家族の枠組みから抜け出た本作は、是枝監督の新しい次元を切り開いた。そのような本作を助成した文化庁は、文化国家としての広い度量を示したのである。「弘毅」とはこのことを言う。
「血は水よりも濃し」の諺の反対を行くのが、本作の擬似家族である。この擬似家族は、心情で結びあっており、その「家族」関係は、「本物」の家族関係より、濃密であり、ゆえに、人間関係における情愛関係こそが、大事なのである。
こんな凡庸なメッセージを本作で是枝監督が言いたかった訳ではないであろう。彼は、本作の原作を書き、製作をも担っており、制作への気合の入れ方が違うからである。
これまでにも、是枝監督は「家族」をテーマにしている。『そして父になる』(2013年作)で正に家族と血縁の問題を扱っている。2008年には、『歩いても歩いても』で、小津安二郎ばりの家族映画を撮っている。さらには、その前の、2004年に撮った作品『誰も知らない』では、ある母子家庭において、子供たちを愛しているのではあるが、その養育責任を放棄した母親に去られた四人兄妹の物語りが語られた。この2004年の作品では、是枝は、 監督・脚本・編集・製作を担当しており、14年後の本作と同様に、大人になりかけた少年が、この作品では主役であり、長男がまだ子供でもありながら、他の兄妹の生活の面倒を見なければならなくなる、そのギャップの「むごさ」が映像化された。
『誰も知らない』での長男、明は、12歳の男の子として、声変わりをし、中学生にもなれる年齢になって、次第に子供から、状況に強制されて早くも「大人」へと成長せざるを得ないところに置かれていく。そんな明の、変化の、揺らぐ機微を、半ば子供のままの無邪気さと半人前の大人の恥ずかしさ、シャイさをないまぜにした、表情の「カクテル」で描く効果が、観る者の目を明に惹きつける。時に素人風の演技と見えるところがまた、何となく初々しく感じられるのであるが、これは、ストーリーと明の性格描写とキャスティングの為せる技であった言うべきであり、この映画がカンヌでこれで以って賞を取ったのも肯ける。この、子供に対する是枝監督の演技指導の妙が、本作においても冴えている。
では、是枝監督は何を言いたかったのか。まず、彼は、タイトルを『万引き家族』と名付け、本作を「犯行」の場面から始めて、この似非家族が、犯罪性の上に成り立った存在とする。その存立のきわどさが、「家族の仲睦まじさ」に並立して、観る者を引っ張っていく。そして、冬に始まるストーリーは、その「家族の絆」において、夏の海浜旅行を以って頂点を迎え、直後の「祖母」の突然死を以って、崩壊し始める。終盤、観る者は、フランキーや安野サクラに半身像と対面させられて、警察官の視線を取らせられる。だが、だからと言って、是枝監督は、やはり「血は水よりも濃し」と言いたい訳ではない。
秋の、風が強い日に街の中を歩いていると、ふと、風の吹き溜まりに落ち葉が吹き寄せられている場所を見ることがある。無風ではないが、ある程度強い風から守られている場所である。そこに落ち葉が寄ってくる。そのように、東京の高層建築に囲まれた吹き溜まりが、本作のストーリーが展開する場所となる、古く雑然とした平屋である。そこでは、社会の強風に吹き寄せられた「落ち葉」たちが、似非家族の構成員として生活している。つまり、家族の問題とは、社会のあり方の問題でもあるという認識に、是枝監督は、『そして父になる』での、家族内だけの枠組みから突き抜けたのである。
であるから、本作では、家庭内暴力と児童虐待から始まり、ネグレクト、非正規雇用、リストラ、家族の機能不全、JK風俗営業従事、年金の違法取得に至る、この似非家族の「絆」の背景となっていた社会問題が、ストーリーが展開する中で提示される。
家族の血のつながり、構成員の情愛関係、そして富があれば、幸福の必要条件が、まずは揃うであろう(健康も本来その中に入るであろう)。であるが、富が欠けたら、さらに、血縁がなかったら、そして、情愛心がなくなったら?これは、二者択一の問題ではなく、幸福の最低条件は何であり得るか、の問題なのである。
日本社会では、幸福とは自分の努力で勝ち取るものという、謂わば、「自助」のイデオロギーが支配的であるが、果たして、そうであろうかと、問うているのが、是枝監督の意図ではないか。そして、幸福は自分だけのものであろうか。人間は、アリストテレスが言う、社会的存在としての人間(正にヒトの間)であるとするなら、そして、人はなぜ社会を構成するのかという問題を鑑みれば、社会を構成する人々と連帯するセイフティー・ネットの充実こそが必要なのであるというのが、本作を観て、筆者が辿り着いた結論である。
2022年7月30日土曜日
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