2024年12月11日水曜日

フラッシュ・ゴードン(イギリス/USA合作、1980年作)監督:マイク・ホッジス

 この映画の日本上映用ポスターの一つはアメリカン・コミック風にディザインされている。その中央にはフラッシュ・ゴードンが、木が枯れて地を這うようにしている背景を背にして、何か中世的な銃を構えながら、両足を広げて立っている雄姿として見える。もちろん、彼はブロンドの髪の色をしている。

 ポスターの下側には、「フラッシュ+ゴードン」の題字が赤く塗り上げられて書かれてあり、そのすぐ右上には、比較的小さ目に二人の美女、Auraオーラ姫とDaleデイル嬢が描かれている。ポスターの右上四半部分には幾人もの「タカ人間(ホークマン)」が飛んでいる姿が見られ、その反対側に当たる、ポスターの左端には次のキャッチ・コピーが読める:

 テクニカラー『フラッシュ』Go!地球の危機だ!! 数千のホークマン<鷹人間>が飛び交うスーパー・スペース・アドベンチャー!

 そうである。本作は、「スーパー・スペース・アドベンチャー」であり、インター・ギャラクティック・スペース・オペラなのである。何故に、「インター・ギャラクティック・スペース」なのかと言うと、Mongo帝国は、銀河間を支配するからである。この帝国のインペラトールが、Ming「無慈悲」帝であり、インペラトールMingは、退屈しのぎに、Mongo惑星からあちこちの銀河や惑星に対して様々な天変地異を引き起こすことが出来るのである。惑星地球に対してもMing皇帝は、天変地異を引き起こし、月を地球に向けて 衝突するように画策することになる。

 この地球の危機を探り出したのが、狂気を内に秘めた天才的科学者Dr. Hans Zarkovドクトル・ザーコフである。彼は、既に宇宙ロケットを開発しており、インペラトールMingと交渉するためにMongo惑星に飛ぼうと決意していたが、宇宙ロケットは一人では飛べずにいたのである。そこに、アメフトのスター選手Flash Gordon と、セスナ機に偶然に同乗していたDale嬢がZarkovの屋敷にセスナ機の事故のせいで辿り着いたのである。乗っていたセスナ機のパイロットが隕石に当たって死んだことから、操縦経験のないFlash Gordonが操縦桿を握って、機転を効かせて、胴体着陸せざるを得なかったのである。こうして、ドクターNoならぬZarkov、金髪のアメフト選手Flash Gordon、そして典型的アメリカ白人女性Dale嬢の三人がMongo惑星に向けて飛び立ち、三人の思いもよらないファンタスティックなスペース・アドベンチャーが始まるのである。

 金髪で「体育会」系の人物Flash Gordon を演じたのは、Sam J. Jonesで、本作で第一回ゴールデンラズベリー賞最低主演男優賞にノミネートされる「栄誉」を得る。この「善玉」に対する悪の中の「悪玉」Ming「無慈悲」帝を、スェーデン人名優Max Carl Adolf von Sydowが演じて、本作をSFファンタジー映画のカルト的存在に引き上げた。主演の脇を固めた一人が、本作撮影後の数年後に四代目の「ジェームズ・ボンド」となるイギリス人俳優Timothy Daltonであり、また、本作に「色を添える」妖婦Aura姫役を演じたのが、イタリア人女優Ornella Mutiオルネルッラ・ムーティーである。Mongo帝国の女将軍Kalaカーラを演じたのも、同じくイタリア人女優であるMariangela Melatoマリーアンジェラ・メラートーであることは、興味深い。M. Melatoは、イタリア映画記者組合がイタリア映画のために選出する伝統ある映画賞Nastro d'Argentoナストロ・ダルジェント(「銀のリボン」)賞で、1970年代から80年代にかけて五回も授賞している名女優である。

 意外にもイタリア人女優が起用されているこの点から、スタッフを調べてみると、当然の帰結のように、Dino De Laurentiisディーノ・デ・ラウレンティースの名前に突き当たる。彼は、イタリア生まれの名うての映画製作者で、F.フェリーニ監督作品『道』を手掛けて、国際的にも有名となり、アメリカ映画界にも進出する。本作との関連で言うと、R. ヴァディム監督、J.フォンダ主演のSFファンタジー映画『バーバレラ』(仏・伊合作、1968年作)の存在が目に付くし、本作から四年後の製作であるが、同じくSF映画『デューン/砂の惑星』(D.リンチ監督作)も、本作を真面目に撮った内容のものと見做せないことはない。

 このD.Deラウレンティースと並んで、もう一人のイタリア人が重要な役割で本作の制作に関わっている。Danilo Donatiダニロ・ドナーティーである。彼は、F.ゼフィレルリ監督作『ロミオとジュリエット』(1968年作、O.ハッセー主演)で、衣裳を担当し、それにより、USAアカデミー衣裳賞を授賞しているが、本作でも、衣裳とプロダクション・ディザインを担当している。長年F.フェリーニ監督やP. P. パゾリーニ監督の衣裳担当を務めた彼であるが、本作の衣裳ディザインでは、何か中国風のイメージが「匂っている」のが、興味深い。この点に関しては確証がないのであるが、Ming皇帝は、漢字にすれば、「明皇帝」となり、正に、漢民族の中国史においての最後の大帝国明王朝を、本作ではもじっているように筆者には思われる。更に邪推すれば、Mongo帝国の「Mongo」にl字を一字書き加えれば、「Mongol」となり、つまりは、例のモンゴル帝国につながる。モンゴル民族は騎馬民族として、中近東は言わずもがな、13世紀には、西はポーランドまで攻め込んで、ポーランド騎士軍を打ち破り、東は、元寇として日本にまで攻め入っているのである。それ程の大帝国を打ち立てたMongol帝国になぞって、インター・ギャラクティック・エンパイヤとしてのMongo帝国を仮想したのではないかと想像の翼が羽ばたく。

 本作の原作は、1930年代USAの新聞日曜版連載のコミック・ストリップで、当時は大きな人気を博したのであったが、その人気を受けて、36年には、連続冒険活劇として映画化され、全13編が制作され、二年後には、続編が、各30分で、全15編が撮られている。スペース・ファンタジーSF映画の第一人者J.ルーカスはこのシリーズの大ファンであって、これを映画化したがっていたのであったが、前述のD.Deラウレンティースがその映画化権を持っていたことから、『Flash Gordon』の映画化がならず、それで、自分で『スター・ウォーズ』を創ったというのは、本作にまつわる有名なエピソードである。

 元々の映像素材には、35㎜と70㎜(サウンド:6トラック)とがあり、映画ポスターにも宣伝されている通り、「テクニカラー」である。正に、Danilo Donatiの衣裳と美術は、イアリア人の色彩感覚そのものであり、「テクニカラー」の色彩美がそれに似合っている。2020年には4Kでデジタル・リマスター版が出ており、是非、このデジタル・リマスター版で、イギリスのハードロック・バンドQueenの音楽を楽しみながら、本作を鑑賞したいものである。

2024年11月25日月曜日

イコライザー(USA、2014年作)監督:アントワーン・フークア

 元必殺仕留め人 meets タクシードライバー

 本作の監督はアントワーン・フークアAntoine Fuquaという人間で、アフリカ系アメリカ人映画監督である。彼は、本作の成功もあったのか、結局、『The Equalizer』シリーズ三作すべてを撮ることになる。

 A.フークア監督は、D.ワッシングトンとは既に2001年作の刑事ものの『トレーニング デイ』で共作しており、D.ワッシングトンは、この作品で初めての悪役を演じて、USアカデミー主演男優賞を獲得した。そういう経緯もあったのか、D.ワッシングトンが共同製作者でもある本作では、A.フークア監督は、D.ワッシングトンをフューチャーするアクションものを撮っている。元々ミュージック・ヴィデオ制作畑から来ているところからなのか、スタイリッシュな映画作りが得意なようで、本作でもその感覚が強い。ストーリー展開の背景となっている都市も、ニューヨークやロスアンゼルスではなく、アメリカ東海岸、ニューイングランド地方の「首都」で、大学町であるBostonであることも中々「憎い」。

 撮影監督は、イタリア系アメリカン人キャメラマン、マウロ・フィオーレMauro Fioreである。彼は、A.フークアとは2001年作の『トレーニング デイ』でも共作しており、J.キャメロン監督の『Avatar』(2009年作)でUSアカデミー撮影賞を授賞している撮影監督である。本作ラストシーンの明るいボストンの街並みをきれいに撮っているシーンと好対照をなして、殺人が行なわれるシーンは、色調を少々暗めに押え、メタリックなものにしている。この画面のタッチに、有能なイギリス人作曲家ハリー・グレッグソン=ウィリアムズHarry Gregson-Williamsの、D.ワッシングトンが意を決して登場する場面で流れる、バスを効かせた「テーマ・ミュージック」が加わると、A.フークア監督が醸しだすスタイリッシュ性は更に高まると言える。

 本作は、あるテレビ映画シリーズが元ネタになっており、その原作ストーリーがどれほどのものかは見当が付かないが、本作の脚本自体は、筆者の目では、よく練られており、映画序盤の、D.ワッシングトンと少女娼婦TeriことAlinaとの交流は、『タクシードライバー』のストーリーを思わせる。このAlinaがロシアン・マフィアに搾取され、むごい暴力を振るわれたことから、D.ワッシングトンは、最初は意図したものではなかったのであるが、期せずして、ロシアン・マフィアとの暴力的抗争にはまり込んでいく。

 D.ワッシングトンは、「昔取った杵柄」なのであろうか、一度殺ると決めたら、私的制裁としての殺人にも躊躇はしない。自分が手を掛けて断末魔にある人間の眼を覗き込む仕草は、悪魔的でさえある。一方、普段勤めているホームマートでは、同僚とも気さくに対応し、自分の素性を探られると、ユーモアであしらうが、同僚が困っていれば、彼等を助ける心を忘れないタイプなのである。その人間性と、殺人の際の「悪魔性」のギャップに整合性が付かないのではあるが、この点が観る者を更に本作を観させる魅力ともなっており、この不整合性のせいなのか、D.ワッシングトンは、眠れなくて、毎晩近くのダイナーに出掛けては、本を読むのである。少女娼婦Alinaもここの常連であり、D.ワッシングトンが丁度読んでいるヘミングウェイの『老人と海』が二人の間柄を近づける切っ掛けでもあった。亡くなった妻を想い、自分のそれまでの人生を悔いて、今は、ひっそりと夜な夜な本を読みふける生活を送っているD.ワッシングトンではあったが、彼は、実は、日本語版で元CIA要員とされているのとは異なり、元DIA特殊工作員であった。DIAとは、Defense Intelligence Agencyの略で、日本語訳では「国防情報局」である。ここは、USAに16あるインテリジェンス機関の一つで、アメリカ国防省傘下にある四つのインテリジェンス機関の内、陸・海・空軍の各軍の情報機関から上がってくる軍事情報を整理・統括する部署として設置されたものである。

 このD.ワッシングトンに対抗するのが、ロシアン・マフィアに雇われている「問題解決屋」ニコライ・イチェンコである。こちらも、元はロシア軍の「スペルツナズ・特殊要員」である。その冷血さではD.ワッシングトンに引けを取るものではなく、ここに両者の「悪魔性」が対峙される。この意味で、本作中盤でのロシア料理レストランにおける二人の対話こそ、そこにアクション性はないものの、正にスリルに満ちた両者の対決であり、圧巻である。これがあって、本作終盤の、全く日常的なホームマートでの両者の「決闘」が生きてくる。本作の脚本を書いたのが、リチャード・ウェンクRichard Wenkであり、彼が、結局、『The Equalizer』シリーズ三作の脚本すべてを引き受けたのも納得できる。

2024年11月24日日曜日

フューリー(USA、英国、2014年作)監督:デイヴィッド・エアー

 時は、1945年4月である。と言うことは、ナチス・ドイツと西側連合軍との間に無条件降伏条約が結ばれる同年5月8日(ソ連邦軍とは5月9日)までにもう一ヶ月もない時期のことであろう。場所は、主人公達がアメリカ軍戦車部隊所属であるから、当然、西部戦線で、もう既にドイツ帝国内に侵攻しているはずであるが、それがどこら辺なのかははっきりとは分からない。この主人公達の戦車乗員チームを率いるのがBrad Pittが演じるM4シャーマン戦車車長である。

 さて、アメリカ軍の「Sergeant」という軍曹・曹長階級には、Sergeant majorまではSergeantという階級名それ自体を入れると6階級あり、下から仮に「Sergeant三等軍曹」、「Staff Sergeant二等軍曹」、「Sergeant First Class一等軍曹」と訳すと、その上が、「曹長」であろう。であるから、「Master Sergeant」を「二等曹長」とすれば、その上の「First Sergeant」は、丁度「一等曹長」で訳が上手く当てはまる。その上がSergeant Majorなので、これを「上級曹長」と訳せば、それ以上は、「最先任上級曹長」として、アメリカ陸軍内の下士官としての最高位に当たる階級「Sergeant Major of the Army」に上手く当てられる。Brad Pittが演じるCollierは、ウィキペディアの英語版によると、「一等曹長」であると書かれてあるが、ドイツ語版と写真で確認すると、「Staff Sergeant二等軍曹」である。筆者には、この階級は歴戦の「勇士」にしては階級が低すぎるような感じがする。

 映画内でのCollier本人の言によると、彼は、既にナチス・ドイツのRommel将軍が率いるアフリカ戦車軍団と戦うことになるアフリカ戦線以来、つまり、1943年以来、戦争に従軍しているという「強者(つわもの)」である。恐らく一兵卒からコツコツと積み上げて「二等軍曹」まで昇りつめた人間なのであろう。戦争の「現実」を嫌と言う程、体験している人物であり、その綽名「Wardaddy」が示す通り、戦禍の中を生き延びる生活の知恵を身に付けた人間なのである。その彼の下に、階級はPrivate First Class(「上等兵」相当)ではあるが、軍行政のタイピストとして軍役に就いていたNormanが前線に送られてくる。故に、彼には戦争が何であるのかが理解できておらず、この「父ちゃん」たるCollierに「新兵」Normanは、戦場での「作法」を厳しく「躾られる」ことになる。この意味では、本作は、新兵が戦場にやってきて、戦場の場数を踏むことで、次第に「成長」していくという、言わば、戦場版の「教養小説Bildungsromanビルドゥングス・ロマーン」の、典型的例と言ってよい。そういう点から考えれば、Normanとドイツ人娘Emmaとの睦言も、彼が「一人前の男」になるためには必要な「通過儀礼」としての性格を帯びる。しかも、その後朝(きぬぎぬ)の朝、Emmaには悲惨な運命が待ち受けているのではあったが...

