2022年7月31日日曜日
マップ・トゥー・ザ・スターズ(カナダ、USA、フランス、ドイツ、2014年作) 監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
Hollywoodを巡る風刺として、さらに、本作では、名子役と言われて傲慢になっている、しかし、その名声が、年齢が重なるに従い、脅かされているBenjie Weiss(俳優Evan Birdが好演)と彼の家族の「悲劇」が描かれている。しかし、Benjieとその姉Agathaとの間の心理的な相互依存関係は、監督D.Cronenbergが1988年に撮っていた、双子の兄弟の心理的依存関係を描いた『戦慄の絆 Dead Ringers』のヴァリエーションではないか、という訳で、筆者は、かなりの不満感を持って、本作を観終った。(Hollywoodの、金を巡っての汚い組織としての暗黒面を完膚なきまでに描いたのは、D.Lynch監督の2001年の作品、『マルホランド・ドライブ』 であろう。)
監督D.Cronenbergは、カナダのトロントで、1943年に生まれている。1961年、即ち、今から60年前に(!)、彼は、トロント大学で一年だけ生化学・生物学を専攻する。この経歴から、彼の、いわゆる「Body Horror」性癖もまた肯ける。しかし、翌年には英文学に学籍を変えて、作家になろうとするが、自己の才能の限界を感じ、それを断念する。映画の世界には、友人との交友から偶然に接することとなり、60年代半ばあたりから16㎜の短編映画を撮り始める。60年代末には実験映画を撮りだし、70年にCrimes of The Future を撮る。2021年現在、この作品のリメイクを制作中であるという。
1980年代に入り、トレーラーで観るかぎり、かなりカルト的なホラー映画を撮りだす。81年に『スキャナーズ Scanners』を、83年に『ヴィデオドローム Videodrome』を発表する。同年には、今まで自分で脚本を書いていたものが、初めて他人の原作を映画化するようになる。すなわち、『デッドゾーン The Dead Zone』で、この作品の原作はSt. Kingのものであり、主演は、名優Chr.Walkenである。86年には、同名の作品をリメイクした『ザ・フライ The Fly』を、その二年後には、上述の『戦慄の絆 Dead Ringers』を撮っている。この作品において、Cronenbergは、その後の彼の制作上の方向性、すなわち、心理過程の描写にストーリーの重点を置き換えていく方向を示す。
自分が愛読する作家ウィリアム・S.バロウズの作品『裸のランチ』を1991年に映画化した同名の作品では、D.Cronenbergは、ベルリン国際映画祭での金熊賞(最優秀作品賞)を取り逃がしたが、1999年に撮った『イグジステンズeXistenZ 』で、同映画祭の銀熊賞(審査委員会賞)を受賞する。『イグジステンズ』で、D.Cronenbergは、『裸のランチ』で見せた現実と意識界との交錯を、現実、意識界、ヴァーチャル・リアリティと何重にも交錯させ、これに彼の得意のSFがかった、Body=Bio=Horrorを組み合わせて、私見、最もCoronenbergらしい作品を撮っている。
2000年以降のCronenbergの作品を筆者は余り観ていなので、断定はできないが、『イグジステンズ』で集大成したCronenberg世界は一応完結し、これ以降、より正統的な映画作りに方向性を転換したものと思われる。2007年の作品『イースタン・プロミス Eastern Promises』 は、ラシアン・マフィアの世界を描いているし、14年作の本作も、Hollywoodの風刺とは言え、ストーリーはむしろ正統的であると言える。Hollywoodのセレブの世界、それが虚構・虚飾であろうと何であろうと、セレブとは関係のない筆者、彼らの悲劇は、対岸の火事を見る如く、全くの他人事であり、それゆえに、筆者は本作を、感情の移入なしで、冷たく見放して観ていたのである。
卍(日本、1964年作) 監督:増村保造
しかし、映画の「テースト」と比べて、原作を読んでいても、そこに「可笑しみ」というものは感じられないのである。ストーリー自体は、レズビアン「趣味」と、二重の三角関係の交錯、そして、社会的制裁を恐れての、自殺と重い話なのではあるが、映画化された本作には、そこに何か一種の滑稽味がストーリーの最初から最後まで絡み付いているのである。これは、ほぼ室内劇に仕立て上げた脚本(新藤兼人)の勝利であろう。監督は、イタリアに留学し、そこで映画についての論文までもものにした増村保造である。この理論家肌の監督の意を受けて、その制作意図を、誇張しながらも度を越さずに、確実に形象化した俳優陣にも本作制作上の、もう一つの功績があると言わねばならない。そのカルテットとは、胡散臭い綿貫を演じた川津祐介、ちゃっかりした、「女王様」光子を演じた若尾文子(同様の造形は、溝口監督の『赤線地帯』でも)、そして、秀才肌だが、生活力が無い柿内孝太郎を演じた船越英二、さらに、わがままで少々ヒステリー気味の園子を演じる岸田今日子の四人組である。とりわけ、自分が操っていると思い込んでいて、しかし最後は「アホ」なくじを引かされた園子を演じた岸田の演技力に満腔の賞賛を送りたい。岸田は、本作と同年に出来た、勅使河原宏監督作品『砂の女』でも大役を演じており、蓋し、1964年とは、彼女の映画女優経歴の中でも、最も有意義で、多産の年だったのではないだろうか。拍手!
2022年7月30日土曜日
万引き家族(日本、2018年作) 監督:是枝 裕和
「血は水よりも濃し」の諺の反対を行くのが、本作の擬似家族である。この擬似家族は、心情で結びあっており、その「家族」関係は、「本物」の家族関係より、濃密であり、ゆえに、人間関係における情愛関係こそが、大事なのである。
こんな凡庸なメッセージを本作で是枝監督が言いたかった訳ではないであろう。彼は、本作の原作を書き、製作をも担っており、制作への気合の入れ方が違うからである。
これまでにも、是枝監督は「家族」をテーマにしている。『そして父になる』(2013年作)で正に家族と血縁の問題を扱っている。2008年には、『歩いても歩いても』で、小津安二郎ばりの家族映画を撮っている。さらには、その前の、2004年に撮った作品『誰も知らない』では、ある母子家庭において、子供たちを愛しているのではあるが、その養育責任を放棄した母親に去られた四人兄妹の物語りが語られた。この2004年の作品では、是枝は、 監督・脚本・編集・製作を担当しており、14年後の本作と同様に、大人になりかけた少年が、この作品では主役であり、長男がまだ子供でもありながら、他の兄妹の生活の面倒を見なければならなくなる、そのギャップの「むごさ」が映像化された。
『誰も知らない』での長男、明は、12歳の男の子として、声変わりをし、中学生にもなれる年齢になって、次第に子供から、状況に強制されて早くも「大人」へと成長せざるを得ないところに置かれていく。そんな明の、変化の、揺らぐ機微を、半ば子供のままの無邪気さと半人前の大人の恥ずかしさ、シャイさをないまぜにした、表情の「カクテル」で描く効果が、観る者の目を明に惹きつける。時に素人風の演技と見えるところがまた、何となく初々しく感じられるのであるが、これは、ストーリーと明の性格描写とキャスティングの為せる技であった言うべきであり、この映画がカンヌでこれで以って賞を取ったのも肯ける。この、子供に対する是枝監督の演技指導の妙が、本作においても冴えている。
では、是枝監督は何を言いたかったのか。まず、彼は、タイトルを『万引き家族』と名付け、本作を「犯行」の場面から始めて、この似非家族が、犯罪性の上に成り立った存在とする。その存立のきわどさが、「家族の仲睦まじさ」に並立して、観る者を引っ張っていく。そして、冬に始まるストーリーは、その「家族の絆」において、夏の海浜旅行を以って頂点を迎え、直後の「祖母」の突然死を以って、崩壊し始める。終盤、観る者は、フランキーや安野サクラに半身像と対面させられて、警察官の視線を取らせられる。だが、だからと言って、是枝監督は、やはり「血は水よりも濃し」と言いたい訳ではない。
秋の、風が強い日に街の中を歩いていると、ふと、風の吹き溜まりに落ち葉が吹き寄せられている場所を見ることがある。無風ではないが、ある程度強い風から守られている場所である。そこに落ち葉が寄ってくる。そのように、東京の高層建築に囲まれた吹き溜まりが、本作のストーリーが展開する場所となる、古く雑然とした平屋である。そこでは、社会の強風に吹き寄せられた「落ち葉」たちが、似非家族の構成員として生活している。つまり、家族の問題とは、社会のあり方の問題でもあるという認識に、是枝監督は、『そして父になる』での、家族内だけの枠組みから突き抜けたのである。
であるから、本作では、家庭内暴力と児童虐待から始まり、ネグレクト、非正規雇用、リストラ、家族の機能不全、JK風俗営業従事、年金の違法取得に至る、この似非家族の「絆」の背景となっていた社会問題が、ストーリーが展開する中で提示される。
家族の血のつながり、構成員の情愛関係、そして富があれば、幸福の必要条件が、まずは揃うであろう(健康も本来その中に入るであろう)。であるが、富が欠けたら、さらに、血縁がなかったら、そして、情愛心がなくなったら?これは、二者択一の問題ではなく、幸福の最低条件は何であり得るか、の問題なのである。
日本社会では、幸福とは自分の努力で勝ち取るものという、謂わば、「自助」のイデオロギーが支配的であるが、果たして、そうであろうかと、問うているのが、是枝監督の意図ではないか。そして、幸福は自分だけのものであろうか。人間は、アリストテレスが言う、社会的存在としての人間(正にヒトの間)であるとするなら、そして、人はなぜ社会を構成するのかという問題を鑑みれば、社会を構成する人々と連帯するセイフティー・ネットの充実こそが必要なのであるというのが、本作を観て、筆者が辿り着いた結論である。
2022年7月29日金曜日
マッド マックス 怒りのデス・ロード(USA、2015年作) 監督:ジョージ・ミラー
