2022年7月27日水曜日

コントラ Kontora(日本、2019年作) 監督:アンシュル・チョウハン

 白黒作品は観たくなる筆者は、「逆走」する男が出てくるトレーラーを観て、本作を観てしまった。143分と長丁場で、後半に入って、ストーリー的な中だるみがあるが、最後は見せる映像を作っている本作は、「過去」とは人にとって何であろうかと考える人には観てほしい作品である。

 題名の『コントラKontora』がなぜcontraなのかを思うに、それは、歴史が、日本的にあいまいに忘却されることに対する「抵抗」の意味をインド人監督Anshul Chauhanがそこに込めているのではないかと推察するからである。ホームレスの男が逆走するのも、この意味から来ると思われる。

 ストーリーは、まず、ある家の中をゆっくり歩き回る老人のシーンから始まる。その老人は軍歌調の歌を口ずさんでいる:

今日も暮れゆく 異国の丘に
友よ辛かろ 切なかろ
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る 春が来る

 後で調べると、この歌は、『異国の丘』という歌である。1948年に流行ったこの曲は、戦後の歌謡曲の作曲界では名をなすことになる吉田正がシベリア抑留でウラジオストック郊外にあったアルチョム収容所にいた時期に、自分が作った、もともとの軍歌に、収容所の仲間の増田幸治が作詞し、シベリアの極寒がようやく溶けて初めての春が訪れた頃の1946年3月に、これを収容所内の演芸会で発表したことが、この歌が生まれた経緯だと言う。この歌は、収容所の他の仲間にも歌われるようになり、その収容所にもいたある一人が復員兵として抑留から戻って、48年、NHKの当時の人気番組「のど自慢素人演芸会」で歌って、注目を集めたことから、ヒット曲となったものである。

 老人は、ある部屋から木箱を取りだし、縁側に近い別の部屋にそれを持っていき、そこでその木箱を開ける。中からは、飛行士用のグーグルが出てくる。革製の飛行帽も出てくる。そして、「戦時記」と書かれた日記のページをめくっているうちに、その老人は亡くなる。戦時記は、1945年1月2日から書き始められており、土浦海軍「空軍」基地の言葉も出てくる。こうして、観る者は、老人が太平洋戦争中、海軍飛行士、性格に言えば、飛行練習生であったことが分かる訳である。

 日記に書いてある、「ドイツ語の本を大声を出して読みたい」という個所から、老人は戦時中、大学の独文学科にいて勉学していたが、1943年11月からの所謂「学徒出陣」で、45年に学徒兵として招集されていたことが分かる。

 海軍土浦航空基地は、茨城県にあり、土浦航空隊は、もともとは、海軍飛行予科練習生(所謂、七つボタンの「予科練」)を訓練している教育部隊で、老人は、ここに、恐らく第15期の「海軍飛行専修予備学生」として招集され、終戦を迎えたのであろう。学徒出陣で、しかも飛行科と言えば、「特攻」で予備士官として戦没したケースが最も多い。老人が入隊する前の、43年の第13期と44年の第14期が戦没者も急増しており、第15期も、敗戦が半年伸びていれば、同じような運命が待っていたであろうことは想像に難くない。

 この、既にこと切れていた老人を見つけるのが、孫娘の「そら」である。母親がなぜかいない家庭で父親に育てられている高校3年生の彼女は、父親との関係がギクシャクしている分、余計に「おじいちゃんっ子」として、祖父への関係も深く、祖父の戦時記を見つけて以来、父親に隠れて、戦時記を「研究」し出す。

 戦時記の中にある手書きのスケッチは、祖父が自ら、恐らく上官に隠れて、描き綴ったものであるが、所々にチラシが貼り付けてある。兵舎でチラシが手に入る訳がないので、恐らくは、戦後除隊してから、時々戦時記に、戦前にどこかで手に入れたチラシを貼ったのであろう。「少国民 皆で飼はう 軍用兎」とか、「電力は戦力」、「富士のフイルム 写真で翼賛」などのチラシが戦前の「匂い」を強調する。チラシの中には、「松坂屋特製 教練銃」という意外なチラシがあり、こうして、戦時記の中に一箇所「鉄腕を埋める」という謎の記述が現れる。
 
 この記述がストーリーをさらに回し、これに逆走の男が絡み、さらには、父娘関係の複雑さがストーリーを、よく言えば「重層化」し、悪く言えば、「拡散」させて、物語りは終盤に収束していく。が、観ていて、なぜインド人監督がこんな作品を撮るのか、疑問が湧き上がる。

 監督チョウハンは、1986年生まれで、2006年にインドでアニメーション制作に関わる勉学を終えた後、2011年に日本に移住し、日本でCG部門で、アニメ制作に関わりながら、2016年、妻の茂木美那と共同で映画製作会社の設立し、2018年に劇映画部門でデビューした後、本作をその二作目として世に問う。本作において、監督、脚本、編集、及び制作を担当し、脚本は妻茂木が翻訳している。映画最後のクレジットでは、本作は、大戦中戦没した学徒兵ともに、自分の亡くなった、自分が見も知らない祖父に対してオマージュされている。

 大日本帝国に関連し、しかも、インド人となると、チャンドラ・ボースがすぐに思い出され、あの、戦前の無責任体制の中(今もそうかな?)、無謀な作戦計画を実行して、無駄に日本将兵を死なせた「白骨街道」のインパール作戦が思い出される。実際、チャンドラ・ボースが率いる、反大英帝国の「国民軍」は、この作戦に参加しており、或いは、監督チョウハンの未だ見たことがないという祖父はこの作戦に参加して、ジャングルの白骨になったかもしれない。そんな余韻を以って本作は、終わるのであるが、その最終の力強い映像イメージは、極めて非日本的であり、その忘却への「反骨精神」は、筆者には、好感が持てる。


 「そら」を演じた女優円井わんは、筆者には、本作における「発見」であり、今後の活躍が属望される。撮影の、Max Golomidovも言及してしかるべきであるが、その内省的な音楽を担当した香田悠真(こうだゆうま)も今後記憶すべき名前であろう。

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