2023年12月31日日曜日

デイブレーカー(オーストラリア/USA、2009年作)監督:スピエリッグ兄弟

 グローバル・プレイヤーとしての製薬・生命維持産業がその社会を支配しているというプロットは、SF映画でよく聞く話しで何も目新しくない。ただ、それが、社会の多数派を占める吸血鬼人間に、人血を供給するという点は、中々面白い。

 とは言え、その人血の製造が、人間の生命を維持する形で、しかし、採血は人体に直接採血用の管を繋げることでなされるというのは、どこかで見たような光景である。そう、『マトリックス I』(1999年作)での場面で、キアヌ・リーヴス演ずるところのミスター・アンダーソン達が、AIに電気エネルギーを供給するために、「飼育」されていたのと、これは似ている。

 そして、イーサン・ホーク演じる主人公の人工血液製造プランの研究者が、自分はヴァンパイアであるにも関わらず、人血を飲むことを拒む点も、やはり、どこかで見たことがある。そう、『トワイライト〜初恋〜』(2008年作)のエドワードである。彼は、人間の血を吸うことを自らの意志で拒む、そして、そこに克己の徳を自らに課している点で「ヴェジタリアン」ヴァンパイアなのであり、この自己克己の態度は、イーザン・ホーク演じる、奇しくもエドワードと同名の研究員の自制の態度と同様なのである。

 という訳で、どうもそのオリジナリティーが問われる本作ではあるが、一つ興味深いのは、本作のストーリーにおいて、階層社会が構成されていることである。即ち、人血製造・供給会社の上層部を形作る、サム・ニール(悪玉を演じてよい)を代表とする特権階層、その下に、一般吸血鬼人間、さらにその下に、吸血鬼の糧となる「人間」と階層構成されているのであるが、面白いことに、人血を吸わずに、或いは、吸えずに、退化してしまったヴァンパイア、つまり、蝙蝠状化したSubsiderという階層も存在していることである。こうして本作では、単に、「ヴァンパイア対人間」という構図ではなく、ヴァンパイア層内部でも階層分化させることで、ある種の社会的観点を、単なるSF・ヴァンパイア映画の中に取り込んでいるのである。

 そして、このことが、本作の終盤に向けてのストーリー展開に重要な役割を演ずることになる。つまり、自己犠牲を懸けてSubsider化した、サム・ニールの娘が、ある出来事で、エリート部隊の隊員となっているエドワードの弟を「改心」させるのである。

 監督で、脚本も書いているのが、1976年生まれの一卵性双生児マイケル・スピエリッグ(Spierig)とピーター・スピエリッグである。実は、この兄弟は、北ドイツ生まれで、本当の姓名は、ミヒャエル&ペーター・シュピーリヒ(Spierig)という。

 こうして、本作で肩を慣らした、ミヒャエル&ペーター・シュピーリヒは、2014年作の、ロバート・A・ハインラインの短編小説『輪廻の蛇』を原作とする『プリデスティネーション』で、極めて手の込んだストーリー展開を見せる。この作品でも、主役はイーサン・ホークである。

 E.ホークは、名優W.デフォーを「エルヴィス」役で無駄遣いするという、B級映画の「並み」レベルの本作に嫌気がささずに、シュピーリヒ兄弟の次のオファーを受けたのであった。『プリデスティネーション』は、2015年のオーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞(Australian Academy of Cinema and Television Arts Awards, AACTA Awards)では、9部門でノミネートされ、その内、最優秀主演女優賞、撮影賞、編集賞、そして、美術賞をゲットしたのである。

2023年12月28日木曜日

ゲームの規則(フランス、1939年作)監督:ジャン・ルノワール

 ジャン・ルノワール監督作品と言えば、1937年作の『大いなる幻影』であろう。この映画は、第一次世界大戦が持った社会的影響、すなわち、歴史上初めての総力戦が貴族階層の社会的な「没落」を決定的なものとしたことの、一部メランコリーを含ませた「確認」であった。筆者にとっては、この作品は、蓋し、J.ルノワール監督の最高傑作である。

 この『大いなる幻影』や、その二年後に発表された本作を含めて、1930年代の、J.ルノワール監督の作品は、いわゆる「詩的レアリスム」の美意識を担うものとして、戦後イタリアの「ネオ・レアリズモ」にも影響を与えたと言われるものであり、この時期にJ.ルノワール監督が映画史に果たした役割は、誇張できない程、大きいと言える。

 1940年代のJ.ルノワールは、しかし、アメリカ・ハリウッドに亡命したり、そこからさらに、インド、イタリア経由で50年代の始めに祖国のフランスに戻っていることなどもあり、私見、特筆すべき作品を残していない。

 恐らく、J.ルノワールが50年代に撮った最良の作品は、『草上の朝食』(1959年作)であろうが、自分の父、有名な印象派の画家ピェール=オギュスト・ルノワールの南フランスにあった別荘で撮影した、この田園喜劇作品で、J.ルノワールは、ギリシャ神話的な要素を含んで、アムール神に魅了された人間が描く「コメディー」を撮っている。しかも、『エレナと男たち』(1956年作、インリド・ベリマン主演)は、自称「恋愛喜劇」であると言う。

 ことほどさように、J.ルノワール監督は、「喜劇」がお好きなようなのであるが、さて、「世紀の名作の一本」と称揚される本作は、批評で言われるが如く、本当に「喜劇、コメディー」なのか。或いは、仮にそうであるとして、本作は、「コメディー」として成功しているであろうか。実は、タイトル・ロールの中で、本作のタイトルが出たところで、本作は、「Fantaisie dramatique」と規定されているのである。「ドラマティックなファンタジー」である。とすれば、これは、「コメディー」的要素はあるにしても、「コメディー」ではないことになる。

 ただ、タイトル・ロールに続けては、映画の冒頭に、18世紀フランス宮廷の寵児Beaumarchaisボーマルシェが書いた『フィガロの結婚』の第四幕、第十場からの引用が挙げられている。それを意訳すれば、捧げられた愛があるなら、貞節のためと言って、この愛を受けおかない手はないであろうという、いわば、「恋愛遊戯」の規則の一つがここで述べられているのである。

 そして、『フィガロの結婚』と言えば、喜劇オペラであり、上層階層と下層階層の恋愛遊戯が、それぞれ、ほぼ平行して演じられる構造は、本作においても取られている。侯爵夫人と飛行家、侯爵とその貴族の愛人、これに対する、侯爵夫人の侍女と召使いマルソーの関係である。

 さらに、この基本構造に、19世紀フランス・ロマン派の作家Alfred Louis Charles de Mussetアルフレッド=ルイ=シャルル・ドゥ=ミュセの戯曲『Les Caprices de Marianneマリアンヌの気紛れ』(1833年作)が、プロットを提供する。ある司法長官クローディオ何某は、若い妻マリアンヌがいつ浮気をするか気が気ではない。そこで、妻の密会現場を押えるために腕利きの剣客を雇っていた。そこへ、マリアンヌに想いを寄せるセリオなる若者が登場する。彼の友人で、しかも司法長官のいとこであるオクターヴが仲立ちの役を頼まれる。オクターヴに「唆され」、また、元々貞淑な自分を執拗に疑う夫に嫌気がさしていたマリアンヌは、セリオとの密会を承諾するが、逢引きの現場では例の剣客が待ち構えており、密会の場に現れたセリオには「災難」が降りかかるという次第である。

 マリアンヌが本作での侯爵夫人、セリオが飛行冒険家アンドレー、そして、オクターヴは、正に本作でJ.ルノワール監督自身が演じる同名の役柄である。

 こうして制作された本作がパリで初上映されたのは、1939年7月7日であった。第二次世界大戦勃発につながる、ナチス・ドイツのポーランド侵攻は、同年の9月1日であるから、それは、そのほぼ、二ヶ月前である。確かに、38年9月末のミュンヘン会談では、チェコスロヴァキアのズデーテン地方帰属問題で戦争の危機が高まったものの、英仏の対独宥和政策がその危機を回避させた。しかし、それは、戦争の勃発を延期させはしたものの、戦争の危険を除いた訳ではなかった。ヴェルサイユ体制からの「自由」を唱えるナチス・ドイツは、着々と、戦争の準備を重ねていたのであり、38年10月以降の表面上の平和は、軍靴の足音が益々高くなる中、その存続を脅かされた存在であった。そんな国際情勢の危うさを敢えて無視する形で、恋愛遊戯を楽しんでいる、上層・下層も含めた、フランス人の「無頓着さ」を、J.ルノワール監督は、本作の発表を以って、フランス人にその自画像を見せつけるために、「鏡」として掲げたかったと言う。

2023年12月11日月曜日

キャリー(USA、1976年作)監督:ブライアン・デ・パルマ

 アメリカ合衆国のフィルム・スクール出身で、いわゆる「ニュー・ハリウッド世代」の代表的な映画監督の一人に数えられるのが、1940年生まれのBrian De Palmaブライアン・デ・パルマ監督である。その出身からか、画面構成で、スプリット・スクリーン(分割画面)、長回し、スローモーション、目線アングルなどの手法を使用しており、「デ・パルマ・カット」と呼ばれる映像がこの監督では注目される。その映像効果の技術的確かさは、ソフト・フォーカスを多用した、また、A.ヒッチコックのスリリングの盛り上げ方に学んだ映像展開のリズムなど、本作でも見られるのであるが、その映像効果が表層に止まっており、作品としての「深み」を中々得ていないのは、なぜであろうか。

 さて、B.デ・パルマ監督自身が徴兵忌避者であることから、彼は、戦争・反戦映画を何本か手がけている。時も時、世界中でヴェトナム戦争反対運動が学生運動という形で展開した1968年、彼は、『Greetingsロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク』で、ヴェトナム戦争に揺れるアメリカの若者の群像を描く。この作品は、翌年開催された第19回ベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得し、B.デ・パルマ監督は、世界的にも名を売り出す。この作品系統では、1989年作の、ヴェトナム戦争に絡む『カジュアリティーズ』や、2007年作の、イラク戦争に絡む『リダクテッド 真実の価値』が入る。『リダクテッド 真実の価値』で、B.デ・パルマ監督は、今度は、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得する。

 ベルリンで銀熊賞を獲得した後は、一時スランプ気味であったB.デ・パルマ監督は、1970年代に入り、ジャンル変更を行なう。1972年作の『悪魔のシスター』、その二年後の『ファントム・オブ・パラダイス』が、カルト・ムービーとして認めら、これを受けてか、スティーヴン・キングの同名作品を原作とする「青春ホラー映画」たる本作を撮り、これが大ヒットになることになる。

