料理・クッキングものに、関西風の商人(あきんど)成功物語を組み合わせ、更に時代設定を19世紀初頭の江戸時代に持っていった、関西人原作者の、ストーリー構成の思い付きの妙には脱帽する。しかも、それが、関西の味覚文化と関東のそれとの対照として提示されるとすれば、原作が当時の日本において大ヒットしたのも肯ける。
本映画は、この大ヒット作を原作にして撮られているが、原作の漫画版、TV版(しかも二本)が既に存在している中、2020年に劇場版を今更撮る動機は、製作者兼監督でもある角川春樹に聞くしかない。10巻ある原作を映画脚本としてどうまとめるかは、TV版との比較もされるであろう、角川自身も入っている映画脚本化チームの腕の冴え所である。果たしてこれが成功したかは、原作を読んでいない筆者には判断外にある問題であるが、映画の出だしで、澪(みお)の、大阪での子供時代のエピソードの一つが語られ、そこから一挙に10年後の江戸に飛んでストーリーが展開し、澪の過去は、カットバックで語られるという手法は、よくある手ではあるが、効果的であるとは言える。
しかし、この手法が繰り返されると、ストーリー展開には、やはり「めりはり」がなくなり、中だるみになる。それを抑えているのが、澪を体現する女優松本穂香の自然体の演技の魅力であろう。ウィキペディアによると、原作では、澪が以下のように特徴づけられている:
「丸顔で、眉は下がり気味、鈴のような眼、小さな丸い鼻は上向き。緊迫感のない顔をして」いる。
故に、澪の身分違いの初恋の相手「小松原様」には初対面の時から「下がり眉」と綽名が付けられるのであるが、実際、松本の顔もまた、上述の人物描写に似ており、その演技力と併せて、松本をこの役に抜擢したキャスティングの妙と言うべきであろう。松本の今後の活躍を期待したい。
さて、作中何度か出る台詞「食は人の天なり」は、蓋し、名言である。人が食べたものが栄養となり、その人間を作る。この意味で、食は、天のように大事なものであると解釈したい。(あるブログによると、これは、吉田兼好の『徒然草』に出てくる言葉であるという。)
つまりは、人が食する食材が大事であることになる。言い換えれば、人は、よい食材を食べるべきなのである。その意味で、食材は厳選されなければならない:モンサントなどの農薬が使われずに育てられた野菜、抗生物質が投与されずに成長した家畜の肉、そして、遺伝子組み換えなしの食品などなど...
ただ美味しいという点だけではなく、健康な食材を大事にする食文化が日本にも発展することを、気候変動に脅かされる食糧生産の問題の解決とも併せて、希うものである。
最後に、本作のエンディング・ロールが終わると、作中の、もう一つの大事なスローガンである「雲外蒼天」(「雲上蒼天」と言うべきか?)を映像化した最終シーンが出る。映画とは映像が勝負ではあるが、何でもかんでも映像化すべきものではない。その映像化が、下手なCG合成であれば、尚更である。
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