロケーション撮影を行ったと言う。筆者未見であるが、題名からして、まさに国策映画であったことは間違いない。興行的には失敗作であったと言う。

 1934年からは、のちの大女優となる山田五十鈴(1917年生まれ)といっしょに仕事をしており、36年までに彼女と六本の作品を撮っている。山田がヒロインの『浪華悲歌(なにわえれじい)』(36年作)の原案を監督の溝口自身が作り、脚本は、本作で溝口とは初顔合わせをし、その後は溝口が亡くなる前年の1955年まで寄り添うことになる、依田義賢である。キャメラマンは、1933年の『祇園祭』以来、終戦まで溝口と付き合う、宮川一夫と双璧と言われる三木稔(後年、「三木滋人」と改名)、製作はのちに日活を「潰して」大映の社長となる永田雅一が興した、トーキー映画製作会社「第一映画社」である。

 永田「ラッパ」とは、既に『折鶴お千』(35年作、山田主演)から溝口の遺作となる『赤線地帯』まで、溝口は関わった。という訳で、『浪華悲歌』で以って、溝口-依田-三木(戦後は宮川)-永田の溝口組のベストメンバーが出揃ったという訳である。なお、1936年に溝口の指導の下で日本初の女性映画監督となった坂根田鶴子(1904年生まれ)が、29年以来溝口の下で監督助手として働き、『折鶴お千』等では助監督を務めた溝口組の一人であった。(田中絹代が日本映画史上二番目の女性監督となる。)

 溝口には珍しく現代劇の本作『浪華悲歌』は、大阪のモダンガール、「モガ」を描く。36年の段階で、約10年前の昭和初期の「昭和モダン」を描き、そこに、洋装の、釣り鐘型帽子クローシェを被らせた山田を登場させたのは、少々「時代遅れ」の感がしないでもないのだが、本作は、映像的に1930年代半ばの大阪の風情を活写している。

 映画冒頭の、夜のイルミネーション。「花王石鹸」と「キャバレー 赤玉」の広告塔が夜空に映える。モダンな高級マンションの、現代建築の「花」とでも言えそうな玄関口、そごうデパートの化粧品売り場、そして、そこのレモンスカッシュが飲める、喫茶室。はたまた、地下鉄の車内と地下道、そして、モダンな建築の警察署の建物と、そこに佇むモガの主人公の姿。これらが、浄瑠璃上演の場面では和服姿となる主人公の姿と好対照をなして、描かれて、大阪を知っている人間には1930年代半ばの大阪を知るためのドキュメンタリー映画的価値があるのが、本作である。

 本作と同年に制作された『祇園の姉妹』は、スタッフ・キャストからして、本作の姉妹編と言えるものであり、伝統的で、男に尽くすタイプの姉(それは、33年作の『瀧の白糸』でも35年作の『折鶴お千』でも同様、ここでは、溝口組とも言える梅村蓉子が好演)とモダンで打算的な妹(山田が「憎らしく」好演)が分かりやすく対比されて描かれている。その戦後の、自作リメイク版が、『祇園囃子』(1953年作)で、今度は名女優小暮美千代と若尾文子が姉妹役を演じている。(この作品では、撮影を宮川一夫が担当する。)


(前段の第一章は、溝口の『西鶴一代女』で、続きの第三章は、『元禄忠臣蔵』でお読みください。)

ユリシーズ(イタリア、1954年作)監督:マリオ・カメリーニ

 『オデュッセイア』は、古代ギリシャ神話の英雄で、知略の人オデュッセウスの冒険譚を詠った韻文の叙事詩で、24の「歌」から成っている。時系列的にはトロイア戦争が終わって、トロイアから故郷のイタケーに戻る行程が描かれるのであるが、文学的には、『オデュッセイア』では、初めの方で、オデュ...