 本作に出演したSissy Spacekシシー・スペイセクとPiper Laurieパイパー・ローリーはそれぞれアカデミー賞にノミネートされたが、セックスのセの字も知らいない、うぶな女子高生役をこなし、これ以降六回もアカデミー賞主演女優賞にノミネートされることになるS.スペイセクの名演技振りはここでは特筆する必要がないであろうが、本作において、自らの性欲を抑圧するために信仰を深め、そのオルガニズム的陶酔感に浸る中で自分の娘を殺そうとする、その母親役を印象的に演じた女優P.ローリーについて、ここでその経歴を述べておく。

 1932年にミシガン州デトロイトで生まれたP.ローリーは、ユダヤ系アメリカ人で、その両親は、父親がポーランド系、母親が、ロシア系のユダヤ人としてUSAに移住してきた経歴を持つ。家族と共にロスアンジェルスに引っ越すと、本作のCarrieと似て、とても内気であった彼女を、両親が発声のレッスンに通わせたことから、彼女は、演技も学ぶようになり、17歳でユニヴァーサル・スタジオから映画界にデビューすることなる。第二次世界大戦後の1949年のことである。

 しかし、男性スターの脇役として、無邪気な若い女性役ばかりをやらされることに嫌気がさして、彼女は、55年にニューヨークに出ることを決心し、そこのアクターズ・スタジオで演技を学び直す。こうして、テレビで上映される、シェークスピアなどの古典的演劇作品の役を得るようになるが、1961年に映画界に戻り、この年に発表された『ハスラー』(ロバート・ロッセン監督、ポール・ニューマン主演)で、アルコール依存症で、P.ニューマン演じる賭けビリヤード師の愛人となる役で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされる。

 しかし、アカデミー賞にノミネートされるという、一応の成功を収めたものの、映画界では彼女の演じたい役に恵まれず、結局、また、舞台演劇やテレビ映画出演に戻る。

 その15年以上後の1976年に再度のハリウッド復帰を果たした彼女は、本作での、ブロンドの狂信的宗教信者の母親役で、今度は、助演女優賞でアカデミー賞にノミネートとされる。

 それ以降、またもや、テレビ映画のシリーズもので役を取るようになり、1986年のテレビ映画『Promise』でプライムタイム・エミー賞助演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)を受賞し、また、映画部門でも、1986年作の『愛は静けさの中に』で、主人公である聾啞者の母親役で、再びアカデミー賞助演女優賞にノミネートされる。この意味で、1986/87年は、P.ローリーにとって、長年の役者としての活動がその実りを得た年であった。彼女が50歳代の半ばにあった頃である。

 P.ローリーがもう一度の栄光を握るのは、1990年のことであり、この時には、テレビ・ドラマ『ツイン・ピークス』で、彼女が「女狐」のキャサリン・マーテル役を演じたことによる。これにより、ゴールデン・グローブ賞助演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)を受賞した。

 その後は、主に、テレビ映画シリーズのゲスト出演という形でテレビ映画に登場していたが、2011年にほぼ70年にも及ぶ俳優生活を振り返る形で、自叙伝『Learning to Live Out Loud: A Memoir』を発刊した。

 女優P.ローリーは、今年、2023年10月14日、ロスアンジェルス南部にある自宅で老衰が原因で亡くなった。享年91歳であった。その冥福を祈りたい。

2023年12月7日木曜日

ドライブ・マイ・カー(日本、2021年作)監督:濱口竜介

 本作の原作は、村上春樹の同名の短編による。村上が2013年12月から翌年3月まで発表した六篇の連作短編は、『女のいない男たち』と題されて、短編小説集として発刊される。『ドライブ・マイ・カー』は、その一本目の短編で、本作のストーリーは、この短編のストーリーの骨格から採られているが、同短編集の第四編目『シェエラザード』と第五編目『木野』も、本作のストーリーに使われていると言われ、とりわけ、『シェーラザード』からは、印象的なプロットが採用されている。本作にも登場するヤツメウナギの話しである。原作の短編から引用すると、次のように、30歳代半ばの、子持ちの専業主婦は、不倫の相手との性交の後に、『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードの如く、語る:

  「私にははっきりとした記憶があるの。水底で石に吸い付いて、水草にまぎれてゆらゆら揺れていたり、上を通り過ぎていく太った鱒を眺めていたりした記憶が」(ウィキペディアより)

 この短編には、同様に、もう一つの「睦言」があり、それも本作には登場する。高校二年の時に、日本版シェエラザードが、クラスの同級生を好きになり、この男子生徒の部屋に空き巣のように入って彼の持ち物を盗む。そのお返しに、自分のタンポンを机の奥に隠したというエピソードである。彼女は言う:

 「でもただ盗むだけではいけないと思った。だってそれだとただの空き巣狙いになってしまうじゃない。私は言うなれば『愛の盗賊』なのだから」(ウィキペディアより)

 こうして、誠に長い、約40分の前段の話しが終わると、本作のタイトル・ロールが出てくる。 

 村上の原作では、主人公は、妻と寝ていた高槻という若い俳優と、銀座の夜のバーを幾度か訪れて、友達になってしまうのであるが、本作では、原作と異なって暴力性向がある高槻とは、自分の妻を寝取ったのではないかという疑心暗鬼に主人公は囚われながら、その緊張関係は、解消されずに、ストーリーが展開する。一方、自分の赤い愛車Saabを運転してくれることになる女性ドライバー・みさきとの交流に、本作では、ストーリーの重点が置き換わっている。これは、ストーリー建ての妙であると言えるが、本作のストーリー展開のいいところの、もう一つの点は、妻の突然の死の後、主人公が舞台俳優並びに舞台演出家と成功しており、広島での国際演劇祭で、自分もその演技で名声を得た、帝政ロシアの劇作家アントン・チェホフ(Anton Pavlovič Čechov)作の『ワーニャ伯父さん』の演出を担当することになる点である。

 まず、死んだ、脚本家の妻が感情を殺して棒読みして吹き込んだ相手役の台詞を、主人公は、暗記した自分の台詞を以って、これまた大根役者のように、無感動で言いあげる。このような台詞との「対話」を、主人公は、広島で指導する役者にも「強要」する。しかも、それぞれの登場人物は、その役者の母語である言葉を日本語に翻訳しないままで、それぞれの母語で言い合うのである。これを「多言語演劇」と言うようであるが、観客自身は、日本語以外の言語を、翻訳された字幕を目で追いながら、その劇の進行を理解するという寸法である。

 しかも、『ワーニャ伯父さん』の主人公となるソーニャ役には、韓国人の女優がなり、彼女は、耳は聞こえるが、台詞には韓国語の手話を使う俳優なのである。日本語、台湾・中国語など多言語が飛び交う中で、手話が入ることにより、音声が無くなった特殊な空間が突然、舞台上に成立する。脚本も書いている濱口監督が、この点において、自らの力量の限界を感じ取り、脚本共同執筆者に大江崇允(たかまさ)を選んだのは正解であった。と言うのは、大江は、今では映画監督もやっている人物であるが、元々は、舞台俳優、舞台監督として、経歴を積み上げてきた人物であり、彼の、当を得たアイディアが本作における脚本の質を上げることになる。不条理劇のオーソドックスと言われる、S.ベケット作『ゴドーを待ちながら』が、本作の初めに登場するのも、なるほどなと頷ける。

 それでは、なぜ、A.チェホフの演劇『ワーニャ伯父さん』が本作で取り扱われるのか。

 A.チェホフは、1860年生まれの、帝政ロシアの作家であり、古典科中学校卒業後に、医学を勉学し、1884年以降、医師として働くことになるが、彼は、すでに中学校時代から、ものを書き始め、医学を勉強する傍ら、自分の学資を稼ぐために、雑誌にユーモア作品を投稿していた、文才がある人間であった。1886年以降は、本格的な小説、戯曲の執筆に心掛け、その翌年、長編戯曲『イワーノフ』を書き上げ、この作品が、紆余曲折を経て、1889年にサンクト・ベテルブルクで成功を収める。

 ある程度成功をした文学者として、A.チェホフは、1892年にモスクワ郊外に土地を購入して、そこに喜々として移り住むが、その三年後に、チェホフ後期の四大名作戯曲の第一作目に当たる『かもめ』を発表するに至る。96年の初演は惨憺たる失敗であったが、98年のモスクワ芸術座の再演では、大成功を収め、これ以降、チェホフの四大戯曲が次々と発表されることになる。すなわち、99年の、本映画と関係がある『ワーニャ伯父さん』、20世紀に入った1901年の『三人姉妹』、そして、1904年の『桜の園』である。

 1904年と言えば、日露戦争の勃発の年であり、その翌年には、日露戦争のせいで、帝政ロシアに第一次革命が起こる。戯曲『桜の園』では、ある地主が自分の土地を売らざるを得なくなり、その土地にあった桜の木々が無残に伐採されるところから、その題名が来ているのであるが、ここでは、ロシア社会の変動の「嵐」をA.チェホフが感じていたと言える。1914年に勃発した第一次世界大戦が帝政ロシア社会の変化を加速させ、これが、1917年のロシア革命につながる。

 一方、『三人姉妹』は、田舎住まいの高級軍人の三人の娘の生き方を描くことで、新しい20世紀の頭に、社会の閉塞感をいかに乗り越えるかという点で、興味のある作品であるが、一番下の妹が、現実的な結婚を選び、他の土地に引っ越そうとしている矢先に、婚約者が決闘で死んでしまうところで、劇は終わる。ここでも、A.チェホフは、『桜の園』の女地主の娘同様に、若い娘にその淡い希望を託している。

 チェホフの四大戯曲の第一作目『かもめ』とは、希望に溢れた、女優志望の若い娘ニーナの象徴であるが、その「かもめ」は、劇作中で「撃ち落され」、現実に引き戻される。その苦い現実を噛みしめ、耐えながらも、この人生を生きていこうとするニーナの、諦観の混じった「意志」をA.チェホフは描く。

 この『かもめ』と同様のトーンで、『ワーニャ伯父さん』もまた、書かれている。「ワーニャ叔父」とは、本作の主人公とでも言える、余り美人ではないソーニャから見てであり、ソーニャの亡き母の兄である。この二人が、田舎にある荘園を切り盛りしているのであるが、亡き母は、今は退職している老教授との間にソーニャを儲けていた。ソーニャの父親たる老教授は、しかし、ソーニャの母親が亡き後は、年齢の若い後妻と結婚しており、この老教授夫妻二人が、田舎の荘園にやってきて生活することで起こる騒動を描いている。

 その戯曲最後の第四幕目は、ソーニャの独白で終わる:

「仕方ないわ。生きていかなくちゃ…。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ…」(ウィキペディアにより)

 本作映画の最後のエピローグは、突然飛んで韓国の地となっている。それは、主人公と女性ドライバーが、お互いの心の「傷」を見せ合ったことで、お互いに心的に近づき、今度は、お互いの心の傷を舐め合って生きていくことにしたということ表象なのである。『ワーニャ伯父さん』のワーニャとソーニャのように。