文明社会が崩壊したデストピアでは、むき出しの暴力だけがものを言う。Immortan Joeもウォー・ボーイズという暴力装置を持った軍閥の一人に過ぎないのであるが、彼は自らを「不死身の、ジョー或いは米国兵士」と名乗り、自らの支配のシステムに教祖的権威を付与していた。その権力の物質的基盤は、砂漠化した自然界において何より大事な水源と、城塞(シタデル)に改造した岩山であるが、彼は、他の集団から略奪してきた健康な女たちを「受胎母体」として自分の「王朝」の後継者づくりに資し、他から連れてきた幼年男子たちは、将来のウォー・ボーイズとして洗脳する。彼らはJoeのために戦う戦士(真実はただの「戦争の肥し」)になるのである。彼らはJoeのためなら死をも厭わない。なぜなら、戦死したウォリアーには「Walhallaヴァルハラ」が待っているからである。
では、「Walhallaヴァルハラ」とは何か。古北欧語の古ノルド語ではValhöllで、「戦死した者の住居」という意味である。ある戦場で最も勇敢に死した勇士は、「ヴァルキューレたちWalküre」によってヴァルハラに連れて行かれる。ヴァルキューレは、古ノルド語ではValkyrja(ヴァルキュリャ)で、彼女たちは、鎧・兜に身を固め、馬に乗って天空を駆け巡る精霊的処女たちである。ある10世紀の、北欧の叙事詩は次のように謳う:
そはいかなる夢なりしか
ヴァルハラは、投げ槍を交差させて作った天井の上に楯が屋根として乗せられて出来ている荘厳な宮殿で、540もある門から、ヴァルキューレによって選別されて連れて来られたエインヘリャルたちがホール内に入城するのである。
さて、ヴァルキューレたちが乗っている馬をオートバイに換えると、それは「鉄馬」となり、本作中の七人のオートバイ乗りが「鉄馬の女たち」グループになる。正に、そのリーダー格の女の名前が英語読みのヴァルキューレ、「ヴァルキリー」なのである。こうして、デストピアの荒野を放浪する英雄「狂気のマックス」の流離譚には、実は北欧神話の次元が噛んでいることを観る者は頭に入れておいた方がよい。
地球の引力を感じない希薄なCGを使わない、スタントマンの命を掛けたアクション・シーンは映画館の大画面で堪能したいところであるが、当然そこには撮影と編集の職人技がものを言う。これには、二言を待たない。
しかし、最後に美術について一言。マックスたちの一行がインペラートア・フュリオーサの故郷「緑の地」を目指す途中、湿原地帯に彼らが入り込み、数秒であるが、濃霧が立ち込めて湿った不気味な荒涼地が映像で示される。中景から後ろの方をマックスたちの一行が右から左に抜けていく場面の前景を、竹馬に乗ったクロウズが登場するシーンである。16世紀フランドルのヒエロニムス・ボス或いはボッシュの、奇怪な、そして意味深な絵画を参考にしたのではないかと想像される卓越な美術である。美術担当のColin GibsonとLisa Thompsonは、本作で、2016年度の様々な映画賞の美術部門で、米国アカデミー賞を含む5つの権威ある映画祭で賞を取っている。敬意を表する。
ラスト、コーション 色・戒(台湾、香港、USA、2007年作) 監督:アン・リー
「この世界の果てから最遠の海原まで
私は探す、私を分かってくれる一人の男(ひと)を...」
と、何回か熱い肉体関係を結んで、男の膚の温もりを忘れられなくなっていたヒロインは、1920、30年代以来モダンで、「東洋の巴里」とも「魔都」とも呼ばれた上海租界地にある、ある日本料亭の座敷で、一人座る、その男の前で歌い始めた。
歌は、『天涯歌女』といい、上の歌詞に続けて、遠く離れた男を想いながら、辛い思いをしながらも愛を貫くことを謳い、次のように歌い終える:
「私は、糸のよう、貴男は、針のよう。
私の最愛の人よ、私達は、この糸と針のようで、
何ものも私達を引き裂くことはできないのよ。」
このヒロイン(中国人女優タン・ウェイ)は、蒋介石の重慶国民政府の特務機関の意向を受けたスパイであり、一方の男(香港人俳優トニー・レオン)は、汪兆銘(中国では汪精衛の名が一般的)が率いる、親日・傀儡政権の南京国民政府の下、上海租界地に本部を置く、特務工作部の長である。この意外な取り合わせがなぜなのか、その経緯と顛末を語るのが本作のストーリーである。
原作は、中国人女性作家張愛玲Eileen Changが書いた短編小説『色・戒』である。(漢字文化圏にも入る日本で、わざわざ英語の題名にしておく必要はないであろう!「色欲・戒め」と日本人であれば、それなりに推測が付くはずである。)登場人物にはそれぞれ実在のモデルがあり、女スパイには、父親を中国人に、母親を日本人にもつ鄭蘋茹(てい・ひんじょ、または、テン・ピンルー)が、特務工作部部長には、汪兆銘の親日・傀儡政権を防諜部門で支えた中央委員会特務委員会特工総部の丁黙邨(てい・もくそん)がいると言う。実際に、テン・ピンルーは丁を狙うが、暗殺に失敗し、捕らえられて、1940年2月に上海郊外で銃殺されたと言う。享年22歳であった。
本作のストーリーでは、映画の出だしが1942年の秋、タン演ずるところのヒロインは密命を帯びてT.レオン演ずる、用心深い易(イー)に近づいていた。この冒頭のスピード感ある編集が上手い。タンも入れて四人の女が麻雀の卓を囲んでいる。女四人の話をアングルを変えてぶつ切りにして撮り、次から次へと緊張感を持たせてつなげていく。その時の女たちの表情や目の使い方をカメラはしっかりと捉えていく。2000年にアカデミー編集賞を取っているティモシー・S・"ティム"・スクワイアズ(Timothy S.“Tim”Squyres)の腕が冴えている。彼は、アン・リー監督作品には『ブロークバック・マウンテン』以外の全作品に参加しているという「リー組」の一人である。
また、撮影監督は、メキシコ系アメリカ人ロドリゴ・プリエトRodrigo Prietoで、彼は、本作で、ヴェネツィア国際映画祭の撮影賞を受賞している。同映画祭では、台湾人監督リーは2005年作の『ブロークバック・マウンテン』につないで二度目の金獅子賞を獲得している。音楽は、フランス人Alexandre M. G. Desplatアレクサンドル・デスプラで、彼は後に二度アカデミー映画音楽賞を受賞することになる。しかし、筆者は、美術監督のJoel ChongまたはKwok-Wing Chongに美術監督賞を与えたいところである。なぜなら、本作では、私見、上海租界地の1930・40年代の雰囲気を上手に再現しているからである。茶館、映画館などの造り、41年作で、ケーリー・グラント主演の二本の映画ポスター、そして、市電などと、事前調査が大変だったことは容易に想像できる。
出だしからその後のストーリー展開では、一時話を戻して、4年前の1938年となる。37年には日中戦争が勃発しており、タンたちを含む、広東省にあった私立嶺南大学の学生たちは戦火を逃れて香港に疎開することになる。大学生であるということは、彼らは中産階層から上の「お嬢さんやお坊ちゃま」ということになる。嶺南大学は、アメリカのキリスト教長老会によって1888年に設立されたミッション系の大学で、1906年には中国初の男女共学校となり、27年に、私立嶺南大学(Lingnan University)に改名して、それと共に中国人によって学校運営がなされるようになったという先進的な大学である。香港に疎開していたこの時に、タンも入れた6人の学生達が、演劇活動を通じて友人となり、そして、抗日運動にも加担することになる。この抗日運動との絡みで、彼らは当時香港の特務機関で敏腕をふるっていた易を暗殺しようとし、それが未遂に終わっていた経緯があったのである。
ストーリー展開は今度はその3年後に進み、タンも上海の叔母の所に身を寄せる境遇になっていたが、ここで、再び嘗ての仲間たちに誘われて、タンは、易暗殺のための「ハニー・トラップ」になることを承知をした。彼女は、当時は男女平等を標榜する新しいファッションとして、胸や腰の曲線をタイトに強調し、サイドに深いスリットの入ったワンピース「海派旗袍」(上海風チー・パオ、いわゆる「チャイナドレス」)を装って、易に再び近づく。こうして、映画内の時間系列が映画の冒頭につながるという、中々の「にくい」ストーリー展開となっているのである。
さて、激しいセックス・シーンで有名になった映画作品と言えば、筆者が思い出せるものとしては、三本ある。1972年のB.Bertolucci監督の『ラスト タンゴ イン パリス』、1976年の大島渚監督の『愛のコリーダ』、そして、1986年のエイドリアン・ライン監督の『ナイン・ハーフ』である。
性愛の中に実存主義的意義を見つけようとする点では、『愛のコリーダ』をこの三本の中では一押しする筆者であるが、さて、本作を上述の三本と比較すると、その性愛行為の背後には薄っぺらな内容しか見えないのである。日中戦争と重慶・南京両国民政府の防諜戦というストーリーの枠組みはあるのではあるが、それは、恋愛映画ではない、この単純な「性愛」映画をドラマチックに盛り上げるための単なるお飾りの素材でしかないのではないか。本作を観ていて、筆者にはそんな「疑惑」がひしひしと心の中に頭をもたげてきた。
という訳で、本作の7年前に撮られた、王家衛ウォン・カーウァイ作品の恋愛ロマンス『花様年華』にこそ筆者は断然と軍配を上げる者である。この傑作の男性主人公は、本作同様のT.レオンである。既婚の男女同士の間に芽生える恋愛感情を、両者をいっしょにベッドインさせずに、高揚させる、その、むずがゆいエロティシズムは、その映像美と相まって(キャメラマンはChristopher Doyleとリー・ピンビンの二名)、本作のそれが如何に大胆な、一部暴力的なセックス・シーンを持ってきても到底到達できない、殆ど芸術的な高みを窮めているのである。
さて、本作は、台湾、USAそして香港の共同製作作品である。制作年は、2007年の、今から約15年前である。日本はようやく平成不況から抜け出そうとしている時期、未だ、リーマンショックやトランプ登場前で、世界で新自由主義のイデオロギーが大手を振って歩けていた時代である。現在の米中対立、更に香港の民主化運動の根絶政策を鑑みる時、本作を観ていて、その前の時代である2007年当時の、ある種の「鷹揚さ」を感じるのは、筆者だけであろうか。
