人間のエロスを耽美主義的に描いた谷崎潤一郎の、この原作が発表されたのが、1928年ということを念頭に置くと、そのストーリーの「現代性」に、意外と驚かされる。既に「モガ」が横行していたこの時代、確かに「自立した女性」と言うまでではないが、気の弱い夫を尻に敷いて、好き勝手に絵を描くために美術学校に通う主人公が興味深い。小説では、恐らくは谷崎自身とでも言える「先生」に主人公園子が延々と独白するというストーリー展開である。その饒舌なモノローグが表記されている言葉は、大阪弁であるが、関西出身の女性の友だちに聞いたところによると、「大阪のいいとこ」のお嬢さんが使う大阪弁であると言う。関東人である谷崎がよくここまで大阪弁をものにしたとも思うが、実は、彼の書いたものをきちんと大阪弁に校正し直した大阪人女性がいたのであると言う。むべなるかなである。しかも、東北人である筆者にはこんな大阪弁が誠に色っぽい。
しかし、映画の「テースト」と比べて、原作を読んでいても、そこに「可笑しみ」というものは感じられないのである。ストーリー自体は、レズビアン「趣味」と、二重の三角関係の交錯、そして、社会的制裁を恐れての、自殺と重い話なのではあるが、映画化された本作には、そこに何か一種の滑稽味がストーリーの最初から最後まで絡み付いているのである。これは、ほぼ室内劇に仕立て上げた脚本(新藤兼人)の勝利であろう。監督は、イタリアに留学し、そこで映画についての論文までもものにした増村保造である。この理論家肌の監督の意を受けて、その制作意図を、誇張しながらも度を越さずに、確実に形象化した俳優陣にも本作制作上の、もう一つの功績があると言わねばならない。そのカルテットとは、胡散臭い綿貫を演じた川津祐介、ちゃっかりした、「女王様」光子を演じた若尾文子(同様の造形は、溝口監督の『赤線地帯』でも)、そして、秀才肌だが、生活力が無い柿内孝太郎を演じた船越英二、さらに、わがままで少々ヒステリー気味の園子を演じる岸田今日子の四人組である。とりわけ、自分が操っていると思い込んでいて、しかし最後は「アホ」なくじを引かされた園子を演じた岸田の演技力に満腔の賞賛を送りたい。岸田は、本作と同年に出来た、勅使河原宏監督作品『砂の女』でも大役を演じており、蓋し、1964年とは、彼女の映画女優経歴の中でも、最も有意義で、多産の年だったのではないだろうか。拍手!
2022年7月31日日曜日
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