「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて運命を城と共にしたのである。(ここでカメラは城を完全に斜め下から見上げるような視角を取り、同時に城は陽が射さして急に明るくなる。)爾来、この城はこの町のシンボルとして三百六十年の歳月を市民と共に生きてきた。」
この口上が終わるや否や、画面は音楽と共に動転して、「青い山脈」の赤い題字が登場する。併せて、背景は後方に山々を見渡す場面となる。そして、あの有名な、敗戦直後のヒット歌謡曲の一曲『青い山脈』が流れ始めるのである。
四番ある歌詞の内、三番は敗戦直後を思い出させるので本作ではカットされてあるが、最初は男女によって交互に歌われるこの主題歌(作詞:西條八十、作曲:服部良一)は、希望や夢を謳い上げる。その中でも二番が本作との関連で内容的に見て面白い。
(二)
古い上着よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
憧れの 旅の乙女に
鳥も啼く
四行目の「憧れ」が「旅」に掛かるか「乙女」に掛かるかは、はっきりしないのではあるが、ここは、旧習を捨てて、バラ色の未来に向けて旅立っているのは、憧れの若き乙女であると理解できなくもない。であれば、この乙女像は、映画の冒頭で語られた「封建的」女性像とは異なるものであり、このようなコントラストに照らし出されて、ストーリーは展開する。
この伝統的城下町には、ある私立の女子高等学校がある。この女子校は、約80年の伝統を誇る女学校であり、その名も「貞淑女子高等学校」という。「貞淑」とは、「貞操が固く、心が清く、しとやかである」という意味であり、まさしく、この伝統に則った女子教育が行なわれている女子校なのである。この学校には、東京の女子大を出たインテリの若い女教師・島崎先生(芦川いづみ)が教職に就いており、三年生のAクラスを担任している。このクラスには高校二年の時に男女共学校から転向してきた寺沢新子(吉永小百合)がいる。男女交際にもオープンで積極的な寺沢は、同じクラスで茶髪の眼鏡っ子・松山浅子(進千賀子)が書いた偽のラブレターをもらい、それを担任の島崎先生に見せて相談する。母校を愛すると言いながらの、人を嬲りものにしようとするこの卑劣な行為を学級ホームルームで問題化した島崎先生に対して、松山を中心とするグループはクラス内で相談し、次のような要求を黒板に書き付けたのであった:
一.私達の愛校の精心を悔辱したことを取り消して下さい。
二.生徒の風記問題は生徒の自治に任せて下さい。
三.母校の伝統を尊長して下さい。
それでは、この三つの要求を読んで、四つの間違いを見つけて下さい。
遅くとも既に1960年代の前半から始まっている生徒の国語能力のレベル低下はさて置き、愛校心と母校の伝統を強調する一方で、生徒の自治が主張されているという点で、これは面白い対照であり、戦後の民主的教育が、敗戦後18年も経つと、ここまで浸透しているのかと、筆者には一つの驚きを禁じ得ない。
本作の同名原作は、通俗大衆作家・石坂洋次郎が『朝日新聞』に連載小説として1947年に発表したものである。同年には、教育基本法と学校教育法が施行されたばかりであり、新制中学一年を除いては、旧制の高等女学校(五年制;原作の寺沢新子は高等女学校五年生で、年齢17歳)と旧制の高等学校(三年制であれば、修了時で二十歳の男子生徒)が未だに存在していた時期である。このような過渡期における高等女学校生徒と旧制高等学校男子生徒との間の男女交際を「新しい民主主義の息吹き」の下、これにフモールを込めて描いた作品がこの原作であった。
日本の「ヌヴェル・ヴァーグ」の旗手の一人大島渚は、ウィキペディアによると、その「通俗的良識の甘さ」を批判しながらも、以下のように、自分が15歳の時にこの作品を読んだ時のことを回想している:
「この戦後最初の新聞連載小説が、私たちに与えた新鮮な感動については、それを実際にあじわった人間以外には、いくら説明しても、それを実感として伝えることはできないだろう。(中略)私は今もなお『青い山脈』の文章のひとつ、ひとつ、ことに登場人物の会話のひとつ、ひとつを昨日の記憶のようになまなましく、生理的に思い出すことができる」