2023年12月5日火曜日

ハクソー・リッジ(USA、2016年作)監督:メル・ギブソン

 本作の監督が、作品を観てから、Mel Gibsonと知り、否定的な意味で、「なるほどな」と思った。

 USA生まれであるが、事情があって、オーストラリアで育ったM.ギブソンは、ご存知の通り、『マッド・マックス』(オーストラリア製作、1979年作)で有名になった俳優である。三作続いた「マックス」役が1985年に終わると、『レーサル・ウィポンLethal Weapon』(1987年作)で慣れないコメディアン役を演じ、これが、今では四作も撮られている「シリーズもの」になる。そうこうしている最中の、1995年、自ら共同製作し、監督もし、しかも主演を演じた『ブレイブハート』で、M.ギブソンは、米アカデミー賞監督賞を「まぐれで」受賞してしまう。

 その約10年後の2004年には、自らが共同製作し、共同で脚本も書き、監督した作品『パッション(受難)』を発表したが、この作品は、史実に忠実に、登場人物がアラム語、ラテン語、ヘブライ語を話すという、興味ある点を除き、カトリック派原理主義的観点から描かれたキリスト受難の物語りであり、ストーリーには、典型的に反ユダヤ主義の要素を含んでいる点で問題があるものである。さらには、キリストの磔をリアリスティック過ぎに描いて、これまた当時は、物議をかもしたものであるが、このリアリズムは、本作における戦場での死や負傷を描くリアリズムに通じるものであり、なるほどなと思える。

 一方、M.ギブソンは、戦争映画において、「英雄譚」を好む。アメリカ独立戦争における一エピソードを描く『パトリオット(愛国者)』は、「悪」の大英帝国軍に対する、アメリカ植民地入植者の民兵軍の「愛国者」ぶりを強調する。さらに、ベトナム戦争の初期の時期の戦闘を描く『ワンス・アンド・フォーエバーWe Were Soldiers』では、品行方正なアメリカ軍兵士が、共産主義勢力軍たるベトナム人民軍の兵士と戦う。人海戦術で押し寄せてくるベトナム軍兵士の攻撃を、M.ギブソン中佐が率いる米軍は、自分の陣地にナパーム弾を落とさせることで辛うじて、阻むことができたのである。さて、この米軍対アジア人兵軍隊の構図をそのまま本作に置き換えると、正に同じ構図であり、日本軍の兵士は、二人の例外を除いては、単なる戦う「人もどき」に描かれている。

 確かに、本作は、実際にあったという、「本当の」話しを映画化したものであるが、すべてが史実に忠実であるか、疑う必要があるのではないか。

 本作の主人公となるDesmond Dossデズモンド・ドスは、実際に存在した人物であり、実際に太平洋戦争で衛生兵として従軍している。しかし、沖縄戦がその戦闘参加の最初ではなく、彼は、すでに、「グアムの戦い」、「フィリピン諸島の戦い」に臨んでおり、その負傷兵の救護活動により、ブロンズ・スター・メダルを受賞していた衛生兵であった。この点が、沖縄戦での「武勇伝」を強調するために、本作では、省略されている。

 本作の前半を語る、いかにD.ドスが、上官・戦友の「いじめ」を乗り越えて、第77歩兵師団第307歩兵連隊第一大隊B中隊第二小隊の衛生兵になったかは、確かに、辛い道のりではあったが、本人の「セブンス・デー・アドヴェンティスト」教会の信徒としての「良心の自由」は、全くの従軍を忌避するものではなく、敵兵を殺すために銃を携行することは忌避するが、必ずしも衛生兵として従軍することを忌避するものではない。ゆえに、この時期に良心的兵役「全面」忌避者がどういう運命を辿ったかを考えてみるべきであろう。

 また、主要テーマとなる、沖縄戦での、1945年四月下旬から五月上旬の「前田(高地)の戦い」で、米軍より「Hacksaw Ridge(弓鋸尾根)」と名付けられた高地の断崖が、本当に映画で示されるように高かったのかも疑問である。と言うのは、「前田の戦い」は、米軍が沖縄本島に上陸してからの戦闘であるからである。

 さて、その「沖縄の戦い」であるが、ウィキペディアによると、その開始は、1945年3月26日で、終結は、同年9月7日になっている。東京での無条件降伏の調印が9月2日であるから、それよりも五日間遅いことになるが、米軍の沖縄本島上陸が4月1日であるから、その数日前から、沖縄の戦いは、前哨戦が戦われており、沖縄防衛軍たる第32軍の指揮官牛島満中将が自決した6月23日を以って、沖縄の戦いは、それ以降、米軍による残存日本兵の掃討作戦となり、この段階で多くの沖縄の民間人が戦禍の巻き添えをくって亡くなっていると言う。

 米軍の上陸地点は、沖縄本島の西側中部で、米軍は、本島北部と南部を分断する形で、上陸後は、島の東側に突破し、まずは、本島北部を制圧し、本島南部を順次に攻略していこうという作戦であった。が、その南部攻略戦は、太平洋戦争中、最も凄惨な激戦となる。

 日本軍側は、現那覇市の一部となっている首里地域を第32軍の本部陣地とし、この本部陣地から北側に首里戦線防衛陣地が構築され、さらにその外側に幾重もの首里戦線前衛陣地が築かれていた。陣地は、高台、高地に置かれたので、激戦は、高地を守る、落とすという形で行なわれ、本作のストーリーの基になっているHacksaw Ridgeも、この首里戦線前衛陣地があった「前田高地」の米軍側の名称である。この「前田の戦い」が、南部攻略・防衛戦の前段をほぼ締めくくる。その後、日本軍側の総攻撃が中段の中核となるとすれば、南部攻略・防衛戦の後段は、首里戦線防衛陣地を巡る戦いとその陥落となる。

 なぜ、沖縄の戦いが「激戦」となったかは、色々な要因があるが、一つには、日本軍がペリリュー島と硫黄島での防衛戦で、制空権を失った時に、如何に戦うかを学び、その学んだことを実行に移したからであった。

 まず、日本軍は、サイパンの戦いなどで失敗した水際防御の戦術を放棄して、敵を内陸部に誘い込んで持久戦に持ち込むことを基本方針としたことである。そして、持久戦に持ち込むために、「縦深(じゅうしん)防御」の方策を採る。「縦深防御」とは、防御拠点を何重にも作って、攻撃側の前進を遅らせ、次の防衛線の立て直しをするための時間を稼ぐとともに、一方で、攻撃側の「犠牲」を増加させる作戦である。これが、地表面での多重性であるとすると、「縦深」という文字通りに、地中深くに縦穴を掘って陣地を構築することも手法としてあることなる。さらに、その深く掘った縦穴を横穴で縦横に結びつけることで、日本軍を神出鬼没に動員することができ、しかも、敵に一つの縦穴が攻められれば、そこから退いて、別の場所に移動することができる。この手法の、もう一つの長所は、制空権がないところから来る、敵の爆撃、砲撃、艦砲射撃に脅かされことなしに、補給物資を補充することができることである。(このことは、時事的に言えば、2023年12月現在時点における、ガザ地区へのイスラエル軍の進攻にも当てはまる。制空権を持ち、装備が絶対的に優勢な軍隊・イスラエル軍に対抗する、ハマスの「戦術」ということになる。)

 また、日本軍は、敵の、初期の爆撃・砲撃に耐え得るように、「反斜面陣地」を構築した。つまり、敵と相対する斜面に陣地を作ってしまうと、攻撃側の砲撃で自陣が破壊されやすい。これに対して、敵と相対する斜面と反対側の斜面に陣地を構築すれば、敵の砲撃には曝されず、さらに、進攻してくる敵をやり過ごせば、これを背後から攻撃できる仕掛けである。

 また、意外なことに、兵器装備の点でも、日本軍が米軍を上回る点があった。ウィキペディアによると、「日本軍が沖縄戦で主に使用した九九式軽機関銃の一分間の発射速度は約800発で、(これは、)M1918自動小銃やアメリカ軍の主力機関銃ブローニングM1919重機関銃の約二倍の発射速度であり、九九式軽機関銃の甲高い発射音はアメリカ軍兵士に女性の叫び声のように聞こえて恐れられた」と言う。また、日本軍は、簡易迫撃砲とでも言える「擲弾筒」を随所に効果的に使用して、米歩兵を苦しめたと言う。この擲弾筒の攻撃と、上述の機銃掃射を使われて、味方米兵が後退させられた後は、米軍のシャーマン中戦車も日本歩兵の直接攻撃に曝されることとなり、しかも、いわゆる、日本軍の「肉弾」攻撃で多くが破壊されたと言う。

 日本軍の第62師団は、4月上旬・中旬に行われた激戦「嘉数(かかず)の戦い」を戦った後、後退して陣を立て直して、「前田高地」に布陣した。そして、北から攻めてくる米軍・第96歩兵師団と「衝突」する。それは、4月25日のことであった。

 高地を巡る一進一退の戦況の下、四日経った4月29日、映画でも描かれたように、米軍第96歩兵師団隷下の第381歩兵連隊は、第77歩兵師団の、主人公が所属する第307歩兵連隊と交代する。第381歩兵連隊の「損耗」が激し過ぎたからで、ウィキペディアによると、「連隊は戦闘能力60%を失い、死傷者も1,021名に上っており、中には通常40人の定員に対し、4人しか残っていない小隊もあるほど」であったと言う。

 4月30日以降は、前田高地を米軍側が占拠し、これに対して、日本軍側が奪回しようとして攻撃を仕掛けるという展開となり、5月5日の夜から翌日に掛けて、日本軍による夜襲・斬り込み攻撃が敢行されるも、日本軍側の多大な損害を以って、この「前田の戦い」は、終結する。

 以上の戦いの展開の中で、D.ドスの衛生兵としての「英雄的」活躍が本作で語られる訳であるが、さて、映画の中で、D.ドスが戦地に着いたところで、第381歩兵連隊の衛生兵が彼に語ったエピソードは、本当であったとすれば、これは、日本人としては、信じたくないことである。日本軍側の狙撃兵が、米軍の衛生兵を、まるで賭け事でもしているように、狙い撃ちにしていると。であるから、衛生兵用のヘルメットも被らず、衛生兵の腕章も付けるなと。将校は、目印になるものがあると、狙撃兵に狙われたとは、ウィキペディアには書いてあるのであるが、これが、衛生兵に該当したとは、どうも、信じがたい。この点でも、M.ギブソンを信用してよいものであろうか?