2022年7月28日木曜日
ラスト・キャッスル(USA、2001年作) 監督:ロッド・ルーリー
しかし、アメリカという国は軍人が特別のシステムを構築している社会である。軍事裁判所もあれば、当然それに伴なって軍刑務所も存在する。そして、日本ではこれはない。故に、軍刑務所という、本作のストーリー設定自体が、日本の観る者にとっては、珍しい。という訳ではないが、筆者は、本作をもう何回観たことであろうか。一度見始めると、結局、結末が分かっているのにも関わらず、最後まで観てしまう。この間も偶然に観てしまった。
さて、本作の主演は、R.Redfordである。彼が映画に出れば、彼が「正義」を体現するであろうことは、ほぼ決まっている。故に、「善玉」に対抗する「悪玉」が、やはり、本作では、定番に従って、軍刑務所所長(J.Gandolfiniが好演)となる。しかも、R.Redfordは、元陸軍中将で、大統領命令に従わずに、戦争犯罪人を捕らえる作戦を命令し、それ故に、8人の部下を死なせてしまった罪により刑務所に収監されている「囚人」である。対するJ.Gandolfiniは、階級が大佐である。R.Redfordがいくら階級が剥奪されていようとも、階級が下であるJ.Gandolfiniには、やりにくいことは、明白であり、しかも、Redfordが「正義」をかざして、元軍人の囚人たちを組織し、反抗するとなると、逆に、Gandolfini所長に、同情の念さえ湧き上がってくるのは、筆者だけであろうか。(少々穿って見れば、これは、民主主義の旗をかざし、他国に侵攻しても国際的制裁を受けないアメリカ合衆国の「正義」を体現しているようにも見える。)
とは言え、権力的抑圧に対する抵抗は、「正義」であることには間違いがないのであり、ラストシーンが、結局は、アメリカ的軍人賛歌で終わるとしても、この「正義」は、旗高く揚げられるべきである。
そして、この「正義」の側に、観る者を立たせることになる決定的エピソードが、吃音症持ちのAguilar元伍長の、刑務所内での射殺事件である。この元伍長を体現した俳優Clifton Collins Jr.には注目しておきたい。メキシコ系アメリカ人の彼の、少々不釣り合いな顔の作りと、身体全体から醸しだされるシャイな雰囲気が印象的である。
最後に、音楽はおやと思うほど、印象的ではないが、クレジットには、映画音楽の「大御所」J.Goldsmithと、Tom Waitsの名前が見える。T.Waitsが好きな方には、音楽にも気を付けたいところである。
一番美しく(日本、1944年作) 監督:黒澤明
[No.1:小津安二郎編『父ありき』、No.3:溝口健二編『西鶴一代女』]
1943年、準備期間を終え、黒澤(1910年生まれ)は、12月中旬、横浜市戸塚区にある、日本光学工業(のちのニコン)の戸塚製作所第一工場に、配役された女優群23名を実際の「女子挺身隊」として入所させ、撮影を開始した(カメラマン:小原譲治)。 日本光学工業は、1930年代以降は、日本軍の光学兵器を開発・製造する点において、陸軍系の企業である東京光学機械(現・トプコン)と比較されて、軍需光学機器製造の双璧として「陸のトーコー・海のニッコー」と当時呼ばれていた。
翌1944年1月末に工場での退所式が行われ、その後は、東宝撮影所でセット撮影を開始、作品は3月中旬に完成した。その三ヶ月後米軍がサイパン島に上陸する。
さて、プロパガンダ映画のいやらしさは、それが右からであれ、左からであれ、見ている者にその論理を強要するところにある。そのプロパガンダの目的がさらに戦争遂行ということであれば、その映画の監督としての倫理的責任はより大きくなる。その意味で黒澤のこの責任は問われなければならない。
同様に、一見恋愛映画に見えるM.カーティスの『カサブランカ』も反ファシズムの政治宣伝と戦意高揚という点では、同様の責任の地平にあると言える。さらに非政治的であるということ自体が、既に政治的態度の一つであるということからすれば、芸術と政治性とは、かくして、切っても切れない問題であるが、この問題は、全体主義の時代にはその問題性が頂点に登りつめると言っていいであろう。
全体主義体制の中に身を置いたものは、このような時代では、自分の芸術家としての潔癖性を守るためには,少なくともプロパガンに関わるような活動は控えるべきであったのである。「内的亡命」という言葉が思い出される。
では、話をこんなに割り切れるであろうか。心情的には、国が危機にあり、その国を「守る」ために(もはや、「攻める」ためではなく)兵隊達が戦っている。その兵隊達のために銃後で女子として何が出来るか。そのような意識で、皆が自己を捨てて全体のために献身する、「挺身」の自己犠牲の「美しさ」、英雄死の、ある種の美学を銃後の日常性の中に描いてみること、これが、黒澤が脚本も書いている、監督二作目の本作のテーマではないか。題名の『一番美しく』とは、何が「美しい」なのかを考えると、筆者にはこう考えざるを得ない。
とすると、現代の、自分の小さい世界の中で自分のことだけしか考えない人間が多いなかで、あの頃の高揚した自己犠牲の「純粋性」を今見てみると、それに憧れさえ生まれてくるのは筆者だけであろうか。
本作の映画美学的点について、二、三述べると、ドキュメンタリー性ということであれば、この映画は、戦中・戦後のイタリアのネオ・レアリズモの美学に通じてはいないかということ、編集を良く使って流れに緊張感がうまく出されていること(女工員の工場内での作業の場面、映画中盤の主人公渡邉ツルを等間隔から色々な視点でショットしたものを立て続けに見せる点)、そして、人間集団を動かしてそれを画面として構成する集団運動の、殆ど「ファシズム的」美意識(映画の最初の方で、女工達が寮に帰ってきた時、玄関で寮母先生を狭い空間でありながら、ぐるぐる巻きにしてしまう女工たちの集団としての動き)、これらの点を鑑みると、さすがは、将来の日本の、否、世界の巨匠監督、黒澤の力量がプロパガンダ国策映画の限界の中にも出ているのではないか。
日本映画史の三大巨匠の一人、溝口健二(1898年生まれ、ということは黒澤とは干支で一回り違う)は、戦中は、『元禄忠臣蔵』(前・後編、1941,42年作)など、松竹で時代劇を撮っていた。もう一人の巨匠小津安二郎(1903年生まれ、故に溝口と黒澤の間の年代)は、1937年から二年間中国戦線を転戦した後、招集解除で帰国し、溝口同様松竹で、のちの『東京物語』の戦前版とも言える『戸田家の兄弟』を41年に撮る。翌年には笠智衆主演で『父ありき』を撮り終えているが、こちらも戦意高揚の内容ではない。43年から終戦までは、軍報道部映画班員として南方へ派遣された小津は、主にシンガポールに滞在した。彼は、国策映画を撮らされそうなったにも関わらず、結局は一本も撮らずに戦後を迎える。
かくして、世代の違い、個人の運命、そして倫理観の違いによって、国策映画を巡る人生模様が描かれるのである。
2022年7月27日水曜日
コントラ Kontora(日本、2019年作) 監督:アンシュル・チョウハン
題名の『コントラKontora』がなぜcontraなのかを思うに、それは、歴史が、日本的にあいまいに忘却されることに対する「抵抗」の意味をインド人監督Anshul Chauhanがそこに込めているのではないかと推察するからである。ホームレスの男が逆走するのも、この意味から来ると思われる。
ストーリーは、まず、ある家の中をゆっくり歩き回る老人のシーンから始まる。その老人は軍歌調の歌を口ずさんでいる:
今日も暮れゆく 異国の丘に
友よ辛かろ 切なかろ
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る 春が来る
後で調べると、この歌は、『異国の丘』という歌である。1948年に流行ったこの曲は、戦後の歌謡曲の作曲界では名をなすことになる吉田正がシベリア抑留でウラジオストック郊外にあったアルチョム収容所にいた時期に、自分が作った、もともとの軍歌に、収容所の仲間の増田幸治が作詞し、シベリアの極寒がようやく溶けて初めての春が訪れた頃の1946年3月に、これを収容所内の演芸会で発表したことが、この歌が生まれた経緯だと言う。この歌は、収容所の他の仲間にも歌われるようになり、その収容所にもいたある一人が復員兵として抑留から戻って、48年、NHKの当時の人気番組「のど自慢素人演芸会」で歌って、注目を集めたことから、ヒット曲となったものである。
老人は、ある部屋から木箱を取りだし、縁側に近い別の部屋にそれを持っていき、そこでその木箱を開ける。中からは、飛行士用のグーグルが出てくる。革製の飛行帽も出てくる。そして、「戦時記」と書かれた日記のページをめくっているうちに、その老人は亡くなる。戦時記は、1945年1月2日から書き始められており、土浦海軍「空軍」基地の言葉も出てくる。こうして、観る者は、老人が太平洋戦争中、海軍飛行士、性格に言えば、飛行練習生であったことが分かる訳である。
日記に書いてある、「ドイツ語の本を大声を出して読みたい」という個所から、老人は戦時中、大学の独文学科にいて勉学していたが、1943年11月からの所謂「学徒出陣」で、45年に学徒兵として招集されていたことが分かる。
海軍土浦航空基地は、茨城県にあり、土浦航空隊は、もともとは、海軍飛行予科練習生(所謂、七つボタンの「予科練」)を訓練している教育部隊で、老人は、ここに、恐らく第15期の「海軍飛行専修予備学生」として招集され、終戦を迎えたのであろう。学徒出陣で、しかも飛行科と言えば、「特攻」で予備士官として戦没したケースが最も多い。老人が入隊する前の、43年の第13期と44年の第14期が戦没者も急増しており、第15期も、敗戦が半年伸びていれば、同じような運命が待っていたであろうことは想像に難くない。
この、既にこと切れていた老人を見つけるのが、孫娘の「そら」である。母親がなぜかいない家庭で父親に育てられている高校3年生の彼女は、父親との関係がギクシャクしている分、余計に「おじいちゃんっ子」として、祖父への関係も深く、祖父の戦時記を見つけて以来、父親に隠れて、戦時記を「研究」し出す。