2024年11月11日月曜日

毒婦夜嵐お絹と天人お玉(日本、1957年作)監督:並木鏡太郎

 1955年前後に映画産業がその繁栄の頂点を迎えたとすると、それ以降は、映画産業の発展は、下降線を辿り、60年代には次第に「斜陽産業」となっていくという映画史の歴史を考えると、本作の制作年が1957年であることから、この頃は、未だ映画製作会社が強気でいられた時代であり、本作のような娯楽時代劇にしても、とりわけ美術部門ではまあまあしっかりした作りをしていると言える。 マキノ撮影所で「鍛えられた」監督の並木鏡太郎は、時代劇・剣戟映画の「職人」と言える人物である。ストーリーは、善玉対悪玉がはっきりしている、言わば、何も考えなくても、ポップコーンを頬張りながら、観ていられる作品内容であり、観て楽しんだら、忘れてしまってもいい消費性向の強いものになっている。(とは言え、時々の名言でハッとさせられることがある:「そこもとの誠実には打たれ申した。誠実には誠実を以って応えるのが武士の道...」)

 色に溺れる主君に諫言し、岡崎藩五万石を乗っ取ろうとする主君の妾腹の弟・松平玄蕃には「破邪の剣」を振るう忠臣は、善玉中の善玉である。その、剣に強いが恋には野暮な忠臣に「ほの字」の柳橋芸者が、藤純子ばりに刺青の入った玉の肌を見せながら、義賊の女首領として、忠臣の「正義の刃」に加担する、その颯爽とした姿は、フィクションとは言え、やはり、観ていて気持ちがよい。

 この「天人」ならぬ天女の柳橋芸者玉龍(筑紫あけみ)に対するお絹(若杉嘉津子)は、主君の妾腹の弟・玄蕃と結託する「悪女」であり、その妖婦ぶりは、映画の序盤でこれでもかと示される。映画の始めの、女の湯の場面では、観衆にその匂うような玉の肌の背中を惜しげもなく見せてくれるし、獄中に入ってはいるが、やくざ者の夫(未だ端役の天地茂)がいるにも関わらず、「芸は売っても身体は売らない」柳橋芸者玉龍(たまりゅう)とは違い、お絹は悪の巨頭・玄蕃と簡単に寝てしまう「節操」のなさなのである。

 実は、この「妖婦」たる「お絹」には、実在の人物がおり、その名を「おきぬ」といった。本作の題名に「毒婦夜嵐お絹」とある通り、男をその色香で籠絡する「妖婦」は、男を次から次へと滅亡させていく「毒婦」とも言い換えられているが、その実在の「おきぬ」は、自分を囲っている旦那を毒殺した罪で断頭・晒し首の刑に処せられたのであり、正に、文字通りの「毒婦」であった。その「おきぬ」に「夜嵐」と異名が付くのは、彼女が刑の執行の前に以下のような辞世を詠んだからであると言われている:「夜嵐のさめて跡なし花の夢」

 実名・原田きぬは、弘化元年(1844年)頃に三浦半島城ヶ島の漁師の娘として生まれたと言われている(一説には武家の娘とも)。16歳の時、両親と死に別れ、江戸で芸妓になることになるが、その美貌で江戸中の評判になったと言う。その美貌からか、ある三万石城主に見初められて、その「お部屋様」、つまり側室となり、世継ぎまでも生んだのであったが、城主に早死にされて、仏門入りを強制される。若い身空でそのような生活を送るうちに鬱病になったおきぬは、箱根に転地療養をすることとなるが、その療養中に、おきぬは、日本橋の呉服商の息子・角太郎と知り合う。二人は、相思相愛の関係となるが、江戸に戻った後も、おきぬの許に角太郎が通い、その「不行跡」が主家の知るところとなる。こうして、おきぬは主家から追い出され、元の芸者の生活に戻ると、東京府に住む士族で金貸し業の小林金平なる者に囲われる身となる。それは、江戸時代も終わって、元号も変わった明治二年のことであったが、おきぬは、その内に、役者買いにのめり込み、その役者と連れ添うことを望んで、旦那を毒殺してしまう。その犯行が世に知れるところとなり、おきぬは断頭・晒し首の刑に処せらたのであった。

 このようなスキャンダラスな事件は、当時の新聞錦絵で誇張して報道され、1870年代には彼女の運命を内容とする小説が書かれた。当然、映画界でもこのような話しを捨てておく訳がなく、1913年には最初の映画化がなされ、その後、27年と36年にも再三映画化されている女性像であった。

 その「おきぬ」像と本作の「毒婦お絹」を比較すると、映画の「お絹」は、京都の商人の娘で、上方歌舞伎の役者・中村仙三郎と江戸に出奔する途中、仙三郎に裏切られて女衒に売られるという、女の儚くも暗い運命を背負った女として描かれる。「仙三郎」には、実在の「おきぬ」の運命の中に登場する「角太郎」と役者買いの歌舞伎役者が重ねてあるのであろう。

 しかし、五万石の藩主のお部屋様となった「お絹」と人気な大阪歌舞伎の女形となった仙三郎が再会すると、この打算に満ちた男女関係は、一挙に「純愛」へと昇華する。しかも、この、お部屋様と男妾の「不倫」の関係は、その純愛によって、公けにも許されるという意外な展開になるのである。このようなストーリー展開が許されるのもまた、戦後民主主義の「恩恵」なのかもしれない。

 更に言えば、興味深いのは、ラストシーンで、晴れて許されて、恐らく三浦半島のどこかの海岸沿いを道行く、「お絹」と仙三郎の二人の姿である。町人姿ではあるものの「お絹」にかしずくようにして手を引く「仙三郎」は、女形の姿で女歩きをしているのである。はたから見れば、女同士のカップルとも見えなくもない。このカップルが手に手を取って海岸沿いを歩いて行く。しかも、10mの高さもあろうかと言う小島が綺麗に三つも並んでいる絶景を背景とする「道行き」なのである。新東宝も、ロケーションにはここでは少々資本を投じたのであろう。

 という訳で、本作は、観ていて時間を無駄にする娯楽作品かと思いきや、終盤は意外な「発見」が楽しめた作品であった。

2024年11月6日水曜日

俺たちは天使じゃない(USA、1955年作)監督:マイケル・カーティス

 USAの1930年代以降、トーキー映画がサイレント映画を次第に駆逐する中で、会話に重きを置くことが出来ることから展開したトーキー映画の一ジャンルがある。いわゆる、「スクリューボール・コメディ」である。その初期の代表的作品が、C.ゲーブル、C.コルベール主演、F.キャプラ監督作品『或る夜の出来事』(1934年作)である。基本的には、恋愛喜劇(ロマンティック・コメディ)なのであるが、そこに、「スクリューボール」の変化球の意外性と、男女間の洒落た会話の、丁々発止のテンポのよさが加わったものが、スクリューボール・コメディであると言える。


 本作も喜劇は喜劇であるが、上述のスクリューボール・コメディの魅力に重点を置くものではなく、本作のストーリーの底に流れているのは、ブラック・ユーモアである。しかも、USA作品とは言え、原作は、元々フランス人作家Albert Hussonアルベール・ユソンが1952年に発表した演劇『La cuisine des anges天使達の料理』であることから、普通のアメリカ映画とは雰囲気が若干異なっている。このフランス語の演劇の台本を、あるアメリカ人作家夫婦が英語に訳し、『私の三人の天使達』の題名で本を出したところ、これが、ブロードウェイに演劇として、53年から約一年間掛かり、その成功を見て、映画会社がこの舞台作品の映画化権を取得した次第であった。という訳で、本作も基本的には舞台劇的な、場面の大きな移動が少ないシーン構成になっている。

 監督は、あの『カサブランカ』(1942年作)を撮ったMichael Curtizマイケル・カーティスであり、H.ボガートとは、本作が1937年以来の六本目で、最後の共作となるものである。しかも、H.ボガードとしては、珍しい喜劇である。

 ハードボイルドやフィルム・ノワールで鳴らしたH.ボガードが喜劇を演じるその意外性に既に「喜劇性」が出ており、本人も喜劇役者たらんとして無理な演技をしていないところに筆者は好感が持てる。

 このH.ボガードの脇を、元々は素人であったが、スカウトされて喜劇作品で顔がこの頃ようやく知れらるようになったAldo Rayと、ユダヤ系イギリス人名優Peter Ustinovの二人が固めている。尚、輸入雑貨品店を営むDucotelデュコテル一家の一人娘Isabelleイザベル役を演じたGloria Talbottグロリア・タルボットは、本作を撮って以降は、B級ホロー映画に出演するようになり、1950年代後半の「絶叫クィーン」として有名になることになる。

 ストーリーの舞台は、ブラジルの北に位置するフランス領ギアナの中心地Cayenneカイエンヌである。この地に、大西洋の沖合にある、全島が流刑地となっている「悪魔島」から逃げてきた囚人の三人組が、「三賢人」よろしく、クリスマス・イヴにやってきて、図らずも、そして毒蛇Adolpheアドルフの「助け」も借りて、その善人ぶりを発揮するという、クリスマスには持って来いの作品となっている。因みに、悪魔島は映画『パピヨン』(1973年作)のストーリーの舞台となったことで知られている島である。

 さて、本作は「Technicolorテクニカラー」で撮られた作品であり、しかも撮影方式が「VistaVision」という、1954年に初めて実用化された技術で撮られたものである。1930年代以降のテクニカラー自体が、被写体像をプリズムに通して、三色法の赤・緑・青に分解し、そのそれぞれをモノクロ・フィルムで撮影記録するという、極めて贅沢な撮り方をする技術である。その分、撮影時の情報量が多い訳で、当然、画像の質が高くなる方式である。(という訳で、デジタル・リマスタリングの際には、このテクニカラー方式で撮影された作品は、修復のやり甲斐が大いにあると言う。)

 一方、VistaVisionは、本作の製作会社パラマウント映画社が、20世紀フォックス社の「シネマスコープ」に対抗して開発した方式で、通常縦駆動のカメラを横駆動とし、しかもスタンダード・サイズであれば、4パーフォレーションを使うところを、この方式では8パーフォレーションと二倍も取るところから、その分、また画質もよくなる訳で、画面アスペクト比が1,66:1の横長の画面サイズになる方式であった。(スタンダード・サイズの画面アスペクト比の、いわゆる「アカデミー比」は、1,375:1である。)

 こうして、テクニカラーとVistaVisionの二つの豪華な方式で撮影された本作は、初期の、イーストマン・コダックやアグファと比べ物にならない程、豊かで深い色彩であり、正に、「総天然色」映画の名に恥じない画質である。この良質の画像を楽しむだけでも本作は観る価値があると言える。

 とりわけ、輸入雑貨店の娘イザベルがある時着て登場するドレスの、黄色味がより強い薄い黄緑色や、これも恐らくは楽屋の「ご愛敬」程度と見るべきものであろうが、苦み走ったH.ボガードが、普段はイザベルが付けるというエプロンを着て、クリマスマス・イヴのために、鵞鳥の丸焼きをオーヴンを使って焼いている場面の、そのエプロンのサーモン・ピンクの色彩は、是非、本作で堪能したいものである。しかも、このエプロンは、フリル付きであるのも、「ミソ」であろう。こうして、三人の「天使」がクリマスマス・イヴの晩餐のために料理を作るという、正に、原作の題名『天使達の料理』が生きてくるという訳である。

2024年10月16日水曜日

市子(日本、2023年作)監督:戸田 彬弘

 明治二十九年法律第八十九号とは、現代日本でも通用している日本国の民法のことである。その第772条第一項は言う:「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」 

   また、同条第二項は、女性の妊娠期間を想定して、「婚姻の成立の日から200日を経過した後」、又は、「婚姻の解消もしくは取消しの日から300日以内に生まれた子」は、「婚姻中に懐胎したものと推定する」と、規定されている。この「嫡出推定」の規定に従って、離婚から300日以内に生まれた子は、上述の二段階の推定により、原則として前夫の子として扱われることになると言う。

 この上述の規定に関して、200と300の数字が妥当なものであるかの疑問が起こるのと同時に、婚姻直前にその女性が他の男性と交渉があったり、婚姻中に妻が「浮気」を働いていたケースは、どうなるのであろうかという疑念が起こるのではあるが、何れにしても、この期間中に生まれた子に関しては、夫、或いは前夫は、遺伝的関係とは関係なく、戸籍上の「父」となることになる。

