Shenandoahとは、18世紀から19世紀初頭に実在したネイティブ・インディアンの酋長の名前で、あるカナダ系乃至はフランス系の、毛皮取引と関わったカヌー乗りがこの酋長に歌いかける形式で歌詞の内容が展開し、歌詞の二番では、カヌー乗りは、自分が酋長の娘に恋をしていることを告白して、それを謳った歌である。
アメリカ人であり、「Shenandoah」という言葉を聞いたならば、このアメリカ民謡のメロディーを、思い出しながら、人は本作を観ることであろう。しかし、本作では、その題名は、この酋長のことではなく、Shenandoah溪谷のことを言っているのである。「ヴァージン・クィーン」、エリザベス一世に因んで命名されたヴァージニア州にこの溪谷はあり、同名の河がここを流れている。
映画のストーリーが設定されている年は、1864年である。アメリカ史上最大の内戦、南北戦争が起こっている年である。南北戦争は、1861年に始まり、65年に終わる。ということは、南北戦争の最終段階にある時期ということになる。
ヴァージニア州は、対大英帝国に対する独立戦争で闘った13州の一つであり、現在のアメリカ合衆国成立の核を構成した州である。南北戦争が始まった時には、ヴァージニア州は、南部・連合(コンフェデレーション)側に付く。大西洋岸に続く平地部では、富裕層が経営するプランタージュ園が、内陸に行くに従い、山がちになり、中農層が経営するファームがよく見られる。こうして、奴隷制度に関わって勃発した南北戦争の対立は、プランタージュ園経営に奴隷が必要な富裕層と、奴隷をあまり必要としない中農層とでは、その利害の度合いが異なってくる。南北戦争をこのプランタージュ園の富裕層の立場から描いたのが『風と共に去りぬ』であり、実際、スカーレットの実家も、南北戦争の激戦地となる、このヴァージニア州にある。一方、本作の主人公チャーリー・アンダーソン(父権丸出しでジェームズ・ステュワートが演ずる)は、奴隷を使わないで自分のファームを家族(息子六人!と娘一人)で経営している中農である。
この、独立戦争では闘ったであろうCh.アンダーソンにとっては、南北戦争は、奴隷を使っていはいないが故に「彼らの」戦争であり、自分の戦争ではない。こうして彼は、南軍へ息子たちが徴兵されるのを拒み、自分が育てた良馬を南軍に接収させようとはしない。
しかし、戦争は容赦なくアンダーソンの許にやってくる。そして、結果として二人の息子と義理の娘を奪っていく。この状況下、戦争には加担したくないアンダーソンは如何なる行動を取るべきか。
さて、南北戦争時代に自立したウエスト・ヴァージニア州との州境にほぼ沿うシェナンドー河或いは溪谷は、戦術的意義を持っていた。なぜなら、この渓谷を北東に上って行くと、ポトマック川に通じ、その河畔にある、USAの首都ワシントンD.C.に攻め込めるからである。
この理由から、1864年の5月から10月にかけていわゆる「Valley Campaigns of 1864」という諸戦闘がこのシェナンドー溪谷で闘われた。北軍のU.グラント将軍は、シェナンドー溪谷を通ってヴァージニア州に進攻しようとする。リッチモンドに貼り付けられていたリー将軍は、別動隊を送ってそれを阻止し、この隊は一時はワシントンD.C.まで攻め上るが、これも押し返されて、11月までにはこの渓谷は北軍に制圧される。『風と共に去りぬ』で描かれる、北軍W.シャーマン将軍による、ヴァージニア州にあるアトランタの焼き討ちもほぼこの時期で、65年4月の南北戦争終結にあと約半年の時期であった。
歴史的に本作が制作された1964年の年(初上映は65年)を考えると、シェナンドー溪谷での戦争100周年、1964年のトンキン湾事件でアメリカ軍のヴェトナム戦争への介入が本格的になるこの時期、本作の、不戦ならずも「非戦」というメッセージは、政治的「発信力」があったと言う。
ロンドン生まれの監督Andrew V. McLaglenは、J.フォードなどの助監督を務めた西部劇映画の職人的監督で、J.ウェインとの映画を5本も撮っている仕事ぶりからも、本作が「反戦」の意味合いで撮られたものではないであろう。製作も、B級映画の製作会社ユニヴァーサル・ピクチャーズであり、ここにそこまでの反骨精神は求められないであろう。脚本家James Lee Barrettも、元海兵隊員であり、68年作で、J.ウェインが監督を務めるプロパガンダ映画『グリーン・ベレー』の脚本も書いているのである。ゆえに、Ch.アンダーソンの態度は、「反戦」とは言えないのであり、場合が場合であれば、彼は、前大統領トランプ支持者になったかもしれないのである。
本作のBarrettの脚本を基に、約10年後の74年に同名のミュージカルの台本が書かれる。最初は地方舞台で上映されていたが、翌年にはブロードウェイで上演されるようになり、それは、77年8月までロングランが続いたという。75年4月30日にサイゴンが陥落するが、このミュージカルのロングランは、Ch.アンダーソンの、あの、「彼らの戦争」には関わらずの態度が、当時のアメリカ人の心境に共鳴させるものを持っていたからかもしれない。
本作を観たのは、図らずも8月15日、日本史で言えば、ポツダム宣言を受諾する旨が公表された「降状の日」であった。そして、本作を観終って、テレビを点けたら、カブール陥落のニュースが出ていた。20年も続いたアフガン侵攻が、アメリカ軍、Nato軍が既に撤退していたとは言え、敵対するタリバン勢力によってカブールが陥落させられたことを以って、事実上の敗北で終わったのである。
観た時の状況のせいで忘れられない映画というものがある。初めての恋人と初めて観に行った映画もそういう忘れられない映画となるが、本作『シェナンドー河』も偶然に重なった象徴性を以って筆者には忘れられない映画となった。(映画『卒業』で、自分の母親が好きになった男と情事を重ねていたことを知らされてショックを受ける、清楚なキャサリン・ロスが、この役になる二年前に本作で、Ch.アンダーソンの義理の娘役で出ている。戦時の無残な運命がこの義理の娘Annを待っていたことも胸に刺さる。)
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