更にウィキペディアによると、文芸評論家の高橋源一郎は、主人公六助の友人で、庭球部のマネージャーであり、しかも、兵役経験者で高等学校一の読書家である「ガンちゃん」こと富永安吉の存在に注目している。この役を本作では、若い高橋英樹が演じている。この「ガンちゃん」は、大学の文学部二年生で、ラグビー部に所属しており、彼は、本作のクライマックスに当たるPTA役員会の席上で、様々な賢人の箴言を引用して、会議の進行に影響を与えようとする、少々ユーモラスな役回りである。後年の高橋には余り予想できない役柄である。
さて、この原作は、既に1949年に一度映画化されており、フォーカスは、島崎先生を演じた原節子に当てられている。1957年版では、島崎先生役を司葉子が、寺沢新子役を雪村いづみが演じている。この版でも、脚本は、49年版同様に、東宝の代表的脚本家であった井出俊郎が書いており、このことは、三度目の劇映画化である本作(但し、製作は日活)においても同様であった。もちろん、井出も時代に合わせて、「吉永小百合と言えば西河監督」と言われるくらい「吉永小百合もの」を1960年代に撮った西河克己監督と共に、ストーリーを「現代化」しなければならない部分(例えば、アマチュア無線によるPTA役員会の実況中継など)があったり、更には、ストーリー自体のフォーカスを、島崎先生ではなく、吉永・浜田の日活青春映画「ゴールデン・コンビ」に当てる必要があったりする違いがあるのではあるが。そして、もちろん、明朗快活な青春映画として、本作も「健康な」ハッピーエンドで終わる。
このように、本作が観てすぐ忘れてもいいような日活青春映画の一本であるように思われるのではあるが、筆者は、上述の、高橋英樹演じる「ガンちゃん」が繰り出す、時には場違いな、時には、当を得た箴言の数々と、彼が学生服を着てわざと真面目くさって行なう、必ずしも理路整然としたものではない演説を聞いていて、これを2025年の現代日本の現状と突き合わせてみなざるを得なくなり、若干暗い気持ちになったのも正直なところである。
既に別の場面でソクラテスや孔子を引用していた「ガンちゃん」は、PTA役員会の席上で、指名もされないのに、すーと立って、次のような箴言をぼっそりと言う:
ゲーテ曰く、新しき真理に最も有害なるものは古き誤りである。
セネカ曰く、思慮深き者はたやすく怒らず。
ピタゴラス曰く、怒りは無謀に始まり、後悔に終わる。
そして、島崎先生が偽のラブレターを学級ホールルームで問題化したことにより生徒達の反発を招いた点で、この彼女の行動が正当であったかをPTA役員会が議論をしている最中、文学部二年生の「ガンちゃん」は次のような演説をぶつ:
「そもそも現代社会における性道徳の混乱と頽廃とは、我々日本人に課せられた必然的、歴史的宿命でありますが、近頃、その一面のみを誇大視して歴史を逆行させようとする動向が見え始めております。世に復古調とか、リバイバル・ムードなどと言って、教育勅語を復活させようとする傾向などは甚だ遺憾であります。かのキンゼイ博士やバン=デ=ベルデ教授の研究を待つまでもなく、アダムとイブの昔より我々男性と女性の健康なる結合こそ、より健全なる社会の発展を齎すものでありまして、感情も意思も生理的欲求も率直に表現できなかった過去の生活に逆行させようとする時代錯誤的思想は絶対に遺憾であります。終わり!」(映画の1:14分代から約70秒間)
原作では旧制高等学校一の読書家と言われた「ガンちゃん」に劣らない読書家ぶりを本作の「ガンちゃん」も発揮している訳であるが、「キンゼイ博士」とは、1940年代末から50年代に掛けてUSAの白人男女を対面調査して「キンゼイ報告」という形でその性生活の在り様を書き上げた、元々は昆虫学者で、この報告を以って、性科学の分野の地平を開拓した人物である。
また、「バン=デ=ベルデ教授」とは、テオドール・ヘンドリック・ファン・デ・フェルデ(Theodor Hendrik van de Velde)のことで、彼はオランダ人産婦人科医として1926年に『完全なる結婚』なる本を発表した人物である。オランダ語で書かれたこの本は、世界中で翻訳され、結婚生活と性生活のマニュアル本となったが、日本においては、ウィキペディアによると、既に1930年に抄訳本が出されたものの発禁となり、戦後すぐの1946年に完訳本が、同年にはまた抄訳廉価版が出版されたことから、この抄訳本が二年連続のベストセラーとなっていた。この本は、更に本作と同年の63年には再刊されている具合で、本作の脚本家井出俊郎も、つとに少なくともこの本の題名は知っていたはずであろう。