 現代では、DNA鑑定により、父子関係は、科学的に白黒が付けられる時代ではあるが、DV前夫との関わりを避けるために、自分が生んだ子供が前夫の子となることを嫌って、離婚後に出生した子の戸籍上の手続きがなされないケースもあり得る訳で、このような社会問題を人は「離婚300日問題」と呼ぶ。本作の主人公市子は、正に、このような「星」の下に生まれた女性であり、不幸な運命は、更に、不幸を引き寄せる形で本作の「重く哀しい」ストーリーは展開する。
 本作の原作は、監督が演劇用に書いた台本『川辺市子のために』であると言うが、筆者は、この演劇を観ていないので、本作の脚本との比較が出来ないが、友人から聞いた話しでは、舞台には市子一人が立ち、その市子をぐるりと囲むように観衆が座り、その観衆の後ろを今度は別の登場人物達がぐるりと囲んで、劇が進行すると言う。

 これらの別の登場人物達の「証言」により、市子の存在の在り様が明らかにされるのであろうが、証言する他の登場人物と、その証言に反応する市子を演劇的にどのように構築するのか、極めて興味深く、筆者も一度は演劇を観てみたいものである。この演劇の演出の斬新性から言うと、監督が同一人物でもあり、本作の語りがオーソドックス過ぎるのが、残念に思われる。

2024年9月27日金曜日

名刀美女丸(日本、1945年作)監督:溝口健二

 「長回し」の映画監督、溝口健二は、1935年に無声映画『折鶴お千』を撮っている。この作品の主演は、本作のヒロインでもある山田五十鈴であったが、その翌年の36年には、同じく山田を主演に起用して、『浪華悲歌』をトーキーで撮っている。日本映画史の特異な点は、無声映画が1930年代半ばまで撮られていたことであるが、その背景には「弁士」を愛でる日本の観衆の好みが存在していた。

 さて、『浪華悲歌』が公開された36年と言えば、皇道派青年将校による軍事クーデター「二・二六事件」があり、その翌年には日中戦争が勃発する。日中戦争が長期化する様相を見せると、38年には、日本国内の生活全般に及ぶ日本社会の再編成を目指す「国家総動員法」が帝国議会を通過する。このように戦争の影が次第に強く日本社会に射してくる中、溝口は、39年からいわゆる「芸道もの三部作」を撮る。39年の『残菊物語』、40年の『浪花女』(田中絹代主演)、41年の『芸道一代男』(川口松太郎作の同名小説を原作とし、初代中村扇雀が主演)の三作である。

 『残菊物語』以外、遺失してしまっているが、『残菊物語』は、本作の制作陣の顔ぶれから見て興味深い。ストーリー構成に川口松太郎が協力し、二代目尾上菊之助を演じたのが元々女形で新劇界で名を馳せていた花柳章太郎であるからである。

 戦争遂行のために日本社会が再編成されていく中、溝口の「芸道もの」へののめり込みには、一種の「内的亡命」の心的態度を予想させるのであるが、果たして、前編が41年に、後編が42年に公開された『元禄忠臣蔵』は、大衆受けがするような派手な場面をわざと避けたような脚本の取りようで、そこに「芸道もの」に通じる自己鍛錬を目指す一種の精神主義的な態度が感じられる。

 しかし、日本映画界の重鎮の一人として溝口が会長になっていた日本映画監督協会は、42年に戦時統合で解散し、国策団体たる大日本映画協会に合流する。溝口はこの協会の理事に就任し、その立場で自分の映画作りの構想を練ることになるが、それは難航し、数年が過ぎてしまう。そうこうする内に、太平洋戦争の戦局は悪くなり、物資窮乏のために劇映画制作用のフィルムの使用制限がされる中、仕方がなく、中編映画の尺で、44年には『団十郎三代』と『宮本武蔵』を、そして、終戦の年に当たる45年に本作を撮っている。

 遺失している『団十郎三代』は別として、『宮本武蔵』は現在筆者は未見であるので、評価できないが、本作は、主役を演じる花柳が名刀を鍛えようと努力するストーリー展開(脚本は川口)では「芸道もの」に通じる一面を持ちながら、尊王攘夷思想の水戸学派を言及したり、後醍醐天皇の建武の親政を終わらせた足利氏を「賊」と見る史観に立ったりして、その意味で、はっきりとプロパガンダ映画となっている。この意味で、溝口の戦時中における「内的亡命」という、筆者の従来の見方は、若干修正しなけらばならないようにも思われる。

 とは言え、刀鍛冶としての花柳の技量が鍛錬により上達し、それによって出来上がった名刀を振るって、ヒロインの山田五十鈴が無事に仇討ちを果たすパッピー・エンドは何か終戦前の緊迫した時勢に合わないような気がする。人足に曳かれた船に乗って、流れのない運河の堀をゆっくりと進む花柳と、花柳に「お嬢さん」と呼ばれる山田の二人の、ラストシーンの姿は、谷崎潤一郎の『春琴抄』の世界を思わせ、何か耽美主義的な雰囲気を醸しだしており、正に、映画創作のこの方向性は、戦後の溝口が撮ることになる名作の数々につながるものとも言える。

 以上、タイトルロールに登場した「新生新派」という言葉に興味を持ったのと、本作の主役花柳章太郎が新派の花形俳優でもあったことから、以下、新派の歴史をかいつまんで述べてみようと思う。

 日本における、ヨーロッパの演劇を手本とする演劇運動は、1906年に坪内逍遥と島村抱月によって創設された「文芸協会」の活動を嚆矢とするが、1924年に創立された築地小劇場での上演活動を以って本格的に確立されたと言ってよい。このような、翻訳・翻案劇や創作劇を上演する演劇運動を「新劇」という。それは、江戸時代以来の「旧劇」たる大衆演劇・歌舞伎と対比する意味を込めて付けられた名称であるが、明治に入ってからは、既に1880年代末から「改良演劇」を目指す運動が別に生まれていた。不平士族の政治的不満を背景とする壮士芝居や、自由民権運動と連結する書生芝居がこれである。この流れの延長として、より演劇の芸術性を、また、「旧派」たる歌舞伎に対して、より演目の現代性を求めようとして「新派」が形成されることになる。

 「新派」は、「改良演劇」の動きが始まって約15年経った1905年になると、書生芝居の流れを汲む川上音二郎を座長とする川上一座、「男女合同改良演劇」を唱導した伊井蓉峰(ようほう)を座長とする伊井一座、そして、女形として名を成した(初代)喜多村緑郎(ろくろう)らが立った本郷座の、相互の競争と協力の「鼎立」時代に入る。1908年、新派の代表的演目の一つとなる『婦系図』は、泉鏡花の『湯島の境内』を原作とし、喜多村がお蔦役で伊井と組んで、初演したものである。

 この鼎立時代は、1911年に川上音二郎が死去したことなどにより、1910年代末には、伊井蓉峰、喜多村緑郎、それに嘗ての喜多村の同僚で同じく女形で鳴らした河合武雄の「三頭目」時代に入るが、その数年前の1915年に、喜多村の愛弟子であった花柳章太郎は、泉鏡花作『日本橋』の主役お千世として舞台に立ち、これが彼の出世作となって、一躍新派の人気女形となっていた。

 1932年に伊井蓉峰が死去したことにより、残った喜多村と河合が「本流新派」として新派の屋台骨を背負うことになるが、この頃から、新派のために台本を書くようになったのが、大衆小説作家川口松太郎であった。1934年に発表した明治時代の芸人世界を舞台にした人情噺し『鶴八鶴次郎』で以って、川口は翌年に第一回直木賞を授賞している。

 1939年、本作の主役を演ずることになる花柳章太郎、本作の脇役を演ずることになる伊志井寛らが、「本流新派」に対して、劇団「新生新派」を結成すると、翌年、本作の脚本を書くことになる川口もこれの主事となる。1942年に河合が亡くなると、この年以降、本流新派は事実上、その存在意義を失うことになるが、それは、日本が太平洋戦争に突入し、翼賛・総動員体制の再強化の必要性に迫られたからなのであろう。残った「新生新派」が本作の制作に参加し、45年1月に、タイトルバックにあるように、本作は完成した。それは、太平洋戦争の終盤となる、所謂「本土決戦」の前哨戦たる沖縄戦が始まる約二ヶ月前のことであった。

 戦後の新派の再生を担うのは、この「新生新派」と花柳章太郎となる。1951年末に新派大同団結を成し遂げ、現在に至る「劇団新派」を作り上げたのは、他でもないこの花柳であり、この劇団の座長として、初代水谷八重子とのコンビで、戦後次々と代表作を世に問うことになる。

2024年9月14日土曜日

男の争い(フランス、1955年作)監督:ジュールズ・ダッシン

 「film noir」自体がフランス語であるのに、どうして、ここでわざわざ、「フレンチ・フィルム・ノワール」と言うのであろうか。なぜなら、「film noir」という言葉は、最初は、1940年代から1960年代までに掛けて製作されたアメリカの犯罪映画の一サブ・ジャンルに命名されて出来た映画批評の概念であるからである。

 第二次世界大戦中に製作されていたアメリカの犯罪映画が、戦後になってフランスでも一度に上映されるようになると、それを観たフランス人映画批評家Nino Frankニーノ・フランクは、『マルタの鷹』(1941年作)などのアメリカ犯罪映画にある種の共通性を見出し、それを「film noir」と呼んだのである。

 その映像美学的な特質としては、ドイツ表現主義の映像美を模範として、光と陰のコントラストを強調する、映画史的に言うと、白黒映画史の最終章を飾る形で、正に白黒映画の映像美を出している点が挙げられる。カラー映画作品がまもなく常態化する直前であるから、当然と言えば、それは、当然であったが、斜め撮りをしたりという画面構成にも大胆な試みが見られるのである。

 ストーリー的には、1920年代、30年代の、例えばD.ハミットなどの、「コンクリート・ジャングル」たる都市を舞台とした「ハードボイルド小説」が基調になっており、この傾向は、確かに、犯罪映画に大きく括られうるサブ・ジャンルの中では、テーストとしては、いわゆる「ギャング映画」とはまた異なるものを持っている。それは、ストーリーが悲観的な展開をすることにより、このテーストはより強くなるのであるが、この悲観性を保証しているのは、主人公の視点で物語りが冷笑的に語られ、それ故に、主人公がOffでストーリーを独白する手法が使われる点に特に見出せる。そして、このストーリーの悲劇的展開には、あるFemme fatalファム・ファタール、「運命的な女」が関わるのである。こういう訳で、当のUSA側は、該当の作品群を「psychological melodrama、或いは、psychological thriller」と呼んでいたのも肯ける。

 こういう、人間の暗い側面を描く「film noir」は、その暗い側面が社会の暗い部分から生まれてくる点に注目するような作品制作にもつながり、言わば、「社会派暗黒映画」が撮られることになる。この系統の「film noir」を撮った監督には、Edward DmytrikやJoseph Loseyなどがいるが、本作を撮ったJules Dassinもこの系統に入ると言える。米下院・非米活動調査委員会での証言を拒んだハリウッドの10人の脚本家や監督、プロデューサー達を呼んで、「ハリウッド・テン」というが、その中の一人に入ったのが、E.Dmytrikで、彼が投獄され、「転向」して、J. Dassinの名前を出したことから、彼は、ヨーロッパに、事実上「亡命する」ことになる。J.Roseyも同じ出国の運命を選び、1951年に米下院・非米活動調査委員会での証言を嫌って、ヨーロッパに移住したのである。

 J. Dassinは、1911年にUSAで生まれた映画監督であるが、父親は、ユダヤ系ウクライナ人の移民であった。ニューヨーク市はハーレム地区で育つが、政治的には左派の、イディシュ語を話す劇団に加わり、1930年代にアメリカ共産党員になる。しかし、スターリンが独ソ不可侵条約を結んだことに失望して、党を脱退する。1940年にブロードウェイで初めて舞台監督を務め、ラジオ放送用の台本も書くようになるが、翌年には、映画監督としてもデビューし、戦後の47年に撮った、監獄もの映画『真昼の暴動』(B.ランカスター主演)で知名度を高め、48年に撮った、セミ・ドキュメンタリータッチの警察もの映画『裸の町』で、アカデミー賞の撮影賞と編集賞を獲得する。49年には、運送屋同士の抗争を描く『Thieves’ Highway』を撮り、本格的に映画監督としてハリウッドで活躍しようとしていた矢先に、マッカーシズムの「赤狩りの狂気」のせいでヨーロッパに移住しなければならないことになる。50年制作の『街の野獣』(R.ウィドマーク主演)は、USAではなく、イギリスに撮影場所を移さなければならなくなる。更に、J. Dassinは、イギリスからフランスに渡るのであるが、それは、逆にフランス映画界にとっては「幸運なこと」になることになる。ただ、J. Dassinにとっては、本作を撮るまでの数年間は、USA側の政治的圧力などもあり、「下積み」生活を余儀なくされたのではあるが。

 という訳で、J. Dassinが本作の制作を引き受けた際には、彼は、まずは、フランス語の原作を英語に訳させ、それを受けて、英語で脚本の草稿を書いたのである。それが今度はフランス語に逆翻訳されて、原作者のAugust Le Bretonや共同脚本家のRené Wheelerがこれに協力して草稿に手を入れるという形で脚本の作成が進められたのである。こうして出来上がった本作は、J. Dassinがヨーロッパで撮った最初の作品となった訳であるが、本作が彼にヨーロッパ映画界における成功をもたらし、カンヌ国際映画祭における監督賞授賞となる。

 本作の成功を受けて、J. Dassinは、57年と59年に二本の作品を撮り、60年に発表された『日曜はダメよ』(ギリシャ人メリナ・メルクーリ主演)で世界的なヒット作品を生み出すことになるが、この作品は、ロマンティック・コメディー作品であり、J. Dassin自身にとってもフィルム・ノワールの創作時期は1960年の年を以って終わったものと言える。

