2022年7月29日金曜日

ラスト、コーション 色・戒(台湾、香港、USA、2007年作)  監督:アン・リー



「この世界の果てから最遠の海原まで
私は探す、私を分かってくれる一人の男(ひと)を...」

と、何回か熱い肉体関係を結んで、男の膚の温もりを忘れられなくなっていたヒロインは、1920、30年代以来モダンで、「東洋の巴里」とも「魔都」とも呼ばれた上海租界地にある、ある日本料亭の座敷で、一人座る、その男の前で歌い始めた。

 歌は、『天涯歌女』といい、上の歌詞に続けて、遠く離れた男を想いながら、辛い思いをしながらも愛を貫くことを謳い、次のように歌い終える:

「私は、糸のよう、貴男は、針のよう。
私の最愛の人よ、私達は、この糸と針のようで、
何ものも私達を引き裂くことはできないのよ。」


 このヒロイン(中国人女優タン・ウェイ)は、蒋介石の重慶国民政府の特務機関の意向を受けたスパイであり、一方の男(香港人俳優トニー・レオン)は、汪兆銘(中国では汪精衛の名が一般的)が率いる、親日・傀儡政権の南京国民政府の下、上海租界地に本部を置く、特務工作部の長である。この意外な取り合わせがなぜなのか、その経緯と顛末を語るのが本作のストーリーである。

 原作は、中国人女性作家張愛玲Eileen Changが書いた短編小説『色・戒』である。(漢字文化圏にも入る日本で、わざわざ英語の題名にしておく必要はないであろう!「色欲・戒め」と日本人であれば、それなりに推測が付くはずである。)登場人物にはそれぞれ実在のモデルがあり、女スパイには、父親を中国人に、母親を日本人にもつ鄭蘋茹(てい・ひんじょ、または、テン・ピンルー)が、特務工作部部長には、汪兆銘の親日・傀儡政権を防諜部門で支えた中央委員会特務委員会特工総部の丁黙邨(てい・もくそん)がいると言う。実際に、テン・ピンルーは丁を狙うが、暗殺に失敗し、捕らえられて、1940年2月に上海郊外で銃殺されたと言う。享年22歳であった。

 本作のストーリーでは、映画の出だしが1942年の秋、タン演ずるところのヒロインは密命を帯びてT.レオン演ずる、用心深い易(イー)に近づいていた。この冒頭のスピード感ある編集が上手い。タンも入れて四人の女が麻雀の卓を囲んでいる。女四人の話をアングルを変えてぶつ切りにして撮り、次から次へと緊張感を持たせてつなげていく。その時の女たちの表情や目の使い方をカメラはしっかりと捉えていく。2000年にアカデミー編集賞を取っているティモシー・S・"ティム"・スクワイアズ(Timothy S.“Tim”Squyres)の腕が冴えている。彼は、アン・リー監督作品には『ブロークバック・マウンテン』以外の全作品に参加しているという「リー組」の一人である。

 また、撮影監督は、メキシコ系アメリカ人ロドリゴ・プリエトRodrigo Prietoで、彼は、本作で、ヴェネツィア国際映画祭の撮影賞を受賞している。同映画祭では、台湾人監督リーは2005年作の『ブロークバック・マウンテン』につないで二度目の金獅子賞を獲得している。音楽は、フランス人Alexandre M. G. Desplatアレクサンドル・デスプラで、彼は後に二度アカデミー映画音楽賞を受賞することになる。しかし、筆者は、美術監督のJoel ChongまたはKwok-Wing Chongに美術監督賞を与えたいところである。なぜなら、本作では、私見、上海租界地の1930・40年代の雰囲気を上手に再現しているからである。茶館、映画館などの造り、41年作で、ケーリー・グラント主演の二本の映画ポスター、そして、市電などと、事前調査が大変だったことは容易に想像できる。

 出だしからその後のストーリー展開では、一時話を戻して、4年前の1938年となる。37年には日中戦争が勃発しており、タンたちを含む、広東省にあった私立嶺南大学の学生たちは戦火を逃れて香港に疎開することになる。大学生であるということは、彼らは中産階層から上の「お嬢さんやお坊ちゃま」ということになる。嶺南大学は、アメリカのキリスト教長老会によって1888年に設立されたミッション系の大学で、1906年には中国初の男女共学校となり、27年に、私立嶺南大学(Lingnan University)に改名して、それと共に中国人によって学校運営がなされるようになったという先進的な大学である。香港に疎開していたこの時に、タンも入れた6人の学生達が、演劇活動を通じて友人となり、そして、抗日運動にも加担することになる。この抗日運動との絡みで、彼らは当時香港の特務機関で敏腕をふるっていた易を暗殺しようとし、それが未遂に終わっていた経緯があったのである。

 ストーリー展開は今度はその3年後に進み、タンも上海の叔母の所に身を寄せる境遇になっていたが、ここで、再び嘗ての仲間たちに誘われて、タンは、易暗殺のための「ハニー・トラップ」になることを承知をした。彼女は、当時は男女平等を標榜する新しいファッションとして、胸や腰の曲線をタイトに強調し、サイドに深いスリットの入ったワンピース「海派旗袍」(上海風チー・パオ、いわゆる「チャイナドレス」)を装って、易に再び近づく。こうして、映画内の時間系列が映画の冒頭につながるという、中々の「にくい」ストーリー展開となっているのである。

 さて、激しいセックス・シーンで有名になった映画作品と言えば、筆者が思い出せるものとしては、三本ある。1972年のB.Bertolucci監督の『ラスト タンゴ イン パリス』、1976年の大島渚監督の『愛のコリーダ』、そして、1986年のエイドリアン・ライン監督の『ナイン・ハーフ』である。

 性愛の中に実存主義的意義を見つけようとする点では、『愛のコリーダ』をこの三本の中では一押しする筆者であるが、さて、本作を上述の三本と比較すると、その性愛行為の背後には薄っぺらな内容しか見えないのである。日中戦争と重慶・南京両国民政府の防諜戦というストーリーの枠組みはあるのではあるが、それは、恋愛映画ではない、この単純な「性愛」映画をドラマチックに盛り上げるための単なるお飾りの素材でしかないのではないか。本作を観ていて、筆者にはそんな「疑惑」がひしひしと心の中に頭をもたげてきた。

 という訳で、本作の7年前に撮られた、王家衛ウォン・カーウァイ作品の恋愛ロマンス『花様年華』にこそ筆者は断然と軍配を上げる者である。この傑作の男性主人公は、本作同様のT.レオンである。既婚の男女同士の間に芽生える恋愛感情を、両者をいっしょにベッドインさせずに、高揚させる、その、むずがゆいエロティシズムは、その映像美と相まって(キャメラマンはChristopher Doyleとリー・ピンビンの二名)、本作のそれが如何に大胆な、一部暴力的なセックス・シーンを持ってきても到底到達できない、殆ど芸術的な高みを窮めているのである。

 さて、本作は、台湾、USAそして香港の共同製作作品である。制作年は、2007年の、今から約15年前である。日本はようやく平成不況から抜け出そうとしている時期、未だ、リーマンショックやトランプ登場前で、世界で新自由主義のイデオロギーが大手を振って歩けていた時代である。現在の米中対立、更に香港の民主化運動の根絶政策を鑑みる時、本作を観ていて、その前の時代である2007年当時の、ある種の「鷹揚さ」を感じるのは、筆者だけであろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己

 冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる:  「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...