何れにしても、教育勅語の復活などという「時代錯誤的思想」復活の問題は現代政治的には2010年代にも政界に上がってきたことであり、教育基本法の「改定」も含めた教育現場での現状を鑑みるに、本作に描かれた女性の自立への賛歌を、憧憬と哀惜の念を以って今更ながらに観たのは筆者のみであろうか。
最後に、映画の冒頭にあった落城の逸話について、調べたことをここに書いて、筆を置こうと思う。本作のロケ地が滋賀県彦根であると知って、彦根市について調べてみると、映画に出てくる海沿いの場面だと思われた箇所は、琵琶湖であることに気付いた。映画に登場する木造の校舎は未だにあるのか定かではないが、彦根市には、城下町としての面影が残っており、木造り平屋の町家が「城町」という地域に今でも保存されているようである。左の口角の下にホクロを付けて南田洋子が演じる気っ風のいい芸者・梅太郎の置き屋があるのもこの「城町」の一角であろう。
映画の冒頭に登場するお城が、彦根城で、ここからは琵琶湖や鈴鹿山脈が見える。「青い山脈」とは本作では鈴鹿山脈のことかもしれないが(或いは伊吹山脈か)、同じく井伊家彦根城から見えるのが、佐和山で、ここには佐和山城があった。映画の冒頭で語られる戦国時代の落城の逸話は、実は、この佐和山城での出来事であった。そこで、手っ取り早いので、佐和山城の戦いをウィキペディアから引用する:
「慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原の戦いで三成を破った徳川家康は、小早川秀秋軍を先鋒として佐和山城を攻撃した。城の兵力の大半は関ヶ原の戦いに出陣しており、守備兵力は2800人であった。城主不在にもかかわらず城兵は健闘したが、やがて城内で長谷川守知など一部の兵が裏切り、敵を手引きしたため、同月18日、奮戦空しく落城し、父・正継や正澄、皎月院(三成の妻)など一族は皆、戦死あるいは自害して果てた。江戸時代の『石田軍記』では佐和山城は炎上したとされてきたが、本丸や西の丸に散乱する瓦には焼失した痕跡が認められず、また落城の翌年には井伊直政がすぐに入城しているので、これらのことから落城というよりは開城に近いのではないかとする指摘もある。」
これを映画冒頭の口上と比較すると、口上は次の通りである:
「慶長五年八月十八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて運命を城と共にしたのである。爾来、この城はこの町のシンボルとして三百六十年の歳月を市民と共に生きてきた。」
つまり、まず、日付が異なる。「八月十八日」とは、九月十七から十八に掛けてのこと、「敵の数三万八千」は、実は、一万五千、味方の数は、ほぼ同数、しかし、城主、つまり石田三成は、関ヶ原の戦場に出ていて、留守であった。この戦いで石田家は滅亡したと言ってよいであろうが、落城したのは、映画に映っている彦根城ではなく、関ヶ原の戦いの「裏切者」小早川秀秋を先鋒とする徳川勢に攻め立てられた佐和山城であったのである。
と、まあ、我々が本作冒頭で聴いたのは、芸術の自由を謳歌した「創作」講談(或いは、「歴史改竄」)であった訳であるが、筆者にはこの講談、むしろ会津城陥落を思い起こさせていた。
つまり、まず、日付が異なる。「八月十八日」とは、九月十七から十八に掛けてのこと、「敵の数三万八千」は、実は、一万五千、味方の数は、ほぼ同数、しかし、城主、つまり石田三成は、関ヶ原の戦場に出ていて、留守であった。この戦いで石田家は滅亡したと言ってよいであろうが、落城したのは、映画に映っている彦根城ではなく、関ヶ原の戦いの「裏切者」小早川秀秋を先鋒とする徳川勢に攻め立てられた佐和山城であったのである。
と、まあ、我々が本作冒頭で聴いたのは、芸術の自由を謳歌した「創作」講談(或いは、「歴史改竄」)であった訳であるが、筆者にはこの講談、むしろ会津城陥落を思い起こさせていた。