2024年8月26日月曜日

オーシャンズ8(USA、2018年作)監督:ゲイリー・ロス

『Ocean's 8』は、実は、「Ocean's 7+1(+1)」

 本作のストーリーは、三段構えである。一段目は、Cartierの首飾りを「掠め取る」作戦の展開で、ここでは、7人組がスクラムを組む。第二段目は、復讐劇で、この段階で、もう一人の女性が絡んできて、女性チームは、女性八人組になる。第三段目が、言わば、どんでん返しの段で、これには、上述の「(+1)」の中国人男性が加わる。(+1)は、「オーシャンズ」・シリーズで、『イレヴン』の最初から、本作の主人公Debbieが愛するDannyの仲間達の一人であった人物である。故に、本作は正しくは「オーシャンの9人」である。

 第一段目の「窃盗」ストーリーは、盗まれる側が「難攻不落」でなければ、面白味が半減する。その点、本作における「難易度」は、『スパイ大作戦』や『ミッション・インポッシブル』と比較すると、その程度は低く、しかも、罠を掛ける対象の女優との絡みで「人間的要素」が大きすぎて、説得力が欠ける。

 更に、この手のストーリーでは、「難易度」に応じて、それに対する準備の過程がしっかりと描かれなければならない。この点は、本作はある程度しっかりとその「地固め」がなされていたが、何せ「難易度」が低いので、その準備も「ああ、こういう手もあるか。」と納得させるインパクトが少ない。

 しかも、作戦実行が、確かにそうはならないようにはいくつかの「障壁」が挿入はされていたが、全体的にはスムーズに行き過ぎて、緊張感が薄いのは、本作の脚本上の瑕疵である。監督Gary Rossは、脚本も共同で手掛けている。

 一方、「Ocean's」もののいいところの一つは、その仲間達の顔ぶれが多彩であり、それぞれに個性がある所であろう。『七人の侍』ではないが、本作の「七人の強者」の顔ぶれは、インド系あり、中国系あり、はたまた、ラテン・黒人系ありで、国際色豊かである。登場人物としては、Cate Blanchetが、七人の中では、出色であろう。主人公Debbieとは同性愛的な関係を匂わせながら、男役的なパートを演じ、カッコ良く単車を乗り回す。キャラクター的には、負債を抱えるモード・ディザイナーRoseが興味深く、彼女は、とんでもポップアート的な服装を「こなして」歩く。このRose役を演じたのが、Helena Bonham Carterである。どこかで見た顔で、どこで見たかを思い出せず、ウィキペディアでその経歴を調べて思い出した。David Fincher監督の『Fight Club』(1999年作)でである。1999年と言うと、本作の制作が2018年であるから、ほぼ20年前のことであるから、H.B.カーターももう随分お年なのであるが、『Fight Club』での彼女の演技は鮮烈であり、筆者は未だによく記憶している。

 H.B.カーターは、フランス語がペラペラなそうで、その語学の達者さは、本作でも強調されていたが、主演のSandra Bullockも本作ではドイツ語が上手いところを見せている。と言うのは、彼女は、ドイツ人のオペラ歌手Helga Meyerヘルガ・マイヤーの娘として、南東ドイツの、バイエルン州の東にあるNürnbergニュルンベルクで生まれ、12歳までここに住んでいたからである。父親はアメリカ軍属で声楽を指導していたアメリカ人であった。学校は、ドイツではルドルフ・シュタイナー校に通い、高校はアメリカのハイスクールに行って、チアリーディング部の部長として活躍したと言う。アメリカ語訛りのドイツ語ではなく、しっかりしたドイツ語での発音である。という訳で、本作は是非オリジナルで観たい作品であろう。

 本作の最後、Debbieは兄の墓石の前に座るが、この墓石の横には、Helga Meyerの名前が見える墓石がある。S.ブロックの実の母親の名前である。Ross監督も中々「粋な」取り計らいをしたものである。

2024年8月14日水曜日

オッペンハイマー(USA、英国、2023年作)監督:クリストファー・ノーラン

 反ユダヤ主義者のヒトラーが手にするかも知れないという危惧から、ユダヤ人たるOppenheimerは、核爆弾製造に実践的に着手することにするが、それは、Oppenheimerが既に1920年代に注目していた量子力学の研究を犠牲にすることによって可能であった。あの天才科学者A.アインシュタインが50年代にOppenheimerとプリンストン高等研究所の庭にある池の端で明かした疑問は、同時に、科学の進歩の先端を行った者、行く者の「悲哀」を感じさせる。

 さて、原子力委員会の査問によりOppenheimerの過去があからさまに暴かれることで改めて気が付くことが、1930年代のアメリカにおいて多くの知識人が共産主義に少なくシンパシーを持っていたことである。アメリカ合衆国共産党(CPUSA)の創立は、ロシア革命の二年後の1919年のことであるが、この党がスターリン主義に凝り固まって支持者を次第に失っていく中で、とりわけ、人民戦線路線を採った30年代半ばは支持層を広めていた時期があり、ちょうどこの時期にOppenheimerも左翼に関わる。そして、彼の周りの多くの人間が共産党員だったのである。ウィキペディアによると、「妻キティ、[同じく物理学者であった]弟フランク、フランクの妻ジャッキー、およびオッペンハイマーの大学時代の恋人ジーン・タットロックは、アメリカ共産党員であり、また自身も党員では無かったものの、共産党系の集会に参加したことが暴露された。1954年4月12日、原子力委員会はこれらの事実にもとづき、オッペンハイマーを機密安全保持疑惑により休職処分(事実上の公職追放)とした。」とある。

 そして、以下の後日譚は本作では述べられていないが、原子力委員会(AEC)の後身となる連邦エネルギー省(DOE)の女性大臣を務めるJennifer Mulhern Granholmは、2022年12月に、上述のOppenheimerに対する1954年の「処分」を「偏見に基づく不公正な手続き」とし、68年の時を経ての名誉回復については、「歴史の記録を正す責任がある」と説明したと言う。Chr.ノーランがOppenheimerについての伝記を映画化しようという意図を明らかにしたのは、21年9月のことであるので、Oppenheimerの名誉回復のニュースを聞いて、彼は、改めて、自身の決断が正しかったものと確信したことであろう。

 撮影監督は、Chr.ノーラン組のキャメラマンと言っていいオランダ人Hoyte van Hoytemaで、本作で米国アカデミー賞を受賞している。同賞の監督賞を今回初めて受賞したChr.ノーランは、本作にはいつものことながらIMAXキャメラを用いているが、上述したように、『Memento』(2000年作)と同様に、カラーと白黒を取り交ぜることで、映画の時間構造を明らかにしている。しかし、IMAXキャメラでは、彼自身が望む質の白黒の映像を撮ることが出来ないことから、映画素材としてKodak社に特注して65㎜白黒アナログ・フィルムを製造してもらったと言う。さすがに映像にこだわるChr.ノーランについての逸話であるが、彼ほどの大御所となると、一流会社も動かせるのは、さすがであるとしか言いようがない。

2024年8月10日土曜日

ジャッキー・コーガン(USA、2012年作)監督:アンドリュー・ドミニク

 本作の邦題『ジャッキー・コーガン』を見る限り、うん、これは、あの『ジャッキー・ブラウン』(1997年作)の「兄弟編」かと思う。しかし、内容的に見ると、『パルプ・フィクション』(1994年作)をブラッド・ピット版にしたものかとも思う。(B.ピットは、本作の製作者の一人でもある。)

 『ジャッキー・ブラウン』も『パルプ・フィクション』も監督はQ.タランティーノで、オーストラリア人監督Andrew Dominikは、タランティーノ「信者」に思える。本作の原作は、George V. Higginsの小説『Cogan' Trade』(1974年作)で、本作のストーリー展開はほぼ原作に則っているのであるが、脚本も書いているA.Dominikは、時代背景を2008年に持ってきているところが本作のストーリー上の「ミソ」なのである。

 USAの2008年というと、民主党のB.オバマと共和党のJ.マッケインとの間の大統領選挙の選挙戦の最中である。映画中に出てくるテレビ中継で演説するB.オバマの崇高な論理と、B.ピット演じるJ.コーガンが「処理する」下世話の「仕事」との間に存在する、隔絶的な距離感こそが本作の眼目であろう。J.コーガンに言わせれば、アメリカとは、その内容が何であれ、「ビジネス」の国なのであり、民主主義の理想などはどうでもいいのである。

 となれば、この批評を書いている2024年には、C.ハリスとD.トランプとの間の大統領選挙戦が行なわる予定であるが、B.オバマからC.ハリスにつながる民主党の連続性に対して、J.マッケインからD.トランプに変わる、共和党の政治的方針の変化には目を見張るものがある。

 話しが若干逸れたが、本作の英語原題は『Killing them softly』という。この原題から連想するのは、『Killing me softly with his song』というポップ・ソングである。こちらの歌の邦題は、『やさしく歌って』となっているが、この曲は、Roberta Flackという黒人女性歌手が1973年に歌って世界的にもヒットした作品であり、これにより、彼女は、グラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲、最優秀女性ヴォーカルで受賞したのである。当時はこれ程、知名度の高かった曲である。

 この曲の原題『Killing me softly with his song』が邦題でなぜに『やさしく歌って』となったかは筆者の知るところではないが、「やさしく殺して」としては、憚られるものを日本の音楽会社は感じたのであろうか。しかも、Killingは現在進行形であるから、命令形とは異なる形である。故に、意味的にも異なってくる。何れにしても、「殺す」と「やさしく」が殆んど逆説的に結び付いているところにこの曲の歌詞の秀逸さがあるのである。一方、本作の原題『Killing them softly』では、killは正にそのものずばりであり、そこには詩的誇張は全くないのである。

 尚、R.Flackが歌って有名になった曲は、実は、Lori Liebermanという女性のユダヤ系シンガーソングライターが自分の音楽体験を基にして既に1972年に発表していたものである。ギターの弾き語りで静かに歌うL.Liebermanのプレゼンテーションは、控え目過ぎたということであろうか、ヒットにはつながらなかった。

 この「控え目さ」と呼応するが如く、本作のストーリーの内容は、些末で、矮小である。つまり、「パルプ・フィクション」なのであり、その意味で、本作の「山場」は、ジャッキー・コーガンが、自分が顔を知られていることから、わざわざニューヨークから呼んだ、知り合いの殺し屋ミッキーとのやり取りであろう。この、アル中の、売春婦と寝ることしか頭にない殺し屋ミッキーを、James Gandolfiniが秀逸に演じている。同じく秀逸なのは、本作における撮影で、スローモーション撮影と光を上手く使ったキャメラは、印象的である。調べると、撮影監督のオーストラリア人Greig Fraserは、『Dune』(2021年作)でアカデミー賞撮影賞を受賞している。さもありなんというところであろうか。

2024年8月4日日曜日

イコライザー The Final(USA、2023年作)監督:アントワーン・フークワ

 本作は、三部作のシリーズもののファイナル版である。シリーズの一作目は、原案が英語の原題では同名の『The Equalizer』という、1980年代にUSAで放映されたテレビ映画シリーズである。このテレビ映画シリーズは、日本では『ザ・シークレット・ハンター』という邦題名で放映されたということをウィキペディアで知って、筆者は早速、ある日本のテレビ映画シリーズを思い出した。『必殺シリーズ』である。

 この『必殺シリーズ』は、1970年代の初めに第一シリーズが放映されたが、その時は、『必殺仕掛人』という題名であった。その後、何シリーズもテレビ用、劇場用に映画化されたが、その中には、『必殺仕事人』、『必殺仕置人』、『必殺仕留人』などという題名があった。この『必殺シリーズ』の基本的なストーリー構造は、ある悪人に痛めつけられた被害者、或いは、その関係者が、「裏稼業」の必殺のプロに頼んで、その復讐のために仇を取ってもらう。そのためには依頼人は依頼金を支払わなければならないという仕組みである。この依頼金の要素を除くと、本作のストーリー構造も『必殺シリーズ』のそれと似ており、それで、筆者は、この日本のテレビ映画シリーズを思い出した次第である。

 ところで、「仕事人」、或いは、「仕掛人」が「仕事」を引き受ける場合、観ている者に道徳的・倫理的「反感」が出ないように、ストーリー上の「仕掛け」があった。ここが「ミソ」であり、本作の倫理的前提と比較するためにも、この「ミソ」を一言述べておこう。まず、単なる勧善懲悪の行為にしない。この大前提の下、「1.晴らせぬ恨みを晴らす」、「2.世のため、人のためにならない殺しはやらない」、「3.合法的には裁くことができない悪人のみを殺める」、「4.殺しに当たり、万が一にも間違いがないように調べ上げる」、「5.あくまで正義の味方ではないので、殺しの代償として依頼金を取る」などの「裏稼業の掟」がある。

 これらの「掟」の内、5番以外は、本作にも当てはまっていると言えよう。4番の事前調査は本作でもはっきりは出ていないが、ストーリーが展開する中で、R.マッコールの行為の対象者が当然の「報復」を受けて妥当である気持ちが高められる。とりわけ、3番の観点が本シリーズでは強いのではなかろうか。悪の行為によって、均衡が失われた状態を「報復」という行為、事実上は私的制裁なのであるが、この行為によって、正義の均衡が取り戻される。この均衡を取り戻す行為、乃至は人間のことをEqualizerイコライザーというのである。あの算数の記号「=」、つまり、「イコール」状態にすることである。

 ところで、「イコライザー」は、音響機器としてもあり、この機器は、ウィキペディアによると、以下のように定義されている:

 『イコライザーの原義は「均一化(equalize)器」で、録音再生環境(例: マイクロフォン・レコーダー・録音スタジオ、スピーカー・再生会場)がもつ周波数特性の歪み補正や、マスタリングにおける曲ごとの音質的差異の平均化などを意図している。』

 という訳で、『The Equalizer』という英語原題を邦訳した場合、『必殺仕掛人』のタイトルにもじって、訳してみると、「必殺均一人」となるであろうが、これでは駄洒落が過ぎるので、「必殺報復人」としてみては如何であろうか。

