美女を侍らせながら、拳遊び(恐らく、「数拳」といって、指で示す自分の出した、一から五の間の数と相手の出した数を合計して、手を出す時に同時に予想して言った数が当たっていれば、勝ちというゲーム)をする「お大尽」達。拳遊びに負けた者は、酒を飲まなければならない。時は、1880年代半ば、場所は、上海英国租界地の高等妓院区、つまりは上海の花街で、侍っている傾城・美女たちは、「長三」という、「高等妓女」、日本で言えば花魁に当たる娼妓達である。
室内撮影なので画面は暗く、映画の色彩は、燭台に立てられてある蠟燭や、西洋風のガラスの筒の中で燃えている灯油ランプの下、夕日に照らされているような暖かい色合いである。固定されたカメラが、卓の一角から、卓に座っている者達を見据えている。ゆえに、卓に座っている者の一部しか観ている者には見えず、固定されたカメラの首だけをゆっくり動かすカメラは、カットを入れずに、画面を進行させていく。何か催眠術を掛けるようにゆっくりと音楽が背景に流れる。(音楽担当は、映画音楽畑でも活躍するミュージシャン半野喜弘で、台湾、中国の監督との協作も多い。)
テーブルについている、お大尽の中で話し上手な一人が、座の中にいるある若い男の艶話(つやばなし)をする。この若い男は、「水晶」という源氏名のある娼妓と、寝ても覚めても離れられない「恋仲」なのであると言う。こうして幾時か時間が経つと、王(ワン)という、美男子ではあるが、あまり口数の多くない、恐らく30代半ばの男がふいと立ち上がって、その座を外して、画面の後ろに立ち去っていく。
こうして、約9分(!)のワンカットのシーンが終わり、『海上花』と、赤色の題字が黒地をバックにして、浮かび上がる。「海上」とは、上海・シャンハイのことであり、「花」とは、娼妓のことを意味する美化語である。ストーリーは、上述の無口な王(香港人男優、梁朝偉Tony Leung Chiu-wai)と、彼と4年以上も関係のある沈小紅(日本人女優、羽田美智子が演じる、源氏名は「紅玉:ルビー」)を中心に、これに、王がここ最近通っている、源氏名ジャスミンの張蕙貞、別の娼妓館にいる、源氏名「真珠:パール」こと周雙珠とその妹分の、源氏名「翡翠:ジェイド」こと周雙玉、 さらにまた別の「置き屋」にいる、その置き屋の一番人気で、やり手の、源氏名「翠玉:エメラルド」こと黃翠鳳が加わり、7・8歳で置き屋に買われてきて、そこで厳しく修業させられ、短い「花」の間はスポット・ライトが当たるが、そのうちに「馴染み客」に身請けされて、囲い者になる娼妓達の運命が、例の通りの固定カメラでセットされ、ワン・シーン、ワン・カットのスタイルで、画面と画面とのつなぎ目は、フェイド・アウトとインの場面展開を以って、次から次へと回を重ねるように語られるのである。
原作は、韓子雲の『海上花列伝』で、清末の「章回小説」の代表作の一つと言われる作品である。この作品は、韓が、いわば小説家ジャーナリストとして、実在の人物をレポートし、1892年から96年に掛けて、自身の個人雑誌『海上奇書』などに一章毎に回数に分けて発表した、江蘇省上海方言(呉語)で書かれた、長編白話小説の傑作であるという。ゆえに、広東出身ということになっている王が、広東方言で話す以外は、他の登場人物は、呉語で会話をしていると言う。この作品を、上海生まれの有名な女性小説家張愛玲アイリーン・チャンが1960年代に英語に翻訳し、英語版を世に問うた訳である。
監督は、台湾人の侯孝賢ホウ・シャオシェン、脚本は、監督ホウとよく共作する、同じく台湾人の女性脚本家、朱天文チュー・ティエウェン、キャメラマンも台湾人でホウ監督組とも言える李屏賓リー・ピンビンである。とりわけ、ここでは、本作での業績として、美術監督の黄文英ホワン・ウェンインの室内美術の腕の良さを挙げておきたい。
ホウ監督と言えば、筆者は、1989年作の『悲情城市』で初めて知った。先住民族系本省人、漢民族系本省人、蒋介石の国民党との絡みで「赤色」の本土中国から避難して台湾にやってきた外省人と列挙すれば、台湾社会とは事程左様に重層的な構造を持つ社会であると言うことを初めて知ることができた作品である。この作品でも、トニー・レオンが主役級の役を演じ、また、チュウが脚本を書いている。
ホウ監督は、2003年に小津安二郎の生誕百年を記念した作品『珈琲時光』を撮っているが、それ程小津への敬愛心が高く、それは、本作において作品をカメラを固定して撮っている点でもはっきりと表れているであろう。小津の「ホームグラウンド」だった松竹が本作の製作に関わっているのも肯ける。
中国の大河を流れるが如くに、ストーリーは、ワンシーン、ワンカットで、滔々と語られ、本作は基本的に、上海の花街という特殊な世界での人間模様を描く会話劇となっている。その意味で、本作は、室内撮影の映像美を楽しみながら、中国的スケールで物語りが語られる、その鷹揚さを堪能なさりたい方のための、シネアスト用作品であると言えるであろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