戦時記の中にある手書きのスケッチは、祖父が自ら、恐らく上官に隠れて、描き綴ったものであるが、所々にチラシが貼り付けてある。兵舎でチラシが手に入る訳がないので、恐らくは、戦後除隊してから、時々戦時記に、戦前にどこかで手に入れたチラシを貼ったのであろう。「少国民 皆で飼はう 軍用兎」とか、「電力は戦力」、「富士のフイルム 写真で翼賛」などのチラシが戦前の「匂い」を強調する。チラシの中には、「松坂屋特製 教練銃」という意外なチラシがあり、こうして、戦時記の中に一箇所「鉄腕を埋める」という謎の記述が現れる。
この記述がストーリーをさらに回し、これに逆走の男が絡み、さらには、父娘関係の複雑さがストーリーを、よく言えば「重層化」し、悪く言えば、「拡散」させて、物語りは終盤に収束していく。が、観ていて、なぜインド人監督がこんな作品を撮るのか、疑問が湧き上がる。
監督チョウハンは、1986年生まれで、2006年にインドでアニメーション制作に関わる勉学を終えた後、2011年に日本に移住し、日本でCG部門で、アニメ制作に関わりながら、2016年、妻の茂木美那と共同で映画製作会社の設立し、2018年に劇映画部門でデビューした後、本作をその二作目として世に問う。本作において、監督、脚本、編集、及び制作を担当し、脚本は妻茂木が翻訳している。映画最後のクレジットでは、本作は、大戦中戦没した学徒兵ともに、自分の亡くなった、自分が見も知らない祖父に対してオマージュされている。
大日本帝国に関連し、しかも、インド人となると、チャンドラ・ボースがすぐに思い出され、あの、戦前の無責任体制の中(今もそうかな?)、無謀な作戦計画を実行して、無駄に日本将兵を死なせた「白骨街道」のインパール作戦が思い出される。実際、チャンドラ・ボースが率いる、反大英帝国の「国民軍」は、この作戦に参加しており、或いは、監督チョウハンの未だ見たことがないという祖父はこの作戦に参加して、ジャングルの白骨になったかもしれない。そんな余韻を以って本作は、終わるのであるが、その最終の力強い映像イメージは、極めて非日本的であり、その忘却への「反骨精神」は、筆者には、好感が持てる。
「そら」を演じた女優円井わんは、筆者には、本作における「発見」であり、今後の活躍が属望される。撮影の、Max Golomidovも言及してしかるべきであるが、その内省的な音楽を担当した香田悠真(こうだゆうま)も今後記憶すべき名前であろう。
ワイルド アパッチ(USA、1972年作) 監督:ロバート・アルドリッチ
殆ど仏教的死生観に達しているランカスターに敬意を払うものである
戦争もののよくあるプロットの一つの筋は、士官学校ポット出の若い将校が実戦経験を積んで成長してベテランになっていくという、いわば、教養小説(ドイツ語でいうビルドゥングスロマーン)的展開である。本作も、その西部劇版と言え、その当該人物をデ・ビュイン少尉という。(英語でLieutenantは少尉にも中尉にも使えて、本作についてのWikipediaの解説には中尉と出ているが、本人の言によると、士官学校を出て半年経ったばかりだというので、ここは敢えて「少尉」と訳しておく。なお、本作についてのWikipediaのあらすじの投稿には間違いが散見される。)
デ・ビュイン少尉は、牧師の息子だという。であれば、プロテスタント系であり、フランス語風の名前からして、彼はユグノー系のプロテスタントかもしれない。分厚い聖書を読み、良心的な人物らしい。その彼が「白人」のキリスト教的倫理観を体現する。そして、この倫理観を以って、彼は、「赤銅色人」の「アメリカ原住民」の「残虐さ」に対峙させられる。なお、この若輩将校を演じているのが、本作の2年前に、学生運動・反戦運動映画の『いちご白書』で有名になったBruce Davison である。
一方、経験不足の将校の脇を良き軍曹が固めなければ、小隊は上手く機能しない。という訳で、Richard Jaeckel 演ずるところの軍曹がデ・ビュイン少尉を補佐する。もう一人の「お守役」が老練な白人のスカウト、マッキントッシュで、実は、本作の主人公は彼なのである。若いインディアン娘と同棲している彼は、職業柄インディアンの世界に精通している。ある種の達観を匂わせるマッキントッシュは、いわば、白人世界とインディアン世界の間に立つ「通訳」の役を担っている。このような難しい役を当時こなせるアメリカの俳優というとBurton、„Burt“ Lancasterしかいないのではないか。L. ヴィスコンティ作の『山猫』(1963年作)では、自身が所属する貴族階層が市民革命の前に没落していく運命を、ある種の諦観と矜持を持って受け入れる深みのある役を見事にこなしたランカスターであった。だからこそ、本作のラストシーンもまたそういう次元の重みが出てくるのである。必見である。
さて、「悪役」のアッパチ族のUlzanaは、有名なジェロニモと同時期の実在の人物で、実際に1885年に居留地から逃亡して、いわば、強奪と殺戮の限りを尽くすのであるが、実際にはこの時騎兵隊に追われながらもメキシコへ逃切るのである。しかし、映画では別のストーリー展開となっており、そこに監督のRobert Aldrichと脚本家のAlan Sharpの制作意図も感じられる。Ulzanaの最期に日本人の観衆としてそこに「武士道」を読み込むのは筆者だけではないかもしれない。
アメリカ西部劇史の転換点となるA.ペン監督の『小さな巨人』が出たのが本作の出る2年前の1970年である。本作は、撮影的には残念ながらB級映画のレベルであるが、ストーリー的には『小さな巨人』を接ぐものである。
2022年7月26日火曜日
カツベン!(日本、2019年作) 監督:周防正行
映画の出だしで、白黒で「東映」と出てくる。もちろん、本作の配給が東映なので、そうなのであるが、しかし、『カツベン!』という題名から言えば、「日活」が出てほしいところである。「日活」とは、1912年に成立した、伝統ある映画会社であり、その正式名称が、「日本活動冩眞株式會社」 であるからである。
写真技術は、既に19世紀半ばにはあり、そのカメラという箱が、「真実を写しとる」というところから、その名が来ているのは、若干自信過剰な呼び方ではあるが、その「写真」を「アニメート」すると、「活動写真」となる訳である。一方、「映画」という呼び名は、「画を映写する」という意味であり、よりニュートラルな言い方であることには間違いない。
続けて出てくるクレジットも中々凝っている。無声映画時代の、ヨーロッパの装飾文字、とりわけ、アール・デコに影響されたレタリング、いわゆる、日本で言う「キネマ文字」で書かれてある。それを受けて、最初のシーンは、無声映画によくある真四角なフォーマットでの白黒映画で、二人の男児が竹林の中を駆けている。背景音は、あの、フィルム映写機がまわっている時の金属音である。
間幕字で「種取り」という聞き慣れない言葉が出てくるが、それは、カメラをまわして撮った映像素材のことを言い、それを「種」にして、あとで「編集」するという訳である。主人公を含めた男児三人と犬一匹の「ちびっ子ギャングたち」が、竹林の中を駆けながら、そんな会話しており、彼らは、その「種取り」の場所に急いでいるのである。
彼らが竹林を出た所で、松の木の前に立って、女装をした役者が、ちょうど「立ちしょん」をしている。この時期は、「女優」という存在が稀であることを、また、劇映画が、歌舞伎やその改革運動である「新派」に支えられて発展したことが、このわずかなエピソードで十全に提示される。こうして、『カツベン!』というタイトルがクレジットとして現れる。ここまでの、無声映画の歴史を、手際よく、かいつまんだ出だしは、流石は、周防監督である。
このタイトルが出終わると、場面が変わって、ここからはカラーである。ちょうど、「映画の父」たる牧野省三が、恐らく京都に近い奈良県にある村で、見物する村人に囲まれて、「種取り」をしているシーンである。彼は、もちろん、時代劇、つまり剣戟映画、より大衆文化に寄り添って言うならば、「チャンバラ映画」を撮っているのである。説明のテロップが入って、物語り上の現在は、大正四年、一九一五年のことである。さっきの「立ちしょん」をしていた女形も登場し、演じている役者たちは、「いろはにほへとちりぬるを...」と発声する。無声映画であるから、きちんとした台詞を言う必要はなく、ただ口を動かしていればいいからである。こうして、本作の主人公たち男女の、未だ幼少の頃の、「活動写真」、略して、「写真」を巡っての出逢いが始まる。それには、映画鑑賞時になくてはならない嗜好品、あの黄色の図案の紙容器に入った「大正キャラメル」を頬張りながら。(実際、現実にある会社の「森---ミルク・キャラメル」が、携帯用にして売られるようになったのは、大正四年からであると言う。)
さて、場面は一挙に十年跳んで、1925年となる。翌年には年号が昭和となる年である。職業としての「活動写真弁士」、それを略すると、「活弁」となるが、この呼び名を「弁士」自体は好まなかったようで、彼らは、自称「映画解説者」(関西圏で)と名乗っていたと言う。
元々、日本では落語や講談と言うように一人話芸が発展しており、また、人形浄瑠璃や歌舞伎では、脇から語りや囃子が添えられて、舞台上での演技を総合的に楽しんできた伝統があった。故に、日本の大衆は、西洋からの文明の利器によって写しだされる見慣れない情景にはこれを解説してくれる人が舞台の脇に立っていても何ら違和感は感じられなかったのである。
この「弁士」の存在こそが、日本無声映画史の特徴なのであり、それ故に、他の諸外国が、トーキー映画が出て、これにすぐに30年代の初めに乗り移ったのに対して、1938年までも無声映画が日本では撮られた、重大な理由であった。フランス人のリュミエール兄弟が開発した、現在と同様の投射方式のシネマトグラフが日本に入ったのは、1897年、早くもその翌年には、短編ではあるが、日本人自身が撮った映像が上映された。こうして、弁士の活躍の場が始まる訳であるが、それは、基本的には、溝口健二の無声映画『折鶴お千』(名女優山田五十鈴主演)が撮られた1935年までのことであり、弁士の凋落の運命は、1931年には既に決まっていた。この年、日本でトーキーによる最初の本格的中・長編劇映画『マダムと女房』が撮られ、また、同年、外国映画『モロッコ』には字幕スーパーが付けられるようになっていたのである。
