2022年8月21日日曜日

オンリー・ゴッド(デンマーク、フランス、2013年作) 監督:ニコラス・W.・レフン

 女性の性の解放であるという、「錦の御旗」が飾り立てられたポルノ映画が、1970年代半ばにヒットしたことがあった。ヒットしたので、続編まで撮られた程である。この作品も、性愛映画の本場、おフランス製であり、その名を、『Emmanuelle』という。

 エマニュエル夫人は、タイに駐在している外交官夫人ということになっており、その日々の倦怠(アンニュイ)さから抜け出し、夫の「理解」もあり、次第に性に目覚めていくというのが、そのストーリーの大筋であるが、その背景には、タイという異国情緒が利用されており、そこには、ヨーロッパの社会通念、社会倫理、道徳一般が通用していない、特殊空間としてのタイであるからこそ、白人女性の性的解放もおおらかに唱えられるという、ヨーロッパ中心主義的視点が見え隠れしていた。その性的解放の一つとして、エマニュエル夫人が、タイ・ボクシングの、ある対戦の「賞品」になるという場面も登場したのであった。

 原題を『Only God Forgives 神のみぞ、赦され給う』という、フランス・デンマーク合作映画たる本作でも、ストーリーの背景は、タイであり、ここは、ヨーロッパの道徳観念一般が通用していない、「無法」な特殊空間としてのタイである。ここでは、国技である一騎討ち格闘技「ムアイ・タイ」の技を極めた者が「神」なのである。彼こそが、犯罪者を罰することができるのであり、神の如く、犯罪者を容赦できるのである。この、地上に降りた神の名を「チャン」といい、私服なのであるが、制服警官を付き従えて、犯罪者を私刑/リンチして歩くのである。私刑の後、チャンは、Karaoque・バーで、目に涙を溜めて、恍惚として熱唱する。

 しかし、本作のメインテーマは、暴力の神聖さではなく、ある白人男性の「帰巣願望」なのである。この願望は、言葉の真正な意味で、血に塗られた形で、叶えられるのであるが、蓋し、本作の眼目は、このことを描くことにあるのであり、暴力やリンチの許されるタイも、神の如きチャンの存在もこれを正当化するための供え物にしか過ぎない。

 さて、本作がこの「帰巣願望」を描く必要性が、どこから来るのかと言うと、思うに、本作の脚本も書いている、コペンハーゲン生まれの監督、Nicolas Winding Refn (デンマーク語読みで、「ネゴラス・ヴェンデング=レフン」)にある。彼の、母親との関係がどんなものであったのか、それが、本作にどう関わっているのか、気になるところである。

 Wendingとは、撮影キャメラ・ウーマンたる母親の苗字で、Refnが映画監督たる父親の苗字である。両親に連れられてニューヨークに移住し、そこでNikolasはどれだけ母親の愛情を受けて育ったのか。彼は、学校はデンマークで卒業する。卒業と伴に、ニューヨークに戻り、当地のアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学するも、暴力沙汰でそこを放校される。彼が暴力をテーマによく作品を撮っていることに、彼が暴力に魅了されているのではないかという「不安」が筆者の頭をよぎる。

 アメリカの演劇学校を追い出された後、Nikolasは、再びデンマークに舞い戻って、短編映画などを撮ったりしていたところ、1996年に発表した、初期作品『Pusher』(製作国:デンマーク)で注目を集める。経済的理由から、『Pusher II』(2004年作)、『Pusher3』(2005年作)を撮り、珍しく他人の書いた脚本で、童顔の俳優ライアン・ゴズリングを主人公とした作品『Drive』で、2011年にカンヌ映画祭で監督賞を取る。その2年後に、同じくR.ゴズリングを主役に据えて、自らの脚本で本作を撮ることになるのであるが...

 赤い提灯が天井一面にぶら下がったカラオケバーでの場面などでその力量を示す撮影監督は、イギリス人のLarry Smithである。彼は、スタンリー・キューブリック監督の遺作となった『アイズ ワイド シャット』(1999年作)で撮影監督を務めたキャメラマンであると言えば、その力量の程も肯ける。Wending監督とは、これも暴力の不条理性を描いた『ブロンソン Bronson』(2008年作)でいっしょに仕事をしている。

 本作のビートを効かした、何かおぞましい背景音楽も印象的であるが、音楽担当は、アメリカ人で、元ドラマーのCliff Martinezである。スティーブン・ソダーバーグ監督の『セックスと嘘とビデオテープ』、『トラフィック』、『ソラリス』、『コンテイジョン』を手掛けているそうで、であれば、やはり中々のものであるが、Wending監督とは、ウィキベテアによると、『Drive』で既に共演している。

 私見、本作は観て、視覚的「後遺症」を残す「暴力映画」である。故に、観ようとされる方はそれなりの覚悟があられたい。

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