2023年12月2日土曜日

ヒルズ ハブ アイズ(USA、2006年作)監督:アレクサンドル・アジャ

 本作は、1977年作のホラー映画『The Hills Have Eyes』(邦題は『サランドラ』で、これは、四大精霊の一つで、火の精霊と言われる「サラマンドル」のラテン語名称から「マ」を取り去って、作り変えたという「超ウルトラC級」の命名)の、21世紀版リメイクである。

 制作が2006年であるから、約30年ぶりのオリジナル題名の同名作品の制作であるが、このリメイクの制作には、本家本元のWes Cravenウェス・クレイヴン監督が製作者として参加している。このホラー・スプラッター映画の、知的な「教皇」W.クレイヴンが元々のオリジナルの脚本を書いており、また、彼自身が、1984年と1995年に『The Hills Have Eyes II』と『The Hills Have Eyes III』とを撮っているので、本作では、先祖返り的に、元となる1977年作品のストーリーに沿った形でストーリーが展開する。カメラの撮りようも、1970年代のセンスに合わせたような、少々濃い目の色彩ディザインであり、本作の初めの方に登場するガソリンスタンド「Gas Haven」の名は、本家Wes Cravenの名前をもじっていると言う。

 監督は、Alexandre Ajaアレクサンドル・アジャというフランス人で、本作の3年前に撮った作品『ハイ・テンションHaute tension』で一躍ホラー映画界のスター監督になった人物である。ゆえに、21世紀版の『The Hills Have Eyes』は、より戦慄度では過激化した、テロル・ショッカーとなっている。

 しかし、本作は、単なる「ショッカー」で終わっていないところが見どころである。つまり、ヨーロッパの知識人から見ての、USA批判が本作には「内臓」されているからである。

 まず、映画のタイトル・ロールである。ここでは、いくつもの核実験が連続的に描写される。それも、大気圏内の核実験である。USAは、とりわけ1950年代に331回もの、そのような核実験を繰り返し、それによって、井伏鱒二の「小説」の題名で有名になった『黒い雨』などの放射性降下物が、つまり、英語で「Fallout」と呼ばれる放射性物質が、地上に降り注ぐ。この放射能物質が人体に遺伝子的に影響がないはずがないのであるが、アメリカ合衆国政府は、そのようなことはないと言い張っているのである。これに対して、本作の冒頭では、防護服を着た調査員が襲われて殺害されるという場面が展開される。そうして、映画の終盤になると、かつての核実験場に建てられた町が、ミュータント、つまり、「突然変異者たち」が住んでいる場所として、明らかになる。(一方、原作では、突然変異者は、洞窟に居住する生き物として表象される。)

 また、映画のタイトル・ロールには、「奇形」の写真が示されるが、それは、ベトナム戦争における、アメリカ軍の枯葉剤散布による被害者の、本物の写真が示されるのである。核兵器問題を、ここでは、空爆による民間人被害にも繋げているとも読める。

 一方、主人公となる、USAに典型的な中産階級たるCarter家の在り様である。つまり、家長であるBig(!) Bobを中心にCarter家は構成されており、家長たる夫Big Bobは、妻の反対を押し切って、銃を旅行に隠し持ってきていたのである。

 恐らく共和党支持者のBig Bobに対し、銃器の使用を嫌い、恐らく都市部居住者である、義理の息子は、確固たる民主党支持者である。このコントラストが妙を得ている。と言うのは、突然変異者に捕えられ、挙句は、十字架に架けられて、焼け死ぬBig Bobは、アメリカ国旗を頭に刺されたまま死ぬのに対し、銃器による暴力の否定を主張していたDougダグは、自分の幼い娘を取り返すために、結局、暴力を揮い、銃をぶっ放す。これでは、まるで、共和党主義者である。その意味で、随分と本作には政治的皮肉が込められていると言えよう。

 2000年代初頭には、もはや、アメリカ中産階級的な「お花畑」は、すでに崩れ掛けていたのである。現在は、この状況は、共和党対民主党の構図ではなく、今や、トランプ主義とリベラル派に取って代わられており、こうした点を鑑みれば、2020年代に入ったUSAにおいては、その民主主義自体の存在が脅かされている段階に達していると言えよう。

2023年11月23日木曜日

ジェミニ・マン(USA、2019年作)監督:アン・リー

 「Gemini man」、つまり、「双子座の男」とは、中々思わせぶりのタイトルで気が利いているのではあるが、このつまらない近未来SF・アクション映画を、あの台湾出身のアン・リー監督が撮っているとは信じがたい。米国アカデミー賞監督賞、ベルリン国際映画祭金熊賞、そして、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞をそれぞれ二回も獲得している、あのアン・リー監督である。なぜにつまらないのか? やはり、アン・リー監督に典型的な「家族の物語り」に本作も収束し、それも全くの調和主義的ハッピー・エンドで本作が終わるからであろうか。

 しかも、ウィル・スミスが「伝説のスナイパー」というストーリー設定も何か嘘くさい。『MiBメン・イン・ブラック』のコメディーなら似合うが、「血も涙もない」はずのスナイパー役には彼は合わない。

 一方、敵役のClive Owenクライヴ・オーウェンは、1964年生まれのイギリス人俳優で、本作の撮影時には約55歳である。何かめっきり年老いた感じなのであるが、クーロン化された、若い「ウィル・スミス」を我が子のようにして育てており、その演技力によって、演じられている役柄の人物の狂気振りに何か真実性を与えている。しかも、彼は、第二の「秘密兵器」をしっかり準備していたという、周到さである。

 さて、この批評を書くついでに、「伝説のスナイパー」が所属するという、その諜報機関DIAなるものについて調べてみた。

 DIAとは、Defense Intelligence Agencyの略称であり、アメリカ国防総省の情報機関の一つである。USAの、いわゆる、「インテリジェンス・コニュニティー」の、一つの機関を構成するが、国防総省に存在する、幾つかの米軍関係の諜報機関を統括する位置にあるので、USAの諜報活動全体において、比較的大きな役割を演じる。

  USAの「インテリジェンス・コニュニティー」が、17以上もあるという、諸諜報機関で構成されているという、驚くべき事実は、なぜ、このように多くの諜報機関自体が存在するのであろうかという点で、そこに何か不気味なものを感じさせる。恐らく、それは、それぞれが自らの諜報機関を保持することにより、相互不信の上に成り立った、それぞれの機関の「独立性」の確保という意味合いを持つからなのであろう。

 こうした「インテリジェンス・コニュニティー」全体を統括するのが、ODNI国家情報長官室で、DIAも組織的には、このODNIの下に位置する。有名なCIA中央情報局は、独立の対外諜報機関であるが、それ以外は、ある省の管轄下の諜報・情報機関となる。例えば、これまた有名なFBI連邦捜査局は、司法省に所属し、その下に独自の対国内向けの情報部を保持している。

  また、エドワード・スノーデンが機密情報をリークしたことで有名になったNSA、National Security Agency 国家安全保障局は、DIAと並ぶ国防総省の管轄下の情報組織である。但し、予算規模で言うと、NSAのそれは、DIAのそれの約二倍であり、CIAのそれは、さらに、DIAのそれの約三倍以上であると言われ、諜報機関中、最大の規模の予算を計上している。

 DIAは、当時のR.マクナマラ国防長官が、軍事情報を専門に収集、分析する機関として1961年に設置したものである。NSAの設置年が1952年であるから、1961年とは、東西冷戦の渦中としては遅い方ではあるが、それでも、キューバ危機の二年前である。こうして、それぞれ独自の情報部を持つ陸・海・空軍及び海兵隊に対しても、軍事情報を提供する立場にあるのが、DIAである。

 DIA長官は、国防総省の意思決定に参加することになっており、統合参謀本部の幕僚でもある。ウィキペディアによると、DIAの推定人員は、約16.500人で、その内、65%が文官、35%が武官であると言われ、という訳で、DIAは、各国の駐在武官員の配置の調整も行なっている。

 Directorate主要部門としては、大きく分けて四つがあると言われており、それぞれ、分析部門、科学・技術部門、オペレーション部門、Mission Services部門となっている。そして、アンダー・カバー・エージェントは、約500名ほどがいて、彼らが、世界を四つのインテリジェンス・センターに別けて、アメリカ地域、アジア・太平洋地域、ヨーロッパ・ユーラシア地域、中東・アフリカ地域を分担し、秘密諜報活動を行なっていると言う。さて、我々の「英雄」ウィル・スミスは、これらのどの部門に所属しているのであろうか。

2023年11月21日火曜日

ボッカチオ'70(イタリア/フランス、1962年作)監督:F.フェリーニ、L.ヴィスコンティ他

 題名の中にある「ボッカチオ」は、14世紀イタリアの小説家であり、例の有名な『デカメロン(十日物語)』の作者である。散文文学作品『デカメロン』は、フィレンツェに発生したペストを避けて、その郊外に逃れてきた、男三人、女七人の計十人が、退屈しのぎに、一人が十話ずつ話しをするという趣向で、結局、合計で百のエピソードが語られる。その話しの内容は、滑稽で、艶笑の混じった、恋愛の成功談や失敗談である。こうして、ボッカチオは、14世紀イタリアの人間生活の在り様を、人文主義の観点から活写したのであったが、映画『Boccaccio '70』を発案したCesare Zavattini(チェザーレ・ザヴァティーニ)は、それでは、ボッカチオが、ほぼ600年後の1970年に生きていて、この時代のイタリア人の愛、恋愛、性を描いたらどうなるであろうかというアイディアを出してきたのである。しかも、本作の制作年が1961/62年であるから、将来を見据えての映画プロジェクトのストーリー化である。

 さて、イタリア映画史と言えば、イタリアは、すでに戦時中の1940年代に、新しい映画制作の方向性としての「ネオ・リアリズモ」が発祥した地である。この流れは、世界各国の映画制作者たちに影響を与えていくが、一方、そのイタリアでは、ネオ・レアリズモとは別の流れが、既に1950年代末から出てくる。いわゆる、「Commedia all'italiana イタリア式コメディー」である。

 この名称は、本作と同年の1962年作の映画『イタリア式離婚狂想曲 Divorzio all'italiana』(Pietro Germiピエトロ・ジェルミ監督、マルチェロ・マストロヤンニ主演)から来ていると言われるが、傾向としては、1958年作の『いつもの見知らぬ男たち』(イタリア語題名: I soliti ignoti)で、すでに出ていた。この作品でもM.マストロヤンニが主演しており、コソ泥の役を演じているが、監督は本作の第一話を担当したマリオ・モニチェルリ監督である。彼こそは、上述の「Commedia all'italiana イタリア式コメディー」という映画ジャンルの立役者で、このジャンルを以下のように定義している:

 「Commedia all'italianaとは何かと言うと、それは、本来ドラマティックなテーマを、滑稽、陽気さ、風刺、そして、ユーモアでトリートメントすることである。この点こそが、イタリア式コメディーを、他のコメディーから異ならせる点なのである。」(ウィキペディアのドイツ語版よりの訳)