この弁士の消えゆく運命を考える時、フランスの新聞連載小説から採った怪盗「Zigomar(ズィゴマール)」の映画『探偵奇譚ジゴマ』のための「カツベン」で終わる、本作のラストシーンは、正鵠を射ていると言えるであろう。フランスで1910/11年に制作された『探偵奇譚ジゴマ』は、早くも同年に浅草でも上映され、大ヒットした洋画作品第一号であった。
以上、「ご高覧頂き、誠にありがとうございました。」
2022年7月25日月曜日
リヴィッド(フランス、2011年作) 監督:アレクサンドル・ビュスティロ、ジュリアン・モリー
フランス、北西部にあるブルターニュ地方、その最西端にある県が、フィニステール県である。大西洋に突き出たこの県の、さらに最西端にあるのが、比較的有名な町ブレストであり、ここから湾を挟んで反対側の南側にある港町が Douarnenezドゥアルヌネである。クレジット・ロールの最中、カメラは、灰色の空の下、この地方に特徴的な、少々おどろおどろしい十字架がある墓地を舐めるようにして撮っていく。すると、カメラは海岸線に辿り着き、やがて、海岸の砂に埋もれた屍体の頭部を捉える。この屍体の頭部を這いまわる蟹が去っていくと、頭部の口元から蛾が這い出して来る。この蛾というモチーフが後に重要な役を演じるので、気を付けたい。蛾や蝶は、魔女の化身であると言われている。(何故、Butter・fly「バターフライ」と呼ぶか、調べてみると面白い。)
クレジット・ロールが終わり、ストーリーが始まると、海岸通りの、あるバス停に若い女性が、革ジャンを着、毛糸の帽子を被って座っている。季節は、10月31日の木曜日で、この日の夜には、つまりはハロウィーンとなる日である。(これは、スラッシャー映画へのオマージュ)
座っている彼女が、主人公となるLucieリュシーで、彼女の後ろの風よけのボードには、10人以上の少女たちが、行方不明になっている張り紙が貼ってある。クレジット・ロールの屍体も、恐らく、行方不明になっている少女の一人であろう。
大写しになったリュシーの顔を見て、気が付くのは、彼女の右目が青色で、左目が黒ないし黒褐色であることである。
バス停の前に大型であるが、かなり年季の入った車が停まる。それは、訪問看護員のカトリーヌで、リュシーはこの日から訪問介護士の見習いとなる日であった。車中、カトリーヌは、すぐに、リュシーがheterochromia iridis虹彩異色症であることに気付く。カトリーヌは言う:目の色が二色の人間は、二つの魂を持っていて、その魂が片方の目から出て、他の目の方に入ったりすると。これが、本作の決定的な、第二のモチーフとなる。(因みに、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王も、虹彩異色症で、虹彩の色はブラウンとブルーであったと言われ、「一眼は夜の暗闇を、一眼は空の青を抱く」という伝承があると言う。)
映画は、ここから約10分間、丁寧にリュシーの、訪問介護見習いとしての行動を追う。彼女が、自我が強く、行動派であり、同時に、他者への思いやりがあることが、この過程で描かれていく。これがまた、映画の終盤でのストーリー展開に重要なモチーフとなる。つまり、このことが、ホラー映画には珍しく、本作の終盤が、連帯と一種の「解放」としてハッピー・エンドに終わる布石になる、心理上の正当性の理由付けになるからである。
さて、もう一人の主人公は、ポスターにも写されているAnnaアナである。彼女は、等身大の、巨大オルゴールに付けられた、バレーリナで、オルゴールが鳴れば、永遠に踊ることを強制された、哀しい、お人形なのである。英語では、lividとは、「鉛色の」の意味で、フランス語のlivideリヴィドゥと共通点があるが、英語で、「土気色の」という意味が、さらにあるのに対し、フランス語では、「蒼白な」の意味であり、ポスターに写されたAnnaの、かさかさに乾いた蒼白さに、やはり、フランス語のlivideの方がぴったりと相応する。
なぜAnnaがこのような呪われた運命にあるかは、映画を観てのお楽しみであるが、ここで本作がオマージュとしている、あるイタリア映画が、本作のストーリー展開に、さらにもう一つの重要な役割を演じている。
そのオマージュの示唆は、映画の約3分の2ぐらいが過ぎたところ、リュシーが、彼女の彼氏とその兄弟の三人で押し入った館で見つけた、バレー教程の受講認定証である。ドイツ語で書かれてある、その認定証は、南西ドイツにあるFreiburgフライブルクという町にある、Tanzakademieダンス・アカデミーのもので、1908年度に出されたものである。これで、分かる人は、はっと思い付く。つまり、これは、イタリア製猟奇映画ジャンル・Gialloジャッロ(江戸時代であれば、「黄表紙本」)の金字塔の一つを飾る『サスペリア』(監督:Dario Argentoダリオ・アルジェント、1977年作)へのオマージュであると。
Gialloジャンルとは、1960年代から70年代にイタリアから発信して一世を風靡したスタイルである。大衆紙が狙う煽情的事件(とりわけ、サイコパス的な女性連続殺害事件)をストーリーの核とし、それをイタリア絵画よろしく、色彩豊富に、大胆な画面構成で撮り、それにエンニオ・モリコーネ的音楽を付けて、本来のB級映画を芸術的に底上げすると言うのが、様式的メルクマールとなる作風である。
という訳で、本作でも、部分的に気の利いた画面構成を見せながら(撮影監督:Laurent Barès)、如何にもホラー映画に相応しいサウンドのBGMを使いながら、バレーに付けるようなクラシック音楽も多用されている。(音楽監督:Raphael Gesquaz)
F.ショパンの夜想曲、ベートーヴェンのピアノ・コンチェルト、そして、なくてはならないベートーヴェンのピアノ・ソナタ「Mondscheinsonate月光ソナタ」が静かに流れる中、おぞましい光景を鑑賞するのも、中々の興趣であろう。
地獄門(日本、1953年作) 監督:衣笠貞之助
本作のストーリーにおいて、源氏系統の遠藤盛遠が、平治の乱後、どうして平清盛から褒賞を得ることを許されたか、まずは、この疑問を解くことにしよう。
白河天皇が、摂関家藤原氏の専横を嫌って、1086年に自らの天皇の位を譲って、上皇(出家すると「法皇」)となり、この地位から更に政(まつりごと)を行なおうとした体制を「院政」という。要するに、ワンマン社長が、常務会の役員に何だかんだと言われるのが嫌で、自分の息子に社長の地位を与え、自分は「会長」になるが、その社長の息子を差し置いて、やはり自分が会社経営に指図を与えるような、いわば、「年長者」が支配体制を維持する方式を「院政」と言う。そして、上皇は、自己の暴力装置として、「北面の武士」を設置する。遠藤盛遠は、この北面の武士の一人であった。
こうして、摂関家藤原氏自体の朝廷内の権力は、これ以降、衰えを見せてくるが、院政時代も50年以上過ぎるとマンネリ化を見せ、1156年、院政から天皇親政への揺り戻しが起こる。これが、保元の乱で、皇位継承問題に摂関家の内紛が絡み、更に、藤原氏出身の有能なテクノクラート信西(しんぜい)の立ち回りのよさも加わって、後白河天皇親政体制が成立した。それは、また、私有地である荘園を記録・再管理して、嘗ての奈良時代の天皇中央集権体制、即ち公地公民制に基く律令制を蘇らせようとした、平安時代の最後の試みでもあった。
しかし、こうした武士(もののふ)が実力を発揮し、その武力を背景として、政治的反対派を「処分」(数百年ぶりに死刑を執行)する動きに、歴史の「転換点」を見た者がいた。天台宗僧侶・慈円である。彼は、その鎌倉時代の史書『愚管抄』において、この乱を以って、「武者の世」が始まったと書いている。(歴史の転換点という意味では、21世紀の「保元の乱」が、プーチンによるウクライナ侵攻であろう。)
その『愚管抄』は、盛遠に触れて次のように書いていると言う。乱暴で、行動力はあるが学識はなく、人の悪口を言い、天狗を祭ると。そういう彼が、ある時(それが本作のテーマである)、発心(ほっしん)し、真言宗僧侶文覚(もんがく)となり、京都高雄山神護寺の再興を後白河天皇に強訴する。そのため、彼は伊豆国に配流され、それが契機で、保元の乱後に同じく伊豆国蛭ヶ島に配流の身だった源頼朝と知遇を得る。そうして、この文覚こそが、アジテーターとなって、頼朝に反平家の反旗を翻らせたことは、歴史の一つの皮肉とも言えよう。
保元の乱から4年後の1160年、平治の乱が起こった。再び皇位継承問題が起こり、後白河天皇は、今度は自分がその地位を譲って上皇に「させられ」、新たに二条天皇が天皇となる。こうして、保元の乱と同様に、院政派と天皇親政派の対立が成立し、それに、信西一門の専横に対する、貴族・武士の反感が強まっていたことも加わり、信西派と反信西派の対立もこれに加わることになる。平治の乱は、信西に見限られた後白河上皇が、政治的に孤立化することを恐れて起こしたクーデターであったとも言えるのである。
本作のストーリーでは、その後白河上皇が院御所・三条殿で「襲われて」、その時に、上皇の姉・上西門院が追手に拉致されようとするところ(史実では彼女も捕縛されて、後白河上皇共々連行される)、この上西門院の身代わりとなって、上西門院の女房であった袈裟御前(その生い立ちは不明)が三条殿から逃げることとなり、その護衛として遠藤盛遠がそれに付き添い、彼が、静御前などと並ぶ日本史上の絶世の美女・袈裟御前の美しさを知るに付けて、その美貌に「血迷って」、「狼藉」を働くというのが、ストーリーの起承転結の内の「起と承」である。盛遠、この時18・19歳であったと言えば、若気の至りと、さもありなんではあるが、本作での盛遠役の長谷川一夫では、若干歳が行き過ぎるのが難点である。
この盛遠、実は、『袈裟の良人』(菊池寛の書いた、本作の原作名)である渡辺渡(わたる)の従兄弟なのであった。しかも、遠藤氏は、渡辺氏の下位に位置する家柄であるとすれば、盛遠の、袈裟御前への狂恋は、人妻へのそれであり、しかも家柄の下位の者から上位の者へのものだったという、二重の「タブー」であったと言える。その意味でも、盛遠の、その狂恋ぶりが窺えよう。