2024年8月2日金曜日

バカ塗りの娘(日本、2023年作)監督:鶴岡 慧子

 「コスパ」や「タイパ」の観点から物事が測られる現代日本では、「伝統工芸」とは、これらの基準のどちらも「悪い」、正に、真逆の存在で、美術工芸の国フランスならまだしも、現代日本では、これらが廃れるのも無理はないのであろう。そういう、現代日本社会で「分の悪い」伝統工芸の中でも、更に「割が合わない」のが、津軽塗である。なぜなら、*「塗っては研ぐという大変手間のかかる技法は、40数回の工程と2ヶ月以上の日数を費やして仕上げ」られるからである。こういう「バカ丁寧」に作られる津軽塗であるからこそ、この漆塗製品を作る工程「漆工」は、「バカ塗り」と呼ばれる。本作の表題の一部にこれが出ている理由である。(*印の引用は、青森県漆器協同組合連合会のインターネットのサイトより)

 青森県の西部にある、弘前市を中心都市とする津軽郡の伝統産業の一つが津軽塗であるが、津軽塗職人の青木清史郎は、津軽塗の将来を悲観している。経済的に苦しい家計に耐えられずに妻は家から出ていった。長男は美容師になって、家は継がないと言う。娘の美也子はその器ではないと見ている父親は、なぜか津軽塗をやってみたいという娘を信じられない。こうして、本作のストーリーが展開するのであるが、やはり、美也子の心境や意欲に説得性がないので、映画を観ていて、「本当なのか?」と疑問符が何度も湧いてきていたのは、筆者だけではないのではなかろうか。

 しかも、映画の終盤が、美也子がグランド・ピアノの外装の塗りをあれほどカラフルに仕上げたことで、それが評価されてパリに呼ばれていくという成功譚になっていることに更に違和感が隠せないのである。今では、塗った面の光沢や強度を高めるために漆にセルロースナノファイバー(CNF)を混ぜる技術が開発されていると言うし、素地(「きじ」)に木地ではなく合成樹脂を使ったり、天然の漆の代わりに合成塗料を用いた「合成漆器」も存在している。美也子が、もしそのようなものを使ったとしたら、これでは、津軽塗の本来の独自性を逆に失わせることになってはいないかと思われるからである。

 それでは、「津軽塗の本来の独自性」とは何か?木地には、伝統工芸であるから、青森県産のヒバが使われる。これは、津軽の伝統工芸である限り、当然である。生漆(きうるし)に、セルロースナノファイバーを混入させることは、たとえそれが「伝統工芸」であるとしても、あり得る。例えば、輪島塗では、下地塗の行程で、生漆に米糊、そして焼成珪藻土を混ぜて何層にも厚く塗る。大体、漆自体が、その多くを中国から輸入している状態である。国産の上質の漆は、岩手県二戸(にのへ)市浄法寺町で採れる漆で、その生産量は、日本での漆の総使用量44トン(2016年度)の5%にも満たない2トン以下であると言う。

 こう見てくると、津軽塗を津軽塗たらしめているのは何かと言うと、模様の出し方にあるのである。漆器の代表格は、京都の公家を相手とした京漆器であろうが、京漆器は、京都の洗練された公家文化に合わせるように、木地を薄くし、上質の漆を塗った上に、加飾として蒔絵を施すことがその特質である。これに対して、津軽塗では、その技法の一つとして「唐塗」というものがあり、この技法では、蒔絵を施さずに、仕掛けベラを使って凹凸を付けながら漆を盛り上げて塗り、更にその上に別色の色漆(朱漆、黄漆、実は緑色の「青漆」)を何層にも亘って塗っては、その表面を砥石や炭で研いでいき、この四十八の工程の中で、言わば、漆の中から斑点模様を研ぎ出すのである。この技法が「研ぎ出し変わり塗」の技法の一つであると言われ、これこそが、津軽塗を津軽塗たらしめている技法なのである。この津軽塗の特異性が、映画では、はっきりと出されていなかったことを残念に思う。

 仮にもっと津軽塗の特異性を強調しようとするのであれば、青森県漆器協同組合連合会がそのサイト上で説明している、唐塗と並ぶ三つの技法、「七々子塗」(或いは、菜種を蒔いて仮飾とするので、「菜々子塗」とも言う)、七々子塗を更に豪奢に加飾した「錦塗」、そして「紋紗塗(もんしゃぬり)」の、三つの技法の内、紋紗塗を使うべきである。なぜなら、この紋紗塗こそが、津軽塗の技法の中では最も独特なものであると言われているからである。黒漆と炭粉を主体とした黒一色の渋い仕上がりは、映画に出てくるピアノの外装の塗装に似合っているのではないか。黒漆で塗り上げた後に、更に黒漆で線描を主とした総模様を描き、それに、津軽地方で「紗」と呼ばれるもみ殻の炭粉を蒔いて塗装する。その上で、更にこれを研いで模様を出し、磨き上げるのが「紋紗塗」の技法である。しかも、この技法に関しては、明治維新以後の作例は少ないと言われている。であれば、美也子はこの技法を現代に復活させるべきではなかったのか。正に、これこそが伝統を守るということであろう。

2024年7月29日月曜日

クロッシング・デイ(USA、2008年作)監督:ブライアン・グッドマン

 学校のあの「道徳」の時間に語られるエピソード、人徳のある人や高潔な人の伝記を聞かされたり、読まされたりした時の、あの「気まずさ」がこの映画にはある。或いは、こう言ったらよいであろうか。あることを悟った人間に、未だ悟ってはいないこちらに、悟ったらこうなのであると伝道された時の、こちらとあちらの「隔たり」感である。逆に、「ああそうですか。それで?」と言いたくなる「反抗心」がむらむらと湧いてくる。そんな感覚である。

 確かに、Brianブライアンが辿った、犯罪の泥沼から抜け出した、その道は正しい。逆に、ブライアンの竹馬の友Paulie(「ポール」と読むようである)が突き進んだ悪の道はその好対照をなす。それでも、観ている者としてそこに何か突き放された感覚が、筆者には残るのである。

 主人公と名前が同じ監督Brian Goodman(苗字がまた人徳を示す「good man」)は、脚本も共同で書いており、また、本作の一役(主人公二人を手下としてこき使う小悪党Pat Kelly役)で出ているという、思入れようで、ウィキペディアによると、実は、本作は、彼が「悔いて」俳優になる前の、彼の半生をほぼ実話的に描いたものであると言う。故に、ストーリーの舞台も、監督自身が生まれ育ったボストン市南部の地域で、カトリック教徒が多いところであると言う。これが、ニューヨークであったら、同じ反社組織でももっと「イタリア臭」がして、恐らく、Brianも犯罪の泥沼から逃れられなかったかもしれない。

 さて、本作の日本上映に当たって製作されたポスターの、謳い文句の「嘘さ加減」はかなりひどいと言わなければならない。まず、「全てを賭けて、のし上がる男たちの挽歌!」である。主人公二人は死なないことから、本作は、「挽歌」ではない。また、組織の中で「のし上がる」つもりのない二人は、ただのチンピラの雑魚である。次に、「アウトローアクション大作」とは、ただの暴力場面の誇大宣伝である。そして、「壮絶なクライマックス」とはお世辞でも言えない現金輸送車襲撃の顛末である。大体、邦題の『CrossingDay』とは、原題『What Doesn't Kill You』のどこをどうやって捻ると出てくるのか、甚だ疑問である。

2024年7月28日日曜日

ターミネーター:新起動/ジェニシス(USA、2015年作)監督:アラン・テイラー

 『ターミネーター(1)』(1984年作)は、G.オーウェルの小説の表題『1984』からそのイメージだけは取ったのか、1984年と製作年と同じ年がストーリーの時間軸になっている作品で、A.シュヴァルツェネガー演じるT-800型はこの作品に登場する、連続女性殺人魔の悪玉である。

 元作より上出来という『ターミネーター2』(1991年作)ではT-800型は善玉となり、悪玉が液体合金で出来たT-1000となる。1997年の「最後の審判の日」を阻止するために、母親のサラとその息子のジョン・コナーが活躍する。

 『ターミネーター3』(2003年作)では、1997年に起こるはずの、マシーン側が人類殲滅のために引き起こすことになっていた核戦争は阻止されたかに思われたが、二十歳の青年になったジョン・コナーは、2004年、2032年のマシーン軍から送られてきた女性型ターミネーターT-X型にしつこく襲われながらも、T-800型の改良型T-850に守られ、かつ、後に妻となる女性獣医ケイトと知り合い、彼女と伴に「最後の審判の日」をアメリカ軍の地下壕で迎える。制作年の翌年に起こった核戦争は、やはり阻止できなかったのである。

 これをストーリー的に受けた『ターミネーター4』(2009年作)では、人類軍の指導者となったジョン・コナー(Chr.ベール)が、「最後の審判の日」から14年経った2018年になっても抵抗運動を続けていたが、自分の父となる、孤児少年のカイルをマシーン軍から奪回しようとする中、サイボーグである、元重犯罪者たるマーカス・ライトに助けれて生き延びるというストーリー展開となる。という具合に、ターミネーター・ワールドの存続にはここに至ってストーリー的には袋小路に入った感がある。

 こうして、「ターミネーター」のリブートの必要性が製作者側に強くあったのであろう。「ターミネーター5」とでも言える本作『ターミネーター:新起動/ジェニシス』(2015年作)では、ジョン・コナーが生まれる前のストーリーが再度描かれ、しかも、ストーリー上、もう一本の時間軸が導入される。即ち、これまでの1984-1997-2004-2018-2029/2032という時間軸に対して、1984-1997-2017-2029という、言わば、カイルの視点から見た時間軸が本作では描かれる。そして、この時間軸上における1984年には善玉・悪玉両方のT-800型と、既にT-1000が存在し、2017年にはT-3000なるものが、驚くべき存在として送り込まれていたのである。事程さように、本作は、どんでん返しを含んだ、かなり手の込んだストーリー展開であるが、そこに何かご都合主義の「臭い」が感じられ、筆者にはしっくり行かないものが残る作品である。

 結局、本作では「新起動」とはならず、その次回作(2019年作)でも「再起動」は起こらなっかったのである。「ターミネーター・ワールド」、これで終わっては欲しくないのであるが、さて、「起死回生」はあるのであろうか。

2024年7月21日日曜日

潜水艦クルスクの生存者たち(フランス/ベルギー/ルクセンブルク、2018年作)監督:トマス・ヴィンターベア

 本作は合作映画で、フランス、ベルギーそしてルクセンブルクが資本を出して撮られた作品である。ストーリーがロシア連邦の原子力潜水艦Kurskクルスク沈没がテーマであるから、ロシア連邦も製作に関わってもいい訳ではあるが、ことは、「今は時めく」ウラディミール・プーティンの初めての大統領時代のことでもあり、製作者側は、そのストーリー展開において、「忖度」したようである。本作には、プーティンの「プの字」も出てこない。実は、プーティンは、1999年から2000年まで連邦首相をやった後、2000年5月に彼の履歴では初めての大統領職に就く。その約三ヶ月後にクルスク沈没事件が起きたが、その時の彼の対応の冷たさに一時的にその人気が下がったという、曰く付きの事件であるからである。作中、クルスク乗員の家族を入れた二回目の「説明会」で、この会を取り仕切っていたのはロシア連邦海軍ペトレンコ大将(スェーデンの名優Max von Sydow)ではなく、ウィキペディアによると、プーティン本人であったという。

 しかし、問題の本質は、製作者側の「自己検閲」にあるのではなく、国家秘密、とりわけ軍事秘密の秘匿のためには、助けられる23名の人命をも犠牲にする、所謂「国家理性」の冷血さにあると言うべきである。映画の終盤の遭難者の追悼の儀式において、ペトレンコ海軍大将が行なった追悼の辞は、欺瞞に満ちたものであり、それを見逃さないぞと睨めつける、主人公アヴェリン海軍大尉の息子ミーシャの目こそ、本作のクライマックスであると言える。これがあってこそ、同じ場でミーシャが、ペトレンコ海軍大将の握手のために差し出された手を拒む行為に出たことのストーリー上の説得性があるのである。そして、それを受けて、ペトレンコ海軍大将を演じる、スェーデン人の名優Max von Sydowが、欺瞞を見抜かれた者の羞恥心とそれを隠そうとする内面的葛藤を少しの顔の動きで殆んど天才的に表現したことへ、筆者は万雷の拍手を送るものである。von Sydowは、本作を撮った二年後にフランスで亡くなる。享年90歳であった。

 さて、この秘匿されなければならなかった軍事秘密とは何であったか。それは、原潜Kurskが、ロシア連邦海軍の現役の最新鋭潜水艦であったことである。ソヴィエト・ロシア或いは単にロシアの潜水艦には、その兵装において、魚雷原潜と有翼ロケット原潜があり、有翼ロケット原潜には弾道ミサイル潜水艦と巡航ミサイル潜水艦の二つの型式がある。この巡行ミサイル潜水艦の内、その第三代原潜に当たるのが、949型(NATO側からは「オスカー型」と呼ばれる)が建造された。この949型式は、多数の巡航ミサイルを一度に発射して仮想敵国の空母打撃群を逆に打撃するための対水上艦打撃潜水艦として特化したものである。949原型型は、一番艦が既に1980年に就役しているが、この型は二隻建造されたのみで、この原型型の改良型「949A」は、1986年から就役が開始され、11隻が竣工した。この11隻の内の一隻がKurskで、その艦番号はK-141である。「K」とは、ロシア海軍では「潜水巡洋艦」たることを示す。

