2022年8月20日土曜日

女優ナナ(フランス、1955年作) 監督:クリスティアン=ジャック

フランスのアムール歴史映画はこうでなければならない


 赤味がかったブロンドを腰までの長さに垂れ、褐色の目には薄青いアイシャドウをつけ、肉感ある唇には深紅の紅を塗り、オペレッタ歌手の彼女はヴァリエテ劇場の舞台に立った。しかし、首から下はスキャンダルであった。黄金色の半ブーツを履いて、肉色のストッキングは身に着けてはいるが、前と後ろに形だけの白い布を付けている他は、コルサージュ姿である。彼女の名をNanaと言う。(この名前の第二音節にアクセントを置くのをお忘れなく! 因みに、コルセットかコルサージュでバストをリフトアップし、そのバストをさらに服で左右から寄せると、双なりの「バルコニー」が出来上がるが、デコルテのネックラインをどこまで下げるか、つまりバストの上半分を何パーセントまで見せるかで、その女性の家柄が昔は分かったという。その「デコルテ・何パーセント」のエピソードが、本作の始めの方でも出でくるので、ご注意!)

 こうして、Nanaは、パリの上層階級の、「その気」のある男性の「垂涎の的」となる。(このNana役をフランス人女優Martine Carolが演じているが、彼女はB.バルドーが出現する前のフランス版M.モンローである。)

 美人局の役割を演じるヴァリエテ劇場は、オペレッタの上演は、言わば、「イチジクの葉っぱ」であり、戦前の日本で言ったら、「置き屋」である。Nanaは、日本で言えば、世話をするのに大金の掛かる、言葉の真の意味での「傾城」・「花魁」である。19世紀半ばのおフランスでは、このような「花魁」をcocotteココットという。

 その、ほんの約80年前の、つまりフランス大革命勃発前の絶対王政期には、宮廷には、フランス王の公妾、つまりメトレス(ルイ15世時代のマダム・ポンパドゥール夫人など)がいたり、王侯の愛人となるクルティザンヌがいた。クルティザンヌcourtisane は、その語源から分かる通り、「宮廷人」であり、その意味で、平民・賎民の娘がなれるものではなかった。そこには、美貌と共に知性が求められ、彼女たちは、場合によっては、知的な社交場としてのサロンを「経営」しえたのであった。

 19世紀半ばのフランスと言えば、第二帝政期で、ナポレオン・ボナパルトの甥っ子ナポレオンIII世が、48年革命後の混乱の中、議会を解散し、叔父の七光を使って国民投票で勝って、フランス皇帝になった時代である。国民投票に勝ってというところが、既に今のフランス共和制の大統領制にも似ている訳で、ことほど左様に、絶対王政の時代は遠のいていた。ゆえに、クルティザンヌも平民化、或いはブルジョワ化して、cocotteとなり、自分の生計は自分で稼がなければならない「自営業者」となっていた。

 手練手管を尽くして、彼女等は、上流階級のお大尽から金を巻き上げる。このようなココット・Nanaの、女の一生を描いたのが本作であるが、それは同時に、愛欲に溺れた、ある公爵(名優Charles Boyerがこの役を好演)の運命でもあった。自らの愚かさ加減をしっかりと意識しつつも、自己の没落を見極める、このヨーロッパ的デカダンスの極みは、やはりこういう、いかにもシネマトグラーフ的歴史映画で味わいたいものである。

 本作では美術、衣裳、化粧に最良のスタッフを集め、キャメラマンは、Christian Matrasである。彼は、本作と同年にM.オフュルス監督の下、同様のテーマの作品『歴史は女で作られる』(原作:ローラ・モンテス)を撮っている。フィルム素材は、Eastmancolorで、その濃厚・濃密な深みのある色彩は、正にこのテーマに最適である。(Technicolorは、「総天然色」の宣伝に違わず、華麗な彩色であり、『風と共に去りぬ』は、やはりこの素材でなければ、合わなかっただろう。)

 原作は、社会派の自然主義作家E.ゾラであり、彼は、第二帝政期時代のフランス社会を文学的に活写しようとし、20巻の作品でこれをまとめる(1870年から1893年まで順次叢書として発表)。その一巻が『Nana』(1879年発表)である。原作の前半はストーリーに使われているが、本作の脚本の後半は映画独自のストーリー展開となっている。

 なお、E.マネも「Nana」という題名で作品を1877年に描(か)いており、女性の個室ブドワールで、紳士が同席しているという一義的な状況で、鏡を覗きながら化粧をしている若い女がそこには描かれている。本作鑑賞前に一度この絵をご覧になるとよいであろう。

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