さて、その『袈裟の良人』渡辺渡であるが、彼は、いわゆる渡辺党の一人であり、渡辺党とは、摂津国西成郡渡辺津(現在の大阪市中央区)という、旧淀川河口辺の港湾地域を本拠地として一族が集住して形成した武士団を言う。故に、瀬戸内海の水運に関わって瀬戸内海の水軍の棟梁的存在になっていた。
この渡辺党の先祖を辿っていくと、源氏にある二十一流中の嵯峨源氏の系統に行き当たる。嵯峨源氏の初代・源融(とおる;この好字を用いない一字名は、嵯峨源氏の特徴)は、『源氏物語』の光源氏のモデルになった人物と言われるが、この源融を遠祖として、子孫の源綱(つな)が、母方の縁故で、関東から渡辺津に移り住んで、渡辺氏の祖となったと言う。改名した渡辺綱は、摂津源氏の源頼光の郎党となり、「頼光四天王」の筆頭と呼ばれて、『御伽草子』などに載る、大江山の酒呑童子退治の話しに登場するなどして、その剛勇が喧伝される。渡辺綱の子孫は、こうして、京都へも進出し、内裏で天皇の警護を担当する滝口武者(いわば「近衛部隊」)を世襲することになる。
そして、平治の乱当時は、摂津源氏の当主は、源頼政であり、彼は、二条天皇の母親の家人であったことから、源頼政共々渡辺党もまた二条天皇派に付くことになる。故に、渡辺渡もまた、二条天皇派として、平治の乱を生き残る訳である。
一方、平氏は、既に保元の乱で勢力を伸長させていたが、清盛の政治的・軍事的「嗅覚」の敏感さから状況を上手く読んで立ち回り、信西派と反信西派の対立、二条天皇派と後白河上皇派の対立から漁夫の利を得て、平氏政権樹立へと確実な一歩を飾ったのであった。彼こそが、公卿たちから蔑まれていた「もののふ」の低い身分から、初めて、朝廷の最高位「太政大臣」になった人物であった。こうして、平治の乱後に「第一人者」となった清盛が、二条天皇派に立った源頼政と渡辺党に関係のある遠藤盛遠に、上皇の姉の身を護った手柄として、褒賞を取らせようとした訳である。
本作のストーリーは、はっきり言って、三流とまでは言わないが、二流である。その意味では、本作の音楽を担当している芥川也寸志の父親、龍之介が1918年に書いた短編『袈裟と盛遠』の方が、心理主義的解釈で余程面白い。(青空文庫のサイトで手軽に読める。)
それに対して本作のスタッフがすごい。監督が、『狂った一頁』(1926年作)で日本の無声映画を世界のアヴァンギャルドのレベルに引き上げた衣笠貞之助、その衣笠と終生のコンビを組んだキャメラマン杉山公平(吉村監督作『源氏物語』で1951年にカンヌ国際映画祭撮影賞受賞)、助監督があの三隈研次、色彩指導・衣裳デザインが、戦前から色彩の標準化を提唱していた洋画家の和田三造、技術監督が、キャメラマンとしてカラー撮影の草分け存在となり、1952年には渡米して色彩技術を研究してきていた碧川道夫という錚々たるメンバーであったのである。
こうしたメンバーを揃えたのも、本作が日本初のイーストマン・カラー作品として、策士の大映社長永田雅一の、「鶴の一声」の下、製作されたからである。それは、イーストマン・カラーの濃厚な色彩だけではなく、平安朝の王朝絵巻を活動写真化したような、伝統的な和色や中間色がきめ細かに映像化される必要があったからである。
そして、その「挑戦」は見事に当たり、本作は、カンヌ国際映画祭では、パルム・ドール賞の前身にあたるグランプリ賞が、アカデミー賞では、外国語作品のための名誉賞と衣裳デザイン賞とが、ロカルノ国際映画祭では、金豹賞が授与された。色彩技術監督の碧川は、1954年度文部省芸術祭文部大臣賞を、現像を担当した東洋現像所は、日本映画技術賞を獲得したという具合であった。
本作はデジタルリマスター化もされており、しかも、それは、白黒フィルムに赤・緑・青の三色分解したマスターポジを基にしてなされたと言う。カラー映画の長期保存方法において現時点でベストであると言われている方法である。この意味でも、技術の粋を集めた復元作業の妙を本作を以って堪能したいものである。
2022年7月21日木曜日
ガンズ & ゴールド(オーストラリア、2014年作) 監督:ジュリアス・エイヴァリー
チンパンジーとボノボの社会行動の違いが本作となぜ関係があるのか。
ヒト科は、まず、アジア類人猿たるオランウータン亜科とアフリカ類人猿たるヒト亜科に別れる。さらに、ヒト亜科はゴリラ族とヒト族に、ヒト族はチンパンジー亜族とヒト亜族に分類されるという。(分類学上、「目」、「科」、「族」、「属」の順に小さくなり、原人なども入れた部分がヒト属となる)こうして、同じ「大型類人猿」といっても、ヒト(現生人類Homo sapiens sapiens)との近さは異なり、マレー語で「orang(人) hutan(森) = 森の人」といわれるオラウータンは、ヒトから最も遠く、同じ族に属するチンパンジー亜族が最もヒトに近くなる。ギリシャ語で「毛深い部族」という意味の「gorillai」が由来とされているゴリラは、今ではチンパンジー亜族には含められていない。故に、『猿の惑星』における類人猿の社会階層化で、ゴリラが下位に置かれたのも専らただの空想だけではないのである。
さて、チンパンジーと同じ属に属するボノボ種である。この種は、1929年に初めてドイツ人の動物学者エルンスト・シュヴァルツ(Ernst Schwarz)が、ブリュッセル近郊にあるベルギー領コンゴ博物館のチンパンジー種であると見られていた標本を比較していた際に発見された。それ以来、観察と研究が続けれているが、チンパンジー社会とボノボ社会とでは、とりわけ、その社会行動において違いがあると言う。
まず、他グループに対する敵対・闘争関係がチンパンジー社会ではより大きい。また、本体グループより一時的に分かれて形成されるサブグループ内では、メスがそこで生まれたグループを去るという「父系社会」であるという点では両者に違いはないが、サブグループを構成する成獣のオス対メスの比率が、チンパンジーでは、1:2であるのに対して、ボノボでは、1:1である。グループ内での個体の順位差はどちらもあるが、ボノボ社会ではメスに主導権があり、メス同士が緊密な関係を結んでいる。オス同士は、チンパンジーと違って、自分のグループ内での順位を上げるために「共闘」するということはなく、むしろ自分の母親との関係が密で、母親のグループ内での順位がそのオスのグループ内での順位を決める。というように、ボノボ社会は「母権社会」である。
さらに、興味深いのは、道具をボノボよりより多く使う知能があるチンパンジーの社会では、「子殺し」があり、さらには、カニバリズムがあるのに対し、ボノボ社会では、個体間の緊張を和らげる行動形態がある。つまり、性的行動で、これは個体の年齢、性別、グループ内の上下順位に関係なく行われて、これで以って個体同士の和解、緊張緩和が図られると言う。
以上長々とチンパンジーとボノボの違いを書いてきたが、これが本作と何の関係があるかというと、本作の終盤、主人公の男二人が交わす会話が、このチンパンジーとボノボの社会行動の相違、俺たちはどっちのタイプかの話しになるからである。蓋し、脚本も共作している監督Julius Averyはこのセリフを役者に言わせたくてこの映画を撮ったのではないかと、勘ぐられるぐらいであり、本作を観終わって、それぞれの役のキャラクター付けを思い出してみると、正にこの類型付けに当てはまると思われる。
こんな「味付け」の付いた本作のストーリーは、最初に、監獄に入った人間がそれをどう生きのびるかの「監獄もの」から始まり、親分が子分を庇護し、育てる「教育もの」(ここに原題:Son of a gunの意味あり!)、さらには、犯罪スリラー、ハイストもの、そして、「狐と狸」の騙し合いと、よく言えば、盛りだくさんであり、最後の「どんでん返し」も含めて、本作は観て損はない。
主演の一人スコットランド人ユーアン・マッグレガーは、やっている役に適役かどうか、イメージがいまいち合わないような気もする。なぜなら、俳優には演技をしていなくとも、そこに漂う独特の「体臭」というものがあるからである。
サッチャリズムの新自由主義政策がイギリス社会にどんな影響を1990年半ばまでに与えたかが(極東のある国では今でもこの新自由主義政策が行われている)、ノスタルギーを持って描かれた『ブラス!』(1996年作;原題Brassed off は正反対の意味を持ち、さらに、ジャルゴンとしては、「意気消沈した」の意)で、マッグレガーは好演し、『ブラック・ホーク・ダウン』(2001年作)では、戦闘中コーヒーを入れる特技士官役でそのコミカルさを出していた。或いは、この、「体臭」と役のミスマッチが、逆に監督の狙ったところであったのか、諸君の判断を仰ぎたいものである。
2022年7月20日水曜日
大地震(USA、1974年作) 監督:マーク・ロブスン
天変地異映画は、昔は、人間がただ右往左往するのが詰まらなく、本作は、筆者は公開当時は観ていない。当時は"Sensurround センサラウンド"という、地震を低周波の音波で擬似体験できる音響効果が目玉だったそうで、この年度のアカデミー音響賞を本作が受賞するに至った程であるという。今回は映画館では観なかったので、この擬似体験をするチャンスがなかったが、仮にあったとして、筆者がそのために、わざわざ映画館まで足を伸ばしたかは疑問である。では、今回なぜ観たか。やはり、ここ20年以上以来の、人為による地球温暖化が齎す気候変動と、それに伴なって頻繁に起こる天災が現実味を持って、しかも身近に感じられるからであろう。(実際、ハイチの住民は、2021年8月、地震とハリケーン並みの嵐の二重の天災に悩まされた。)
さて、本作における、CGを使わない特撮は、観ていて円谷並みに質が高いと思った。ロサンジェルスにある高層建築物が倒壊する場面、廃墟と化した都市のシーン、さらにはダム決壊により大洪水が何もかも押し流していくミニチュアの作りも、恐らく70㎜の大画面で見れば、それなりの迫力があったものと想像できる。
