2022年8月9日火曜日

修羅の群れ(日本、1984年作) 監督:山下耕作

 旧大日本帝国領内で、最高峰の山はどこかと聞かれて、今更のように問われて、誰もそれが富士山であったとは思わないであろう。それは、「新高山」であった。これを「ニイタカヤマ」と読む。「ニイタカヤマ」?日米開戦の日時を告げる、大日本帝国海軍の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を、これで連想する人があるかもしれない。そして、この連想は正しい。

 それでは、この「新高山」とはどこにあるかというと、旧帝国日本領だった台湾のほぼ中央部、若干南よりにある。台湾が大日本帝国領となり、それで以って、富士山より高い、3.950m(これは、当時の標高値で、現在の衛星測量ではより高い3.978mであるという)もある、「新しい高い山」として、明治天皇によって名付けられたと言う。この山は、新高山の周囲に住むブヌン族が話すブヌン語では「Saviah, Savih」と呼ばれて、台湾語では、「玉山」という。

 このことが、本作とどんな関係にあるかというと、映画の始めの方に、本作の主人公のやくざ者の稲原龍二が、かたぎの娘中田雪子と偶然に知り合うことになる熱海海岸で、雪子が水兵帽のような形をした白い帽子を被っていて、恐らくアルバイトとしてであろう、そこでキャラメルを売る屋台に立っていたのである。その被っていた帽子の前立て部分に、横から右書きで、「ニイタカキャラメル」と書いてある。

 そこで、フィクションかなとも思い、調べてみると、「新高製菓」という会社が実際に存在し、この会社は、1950、60年代まで、「森永」、「明治」と並ぶ三大菓子メーカーであったと言う。「新高」の名前の由来は、この会社の本社が戦前に台北にあったことからである。

 この「雪子」を演ずるのが、酒井和歌子で、本来現代劇で精神的に、人形のような「不感症」の役をやらせると上手い女優である。やくざ映画の本作に果たしてマッチしていないようにも見えるが、彼女は、役のモデルとの絡みで登板させられたのかもしれない。対する稲原龍二を演じるのは、松方弘樹で、この役のモデルは、稲川会の首領・ドン「稲川角二」であると言う。

 という訳で、本作、東映ヤクザ映画オールキャスト出演のような「豪華版」で作った、いわゆる「実録路線・ヤクザ映画」の一本である。東映の「実録路線」と言えば、その火蓋を切ったのが、『仁義なき戦い』である。この、1973年の作品では、菅原文太が主演し、実録路線の「偶像」となったが、ほぼ10年後の本作では、菅原は役的に面白い、愚連隊上がりで頭の働く、稲原の「四天王」若衆の一人という脇役を演じている。

 実録路線も10年も経つと、やはりマンネリ化が目立たない訳はなく、本作も、口を悪く言えば、稲川会「よいしょ」映画とも言えなくない。果たして、あと10年間東映はこのマンネリズムを続け、94年の作品『首領を殺った男』を以って東映は、その実録ヤクザ映画の最終作品とする。そのトリを取ったのも、本作で主演を演じた松方弘樹であった。

 72年に、任侠道の緋牡丹一輪たる藤純子が引退したことを以って、任侠映画のある一章が終わり、同年にヒットした『ゴッド・ファーザー』が上映されたことで実録路線への製作方針の転換が確実化する。しかし、この路線は、エクスプロイテーション映画が社会問題をテーマにしているように見せて、実は暴力描写を正当化する、観衆の「覗き見」の好奇心を満足させたように、「猟奇犯罪映画」に堕する危険があったことも見逃してはならないであろう。

 「任侠」とは、自分の命も顧みずに、暴力を以ってしても他者を助けることである。その失われていこうとする「義侠心」への「白鳥の歌」が、東映やくざ映画の金字塔を飾る「昭和残侠伝シリーズ」である。「残侠」という、ノスタルギーのこもった言葉を味わいたい。その様式化された美は、時にうぶな男気の羞じらいを見せる高倉健と、苦みの効いた、男立ちの高貴を匂わせる池辺良の間の、殆どホモ・エローティッシュな感情の絡み合いによって伴奏される。任侠道が失われれば、そこには露骨な、仁義なき闘いしか残らないであろう。昭和残侠伝から実録やくざものへの転換もまた、時代の変化に対応したものであり、それは、一つの必然であったとも言えるのである。

 最後に一言:
 本作の中盤、日本人ヤクザ・グループと韓国人ヤクザ・グループが抗争になりそうになって、稲原こと松方が言う。日本人も韓国人も同じ人間であると。そうして彼は、博打で自分の家族を貧困に追いやった自分の父が、関東大震災の際に日本人の警防団に追われた「朝鮮人」を自分の家にかくまったことを思い出す。これが、先の、稲原の言説の理由であったのである。

 この時、松方は、映画内で「日本人」という言葉をどう言ったか。いきり立った「にっぽんじん」ではなく、やさしい響きのこもった「にほんじん」と、松方は言ったのである。

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