007シリーズの第一弾として、カラー作品として1962年に発表された 『007は殺しの番号』(後に『007/Dr. No』に邦題が変更)は、翌年に日本で公開され、日本での「秘密諜報部員もの」のブームの先駆けとなった。第二弾の『007/危機一発』(四文字熟語「危機一髪」をもじった名タイトル;後に『ロシアより愛をこめて』と邦題が変更)は、日本では1964年、つまり東京オリンピック開催前に公開された。(蓋し、コネリー・ボンドの作品中、最良の作品)
ボンド・シリーズは、その後、『007/ゴールドフィンガー』(64年作、日本での公開65年)、『007/サンダーボール作戦』(65年作、同年12月日本公開で、しかも英・米よりも早い)と来ては、日本の映画界もこのブームに相乗りする他なかったのであろう。
さて、強引な社長だったと言われる永田雅一が当時引き回し、今はない映画会社「大映」が製作した「諜報部員もの」が、本作『陸軍中野学校』シリーズである。
日本のジェームズ・ボンド役に大映の看板役者・市川雷蔵が当てられる。眠狂四郎のちょんまげを、7・3分に分けた、サラリーマン風の髪型に変えて市川は登場する。ボンド映画の英国諜報機関MI6のMに当たるのが、帝国陸軍草薙少佐を演じる、加東大介である。
しかし、東西冷戦の最中の国際防諜戦を描くには、日本を舞台にしてはスケールが小さすぎる。スコットランド人俳優コネリーに対抗するには、市川ではさすが見劣りがする。こうして、大映が取った方針は、時代を現在ではなく、戦時中に戻すという作戦である。となれば、歴史ものであり、そうであれば、カラー作品ではなく、モノクロ作品で撮った方が真実味がより湧く。さらに、これにフィルム・ノワールのタッチを入れれば、よりよい感じとなる。という訳で、若干犯罪・刑事もの映画のストーリーに、更にこれに市川のオフからのナレーションが入ると、これが、諜報部員ものでありながら、フィルム・ノワールの感覚をさらに強める。実にうまい「作戦」である。
この「趣向」で、『陸軍中野学校』シリーズは、66年の第一作から68年の第五作まで5本が撮られた。ストーリー上の時代設定は、38年10月の中野学校一期生訓練時代から41年12月の『開戦前夜』までで、舞台は、東京・横浜(第一作、人間群像を描いてさすがの増村保造監督)、神戸(第二作、森一生監督)、上海(第三作、田中徳三監督)、東京・箱根(第四作、井上昭監督)、香港・東京(第五作、井上昭監督)となっている。そして、ボンド映画の敵役「スペクター」に当たるのが、このシリーズではその逆で、戦前・戦中のことであるから、もちろん英国或いは米英連合諜報機関が主に敵役を担っている。
さて、日本製ボンド映画となれば、ボンド・ガールが出てこなくてはスパイ映画にはならないから、本シリーズでも、各々それと言える女優が登場する。小川真由美(第一作で、市川の許嫁として登場、敵側スパイとなる)、村松英子(第二作で、神戸の売れっ子芸者で実は中国共産党側のスパイとして登場)、松尾嘉代(第三作で、中国国民党側スパイとして登場)、小山明子(第五作で、抗日抵抗組織のスパイとして登場)と言った具合である。市川と小山の接吻シーンは、画面構成も斬新であり、カメラを右上に据えて、市川の後ろ姿、小山の顔面への斜め上からの構図で、接吻時の小山の目蓋の動き具合が彼女の心境を微妙に表現し得て秀逸である。フィルム・ノワール感が満載である。
そして、シリーズ第四作の本作『密約』の「ボンドガール」が、野際陽子である。英国諜報機関に利用される男爵夫人役であるが、ウィーン育ちということもあり、日本人女性離れをしており、野際は市川を誘惑する。本シリーズで、恐らく唯一のはっきりした「濡れ場」である。しかも、彼女は薬物中毒者でもあり、そのことから、ドイツ大使館付き武官でSS将校のヴィンクラーと関係を結んでいるという次第であるが、ここに本作のストーリー上の「一捻り」があるのである。
このヴィンクラー役を本物のドイツ人がこなし、劇中、彼がドイツ語を話す場面がある。野際がこのヴィンクラーに一言だけ、発音正しく、ドイツ語で語りかけるシーンがあるが、さすがは、おフランス留学をして日本に戻ってきた女優であり、ものの本によると、有名人で初めてミニ・スカートを履いて日本に戻ってきた女性第一号であったと言う。
本作は基本的に娯楽サスペンス・アクション映画であるが、英米の大使館員と交流があり、箱根に住む、言葉の真正な意味での「自由主義」政治家山形勲の毅然たる態度が興味深い。戦前においては、共産主義者だけではなく、自由主義者もまた政治的に「弾圧」されていたことは、いわゆる保守政治家吉田茂の軍人嫌いを理解する上で大事なポイントであろう。娯楽作品からも学べるところはあるのである。
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