そして、1970年代と言えば、パニック映画が「蔓延った」時期である。そんなパニック映画の代表作の一つが本作である。主演は、もちろん、アメリカン・タフガイを体現するCh.ヘストンである。映画の冒頭から体力作りに余念がない建築家である。その妻を演じるのが、往年の美貌を感じさせるA.ガードナーであるが、両者の関係はうまく行っておらず、彼女はヘストンの愛を感じたくて色々と突っかかる。そのヘストンの心の「隙」に入り込むのが、夫に先立たれた子持ちの若い未亡人Geneviève Bujold G.ビュジョルドゥ(ビュジョ?)である。彼女は、年齢の差があるヘストンと肉体関係を結ぶ。その同じ日に、大地震が起こる。ストーリーは、上述の三人以外にも関係する人間たちがオールスターのように登場し、この大地震と、その結果としてのダム決壊の大災害の中で、それぞれの運命を生きる姿を人間模様のように描く。果たして誰が生き残るのか。
ところで、本音を言うと、随分、本作についてのレヴューを書こうか、書くまいか、迷った。なぜなら、本作はレヴューを書くほどの作品ではないからである。が、やはり、書こうと思ったのは、女優Geneviève Bujoldが気になったからである。美形の細面と言うより、三角形の顔で、額が大きく、きりっとした眉に賢そうな目をしている。鼻は短めで、鼻の先は丸まっている。その下には、少々肉感的な上唇が付いている。そんな顔立ちである。
彼女について調べてみると、名前から予想した通り、フランス系であるが、ケベック州モントリオールで1942年に生まれたカナダ人である。修道院付属の学校に通い、そこで正統のフランス語を習得、卒業後は演劇学校で演技を習い、61年に演劇、TV、ラジオ部門で活動を始め、ドキュメンタリー部門で日常の中の「真実」をありのままに撮ろうというCinéma véritéで名をなす監督René Bonnièreが撮った、カナダ製作の中編劇映画で1963年に映画界へのデビューを飾る。
翌年、Bujoldと同じくモントリオール出身のキャメラマン、Michel Brault(Cinéma vérité或いはカナダ、アメリカ合衆国におけるDirect Cinema運動を推し進めて、感度の高いフイルムを使い、携帯のカメラ・録音機材を持って、外界のシーンに入り込んでいくことを狙ったキャメラマン)が、30分の短編『Geneviève』にBujoldを使って撮る。この意味でも、Bujoldは、カナダ映画制作界の独自の発展のミューズだったとも言える。
65年、ある劇団に所属してロシア・フランスを巡業中、Alain Resnais監督に見込まれ、1966年作『戦争は終った』(イヴ・モンタン主演)で本格的長編映画でのデビューを果たす。翌年、Louis Malle作品『パリの大泥棒』での、ベルモンドの従妹役で、フランスの名高い新人女優賞シュザンヌ・ビアンケッティ賞を受賞する。(日本語版ウィキペディアでは、『戦争は終わった』で本賞を取っているとされているが、間違いのようである。)
Bujoldは、フランスでの成功を後にして、どういう訳かカナダに戻る。そして、モントリオール出身の脚本家兼監督兼プロデューサーで、彼女より11歳年上のPaul Almondと67年結婚する。Almondは、Bujoldを主役に68年から72年までの間に3本の作品をものにするが、その内の68年の作品『Isabel』が、ハリウッドのプロデューサーの目に止まり、それが切っ掛けでBujoldのハリウッド進出の一本目となる。それが、『1000日のアン』(69年作、R.バートンとの共演)であり、Bujoldは、エリザベス一世を産むことになるAnne Boleynアン・ブリンを演じ、この役でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、ゴールデン・グローブ賞主演女優賞を受賞する。
73年にAlmondとは別れることになるが、彼とは一児(男子)を儲けており、離婚か死別かの違いはあるにせよ、本作『大地震』の撮影には、役柄同様の、男手なしの一児の母親として役に臨むことになる。
今回Bujoldのフィルモグラフィーを見て、とりわけ推奨したい二作品がある。66年作で、Philippe de Brocaフィリプ・ドゥ・ブロカ監督が撮った『まぼろしの市街戦』(原題:『ハートのキング』)と、88年作で、カナダ人のDavid Paul Cronenbergが撮った『戦慄の絆』である。
『まぼろしの市街戦』では、Alan Bates演じるイギリス兵が第一次世界大戦末期の18年北フランスの、とある町にドイツ軍が仕掛けた時限爆弾を外しに単身向かい、そこで精神病院に収監されている人々と交流するというストーリーで、Batesは、Bujold演じるところの可憐な女性Coquelicotコクリコ(ヒナゲシ)に恋すると言う作品である。戦争の狂気を寓話的、風刺的に描いた佳作である。(ヒナゲシは、カナダの詩人で、従軍したジョン・マクレーの詩『フランダースの野に』に因むと言い、イギリス連邦の国々では戦没者の象徴とされていると言う。)
もう一本の『戦慄の絆』は、ジェレミー・アイアンズが、スター産婦人科医の一卵性双生児二人を一人二役で演じ、微妙な共生で成り立っていた二人の兄弟が、Bujold演じる女優の登場により、その均衡関係が崩されて、自滅していくと言うサイコ・スリラーである。Bujoldは、この役によりロサンジェルス映画批評家協会賞で最優秀助演女優賞を獲得している。この作品は、クローネンバーグの典型的な、いわゆる、生物学的な「ボディー・ホラー」の面があるが、ここではむしろサイコ面での、じわりとしたストーリー展開となっており、個人的に好みである。
Bujoldは、1990年代以降はTV、映画部門でその活動の中心をカナダに置いており、カナダの、映画賞、テレビ賞をいくつか取りながら、2021年現在も活躍を続けているようである。
2022年7月19日火曜日
グランド・マスター(香港、中国、2013年作) 監督:ウォン・カーウァイ
本作は、 1893年生まれの、詠春拳葉問派宗師Ip Manの一代記を、ドラマティックに脚色して、「スケッチ」したものである。とは言え、葉問の幼少の頃は殆ど語られず、ストーリーはいきなり1936年から始まる。葉問、齢すでに43歳の時である。広東省にある商業都市佛山で裕福な家に生まれ、功夫の達人として名を成し、美しい妻張永成との間に子供も儲けて、幸福に暮らしている葉問であった。(ウィキペディアによると、葉問は七人の子女を儲けたが、その内の三人は夭逝し、日中戦争中の貧しい生活苦の中、娘二人も亡くし、男子二人のみが残ったと言う。)
この葉問の幸福な時代の、中国の富裕層の生活ぶりが、やはり興味深い。そこに中国文化の伝統の深さが感じられるからである。この中国文化の深さに、地理的次元が加わって、ストーリーは、壮大な展開となる。中国東北部の功夫の総領・宮(ゴン)が、中国南西部の功夫諸流派に「挨拶」にやってきたのである。中国史の伝統的な対立の図式、揚子江以北と揚子江以南の二つの中国文化の発展的対立の「止揚(Aufheben)」である。
こうして、葉問と宮の現実の物理的力試しではなくイメージ上の「一騎打ち」となり、葉問は宮に自分の技の優位を見せる。このことを受け入れられない宮の娘若梅(ルオメイ)が葉問に挑み、息詰まる互角の闘いの中、二人は恋に落ちるのであった。この実ることない、不幸な愛が、本作のストーリーを導く「赤い糸」となるのである。
さて、この実ることのない愛は、もちろん、脚本も共同執筆している監督ウォンの創作であろう。芸術上の自由があるのであるから、創作は当然であるが、ウィキペディアに書いてある葉問の略歴を読んでみると、興味ある点が二・三ある。
まず、葉問16歳の時の1909年に彼は、香港に留学に行っており、そこで外国語や数学などを学んだという。9年も香港に滞在したのち、1918年、つまり、19年の大日本帝国による対華二十一ケ条が出される前年に、葉問は、佛山に戻り、警官の職に就いて、張と結婚する。この警官の職に就いていたことが、日中戦争終結後の国民党政権下で、葉問が警察局刑偵隊隊長、督察長、広州市衛戍司令部南区巡邏隊上校隊長などを歴任したこととつながる。同時にこのことが、葉問が妻子を置いて、49年に中華人民共和国が成立して、香港に「逃げた」理由でもあった。この事実が、映画でははっきりと描かれていないことに一種の「自己検閲」を感じる。
製作が香港、中国であり、本作が中国本国でも上映されていることからも、「自己検閲」がある程度は必要であったにせよ、制作の2013年から約8年が経って、当局の中国版「破防法」の適用により、香港の民主主義と自由の火が消えた今となっては、本作を観ながら、ある種のやるせなさを感じるのは、筆者だけではないであろう。
監督ウォンは、上海生まれで香港を拠点に活動していた人間である。本作以降、上梓している作品は、寡聞にして、ない。主人公の葉問役は、香港のスター俳優、梁 朝偉(広東語: リョン・チウワイ、トニー・レオン)。その相手役は、北京生まれの章 子怡(チャン・ツィイー、拼音: Zhāng Zǐyí)。葉問の妻役を、大韓民国の女優ソン・ヘギョが演じている。こうした「国際性」を映画一本に託することが、今も可能なのであろうか。
王家衛ウォン・カーウァイ監督と言えば、彼と名コンビを組んでいた、オーストラリア出身の撮影監督Christopher Doyle クリストファー・ドイルがいるが、本作では、フランス人撮影監督Philippe Le Sourdフィリップ・ル・スールが、撮影に当たっている。
音楽ヴィデオ畑で活躍しているキャメラマンらしく、確かにスタイリッシュな画像をワンショット、ワンカットで決めてはいるが、何か表面的な美しさで終わっており、底が浅い。クローズアップを多用した、そして、「激しい」モンタージュを使った手法は、確かにマーシャル・アーツの場面を撮るには適しているかもしれないが、如何にもグラフック・ノヴェル的で、筆者には、映画開始後半時間で飽きが来てしまった。因みに、Le Sourdは、本作により、アジア地域での有名どころの映画祭(台湾、日本、香港、北京)で撮影賞を総ざらいしている。好みがあるとは言え、やはり映画祭の評価の「相対性」を肝に銘じておくことが大事であろう。
2022年7月18日月曜日
舟を編む(日本、2013年作) 監督:石井 裕也
ストーリー自体は想定内だが、ある時代が終焉したエレジーを謳いあげるのが本作。一度ご覧あれ!