 私見、このままの定義では、喜劇の成立の一般的な定立に思われ、何が「イタリア式」を「イタリア式」にならしめているのか、はっきりしないのであるが、筆者が思うには、遵法と違法との間の間隙を縫い、場合によっては違法であっても、自らの利得を得ようとする、庶民的狡猾さが、上述の要素に加わることにより、Commediaは、Commedia all'italianaとなるのではないか。この意味で、正に、Commedia all'italianaは、イタリア16世紀以降の「Commedia dell'arteコメディア デラルテ(デル・アルテ)」、即ち、即興的風刺喜劇の伝統に則るものである。

 という訳で、イタリア式艶笑喜劇たる本作では、「艶」に当たる部分に、とりわけ、第二話と第四話では、男たちの垂涎の的となる美女たちを持ってくる。F.フェリーニが監督した第二話では、同じくF.フェリーニ監督の1960年作品『ラ・ドルチェ・ヴィータ、甘い生活』で、ローマのトレヴィの泉にドレスのまま入ったA.エクバークが起用される。『甘い生活』での、この役で世界的に有名になった、このスウェーデン人モデル兼女優は、二年後の本作の役では、豊満なバストをドレスのデコルテを思い切り下げて強調し、夜のローマの街を、女性版キングコングのようにして、巨大化して徘徊する。さすがは、F.フェリーニ監督ならではの発想である。

 V.デ=シーカが監督となった第四話では、本作の製作者であるC.ポンティと、撮影時点で数年来から内縁・婚姻関係にあったS.ローレンが登場する。下唇が膨れて、大衆受けする美人顔、しかも体躯は、イタリア製バイクのヴェスパに似て、ウエストは締まり、バストとヒップは大きいという、魅力的な体型である。そして、本作内では、度々ブラウスを脱いでくれて、少々外側を向いた、大きなバストを、少々透けて見えるブラジャー付きで何度もご披露してくれる。本作では、彼女は、違法な籤引きで一等が当たった者と一晩をいっしょに過ごす「賞品」なのである。

 一方、「艶笑」の内の、「笑」となると、こちらは、上述の美人諸君に、コメディアン俳優を付けることで、確保する。第二話は、コメディアンのトトとコンビになって有名になったコメディアン俳優Peppino De Filippoペピーノ・デ=フィリポが主役である。彼は、A.エックバークの魅力に抗せずに、自分の偽善的な性モラル感との板挟みになり、自滅する。とりわけ、カトリック派が強いイタリアの二重道徳性を暴く、F.フェリーニ監督ならではの作品である。

 このPeppino De Filippoに当たる役は、第一話、第三話、第四話では、それ程はっきりとは表象されてはいないが、それぞれ、第一話では、主人公が働く会社の、極めて厳格な会計担当係りが、第三話では、異常に饒舌な弁護士が、第四話では、籤に当たった、冴えない教会下僕が、これに当たる役柄である。

 なるほど、第二話、第四話は、典型的に「イタリア式コメディー」に該当する展開であるが、第一話では、むしろ、1960年代の日活青春映画のように、それまでの既成の社会概念から若干外れて、自分たちの感覚で自分たちの家族の在り方を模索しようとするカップルがテーマとなっている。

 一方、それ程豊満な体つきではない、ウィーン生まれのR.シュナイダーが登場する第三話は、コメディーたることを試みてはいるが、それ自体としては余り成功はしていない作品である。舞台作品とでも言える、このパートは、実際、その原作がフランス人作家のG.ドゥ=モパッサンの短編『Au bord du litベットの端で』であると言う。

2023年9月12日火曜日

遥かなる大地へ(USA、1992年作)監督:ロン・ハワード

 本作の制作が1992年で、日本での上映も同じ年の夏である。ということは、日本のバブル経済がはじける直前のことである。そして、バブル経済とは、日本経済が、「ものづくり」の経済ではなく、土地投機に血道をあげていたことを意味する。それは、価値の新たな創造ではなく、金の土地への投機が、より金の額を増やすかもしれないというところで展開する経済であり、同時に、経済成長とは関係のないところで回る「金融資本」の論理の貫徹を意味していた。正に、カール・マルクスが資本主義の発展に関して予言していた通りである。本作でのテーマもまた、19世紀末のUSAにおける、土地所有への熱い願望であり、その意味で、本作は、日本のバブル経済での土地投機への熱狂と軌を一にするものである。この点、本作の日本での初上映が、1992年夏であったことに、何かの符牒を筆者は感ずるものである。2023年の現在から見て、ほぼ30年前のことであり、ある種の感慨の念を禁じ得ない。

 さて、土地の問題ということであると、本作のストーリーにおいては、映画の最初のアイルランドの部分とその後のUSAの部分でも通底している点に気を付けたい。

 映画でも描かれた通り、19世紀後半のアイルランドでは、「Land War土地戦争」が行なわれていた。Tom Cruiseが演じるJosephは、アイルランド人の貧農の息子であり、この当時、基本的にはアイルランド人は「小作人」であるということである。一方、Nicole Kidmanが演じるShannonは、イギリス人の大土地所有者Christieの娘である。Christieの館が焼かれる焼き討ち事件は、実は、このLand Warと呼ばれた、19世紀70年代以降の、土地制度改革運動、つまり、アイルランド人の小作人の地位の向上を目指す運動の中で起こったものである。

 この土地問題が、今度はUSAでのストーリー展開になると、プロットとして、「Oklahoma Land Run」が取り上げられる。「Land Run」とは、土地取り競争であり、予め区分けしてある土地に向けて、スタートラインを決めて、土地を所有したい人間達、つまり白人の入植者達に「ラン」をさせることである。Oklahoma州で行なわれた、この土地争奪競争は、記録によると、五回あった。1889年のものがその最初で、その後、1891年から三年間連続し、一年空けて、1895年のものが五回目で最後であった。この五回の内、四回目の、1893年9月16日のLand Runが最大のものであり、1889年の参加者人数の約4倍の入植者達がこれに参加し、約33.000平方kmが土地所有の願望の対象にされたと言う。本作でも、この1893年9月16日のLand Runが、そのクライマックスに使われており、JosephもShannonも、その土地を求めての土地争奪戦に参加していた人間達の一員だったという訳である。

 そして、このRunに提供された土地とは、では、誰も所有していなかった土地であったかというと、このオクラホマ「準」州の歴史をよく見ると、基本的には、アメリカ先住民が北アメリカ大陸各地から強制移住させられてやってきた居留地Reservat、すなわち、インディアンに「リザーブされた」土地であったということである。その土地が、白人入植者達に提供されたのが、実は、この「Oklahoma Land Run」であったのである。つまり、白人によるアメリカ先住民の収奪である。

 この点をオクラホマ出身の監督R.ハワードが、自ら原案を考えだし、製作もしている中、Land Runスタート直前にアメリカ先住民を一秒のみ見せることで「スルー」しているのは、このポップコーン映画のハッピーエンドに相応しい軽薄さである。

2023年9月1日金曜日

廃墟の群盗(USA、1948年作)監督:ウィリアム・ウェルマン

 この異色の西部劇の原案は、W.シェークスピアの作品『テムペスト(大嵐)』を土台に自由に翻案したものであると言う。こう言われて、なるほどと思い当たる部分がある。なぜなら、映画の始めの銀行強盗の場面、騎兵隊に追われる、いかにも西部劇ならではの追撃場面、そして、カルフォルニア州にあるDeath Valleyを突き抜ける逃避行と、映画の3分の1ぐらいまでの、テンポのよいストーリー展開の前の方の部分と、本作の原題である「Yellow Sky」という砂漠の真っただ中にあるゴースト・タウンに銀行強盗団がようやく辿り着ていてからの部分とでは、語りのテーストが違ってくるからである。

 そこで、『テムペスト(大嵐)』のあら筋を調べてみた。ウィキペディアによると、以下のようになる:




 「ナポリ王アロンゾー、ミラノ大公アントーニオらを乗せた船が大嵐に遭い難破、一行は絶海の孤島に漂着する。その島には12年前にアントーニオによって大公の地位を追われ追放された兄プロスペローとその娘ミランダが魔法と学問を研究して暮らしていた。船を襲った嵐はプロスペローが復讐のため手下の妖精エアリエルに命じて用いた魔法の力によるものだった。

 王の一行と離れ離れになったナポリ王子ファーディナンドは、プロスペローの思惑どおりミランダに出会い、2人は一目で恋に落ちる。プロスペローに課された試練を勝ち抜いたファーディナンドはミランダとの結婚を許される。

 一方、更なる出世を目論むアントーニオはナポリ王の弟を唆して王殺害を計り、また島に棲む怪物キャリバンは漂着したナポリ王の執事と道化師を味方につけプロスペローを殺そうとする。しかし、いずれの計画もエアリエルの力によって未遂に終わる。」

 G.Peck演じるStretchは、ここでは、ナポリ王アロンゾーとその息子ファーディナンドを併せた人物であろう。故に、Stretchは、強盗団を率いており、Yellow Skyに到着するや、彼は、Constanceを演じるA.Baxterに一目惚れするのである。Constanceの祖父が、『テムペスト』におけるプロスペローであろう。こうして、劇における「絶海の孤島」こそが、Death Valleyという海に囲まれた「孤島Yellow Sky」なのである。

 本作における、R.Widmark演ずるところの悪役Dudeとは、こうなると、プロスペローを追放したミラノ大公アントーニオと怪物キャリバンを併せた存在である。こう読み解いていくと、本作は、非常に面白く、制作年の1948年という時代に、既に正統ウェスタンをひねくる作品が撮られていたことに敬意を表する。

 後の映画作品において、USAの「良心」を体現する俳優G.ペックが、最初は、強盗団の首領という「悪役」を演じることに、観ている筆者は違和感を感じざるを得ないのであったが、物語りが展開するに従って、やはり、改心するStretchになって、納得したのは、何も筆者だけではなかったであろう。

 一方、善玉の対局となるDudeは、救いようのない悪玉であるが、それを黒ずくめの衣装で体現したR.ウィドマークの演技力の凄みは、「悪の魅力」を徹底的に見せていて、賞賛に値する。1914年生まれのR.ウィドマークは、戦時中の1943年にブロードウェイで舞台俳優としてデビューした後、戦後の47年に映画界にも進出する。

 この年の、H.ハサウェイのフィルム・ノワール作品『死の接吻』ですぐに一躍有名となり、ゴールデン・グローブ賞で新人俳優賞を獲得し、同年度のアカデミー賞にノミネートされた程であった。その翌年の本作での出演は、その彼の実績を受けたものであった。このR.ウィドマークの「悪の魅力」と、撮影監督Joseph MacDonaldの手堅い白黒撮影を、本作を以って、映画通としては堪能したいものである。