 K-141艦は、ソ連崩壊後の1992年に建造が開始され、94年5月に進水、同年12月に就役した。つまり、949A型の10隻目としてロシア海軍北方艦隊に配属された。という訳で、949A型は、ソヴィエト時代に設計・承認された、ソヴィエト連邦の原潜設計技術の極致を体現している潜水艦であり、潜水艦建造の歴史から言っても、全長154m、最大幅18,2mの史上最大の攻撃型潜水艦であった。ここにどうしても守りたいロシア側の軍事機密があったのであり、それは、23名の乗組員を犠牲にしてでも守りたいものであったのである。

 本艦の兵装は、巡航ミサイル24発、魚雷24発、艦首にある魚雷発射管六本である。乗員は、士官44名、下士官・兵68名の112名であり、Kurskの遭難時には乗員111名、司令部要員5名、便乗者2名の、合計118名が乗船していた。

 就航してから運用された約五年間の間に、Kurskが完遂した任務は、僅かに一度だけであり、それは、1999年にコソボ紛争に対応するためにこの地域に派遣されたUSA第六艦隊の動静を監視するために、同艦がほぼ六ヶ月に亘り監視行動を担ったものであった。それ以外は、乗り組み員は地上勤務が多かったと言い、このことが事故が起きる遠因になっているとも言う。

 事故の原因は、映画で描かれている通り、そして、ロシア政府ののちの事故調査報告が述べる通り、過酸化水素を推進燃料とする65㎜魚雷(別の説もあるが、「ウェーキ・ホーミング魚雷」と呼ばれた魚雷)が爆発したことによる。これは、高濃度過酸化水素HTPが不完全な溶接個所から漏れ出たことに因るものであった。この魚雷の爆発が魚雷発射管から外に向かったのではなく、艦内に向かったこと、更に、爆風が換気ダクトを通じて戦闘司令部区画(第二区画)に及び、ここにいた将校達36名を行動不能にしたことで、緊急浮上の措置が全くなされず、また、二分後の更に大きな魚雷数発の誘爆発により、少なくとも第三区画、場合によっては、第四・五区画までが被害を受け、これにより、原子炉発電部が停止し、更に魚雷発射室の真下にあったという非常用バッテリーまでが使えなくなったことにより、艦からの外部への連絡が不能になるという事態が、第二次爆発を辛うじて生き延びて第九区画(艦尾タービン室)に逃げた23名の生き残りには致命的であった。

 事故原因をUSA潜水艦との衝突と主張するロシア海軍側は、独自の救助艇を一隻派遣するが、救助は成功せず、8月12日の事故発生後、9日経った8月21日にロシア側の要請に基づき、イギリス・ノールウェーが送った救助艇から潜水夫が緊急脱出用のハッチを開けることに成功して、約110mの海底に沈んだ艦内に入ることが出来たが、時すでに遅し、乗り組員全員の死亡が確認された。(素人考えではあるが、Kurskの全長が約160mであるから、艦体を艦首を頭にして海底から逆さに立てたら、艦尾側は50m水上から出る計算である。)

 のちの検証に拠ると、一時的に生き延びた23名は、室内の酸素不足による窒息死であり、溺死ではないことが確認されたと言う。本作が描くような、二酸化炭素を除去し、酸素を発生させるカートリッジの取り扱いの誤りにより、室内に火災が生じ、これにより、室内の酸素が急速に奪われたことによる、窒息死があったと言う。その23名の中にドミトリー・コレスニコフKolesnikow海軍大尉(本作中の主人公アヴェリン海軍大尉)がおり、彼こそが暗闇の中、手探りで23名の名前を書き上げた本人であった。

2024年7月3日水曜日

眼下の敵(USA、1957年作)監督:デック・パウエル

 ナチスドイツのUボート艦長von Stolbergフォン・シュトルベルクの名前の一部になっている「von」から、この艦長の出身階層が貴族であることには間違いがないであろう。海軍将校であることから、恐らくはドイツ北部の黒海沿岸やバルト海沿岸、或いはその近くの内陸部の出身であろうと推察できる。そして、自らが、士官学校時代からの戦友である第一当直士官Schwafferシュヴァファー海軍中尉に(名前は「Heinieハイニー」で、von Stolberg艦長はSchwafferのことを名前で呼んでいる)、自分は軍人の家の出身であり、自分の息子達二人も軍人に育て上げたが、一人は飛行機乗りとして戦死し、一人は、同じく潜水艦乗りとして、海の藻屑となって海の底に沈んでいるという身の上話しをしているところから推察すると、von Stolbergは、場合によっては、ドイツ東部にあるElbeエルベ河以東の下層の土地貴族層Junkerユンカー層出身かもしれない。Otto von Bismarckを代表とする彼らこそ、プロイセン王国軍隊の屋台骨を将校連として支えた社会階層であるからである。

 von Stolbergは、Heinieハイニーに誇らしげに言う:『俺は、息子達に教えたものだ。「闘う、義務を遂行する、そして、質問はしない。」と。』自らもそのように叩き込まれたプロイセン軍人精神を、自らの息子達にも叩き込んだ訳であるが、それは、前近代的な「騎士道精神」にもつながることになり、このことが、彼がUボートを浮上させて、魚雷に被弾した駆逐艦にUボートの艦砲砲撃で沈没させようした、戦場における「栄誉礼」の動機であった。このことは、von Stolbergの「驕り」ではなかったのであり、アメリカ人のMurrell艦長がそれをvon Stolbergの「失敗」と評価している点で、独米間の価値観の違いもまた見られて、本作のストーリーにより深みを与えている。

 何れにしても、本作は、第二次世界大戦中の潜水艦と駆逐艦との戦いを描いた古典的作品であるが、それは単なる戦争アクションものに終わっておらず、最後には戦時におけるヒューマニズムを詠う佳作となっている点で一見の価値ある作品となっている。

 Uボート艦長von Stolbergを演じるのが、当時のドイツ映画界を代表する男優Curd Jürgensクルト・ユルゲンスであり、これに対するUSA海軍護衛駆逐艦艦長Murrell艦長を演じるのが、R.ミッチャムで、両男優の演技も本作の見どころであろう。

2024年6月18日火曜日

レインメーカー(USA/ドイツ、1997年作)監督:フランシス・F・コッポラ

 監督が誰であるかを調べずに観て、後からそれがF.F. コッポラであると知って驚いた。あの監督がこんな凡庸な作品を撮っていたのかと。基本的には、本作は、所謂、「法廷もの」と分類される作品であろう。新米の弁護士(M.デイモンが初めて演じた主人公)が、法廷での駆け引きを知らずに飛び込んで、百戦錬磨の相手方の老練な弁護士(J.ヴォイト)に何回も「ボディー・ブロー」を喰らわせられながらも、最後は、どっこい裁判に勝利するという、如何にも「アメリカ的」ストーリー展開の法廷ものである。

 このメイン・ストーリーに、M.デイモンがDVで追いつめられている人妻を助けるという、少々「派手な」サイド・ストーリーが絡むところに少々違和感を感じながら、筆者は、本作を最後まで観たのであるが、その映画の最後の「どんでん返し」の皮肉に、後から監督はF.F.コッポラであり、しかも彼が脚本を書いていることを知り、F.F.コッポラであればこそ、この凡庸なストーリーの最後に、ある種の人生の叡智を感じさせるテイストを表現できたのであると、映画鑑賞後に改めて、逆に「感心」したのであった。

 本作の原作は、アメリカン人ベストセラー作家John Grishamジョン・グリシャムの同名の作品である。Rainmakerとは、シャーマニズムの世界で、乾燥期に雨が降らずに困っているいる時に、雨を降らせる術を心得ている人物を「レインメーカー」と呼んでいるそうで、英語世界では、更にその意味が派生して、大金を雨のようにどこからともなく降らせてくれる魔術師的人物、例えば、多額の寄付金をよく集められる人物や、本作との関係で言えば、裁判に勝って高額の賠償金を勝ち取れる有能な弁護士のことをそのように呼ぶと言う。という訳で、この派生的な意味を知っていないと、本作での最後の皮肉な展開がしっかりと「オチ」として落ちない。この点、筆者自身にも良い案が浮かばないのではあるが、邦題として何か別の題の付けようがあったのではないか。

 大体J.グリシャム作品は、「法廷もの」と呼ぶには、その法廷外でのストーリー展開が大きすぎて、その分、法廷内での法理論争のロジックが弱いように思われる。J.グリシャム作品の映画化第一作『ザ・ファーム 法律事務所』(1993年作)は、法廷よりもマフィアと絡む法律事務所がテーマである。同じく1993年作で、若い法学生の主人公を演じた女優J.ロバーツの出世作となる『ペリカン文書』も法廷内論争というよりは政治サスペンスである。因みに、J.ロバーツ主演の法廷ものとしては、『エリン・ブロコヴィッチ』(St.ソダーバーグ監督、2000年作)があり、環境問題訴訟で史上最高額の和解金を勝ち取った、彼女こそ「レインメーカー」となる作品がある。

 1990年代は、J.グリシャム作品の映画化が立て続けに行なわれる時期と言え、1994年には、夫に裏切られた中年女性弁護士(S.サランドン)が少年の依頼人を弁護するという作品『依頼人』が発表される。その二年後の96年には、映画化されたJ.グリシャム作品の中では最も早い1989年発表作品の映画化作品『評決のとき』と、『チェンバー/処刑室』とがあり、本作の『レインメーカー』は、J.グリシャム原作が映画化された六本目の作品となる。

 本人の経歴で初めての主役を演じたM.デイモンが、大学出たての若い弁護士役を初々しく演じるのと対照的に、自らの弁護士としての経験を生かして、裁判に重要な情報を漁りだしてくる中年弁護士(Danny DeVetoの役)の存在が、筆者には「いぶし銀」のように光って、本作に深みを与えている。

2024年6月4日火曜日

レッド・オクトーバーを追え!(USA、1990年作)監督:ジョン・マクティアナン

「潜水艦映画」というジャンルは、潜水艦という閉鎖された空間でストーリーが展開するところにその特異性があり、艦が沈めば、艦内の乗組員は、まずは死からは逃れられないという、潜在的ではあるが、恒常的な不安に付きまとわれていることにも、更なる特異性があるジャンルである。

 この緊張感の上に更にストーリー上でそのサスペンスを高めることができるのが「潜水艦映画」の特長である。その可能性としては、A.艦内での乗組員同士の人間的葛藤を描く、B.敵の潜水艦との、或いは、潜水艦の「天敵」たる敵の駆逐艦との戦闘を描くもの、などがあり得る。

 上述の、潜水艦内の閉鎖された空間での乗組員の生活、そして、その緊張・不安を描いた傑作は、ドイツ人ヴォルフガング・ペーターゼン監督の、1981年作の西ドイツ映画『Uボート』であろう。(「U」は、「ユー」ではなく、ドイツ語式に「ウー」と発音したい。)

 一方、上述のB類型に当たる傑作がある。即ち、ドイツのUボートと、USAの駆逐艦の、南大西洋における「頭脳戦」を描いた作品『眼下の敵』(1957年作)である。監督は、アメリカ人ディック・パウエルで、USA駆逐艦の艦長をロバート・ミッチャムが、Uボート艦長をドイツ人クルト・ユルゲンス(Curd Jürgens)が演じて、両艦長の知力を尽くした戦いが、終盤には両者の「敬意」に変わっていくヒューマニズムが描かれて、この作品は、単なる戦争映画に終わっていないところがいい。

 上述のA類型に当たる傑作が、イギリス人監督トニー・スコット(あの有名な監督リドリー・スコットの兄弟)が1995年に撮った『クリムゾン・タイド』(脚本のリライトは、Q.タランティーノ)である。大量破壊兵器を搭載するUSAの原子力潜水艦アラバマ内で、ソ連崩壊後のロシアで軍事反乱が起き、今にも第三次世界大戦が勃発するやも知れないという政治状況を背景に、白人の、下から実力で積み上げた艦長(G.ハックマン)と、黒人でエリート大学出身の副長(D.ワッシングトン)との人種的対立を含めた、個人的な職権争いは、それが第三次世界大戦を引き起こすかもしれない可能性も含めており、誠にスリリングな、二転三転のストーリー展開を遂げる。

 以上の作品と比較すると、本作は、同じ潜水艦映画でありながら、ストーリー展開が凡庸であり、しかも、ソ連の最新鋭原潜の将校達の多くがUSAに政治的亡命を既に誓い合っているという、極めて信じがたい状況を前提としており、そのストーリー展開が始めから「眉唾物」である「ハンディキャップ」があるのが、痛い。さすがに、名優ショーン・コネリーの演技力で、何とか説得力が保たれているが、ロシア側の潜水艦同士の魚雷戦は、CGを使った特撮であっても、結果が見えているので、迫力が半減している。それは、本邦の、1996年作のTVアニメ映画作品『沈黙の艦隊』のサスペンスよりも劣っているかもしれない。

 さて、本作の主人公が操る潜水艦「赤い十月」号に随行する政治将校は、艦長S.コネリーに殺害されるが、この政治将校の名前が、イワン・プーティンである。果たして、本作の脚本家達は、この歴史的風刺を予感していたのであろうか。

2024年5月30日木曜日

大列車作戦(USA、仏、伊合作映画、1964年作)監督:ジョン・フランケンハイマー

 時代は1944年8月のことであり、場所は、第二次世界大戦中のフランスである。B.ランカスターが何か「異星人」のような感じで、周りのフランス人から浮き上がっている雰囲気が否めないのではあるが、脇を固めるフランスの俳優陣の演技で、このB.ランカスターが醸しだす「違和感」は、映画の中盤までは何とか抑え込まれていると言えよう。このような戦争アクション映画作品に、あのフランスの性格女性俳優J.モローが登場していることの意外さもさることながら、とりわけ、レジスタンスの一員ではないのであるが、サボタージュ工作に加担し、そのサボタージュの犯人と見破られて、駅構内で即決裁判で銃殺されるフランス国鉄機関士“Papa“ Boule(ブール「父つぁん」)を演じた、フランス映画の怪優の一人Michel Simonの存在が本作ではとりわけ印象的である。