『船を編む』と初めて題名を読んだ時、その詩情におやっと思った。そして、本作を観た。観て、観た甲斐があった。主人公には「かぐや姫」との恋が実り、12年来の努力が報われる、ハッピー・エンドで終わる本作は、しかし、それは、同時にある時代が終わったという「白鳥の歌」でもある。
本作は、1995年をストーリーの基点とする。泡沫経済が壊れて、平成不況となり、会社はリストラ、政治は、「行革」の新自由主義が蔓延る。いわゆる既得権益を潰そうという連中は、新しい権益を抱え込む。人は、「勝ち組か負け組か」に無慈悲に振り分けられる。そういう時代に、本作のストーリー上の国語辞典が編集され、その現代語に重点を置きたいという新辞典は、「ロスト・ジェネレーション」の10年がなんとか終わって、リーマン・ショックが起こる直前に発売される。
映画の中で最初に「だいとかい」と聞いて、すぐには「と」が漢字でどう書くかを思い浮かべられなかった。説明されて、「大渡海」と分ったが、それでも、どうしても「大都会」と連想してしまい、何かしっくりしない。しかし、言の葉の世界を海に、それも大海原にイメージするのは、個人的に納得がいく。
言葉を鳥獣や草木に喩えて、それらが多く集まった所と考えれば、「広辞苑」となる。言葉を一本一本の本木と喩え、それらが多く集まった所と考えれば、「大辞林」となろう。万の葉が泉から湧き出るように一枚一枚出てくるとすれば、それは、「大辞泉」である。しかし、言語の世界を大海原と捉えるならば、それは、「大言海」である。そして、この「大言海」は、実際に1930年代に編纂者の衣鉢を接いで出版され、その前身に当たる「言海」は、国語学者大槻文彦によって、1891年に完成自費出版が達成されていた。「言海」は、近代国語辞典の祖であると言われ、本映画の原作者三浦しをんもこの「大言海」に敬意を表して、作中の架空の中型辞典を「大渡海」と名付けたのであろう。しかし、辞典が仮に渡り舟として機能するとして、現代において、果たして、渡り着く岸辺は見えるのであろうか。
作中、印象的な場面が二つある。一つは、主人公が、国語学者松本と一緒に「ナウい」「ギャル語」を用例採集しに、あるファースト・フードに実地で足を運ぶ場面である。デジタル化が進んだ現代ではまず考えられないことではないか。そして、もう一つ、ゲラ刷りの校正に学生が何人も駆り出された場面である。今では、テレワークで、何人もの人がひとところに集まって一つの作業を協同で遂行し、完遂の暁にはその喜びを分かち合うということが今ではあるのであろうか。その意味で、今ではこういう「アナログ」の、国語学者の「職人技」で出来上がった、編纂者の語釈の個性が出る国語辞典はもはや望めないのではないだろうか。
新語は現在ではいくらでもデジタル化によって膨大なコーパスに自動的に採集されてしまう。しかし、国語辞典に採録される「新語」はいくつあるであろうか。流行に流されずに生き続けた生命力のある言の葉こそ国語辞典には仲間入りが許される。
ウミガメはその卵をある砂浜に産みつける。仮に百個の卵が孵ったとしよう。孵ってすぐにウミガメの子供たちは、まっすぐに海を目指す。その途中で既に海鳥についばまれる危険がある。もしや、無事に海辺に到達し、海中を泳ぎだしても、彼らには、より大きな魚に食べられてしまう危険が常に付きまとう。百個中本当に立派なウミガメに成長する確立は、恐らく2%にも満たないであろう。こうやって、いくつも産み出される新語は、時間に淘汰されて辞典に生き残るのである。だから、言葉は大事にしよう。分からない言葉は、辞書を引こう。面倒でも、少々時間が掛かっても、その間に何度もその分からない言葉を繰り返すことによって、その言葉は、辞書を引いている人間の「身」になるのである。
古武士が背筋を凛として伸ばしたような国語学者松本を演じた加藤剛と、その「古木」にそっと寄り添うように未だに清楚に咲く白百合のような八千草薫に、筆者は万来の拍手を送るものである。
イヴの時間 劇場版(日本、2009年作) 監督:吉浦 康裕
2012年にスェーデンのテレビで第一シーズン、20話で放映されたSFものシリーズがある。『Real Humans』という題名で、ロボットの使用が当たり前になっていた近未来社会がここでは描かれている。工業用ロボットは、もちろん、介護ロボット、更には、各家庭で家事を行なわせるロボットも存在している。ヒトは、自動車販売店に行くように、各種ロボットが見学できる展示場に行き、使用目的に応じて、好みのロボットが買えるようになっている。搭載させるAIによっては、ロボットをパーソナライズすることも可能である。こうしたロボットを、Human Robots、Hu-と-botsを組み合わせて、Hubotsと呼んでいたが、学習機能を有したAIを持つHubotsの一部は、自我意識を持つようになり、自らをfree Hubotsとし、自立した存在として「生きよう」としていた。「彼ら」は、自己生存のためにはヒトを殺すことも厭わないが、機能するためには一定時間毎に充電しなければならず、これが彼らの「生きる」ためのネックとなっている。
- 反Hubots団体は、Hubots狩りに躍起になっており、Hubotsが自立することは、ロボット法に違反することでもあるので、警察がフリーHubotsを追いかけ回すという状況であったが、一方、ヒトの一部にはHubotsを「人並に」扱おうとする人間も出てきて、そういう人間は、transhumanであると呼ばれる。こうしたセッティングでこのTVシリーズは、20話を重ね、恐らく反響がよかったからであろう、更に、第二シーズン分の20話が制作された。
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- 本作『イヴの時間』を、上述のスェーデンのTVシリーズと較べると、I.アシモフの言う「ロボット工学三原則」が『イヴの時間』で重要な役割を演じる以外は、ほぼ似たような構成である。『イヴの時間』では、反ロボット団体である「倫理委員会」が存在しているが、それは、ロボットが社会に蔓延っていることへの「警鐘」である。ここでは、ヒト型ロボットは、「アンドロイド」と呼ばれているが、とりわけ、家事に特化したアンドロイドを「ハウスロイド」という。
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- ハウスロイドには、AI「Code:Life」が搭載されているが、AI技術はより進んでおり、アンドロイドは、認知面だけではなく、情緒面でもよりヒトに近づいている。というのは、AI「Code:Life」は、より進化したAI「Code:EVE」を、「情緒抑制回路」でグレード・ダウン化したものである。故に、自我意識に到達したアンドロイド達は、仕えるべきご主人様、つまり「マスター」が自分達に「ロボットらしい」反応を求めていると、ヒトに「気遣って」、わざと無機質に振舞うという、高等な反応をしているのである。そして、transhumanな本作の主人公は、アンドロイドの「人間性」に目覚めていく。
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- さて、両性具有という言葉は、ラテン語でandrogynusと書く。andro-が「男性」、gynusが「女性」で、これが結びついて複合語を形成しているので、男性・女性の両性性を兼ね備えた「もの」ということになる。ここまで読んですぐ気づかれた方がいるかもしれないが、Androidとは、Andro-と接尾語-idとの複合語なのである。そして、接尾語-idとは「~のようなもの」という意味なので、Androidとは、「男もどき」という意味になる。
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- という訳で、3月8日の「国際女性デー」もある昨今、gynusならぬGynoidガイノイドという言葉も当然のように使うべきかもしれないが、ジェンダー論、GLBTQ論が「やかましい」最近の状況を鑑みると、Humanoidフマノイードが時代により適合した表現かもしれない。
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- と思い、色々調べると、Humanoidとは、頭と四肢を持ち、二足歩行をするロボットを指すと言う。Androidは、ヒト型ロボットの内、より発展したロボットを言うとすれば、GynoidだけではなくNeutroid「中性もどき」も含めた名称が必要であろう。この意味で、やはり、スェーデンのTV映画で出た造語Hubotが現代の要求に合った名称かもしれない。が、よりそれ以上な問題な点を提起しよう。ウクライナ侵攻を目の当たりにして、「情緒抑制機能」が欠如したヒトは、果たして、人間であろうかという、「哲学的」問題を諸君に投げかけたい。如何であろうか。
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- 最後に、本作『イヴの時間』に一言苦言を言うとすると、主人公リクオのハウスロイド「サミィ」と喫茶店「イヴの時間」のウェートレス・ナギ、そして喫茶店の常連客であるグラマラスなアントゥラージュ・リナが、筆者には作画的によく区別できなかったことである。よくある安易に登場人物の髪の色だけ変えてキャラの人物設定をするのだけは止めてほしいが、もう少し工夫があればと思う。注文に過ぎるかもしれないが。
2022年7月17日日曜日
彼は秘密の女ともだち(フランス、2014年作) 監督:F.オゾン
原作は、イギリスのベストセラー女性作家Ruth Rendellの短編集「The New Girlfriend」からの、同名の小品であるところから、場所のセッティングも何れにしてもフランス風には変えなかったのであろうが、本作の内容の浅薄さは、その原作となる短編小説がその責を負っているのかもしれない。脚本は監督のF.オゾン自身である。ウィキペディアによると、原作発表当時からオゾンは原作の映画化の案を温めていたと言う。(因みに、本作の日本語題名の、ネタバレの野暮さは言わずもがなであろう。)
F.Ozonと言えば、センセーショナルなストーリー展開で性や人生の問題をテーマとして映像化していた映像作家のイメージが強いのであるが、その作家活動の初期である1990年代半ばから短編・中編を撮っていた頃は、彼は、その才能が評価されて「短編王」と呼ばれていた程であったと言う。97年作の中編『海をみる Regarde la mer』はその代表例である。『ホームドラマ Sitcom』(1998)から長編映画を撮るようになり、2000年代の初めの『まぼろし Sous le sable』(2000)、『八人の女たち 8 femmes』(2002)、『スイミング・プール Swimming Pool』(2003)などの作品で、次第に商業作品性が強まっていったと言ってもよいであろう。筆者は、その後のオゾン作品は、ほとんど観ていない。『スイミング・プール』で何か見飽きた感が出たからであった。唯一の例外は、2016年作の『婚約者の友人 Frantz』で、この作品では、第一次大戦後の独仏関係を上手く白黒で撮っている。
今回偶然に『婚約者の友人』の2年前に撮られた本作を観て、やはりオゾン作品への見飽きた感が再確認されたが、ジェンダー論、性的自己同一性について改めて思われされた。
最初は、身体的性と性的志向に焦点を合わせて、LGBが措定され、それに更に性的自己同一性の問題が絡んで -TQが付き、最近では、これに-Iが付くと言う。女性・男性の間Interと言うらしい。女性、男性の二元論で語ること自体が問題であり、その規定を越えた見方こそが必要であろう。つまり、「中性」である。であれば、規定すること自体が無意味になる。ダヴィッドの場合、身体的性は、「男性」であるが、意識は、「女性」であり、その女性Virginia(「処女地」)としての意識を以って、女主人公クレールを愛するとすれば、それは、レズビアンである。
とは言え、このようなダヴィッドとクレールとの間には子供が生まれる可能性がある訳で、このようなカップルの存在には、自民党右派の「家父長」主義者たちでさえも、同性愛カップルに対する、その「生産性」がないことでの非難をすることはできないはずであろう。
青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己
冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる: 「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...
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主人公・平山の趣味が、1970年代のポップスをカセットテープで聴いたり、アナログ・カメラで白黒写真を撮ったりすることなどであること、また、平山が見る夢が、W.ヴェンダースの妻ドナータ・ヴェンダースの、モノクロのDream Installationsとして、作品に挿入されているこ...
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中編アニメ『言の葉の庭』(2013年作)で大人のアニメへの展開を予想させた新海アニメ・ワールドは、次の、長編アニメ『君の名は。』(2016年作)以降、『天気の子』(2019年作)を経て、本作(2022年作)へと三年毎に作品が発表され、『言の葉の庭』とは別の歩を辿る。『君の名は。...
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映画の出だしで、白黒で「東映」と出てくる。もちろん、本作の配給が東映なので、そうなのであるが、しかし、『カツベン!』という題名から言えば、「日活」が出てほしいところである。「日活」とは、 1912 年に成立した、伝統ある映画会社であり、その正式名称が、 「 日本活動冩眞株式...