2023年8月30日水曜日

噂の二人(USA、1961年作)監督:ウィリアム・ワイラー

 1961年上映の本作の原作は、女流劇作家Lillian Hellmanによる舞台劇『The Children's Hour』(1934年作)であり、本作の脚本も、最初は彼女が書いていた。ただ、同年に彼女の約30年来続いていた関係のパートナーであった、ハードボイルド・推理小説家の第一人者の一人Dashiell Hammettダシール・ハメットが亡くなったことがあって、彼女は、本作のための脚本書きから降板したようであった。本作の英語原題も、舞台劇と同じであるが、本作のストーリーの何を以って、「子供達の時間」という題名が付くのか、映画を観終わった後も筆者には見当が付かなかった。

 舞台劇の内容は、1809年という時代設定とスコットランドという場所の設定以外は、本作のストーリーとほぼ同じようであるが、ウィキペディアによると、作者のL.Hellmanは、その作意は、ストーリーに登場する女子生徒Mary Tilfordを、生来的に自分に都合がよくなるように事柄を組み合わせて「嘘」をでっちあげて、優位に立とうとする、いわば、「小マキャヴェリ的人間」として、描ききることにあった、と言う。ゆえに、三幕ものの、この舞台劇では、二幕目が終わったところで、Maryは、勝ち誇ったようにその座に安泰に座し、三幕目では、このMaryにおとしめられた二人の女性教員KarenとMarthの、社会的名声の失墜後の情況が淡々と描かれると言うのである。

 実は、本作の監督William Wyler(フランス・アルザス地方生まれのドイツ系ユダヤ人)は、上述の舞台劇がブロードウェイでヒットしたのを受けて、同じくユダヤ系アメリカ人のL.Hellmanの脚本化の下、1936年に、この舞台劇を映画化している。ただ、レズビアンのテーマを含んでいる内容を、正教徒主義のUSAでそのまま映画化する訳にもいかず、映画化題名の『この三人』に違わず、Karenの恋人のJoeにMarthaも恋してしまうという「三角関係」のメロドラマに仕立て上げたのであった。尚、この映画化の際には、Martha役を演じたのが、本作でMarthaの叔母Lily役を演じたMiriam Hopkinsであった。中々粋な配役である。

 日本語のウィキペディアによると、アメリカ映画史において、同性愛の描写が問題になったのは、1960年作の『スパルタカス』であったと言う。この映画は、カーク・ダグラスが金を出し、自分が主演でスパルタカスを演じるような自己宣伝映画であったが、最初に依頼していたアンソニー・マン監督が、K.ダグラスと衝突して降板すると、当時はそれ程有名ではなかったS.キューブリックが、代役で監督となり、撮影が続けられた。この映画では、トニー・カーティスが演じた、あるシーンについて、これをカットする自己検閲が取り出たされていた。T.カーティスは、この作品では、シチリア人の青年奴隷として詩吟を専門とするアントニウス役を演じており、共和制ローマ時代の権力者の一人で、マルクス・リキニウス・クラッススに促されて、彼といっしょに入浴する場面が撮られていたのである。この場面には、「香油によるマッサージやベール越しの撮影で妖艶さを増し、会話には牡蠣や蝸牛など食のモラルに関するものには同性愛に対するモラルを暗示するものが含まれていた」(ウィキペディアからの引用)と言う。T.カーティス自身も、この点について、ドキュメンタリー映画 『セルロイド・クローゼット』 の中で、この二人の「絡みがある場面がホモセクシュアルを匂わせる為に削除されたことを」語っている。(因みに、本作の中で、女子生徒Maryの寝床の近くの壁には、T.カーティスのブロマイドが飾ってある。)

 これを受けて、『スパルタカス』での、この「検閲」に関して、ウィキペディアによると、W.ワイラーも含めた、ハリウッドのプロデューサーや監督から、「これでは同性愛を堂々と描いている外国映画との競争に勝てないとの抗議の声が上がっていた」と言う。こうして、1961年10月3日、アメリカ映画協会は、「現代の文化、風習、価値観に合わせて、慎重・抑制を条件として、同性愛その他の性的逸脱を扱うことを認める」と規則を改正したと言う。本作『噂の二人』は、この性的規制改正後に映画協会のコード・シールを受けた最初の映画であったのである。

 本作では何といっても、映画終盤における、Marthaを演じるSh.マクレーンの演技の迫力が圧倒的である。それに対して、もう一人の主役Karenを演じるA.ヘップバーンは、印象としては、Sh.マクレーンの演技力に呑まれた形ではあるが、彼女が持つ生来的な清楚さに、映画ラストにおける「凛とした態度」が加わった演技をしっかりとこなして、好感が持てる。

 尚、A.ヘップバーンは、監督W.ワイラーとは、『ローマの休日』以来、八年ぶりの共作であり、この時の白黒映画の撮影監督の一人が、同様に白黒映画である本作での撮影監督F.Planerであった。W.ワイラーとA.ヘップバーンは、本作の撮影後、1966年に、『おしゃれ泥棒』で共作している。

2023年8月17日木曜日

ミッドウェー 運命の海(USA、2019年作)監督:マイク・フィリップス Jr.

 本作の主人公Norman Francis Vandivierヴァンディヴィエー(名前からして、フランス系アメリカ人か)は、1942年6月4日(日本時間では、21時間の時差があるので5日)、太平洋戦争における転機点となるミッドウェー海戦において、航空母艦Enterpriseエンタープライズ号より、艦上爆撃機「Dauntlessドーントレス」に搭乗して、日本の航空母艦を撃滅するために発艦した。さて、彼は、その任務を遂行できたのであろうか。

 映画は、しかし、攻撃の在り様を意外とあっけなく済ませた後は、攻撃後のN.F.ヴァンディヴィエーの運命を語り続ける。つまり、本作の意図は、ミッドウェー海戦の展開を綴ることに眼目を置いているのではなく、撃墜された後の、恐らく数日間漂流したであろうN.F.ヴァンディヴィエーの運命を代表させて、この海戦でアメリカ側の飛行搭乗員が舐めたであろう海上漂流の辛さを、N.F.ヴァンディヴィエーの人生の個人的回想を一部交えて、描いたものである。

 本作の監督であるMike Phillips Jr.マイク・フィリップスJr.は、約15年を掛けて実際にあった出来事を映画化しようとしたと言う。脚本は、Adam Kleinアダム・クラインが書いたことにはなっているが、原案はM.フィリップスが、当時の経験者の回想録などを参考にしながら、作っていたものであり、A.クラインはこれを手直ししただけであったと言う。製作もM.フィリップスが関わっており、この彼の拘り方は、尋常のものではなく、調べてみると、やはり、彼の個人的な関心があったのである。

 実は、本作に登場するThomas Wesley Ramsayラムゼイも、N.F.ヴァンディヴィエーと同様に、エンタープライズ号より艦上爆撃機Dauntlessに乗って、空母加賀への攻撃に加わり、その際に撃墜されて、八日間漂流した後、幸運にも、ある偵察・爆撃機用飛行艇PBYカタリーナ(双発で六人乗り)に救助されたのであった。しかも、このカタリーナ機のパイロットは、Th.W.ラムゼイのハイスクール時代のクラスメートであった。Th.W.ラムゼイは、1943年4月に、Navy Cross海軍十字章を授与された。Th.W.ラムゼイと同様に、N.F.ヴァンディヴィエーも、また、本作に名前だけ登場する、エンタープライズ号の航空群司令であったWade McCluskyマクラスキー海軍少佐も、その戦功によりNavy Crossを授与されている。W.マクラスキーの、燃料切れによって母艦に帰れないかもしれない状況の中、さらなる敵・航空母艦捜索に踏み切った「勇敢な」判断が、アメリカ側をミッドウェー海戦における勝利に導いた一つの、人間的要素であった。

 それでは、まず、予備知識として、太平洋戦争前期におけるUSAの、とりわけ空母を中心とする軍艦及び航空部隊の編成を見てみよう。

 USA海軍の部隊編成は、「Fleet艦隊」という上位編成から、Task force任務部隊、Carrier battle group空母戦闘群(略称:CVBG)へと下位に向けて、構成されている。空母の略称が、CVで、それに今度は、それぞれの空母に番号が付けられて、例えば、USS Enterpriseであれば、6番で、CV-6となる。USS Yorktownは3番なので、CV-3となり、このような番号は、恐らく発艦後に戻ってくる艦載機が間違わずに自分の母艦に着艦するように、空母甲板の前方に大きく書かれてある。

 これらの空母に、さらに、空母護衛のための巡洋艦二隻、駆逐艦6隻が加えられて、Carrier battle group空母戦闘群となり、これを単位に、CVBGを数個組み合わせると、Task force(略称TF)レベルの部隊編成となる。こうして、1942年には、エンタープライズ号と空母Hornet(CV-8)号を基幹とするTF16、ヨークタウン(CV-3)号を基幹とするTF17などが存在した。

 一方、空母に載っている航空隊の構成はどうかと言うと、太平洋戦争開戦時の、エンタープライズ号も含めたヨークタウン級空母には、戦闘機、爆撃機、雷撃機、及び偵察機がそれぞれ18機搭載されていた。1943年以降には、エセックス級空母が採用されたので、これには、戦闘機隊36機、爆撃機隊36機、雷撃機隊18機が搭載されることになり、この編成が、Carrier air group空母航空群(大隊)のレベルの部隊編成となるのである。

 そして、それぞれの機種に対して、その載っている空母の番号が付けられる。故に、エンタープライズ号に載っている航空部隊には、6番の番号が付き、戦闘機隊(Fighting)は、VF-6と、爆撃機隊(Bombing)は、VB-6と、雷撃隊(Torpedoing)は、VT-6と、偵察機隊(Scouting)は、VS-6と呼称される。

 因みに、18機の部隊編成数が、航空軍での、いわゆる「Squadronスコードロン」と呼ばれる単位である。故に、1942年時のCarrier air group空母航空群(大隊)は、四つのSquadronで構成されていたということになる。USAの航空軍の部隊編成は、下からFlight、Squadron、Group、Wingとなり(英国空軍では、WingとGroupの順序が逆)、二つのGroupで一つのWing、三つのSquadronで一つのGroup、三つから五つのFlightで一つのSquadronとなる部隊編成である。仮に、Squadronを「航空中隊」と訳するならば、Flightを「航空小隊」、Groupを「航空大隊」、Wingを「航空団」とでも訳せようか。(国防軍時代のドイツでは、飛行機2機が基本的単位であったので、小隊4機、中隊12機となり、これが、Squadronに対応する。)