 このように、B.ランカスターの思惑もありながらも、本作にはフランスの映画資本も投入されており、それ故に、本作は、英語版とフランス語版が存在する。そして、その制作行為は、フランス国有鉄道SNCFの鉄道員達が、第二次世界大戦中に対独レジスタンスで払った犠牲へのオマージュでもあったことであろう。鉄道網再編によるSNCFフランス国鉄の設立は正に1938年であり、それは、第二次世界大戦勃発の前年である。

 René Clément監督の作品『禁じられた遊び』(1952年作)で描かれたように、1940年5月にはナチス・ドイツがフランスに侵攻し、北部フランスがナチス・ドイツの占領下に入ると、南部フランスにはナチス・ドイツの傀儡政権と言ってもいいヴィシー政権が出来上がる。一方、イギリスに亡命したドゴール将軍の下、「自由フランス政府」が存在しており、その命を受けて、占領下のフランスには対独レジスタンスが『影の軍隊』(Jean-Pierre Melville監督の1969年作品の題名)として存在し続けたのであった。B.ランカスター演じるところのラビッシュもまた、この対独レジスタンスの一員であったのである。

 しかし、このナチス・ドイツによるフランス占領も、1944年6月の、所謂「ノルマンディー上陸作戦」以降、ヨーロッパに西部戦線が出来ると、同年の8月中旬にはパリ市民の蜂起が起こり、同月下旬にパリが「解放」されることになる。作中のドイツ国防軍将校フォン・ヴァルトハイム大佐は、このパリへ連合軍が迫る中、フランス国民の「魂」たるところの絵画芸術作品をドイツ本国に略奪・移送しようとしたのである。しかし、このストーリーの背後には実は、北フランス占領中における体系的な、ナチスによる芸術作品略奪の史実があるのである。

2024年4月29日月曜日

ミーン・ストリート(USA、1973年作)監督:マーティン・スコアセスィ

 本作の監督Martin Scorseseマーティン・スコアセスィは(「スコアセスィ」は、ウィキペディアによると、本人のシチリア方言に基づく発音)、本作の舞台でもあるニューヨーク市マンハッタン島最南端にある、いわゆる「リトル・イタリー」で育った人間である。そのリトル・イタリーは、19世紀には日中でも陽が差さない貧民窟街で、貧しいイタリア・シチリア移民がUSAにやってきて住んでいた移民居住地であった。このことから、英語の原題『Mean Streets』が名付けられる訳である。英語のmeanとは、色々な日本語訳があるが、「卑しい、むさ苦しい、下品な」などの意味合いで使われる言葉である。そして、こういう場所には組織犯罪組織が蔓延ることになり、イタリア系と言えば、それは、当然、「マフィア」組織がこの「リトル・イタリー」を牛耳ることになる。フィルモグラフィーによると、M.スコアセスィの「マフィアもの」は、本作がその第一作になると言う。

 本作の冒頭からは、ハーヴェイ・カイテルが登場し、役柄のイタリア人らしく、教会で自問する場面が出たりしてきて、彼が主人公なのであろうと思い込んで、エンディング・ロールを見ていると、助演であると思い込んでいたロベルト・デ=ニーロの名前がH.カイテルより先に出てくるので、意外の感があるのであるが、そのR.デ=ニーロもまた、リトル・イタリーで育ったと言う。つまり、本作は、脚本も共作しているリトル・イタリー育ちの監督が、同郷の俳優を使って1970年代初頭のリトル・イタリーを描いた、地誌的ドキュメンタリー性を持った作品であると言えるのである。

 さて、1942年生まれのM.スコアセスィは、1960年代後半にニューヨーク大学で映画学を学び、その修士課程の卒業制作を基に制作した初の長編映画が、『ドアをノックするのは誰?』(1969年作)であった。この作品にM.スコアセスィは、実は、既にH.カイテルを主演に使っていたのである。あるイタロ・アメリカンの宗教的生活感をテーマとしたこの映画は、インディペンデント映画界で注目されることとなり、こうして、ある女性Hoboホーボー、つまり1930年代の渡り鳥労務者の運命を描いた次作『明日に処刑を…』(1972年)を監督することになるが、この作品が期待した程の評価を得られなかったことから、M.スコアセスィは、「原点回帰」として本作『ミーン・ストリート』(1973年)を監督し、本作に再びH.カイテルを出演させる。本作は、ウィキペディアによると、映画批評家から大絶賛を受け、興行的にも製作費を上回る成功を収めた言う。こうして、本作が機となり、M.スコアセスィとR.デ=ニーロとの共作が始まることになる。この三年後に二人の活動は実を結ぶ。つまり、R.デ=ニーロが主演した『タクシー・ドライヴァー』である。映画『Mishima』を後に撮ることになるポール・シュレイダーが脚本を書いたこの作品は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞するのである。

 さて、本作の冒頭では、H.カイテルやR.デ=ニーロらの一応の人物紹介が行なわれるが、本作は、その後のストーリー展開としては、余り起伏がなく、むしろ、マフィア組織の下っ端のH.カイテルが友人として面倒を見ている奔放で殆んどアナーキーなR.デ=ニーロが博打絡みで首が回らなくなり、追いつめられていく過程を、リトル・イタリーを背景として描くもので、観ている方がR.デ=ニーロの自堕落さに嫌気がさして、映画の中盤では中だるみ感がする作品である。M.スコアセスィ映画の特徴的な動くカメラは、ここでも発揮されているが、それにしても、この映画が映画批評家から大絶賛を受けた理由が筆者には中々理解できない。恐らくは、イタロ・アメリカンの人口が現在ではより縮小し、この地域が「リトル・チャイナ」化しているらしいので、消えつつある、かつてのリトル・イタリーのイメージへの郷愁が、本作の地誌的な記録性と相まって、映画評論家達を喜ばせたのかもしれない。実際、ウィキペディアによると、本作は1997年に、「文化的、歴史的、ないしは美学的に」重要な作品として、アメリカ議会図書館にあるNational Film Registryアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

2024年4月3日水曜日

十戒(USA、1956年作)監督:セシル・B.・デミル

 Cecil B. DeMilleセシル・B.・デミルは、1881年にUSAで生まれた映画監督、映画プロデューサーで、1910年代から監督作品を発表し、アメリカの初期の映画史に影響を与えて、「史劇の巨匠」と言われいる。その名声に相応しく、1956年制作の、聖書史劇とでも言える本作が、撮影当時75歳であった彼の遺作となった。実は、デミルは、本作の約30年前に撮った『十誡』(1923年作)を自分でリメイクしたことになる。

 その名称からすぐ分かる通り、本作は、旧約聖書の『Exodus出エジプト記』をハリウッド的に映画化したものであるが、エジプトでのロケーション撮影も行なわれ、撮影機材がMitchell VistaVisionカメラで、撮影素材がTechnicolorと来れば、是非、映画館でのリバイバル上映で観たいものである。映画史上有名な紅海が割れて、ヘブライ人が紅海の底を渡る場面は、以下の『出エジプト記』第十四章の引用部分に対応する。

21モーセ(のべ)ければヱホバよもすがら強東風をもて退(しりぞ)かしめ陸地(くが)となしたまひてれたり 22イスラエルの子孫(ひとびと)けるくに彼等右左(かき)となれり 23エジプト(びと)パロ(ファラオ)馬車(むまくるま)騎兵みなそのにしたがひて() 24にヱホバとの(うち)よりエジプト軍勢エジプト軍勢まし 25其の車(はづ)して行くくならしめたまひければエジプト人言我儕(われら)イスラエルをれて(にげ)はヱホバかれらのためにエジプトへばなりと 26にヱホバ、モーセに言ひたまひける(のべ)をエジプトとその戰車(いくさぐるま)騎兵らしめよと 27モーセすなはち(のべ)けるに夜明けにおよびて(もと)勢力(いきほひ)にかへりたればエジプト人之(むか)ひてたりしがヱホバ、エジプト(なげう)ちたまへり 28流れ反りて戰車(いくさぐるま)騎兵イスラエルのにしたがひてにいりしパロの軍勢へり一人れるあらざりき 29(され)どイスラエルの子孫(ひとびと)けるみしがはその右左(かき)となれり 30斯くヱホバこのイスラエルをエジプトよりひたまへりイスラエルはエジプト海邊死にをるを見みたり 31イスラエルまたヱホバがエジプト爲したまひし大いなる(わざ)見みたり(ここ)於いヱホバをヱホバとその(しもべ)モーセをじたり。」

 この年のアカデミー賞では、本作は、作品賞、撮影賞、美術賞他、七部門でノミネートされ、担当のJohn P. Fultonが特殊効果部門で受賞した。

 しかし、俳優陣もそうであるが、アカデミー賞に七部門もノミネートされる作品で、脚本賞がノミネートもされなかったのは、意外と言えば、言える。とは言え、私見、テーマに関連する著作を参照しながらも、『出エジプト記』を土台として書かれた本作の脚本には、なるほどよく練ってあると思わせる部分がある。モーゼの出生の秘密とその生い立ち、そして、それに絡む、「異母兄弟」たるラムセスと、そのラムセスの第一王妃となるNefretiriネフェルタリとモーゼとの関わりである。

 そこで、後にラムセスII世となるラムセスの存在にフォーカスを絞って、古代エジプト歴史を簡単に復習してみよう。

 紀元前3100年頃から紀元前4世紀までの約三千年の間の長い、古代エジプトの歴史は、初期と末期を除くと、古王国、中王国、新王国、その間に中間期が同じく三回入り、この中間期の王朝も通算すると、最初から最後までで31の王朝があった。

 その内の、第18王朝から第20王朝までが、新王国時代の王朝で、紀元前16世紀から紀元前11世紀までの合計約500年間の統治期間を指す。この新王国時代に古代エジプト文明は最も栄えたと言われるが、その中でも、第18王朝の最後のファラオの下その宰相であったラムセスI世が第19王朝を創始した後、その次代のSethiセティI世を経て、第19王朝第三代のファラオとなったラムセスII世の統治下に、古代エジプトは対外的にも最も繫栄し、それ故に、ラムセスII世こそは古代エジプト史最大のファラオと言われている。本作の、モーゼと並ぶ、Yul Brynner演じるところの主役の一人となるRamessesラムセスである。

 ラムセスII世は、24歳頃で即位した紀元前1279年頃から紀元前1213年頃までの66年間にファラオとして在位し、90歳前後で没したと言われている。「Ramessesラムセス」という誕生名は、ウィキペディアによると、「ラーは彼に生を与えた者」という意味の「ra-mes-sw」のギリシア語読みで、即位名の「ウセルマアトラー・セテプエンラー(User maat Ra-Setep en Ra)は、「ラーのマアト(正義、真理、宇宙の秩序の意)は力強い。(彼は)ラーに選ばれし者」を意味すると言う。正に、神に愛でされし者として、古代エジプト人の平均寿命の約二倍の長命であり、体格は、古代エジプト人の平均身長が165㎝程であったのと較べると、約180㎝と異常に高かった。実際に、彼のミイラが現在も保存されており、現代科学の分析によると、彼は、赤毛であったと言う。

 さて、この古代エジプトの最盛期を築くファラオとなるラムセスは、紀元前1303年頃、ファラオ・セティIの王子として生まれた。この王子ラムセスはセティI世の長男ではなく、実は、彼には名前不明の王太子の兄がいたとされるのである。しかし、ある時点でその王太子の記録が全部消されて、壁画自体も弟の姿に変えられたということであり、この不明な部分にモーゼの出生の秘密と王族としてモーゼが成長したというプロットを創り上げたのは、本作の脚本家グループの上手いところである。

 しかも、これに、ラムセスの最初の王妃となるネフェルタリを絡ませる。即ち、ラムセスは、実は、既に彼が十歳代の前半の時期に政略結婚により、上エジプトを代表するネフェルタリと結婚したのである。これを脚本家グループは、後ろにずらし、Anne Baxterアン・バクスター演じるところのネフェルタリが、ラムセスよりはむしろモーゼに心を寄せる、メロドラマに必要な存在としたのである。こうして、本作の前半は、メロドラマ的緊張感を伴なって展開する。

 尚、本作製作当時の教会史家は、『出エジプト記』に登場するファラオがラムセスII世であったと推定していたが、現在では、ラムセスII世の次のファラオ・メルエンプタハであった可能性が高いとされていて、ラムセスII世を旧約聖書中のファラオと同一視する見方は少なくなっていると言う。

2024年2月10日土曜日

忍びの者(日本、1962年作)監督:山本 薩夫

 石川五右衛門が「忍者」であった、この意外な取り合わせに少々メンと食らった。あの「天下の大泥棒」がどうして忍者であったのか。そのことを調べてみる必要があると思った。

 一方、原作を書いたのが、村上知義である。筆者が思っていたのは、この「大衆作家」の作品、ただの「娯楽」小説と思っていたのであるが、こちらを調べてみると、本作の原作が1960年の作品で、しかも、これが、新聞連載小説として、日本共産党の機関紙『赤旗』の日曜版に1960年から62年まで載せられていたものであると言う。単なる「娯楽」小説が、どうして共産党の機関紙の連載小説になり得たのか。そこから、本作の「不思議」を紐解いてみる必要があろう。

 ウィキペディアによると、村上知義は、こんな人物である:

