日本社会は、今、戦前に戻りつつある。それも、デモクラシー化が進んだ大正時代ではない。むしろ、明治時代へである。江戸時代は、封建時代ではあったが、法制度は、ぎちぎちには縛ってはいなかった。人が法制度にしっかり縛りつけられるようになったのは、むしろ明治時代の「近代的」法制度が出来て以来であり、とりわけ、女性は、明治時代の「イエ」制度が出来て以来、男性・男系社会に従属させられる存在として甘んじることになる。
明治憲法によれば、四民平等ではあったが、明治社会の中には、しっかりと、身分制度の中に「華族」が存在していた。タイトルの『あのこは貴族』がストーリーに当てはまるのも、また、主人公の名前が「華子」であるのも、「華族」という言葉を思いいたせば、偶然ではないであろう。「花子」では平民過ぎるのである。その平民の子が、「華子」に対する美紀であり、彼女は、富山という「田舎」出身の「平民」なのである。この平民が「間違って」「慶応義塾大学」の受験に受かるが、上級国民の子弟と異なり、金がなくなって、彼女は、大学を中退せざるを得なくなる。そして、身分差別は行ける大学だけではない。東京では、平民と上級国民とでは「棲み分け」がなされているのである。
「貴族」の華子が「平民」の美紀のアパートを初めて訪れた時のことである。華子は感嘆して言う:「こんな風にして、(東京タワーが間近に)見えるんですねえ~。」
同様のことは、華子が結婚することになる「ケーオー・ボーイ」「青木幸一朗」にも言える。彼は、慶応義塾大学に「内から」入り、自宅は、東京のど真ん中の「平屋」である。東京の中のアパートやマンションではない、伝統的な平屋である。それが、何を意味するか?実家の近くには親族が住み、ぬくぬくと小学校から大学まで「慶應」で通してきた彼には、将来には、世襲政治家の運命が待っているのである。
社会学的に実に興味深い観察を見せる本作、「上級国民」の更なる幸福を願って止まないものである。
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