 以上の部隊編成の知識を以って、それでは、本作の主人公N.F.ヴァンディヴィエーの、1942年6月4日(ミッドウェー現地時間)の動きを見てみると、以下のようになる。

 PBYカタリーナ双発飛行艇から「日本の機動部隊を発見セリ!」との連絡が4日早朝に入り、さらに、「第四の空母、しかも不沈空母」とでも言えるミッドウェー島航空隊基地からの情報もあり、出動していたアメリカ空母部隊は、南雲機動部隊の位置をほぼ確定できた。日本軍の暗号がこの時期に殆んど破られていたこともあり、アメリカ側は、日本帝国海軍の大部隊がミッドウェー島を攻略しようとしていた意図も事前に分かっていたのであった。

 既に艦上に揚げられ、エンジンを回していた各飛行機は、時刻07:30にエンタープライズ号から発艦していった。VF-6の戦闘機隊からはF4F10機、VB-6の爆撃隊とVS-6の偵察隊からは偵察・爆撃用飛行機SBD33機、VT-6の雷撃隊からはTBD14機の、合計57機が飛び立っていった。同じTF16のホーネット号からも合計60機が加わっていたので、TF16 の任務部隊から、総計117機が送り出されたことになる。

 F4Fとは、「Wildcatワイルドキャット」のことであり、TBDとは、ダグラス社の雷撃機で、この頃の主力雷撃機「Devastatorデヴァステイター 蹂躙する者」である。SBDも、「Scout Bomber Douglas」と表記されることから、ダグラス社製の偵察兼爆撃用二人乗り飛行機(後部銃座付き)である。SBDの初期型は、既に1939年4月、つまり、第二次世界大戦勃発の約半年前から生産が始まり、翌年からは、SDB一型が海兵隊に、SBD二型が海軍に部隊配備されるようになっていた。第二次世界大戦開始と伴にドイツ空軍の急降下爆撃機Ju87シュトゥーカの活躍に衝撃を受けると、アメリカ軍側は、SBDの性能向上を要求して、その中期型SBD三型が、同時期に使用された日本の九九式艦上爆撃機と比較して、格段の性能の向上を得て、登場した。SBDの「綽名」は、Dauntless ドーントレス、すなわち、「dauntすることのない」、「怖気させられない、ひるまされない」の意味であり、SBD艦上爆撃機は、恐れずに豪胆にダイヴィングして爆撃を行なう急降下爆撃機である。

 さて、07:30からエンタープライズ号から次々とSBDも含む飛行機が飛び立っていく中、その約25分後の07:55前後に、「不沈艦」ミッドウェー島基地から発進したSBD部隊が、南雲部隊に攻撃を仕掛けた。この時は、日本軍側の直掩戦闘機・零戦が有効に防御したが、アメリカ軍側の攻撃はこれ以降、波状的に続く。

 8:30、第17任務部隊のヨークタウン号からも35機の航空部隊が発進する中、1942年4月に少佐に昇進して、エンタープライズ号に所属する艦載機を総指揮する第六航空群司令になっていたW.マクラスキー少佐率いるSBD部隊は、発艦して一時間も経っていたが、未だに敵艦隊を見つけられずにいた。あと一時間以内に敵を見つけなければ、みすみす母艦に戻るしかない。そして、実際、9:20頃、W.マクラスキー少佐は、母艦に戻れず、途中で海に不時着してでも、さらに、索敵することを決める。この彼の決断が、後になって、ミッドウェー海戦の勝敗を決する重要な契機になるのである。

 奇しくも、その後の09:55、W.マクラスキー少佐達は、日本軍の駆逐艦「嵐」を発見する。この駆逐艦は、本隊に戻るに違いないと判断したW.マクラスキーは、その後を追う。こうして、10:05、彼らは、南雲機動部隊を発見、10:24、その上空に達する。途中三機を失っていたSBD部隊は、30機になっていた。その直前には、ヨークタウン号から発艦していたSBD部隊も戦場に到着しており、両部隊は協同するが如く、攻撃に突入する。

 丁度、日本海軍側は、ヨークタウン号からのTBD雷撃隊の攻撃を迎撃しており、日本側空母の見張り員は、上空の監視を怠って、海面すれすれからくるTBDに目を奪われており、直掩戦闘機もこの対TBD邀撃のために低空に降りて戦っていたところであった。この隙を突いての高空からの不意打ちは、南雲機動部隊所属の空母三隻を一気に撃破・撃沈する形になる。正に偶然のなせる業ではあるが、間の悪い時というものがあるものである。

 W.マクラスキー少佐が先陣を切って空母「加賀」に突っ込む。自身は命中しなかったのであるが、別小隊の第二派攻撃の爆弾が「加賀」の艦橋付近に着弾、「加賀」の艦長は爆死する。その直後、今度は、ヨークタウン号からのSBD部隊17機が、空母「蒼龍」を襲撃し、これに三発を命中させて仕留めると、さらに、エンタープライズ号のSBD部隊の小隊で、さらに別動隊となっていた数機が、旗艦空母「赤城」を攻撃して、一発を命中させる。「赤城」は、爆弾の当たり所が悪く、一発の被弾で、その後は自己誘爆が続いて、最終的に友軍の魚雷で「雷撃処分」させられることになる。

 W.マクラスキー少佐が先陣を切ってから約六分間の出来事であったが、大日本帝国海軍にとっては、「魔の六分間」であり、これを以って、太平洋戦争は、USAが日本側に攻勢を仕掛けるターニング・ポイントになる。

 W.マクラスキー少佐が指揮したSBD部隊30機の内、艦上戦闘機の護衛なしでの攻撃であったので、爆撃後の離脱の際に、今度は上で待ち受けていた日本側の直掩戦闘機に撃墜されるケースが多くなり、エンタープライズ号のSBD部隊は、30機中14機が撃墜されたと言う。

 VB-6の爆撃隊第三小隊にいたN.F.ヴァンディヴィエー准尉(Ensignエンサン:最下級の将校で、Lieutenantの下位、特任少尉的存在で、兵卒から昇格した予備役将校)は、英語のウィキペディアの説明とは異なり、赤城ではなく、加賀に対する攻撃の第三波ではなかったかと想像される。彼の機の爆弾が当たったかは定かではないが、投弾後、離脱の際に撃墜されたものと思われ、彼と搭乗員Lee Keaney水兵は、もはやエンタープライズ号には帰還することはなかったのである。N.F.ヴァンディヴィエー准尉は、行方不明のまま死亡宣告されて、1942年6月30日に、Lieutenant(junior grade二級少尉)に格上げされ、その戦功を表して、海軍十字章が彼に授与された。

2023年8月14日月曜日

イコライザー2(USA、2018年作)監督:アントワーン・フークア

 USAにおける、いくつもある情報機関の活動を調整する、閣僚級の人物、USAにある、いわゆるIntelligence Communityインテリジェンス・コミュニティー全体の統括官が、Director of National Intelligence国家情報長官(略称:DNI)である。この統括官の下には、16の情報機関が活動しており、この内、対外諜報を任務とするのが、有名なCIA、つまり、Central Intelligence Agency中央情報局で、DNIの直属として組織されている。さらに、組織的は、各連邦省の傘下の情報機関が、15あり、例えば、有名な組織が、司法省の管轄下のFBIである。FBI、Federal Bureau of Investigation連邦捜査事務局は、CIAが対外情報担当であるのにたいして、国内情報担当であると言える。司法省以外にも、例えば、財務省や国務省などにも独自の情報機関があるが、United States Department of Defenseアメリカ国防省傘下には、四つの情報機関がある。

 この四つの機関の一つが、National Reconnaissance Office国家偵察室(略称:NRO)で、この機関の担当は、宇宙空間ということになる。また、エドワード・スノーデンの情報暴露により、そのデジタル情報の違法な収集活動で注目を集めたNational Security Agency国家安全保障局(略称:NSA)も国防省傘下の情報機関である。

 しかし、国防省傘下の四機関の内で、Defense Intelligence Agency国防情報局(略称:DIA)が、陸・海・空軍及び海兵隊の各軍の情報機関を統括する形で活動しており、この機関は、1961年に軍事情報を専門に収集・分析し、各軍がさらに独自に持っている情報機関から上がってくる情報を整理する部署として設置されたものである。

 本部は、ワシントンD.C.にあり、各国の大使館にいる駐在武官の人事も、このDIAが管轄している。DIAの部局(Directorates)は、四つあって、分析部、オペレーション部、科学技術部、ミッション・サービス部に別れており、アメリカ、アジア・太平洋、ヨーロッパ・ユーラシア、中東・アフリカ地域と分担してそれぞれ情報センターを置いている。また、Defense Combating Terrorism Centerと呼ばれるセンターという、対テロリズム部門もあり、本作の主人公で、元DIAの凄腕の特殊工作員たるロバート・マッコールは、この対テロリズム部門の要員であったかもしれない。

 さて、ヴィジランテものである本作シリーズは、第一作で『タクシー・ドライバー』的ストーリーを軸にした展開であったものが、今回の第二作目では、一部の批評ではあまり新しみがないストーリーであると言われているのに対して、筆者は、好意的な評価を加えるものである。なぜなら、本作では、R.マッコールの古巣たる国防情報局DIA組織の内部的腐敗がストーリーの基軸になっており、ヴィジランテものに政治スリラー的要素が加わっているからである。

シャンボンの背中(フランス、2009年作)監督:ステファヌ・ブリゼ

 「直球、ストライク!」、この映画の、内容ではなく、ある「恋」の顛末を語る、その語り口を一言で綴るなら、こう言えるかもしれない。本作は、男の感情の動きを男の視線でエゴイスティックに描いているからである。なるほど、本作では、男性監督が、女性脚本家の助けを借りながらではあるが、自身で脚本を書いているのである。そして、本作の「味噌」は、中年男性の子持ちのピッチャーに、振りかぶるまでに随分時間を掛けさせ、自分に自信のない、未婚の若い代理女性教員には、直球を受けるためのミットを手に中々はめさせなかったというところであろうか。

 フランスの、ある地方都市での出来事である。時代は、未だCDが主に使われている頃である。フランスでの事情がよく分からないので、断言が出来ないのであるが、未だに「Madmoiselleマドモアゼル」という言葉が使われている時代である。既婚であるか、未婚であるかで、女性に対する「さん付け」を変えていた時代と理解するか。英語の、未婚女性に対するmissに対応するドイツ語Fräuleinフロイラインは、ドイツでは今は死語と化している。昔は、年を取っていても教員であれば、しかも、女性教員は未婚であることが前提とされていたことから、女性教員を、「Fräulein何某」と呼んでいたものである。フランスでもこの伝統があることから、本作のセッティングでも、女性の代教をMadmoiselleと未だに呼んでいるのかもしれない。