「村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。」と、非常に多才な人物である。

 彼は、1920年代にベルリンに留学し、ドイツの表現主義や、「構成主義」芸術に心酔し、日本に帰国して、前衛芸術集団「Mavo」を結成して、当時の日本の前衛芸術集団を牽引する。美術からの関係から、まず演劇の舞台装置制作に関わるようになり、20年代半ばには表現主義的舞台作品の監督をするようになる。前衛芸術という観点から次第にマルクス主義に接近するようになり、左翼的演劇集団に関わり、また、この時期に最初の小説集『人間機械』を発刊する。こうして、彼は、労農芸術家連盟のプロレタリア芸術運動と、前衛芸術家同盟のアヴァンギャルド芸術の間を揺れ動く。20年代末には、結局、左翼芸術運動により関わることとなり、1930年、治安維持法で検挙される。その後は、再度、日本プロレタリア文化連盟設立などにコミットすることで、33年年末に再度検挙され、転向する。転向して翌年の5月に「転向文学」のはしりと言われる『白夜』を発表する。転向したとは言え、戦時中における「良心的」な演劇運動の一翼を担ったのが、村山であった。同時に、この時期に大衆小説的な作品『新選組』を上梓しており、この「路線」が、のちの「忍びの者」シリーズの発表に繋がっていくのである。

 こうして見ていくと、なるほど、村山作品が共産党の機関紙『赤旗』に連載されるのは何も可笑しくないように見えるが、それでも、「天下の大泥棒」五右衛門と『赤旗』の結び付きに「整合性」はあるのであろうか。

 さて、日本映画の父と言われる牧野省三が1926年に撮った作品に『快傑夜叉王』という、のちに『旗本退屈男』シリーズで有名になる市川右太衛門が主演した映画がある。元々は、この作品は、「石川や浜のまさごは尽きるとも。世にぬす人のたねや尽きまじ」という辞世の句を詠んだという『石川五右衛門』と命名されるはずであった。しかし、これに検閲が入って、現在あるような題名になったのであるが、この検閲に入った理由が「面白い」:

 「当初『石川五右衛門』のタイトルで製作するが、義賊ということで、検閲官から題名変更を要求され、『怪傑夜叉王』となった。

 1926(大正15)年の『キネマ旬報』3月号(220号)では、『…石川五右衛門は共産主義者であると云うその筋の見地から題名及び役名から内容まで制限されて漸く許可された所謂問題の映画である…』と記されている。」(2019年の京都国際映画祭のサイトからの引用)

 「石川五右衛門が共産主義者である」という、検閲当局の判断が意外ではあるが、それ程、戦前・当時における検閲が厳しかったことの証左でもある。「義賊であれば共産主義者」と、当局がそう判断する程までに、体制内における「異端者」に「危険な臭い」を嗅ぎ取っていたのである。となれば、本作における、石川五右衛門と呼ばれる忍者が、当時の権力構造に抗して、最後には、自らの幸福を求めて、妻の許に走って行く、嬉々とした姿が、なるほど、忍者-石川五右衛門-民衆的存在-赤旗日曜版、というラインに繋がるのである。こう見ると、織田信長が単なる暴力的で残虐な権力者と描かれるのも無理はなく、この点でも「筋」が通っている。

  さらに、五右衛門と忍者の絡みでは、「怪優」伊藤雄之助が二役を演じた一方である百地三太夫の存在が、その絡みをつなぐ。百地三太夫は、伊賀国の郷士で、五右衛門に忍術を伝授したということになっている。ウィキペディアから引用すると、

 「三太夫は安土桃山時代ころの人物で、孤児であった五右衛門に忍術を授けたが、後に悪心を起こした五右衛門に謀られて愛妾と妻を殺害されたうえ、大金を奪われて出奔」されたと言うことになっている。

 つまり、三太夫とは架空の人物であり、今日、往々にして、百地丹波という実在の人物と混同されていると言う。この丹波こそが、第一次天正伊賀の乱で、信長ではなく、その次男である信雄(のぶかつ)と1578/79年に戦って、織田軍を退けた人物なのである。

 以上、史実と虚構をないまぜにしてストーリーを構築するのが、歴史小説家が小説を書く上での「醍醐味」であるとすれば、映画においては、その「醍醐味」は、脚本家によってさらに高められると言えるであろう。この「醍醐味」に加えて、子供の忍術ごっこの荒唐無稽性を飛び越して、忍法の技をリアリスティックに描こうとする、「大人の映画」への脱皮が、本作が大ヒットした要因となる。こうして、本作は、永田雅一・大映が放つ「忍者もの」シリーズ『忍びの者』の第一弾となり、石川五右衛門は、さらに、霧隠才蔵一世・二世、霞小次郎と生き延びて、第八弾(1966年作)まで続くことになるのである。

2024年1月28日日曜日

アレース Arès (フランス、2016年作)監督:ジャン=パトリック・ベネス

 「SF」とあると、観たくなってしまう筆者である。故に、本作を観てしまった。観た時間が勿体なかったかなと、少々「後悔」をしているが、一旦観始めたら、最後まで観るタイプなので、本作も、途中で観るのを止めようとは思うほどではなかったが、やはり最後まで観てしまった。おフランス製SFと聞いて、もう少し「おしゃれな」作品を期待したのであるが。

 本作のストーリーは、近未来・ディストピーSFで、時代設定は、2035年である。本作の制作が2016年であるので、これは、約20年後の、将に来るべき「将来」である。場所は、おフランス製SFであるので、当然、フランスである。しかし、ヨーロッパ共同体が、もはや存在しなくなっているのであろうか、フランス国家自体が統治能力を失っていた。それは、赤字国債の発行のし過ぎで、フランスは巨額の負債を抱える赤字財政国家となり、その赤字を埋めるために、政府は、製薬関係の多国籍企業に借金をせざるを得なくなったことによる。こうして、政府は、債権者である製薬会社の都合のよいように、人体実験と、精神刺激剤投与、つまり「ドーピング」を「自由化」する。

 一方、一般大衆は、1500万人に及ぶ失業者数と、高いホームレス化に苦しんでいた。それ故に、「体制側」は、暴動を恐れて、銃器の所持を禁止しており、武器携行が見つかれば、厳しい処罰を受けるものとしていたのである。

 こうした苦しい現実から大衆が逃避するためには、「娯楽」しかなく、それは、テレビで放映される、混合フリースタイル格闘技に金を賭けて一攫千金を夢見ることである。しかも、登場する格闘技者の後ろ盾には、ドーピング剤を提供する巨大製薬会社が付いており、ドーピング剤の効能を巡って、各巨大製薬会社は、しのぎを削っていて、「スポンサー」として、自社がドーピング剤を投与した「選手」が勝つか負けるかは、同時に、その会社にとっての命運が掛かっていたのである。

 本名Redaレーダ、選手名Arèsアレースは、このような格闘技選手の一人である。かつては、一流選手の一人であった彼は、投与された薬剤の副作用で十年前に脳卒中を起こし、それ故、頭の左側にその時の手術の傷跡が痛々しい程はっきり付いている人間である。こうして、今は、しがない三流格闘技家となっており、貧相な高層アパートにある一室に住む住人である。彼は、まもなく格闘技界から引退することを考えており、今までに貯め込んだ金で、キオスクをやりながら、余生を過ごそうと思っていたところであったが、ある製薬会社が、精神刺激・体力増強作用において、画期的効力が期待される新製品を売り出そうとしており、そのために、ランキング下位のアレースがランキング上位者を倒すことで十分な宣伝効果が上がるという目論見で、彼に目を付けたのである。こうして、アレースことレーダの運命は大きく狂うことになり、本作のストーリーは、結末に向けて、更に展開する。

  さて、本作において、ストーリーのセッティングには、それ程、独創性が感じられなかった。近未来社会において、製薬会社がその社会の実権を握っているというプロットは、今までにも飽きる程、見ている。ただ、SFに混合フリースタイル格闘技をぶつける点は、面白い取り合わせで、この点では、SF作品ではないが、2007年作のフランス映画『ザ・スコーピオン キング・オブ・リングス』を思い起こさせる。フランスでは、どうも混合フリースタイル格闘技というのは隠れた人気があるようである。

 また、主人公と少女の関わりという点では、同じくフランス映画で、『Lèonレオン』(Luc Bessonルック・ベソン監督、1994年作)がある。この作品では、ニューヨークを舞台に、ある殺し屋(ジャン・レノ)と、麻薬密売組織に家族を殺された少女マティルダ(ナタリー・ポートマン)との交流が描かれる。本作では、主人公の姪っ子(Éva Lallier)が「マティルダ」に当たる。目がくりくりとして、髪の毛をピンク色に染めた、恐らくは、アニメ的造形対象で、一般的観衆には「可愛い」と言えるタイプに見え、この点で、若干、日本人的趣味への迎合が思わされる。

 さて、本作に登場する人物で、興味深い役柄(Micha Lescotミシャ・レスコー)がある。同じくL.ベソン監督作品『仏題:Le Cinquième élément 第五の元素』(1997年作)で印象的な存在だった「Ruby Rhodルビー・ロド」を思い起こさせる人物である。Rubyは、女装のクロス・ドレッシング人間で、ハイトーンの高音の声に、高速の口調であり、口癖が「Oh, my god!」である。本作における「Ruby」は、主人公が住む部屋に、フロアーを隔てて、斜め向かい側に住む住人で、女装のクロス・ドレッシング人間である。ただ、Rubyとは異なり、アンニュイな感じを与える存在である。さすがに2016年制作ということで、時代に対応した「仕掛け」になっており、「彼女」は、自分の部屋にカメラを備え付けており、自分の生活様態をオンライン・ストリーミングで配信して、生計を稼いでいるという設定である。この登場人物が、本作において、筆者には一番興味深い存在であった。因みに、「彼女」の名前は、「Myosotisミュオソーティス」という。気になったので調べてみると、この名前は、ギリシャ語から来ており、「二十日鼠 (myos) + 耳 (otis)」が語源であると言う。この言葉は、植物の学名にもなっており、「忘れな草」属は、葉から茎まで軟毛に覆われており、このような葉の、細長く多毛で柔らかい様態が、ネズミの耳に似ていることから、その名称が来ているという。ここは、本作の脚本家(監督を兼ねるJean-Patrick Benesと、監督とよくコンビを組むAllan Mauduit)が工夫を凝らした点であろうか。

 と言うことで、ギリシャ語との関連で言えば、「Arès」もまた、ギリシャ語、更に言えば、ギリシャ神話と関係のある名称である。しかも、このギリシャ神話の神のことを知っていることは、本作のストーリー展開を理解する上で、その一助になると思われるので、そのことについて一言、ここに記しておこう。

  Arèsとは、ギリシャ語をラテン語に表記して、「Ares」となるところから来ている。「アレース」、或いは、「アーレース」と読む。「アレース」は、ゼウスの子で、軍神である。彼は、巨体で美青年の姿で想像されるところからか、愛の女神アプロディーテーの情人、或いは夫であるとされる。アレースは、同じく「戦いの神」であるアテーナーが女神であるから、これとの好対照となる存在で、アテーナーが、一方で知性の女神であるところから、戦いにおける知略を象徴するとすれば、アレースは、戦いにおける暴力、それも「無思慮な暴力」、「暴力のための暴力」を象徴すると言う。こう見てくると、本作におけるアレースが、混合フリースタイル格闘技家である所以も、頷けるところである。

2024年1月16日火曜日

Perfect Days(日本/ドイツ、2023年作)監督:ヴィム・ヴェンダース

 主人公・平山の趣味が、1970年代のポップスをカセットテープで聴いたり、アナログ・カメラで白黒写真を撮ったりすることなどであること、また、平山が見る夢が、W.ヴェンダースの妻ドナータ・ヴェンダースの、モノクロのDream Installationsとして、作品に挿入されていることなど、映画人としてのW.ヴェンダースの作品制作上の「趣味」が、本作にはしっかりと反映されている。また、W.ヴェンダースの「強み」である、街の中をロードムービー的に歩き回る「ドキュメンタリー性」は、既に彼の1985年作のドキュメンタリー作品であり、巨匠小津安二郎へのオマージュでもある『東京画』で、東京都内を使って、実験済みであるところから、その時の「実験」は、今回でも、平山の車での移動の場面でも手堅く活かされている。

 W.ヴェンダースが、ストーリー展開において一本筋を通してストーリーをしっかり最後まで語ることに得意ではない点は、今回、日本語が出来ないW.ヴェンダースを助けて、共同脚本家として日本人の高崎卓馬が関わったことにより、よくその欠点が補われており、高崎との共作は、本作において、極めて幸運に働いたと言えよう。

 演歌歌手の石川さゆりが、イギリスのバンドThe Animalsがフォーク・ロック調で歌って1964年にヒットさせた『The House of the Rising Sun』を日本語訳で、しかも、自称演歌好きのシンガーソングライターの、あがた森魚(1972年のヒット曲は『赤色エレジー』)のギター伴奏で、歌ったという「楽屋内のオチ」は、日本人でなければ分からないものであるはずで、この点においても、W.ヴェンダースへの高崎卓馬の協力は成功していると言える。

 因みに、この歌の日本語訳は、ジャズ・ブルース歌手浅川マキが翻案したもので、本作の上映により、彼女の存在に日本人が再び注目することになれば、これまた、よいことである。元々は、北アメリカ民謡である『The House of the Rising Sun』は、歌詞には色々なヴァージョンがあり、The Animalsのヴァージョンでは、飲んだくれの賭博師とお針子を両親に持つ、ある男が結局、自分も犯罪者となってニューオリンズに戻ってくる運命を歌っているのに対して、浅川マキは、The House of the Rising Sunを、「朝日楼」という女郎屋にし、男に捨てられた、ある女が、落ちぶれて売春婦となり、ニューオリンズに流れてきた悲しい運命を歌ったものであった。この「ブルース」を、演歌歌手の石川さゆりに歌わせるいう、「ブルース・ミーツ・演歌」の思い付きは、筆者には、中々悪くない試みと言える。

青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己

 冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる:  「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...