2022年7月17日日曜日

ダンケルク(英、仏、蘭、USA、2017年作) 監督:Chr.ノーラン

 一兵卒から見た戦争とは恐らくいつもこういうものであろう。人は、戦場にあっては、鳥瞰的な視点は取れないものである。


 北海の、大陸側の海岸線を飛ぶスピットファイア。この、翼部分が比較的広く、全体としてバランスの取れた、零戦と比較しても美しい戦闘機と平行に、斜め左上からカメラはその「雄姿」を捉え続ける。この場面を見に行くだけでもこの映画は価値があるだろう。その意味で、IMAX版か70ミリ・フィルムが上映できる映画館で本作を観るべきである。前回観るチャンスを逃した方は、映画館で観られるまで、「禁欲」なさることをお奨めする。

 ストーリー構成は、陸・海・空と場面を交錯させ、しかもそれに時間経過の速さの違いを絡ませるという、イギリス人監督Chr.ノーランに特徴的な時間との「遊び」を使った、中々凝ったものである。しかし、ストーリーの内容としては、「歴史神話」の再生に堕していて、いただけない。対独戦争の緒戦を大英帝国が敗退し、着の身着のままでダンケルク(仏語:Dunkerque;独語:Dünkirchenデュンキルヒェン)から撤退せざるを得なかった状況を、撤退作戦の成功で、国民の団結を象徴するものとして、それを肯定的なものにそのまま読み替えている。これでは、戦前の日本の「大本営発表」と同等である。

 約60キロの距離を乗り越えて、英国側からダンケルクにやってきた民間船の数々。しかし、事実は、この民間船に救助された兵員は、全体の約20%で、残りはやはり軍艦に依ったのであった。このことは、この映画を見ただけでは想像できず、逆に別の印象を与える。また、撤退作戦の成功が、実は、ヒトラーとドイツ陸軍参謀本部との確執、さらに、空軍元帥ゲーリングの大言壮語に振りまわれたドイツ空軍の自己過信にも因っていることをこの映画は語らない。一英国一兵卒の視線から、見えない敵に晒され、空爆によりいつ爆弾が自分の回りで破裂するか分からない状況を示すにはこれでいいかもしれないが、逆に事態の切迫さを矮小化させることにならないか。それを補うためにも、時間を刻む感の、最初は印象的だが、次第に観衆にとっては「騒音」にしか聞こえなくなる背景音楽が必要だったのだろう。殆ど皮肉とも言っていいのであるが、音楽担当はドイツ人のHans Zimmer(ハンス・ツィマー)である。

 この大英帝国国民の団結を象徴する出来事としてのダンケルク撤退作戦「オペレーション・デュナモ」をテーマとする映画を、イギリス人監督Chr.ノーランは2017年という時期になぜ発表したか。本人の政治的立場がよく分からないので、断言は避けたいが、本人の意図とは関係なく、これを時事的に解釈すると、少々穿った意見になるが、本作は、イギリスのEU離脱「Brexit」に伴なう、旧大英帝国の威信回復につながる、アイデンティティーの高揚の役割を演じたことになったのではないか。更に、名優ケネス・ブラナー演じるところの英国海軍中佐の最後の言葉を、「今度は、フランスの番だ。」と意地悪く読み替えれば、これには、英国の眼からして、ナチス・ドイツならぬ統一ドイツに「支配されている」現下のEUからフランスを「救出」して、「Frexit」を遂げさせてやろうというメッセージが秘められているのではないかと勘ぐりたくなるのは、筆者だけではないような気がするが、いかがであろうか。

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