 さて、本作の原題は、「Madmoiselle Chambon」という。邦題は、『シャンボンの背中』としてあるが、蓋し、これは、天才的命名である。なぜなら、いかに既婚で子持ちのJeanジャンが、Madmoiselle Chambonに恋し始めたかの契機を一言で言い当てているからである。同じくフランス映画で『クレールの膝』(エリック・ロメール監督、1970年作)という作品がある。ある中年男性が若いクレールの膝を見て、彼女に恋するストーリーで、『シャンボンの背中』と名付けた日本の配給会社の担当員は、中々の映画通である。筆者としては、惜しむらくは、Chambonは、苗字であり、Madmoiselle Chambonの名前Véroniqueヴェロニクを使って、『ヴェロニクの背中』としたいところではあるが。

 ここで本作で使われている曲を挙げておくと、Jeanに望まれてMadmoiselle Chambonが自分のアパートで弾くヴァイオリン曲は、ハンガリー人のフランツ・フォン・ヴェチェイ(Vecsey)作曲の『La Valse Triste哀しみのワルツ』、Madmoiselle ChambonがJeanに頼まれてJeanの父親の誕生日で弾く曲は、Edward Elgerの『Salut d'Amour愛の挨拶』、そして、エンディング・ロールで流れてくるシャンソン曲は、シャンソニエBarbaraが歌う『Septembre Quel joli temps九月 なんて素敵な時よ』である。このシャンソンは、Madmoiselle Chambonの心持ちを歌った歌詞内容であるように思われ、夏が終わり、秋が始まる季節に、愛とも別れなければならないが、つばめが、夏が来ることを告げるように、今度の夏には貴方は戻ってくるかもしれないという希望で終わっている。

 最後に一言:

 Jeanを演じたVincent Lindonと、Madmoiselle Chambonを演じたSandrine Kiberlainの二人は、実は、1998年から2008年までの10年間、夫婦であった。本作の上映が2009年であるから、本作の撮影中は、二人は、既に別居中か、家庭裁判所で調停後の関係であり、そんな中でも二人は本作で共演していたことになる。という訳で、お互いの了解で離婚したと言うことであろうが、そんな二人が、出会って恋に落ちるという、恐らくは二人が結婚する前の、10年以上の前の自らの出会いと焦がれる恋を演じた演技力に、流石の俳優業のプロフェッショナル性が感じられるのである。

2023年8月13日日曜日

タイラー・レーク 命の奪還2(USA、2022年作)監督:サム・ハーグレイヴ

 本作の主人公Tyler Rakeが元所属していた組織SASR(「特殊空挺連隊」)は、実は、日本と、間接的ではあるが、関係がある組織である。


 体ががっちりし、胸板の厚い主人公Tyler Rakeは、今は傭兵として秘密裏にどこかの組織に雇われる存在であるが、元はSASR隊員であった。SASRとは、略語であり、正確に記述すると、「Special Air Service Regiment」であり、訳せば、「特殊空挺連隊」のことである。このSAS部隊は、英国にも、また、英国の嘗ての植民地の一つであったオーストラリアにも存在する部隊であり、T.レークは、オーストラリアのSASRの部隊員であった。SASRは、オーストラリア陸軍に所属する特殊部隊で、英国のSASを模範として、1957年に成立した。

 しかし、この部隊の前身は、太平洋戦争中に構成された部隊にある。太平洋戦争が大日本帝国軍のパールハーバー奇襲で始まった1941年の翌年、日本軍がニューギニアに迫ってくると、オーストラリア大陸の北岸が日本軍に脅かされることとなり、それに対抗するために、オーストラリア陸軍は、偵察を主な任務とする独立騎馬部隊を創設する。そして、日本帝国軍とやむを得ず戦闘状態に入る場合には、陸軍の正規軍が英軍と共に欧州、中東に配備されていたことから、独立の「特攻中隊」、或いは、「Z特殊部隊Special Force」が投入されることになっていた。現在のSASRは、これらの、大日本帝国軍を敵として、太平洋戦争中に成立した部隊の伝統を背景として、創設されたのである。

 SASRは、1957年に創設されて以降、60年代には、インドネシア・ボルネオ紛争、ベトナム戦争に、2000年代には、イラク戦争、さらに、2002年から2010年まではアフガニスタン戦争に投入される。

 因みに、アフガニスタン戦争投入中に、オーストラリア軍、とりわけ、SASRの部隊員による戦争犯罪が行なわれたことが、2017年にオーストラリアの放送局Australian Broadcasting Corporationよって明るみ出され、少なくとも39人のアフガニスタン人市民がオーストラリア兵によって射殺されたり、捕虜となったアフガニスタン人ゲリラが即決で処刑されたりしたと言う。とりわけ、SASRの部隊の場合には、テロ対策でパトロール中の新兵に、入隊の儀式として、新兵にアフガニスタン人の「処刑」を強要していたと言うのである。

 2022年には、オーストラリアの調査委員会が、19名の元兵隊に刑事訴訟を起こすことを提言しており、それを受けて、あるオーストラリアの将軍が、オーストラリア軍の名の下に、アフガニスタン国民に謝罪をするというところまでに事態が発展したが、その背景には、ある出来事が事態に火を注ぐ形となった。と言うのは、オーストラリア情報局が警察と共同して、2017年にこの件を報道したAustralian Broadcasting Corporationを、2019年に手入れして、事件の情報とその情報源を探り出そうした、報道の自由を脅かすスキャンダルが起こっていたからである。

TENET(イギリス、USA、2020年作)監督:クリストファー・ノーラン

 アメリカUSAの反ナチ・プロパガンダ映画『カサブランカ』のラストシーンを覚えている方は、本作のラストシーン直前のプロットが、『カサブランカ』へのオマージュであることが直観できるであろう!『カサブランカ』では、フランス・ヴィシー政府との関連からナチに「中立」的なカサブランカの警察署長・ルノーに向かって、カサブランカ駐在のナチ将校・シュトラッサー大佐を射殺したアメリカ人リック(H.ボーガート)が、"Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship." と言う場面があり、正に、悲劇的な形で、本作では、ある友情の始まりと終わりが同時に語られるのである。この意味でも、本作の監督Chr. Nolanが書いた脚本はよく出来ている。オマージュという点では、もう一本、フランスの犯罪・スリラーものの傑作『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督、1960年作)からの、間接的な引用(ボートに綱で曳かれる遺体の場面)が、本作の終盤に出てくることもここに述べておこう。

 さて、「SATORスクウェア」というものがある。縦・横五つずつのマスを取ると、25の区分が出来る。これに、ラテン文字を一つずつ入れていくのであるが、一番上の段にS・A・T・O・Rの五文字を入れるところから、この名称が付いている。

 さらに、縦の一番左の列にA・T・O・Rの四文字をS字の下から入れていくと、以下のようになる:

 S A T O R

 A

 T

 O

 R

 今度は、この方形の右下から、S・A・T・Oの四文字を、右読み、上に向けて入れていくと、以下のようになる:

 S A T O R

 A    O 

 T    T

 O   A

 R   O T A S

 SATORとは、ラテン語で「種を蒔く人」で、第五段目を今度は左読みすると、ROTASとなり、これは、「車輪、ホイール」の意味である。ゆえに、意味としては、「種を蒔く人は、車輪を」となる。本映画では、Satorとは、ロシア人武器商人で、未来と交渉のある人間の名前である。一方、Rotasとは、Satorの持っている建設会社の名前で、オスロ空港にある、脱税の目的で輸出入品(絵画などの芸術品)を保管している会社Freeportの所持している建物を建てた会社である。

 次に、SATORスクウェアの二段目に、左からR・E・Pと、四段目には、五列目のA字の左からR・E・Pと三文字を入れてみよう:

  S A T O R

  A    R   E    P    O 

  T                       T

  O   P   E    R     A

  R   O T A  S

 こうして、さらに、左から二列目と四列目の上から三段目にそれぞれE字を入れると、左から二列目には、また、AREPOが、二段目と同様に出来、四列目を下から読み上げると、AREPO、同列を上から読み下げると、OPERAという言葉が、さらに四段目を左読みにすると、同様にOPERAという単語が出来上がる。Arepoとは、恐らく、固有名詞であり、人名であると想像されており、Operaは、ラテン語で「仕事、努力」などの意味である。こうして、上の段から読んでいくと、「種蒔きのアレポは、仕事として(努力して)車輪を...」と解読できる。一方、本作では、Arepoは、フランシスコ・デ・ゴヤの絵を贋作した人物として、名前が挙げられ、本作の、名無しの主人公「Protagonistプロタゴニスト」が、Satorやその妻に接近する切っ掛けとなるものである。また、Operaは、絵画に対する音楽のオペラとして、本作冒頭の、キエフのオペラ・ホールの名称として登場する。

  S A T O R

  A    R   E   P    O 

  T    E         E     T

  O   P    E   R     A

  R   O T A  S

 上の図に、最後に、画竜点睛ではないが、このSATORスクウェアの中心にN字を嵌め込むと、三段目と三列目の左右上下、どのように読んでも、TENETという言葉が出来上がる。この言葉は、ラテン語で「維持する、保持する」の意味であるが、本作では、ある秘密作戦名として登場する。しかも、この言葉は、右から読んでも、左から読んでも同じ言葉になる、いわゆる、Palindrome回文である。そして、N字を二重に取るなら、右から読んで、ten、左から読んでも、tenで、つまりは、数字の10となり、N字が、時空上の結節点となるとすると、本作のクライマックスとなる、旧ソ連邦にある立ち入り禁止地域Stalsk-12での作戦が、昼の12時をN点とすると、それに順行する10分間と、N時点に逆行する10分間の、時間的に挟み撃ちに、つまり挟撃される時空を意味することになる。本作は、正に、監督Chr.ノーランによって、緻密に考え抜かれた、観る者の知的興奮を呼び起こす傑作である。

 量子力学やエントロピーの理論を以って、なぜ時間の逆行、より正しくは運動の逆行が可能なのかの説明が映画中にあることはあるが、Protagonistが映画の序盤で出会う女性科学者ホイーラー(Rotasの言葉と関係ありか?)が言っている通り、それは、見方の問題、感覚の問題であると言う。順行であれば、撃った弾は拳銃から飛び出し、逆行であれば、撃たれた弾を拳銃で受け止めるという、見方の問題なである。

 或いは、こう説明しよう。西部劇などを観ていて、走っている馬車の車輪が逆向きに回っているように見えることがある。この現象を、「ワゴンホイール効果」という。映画撮影では一秒間に24コマずつ静止画を撮り、それを連続再生することで、動画化している。つまり、毎秒二回転している12本スポーク付きのホイールを、毎秒24コマの映画用のカメラで撮影すると、スポークの位置がいつも同じ位置で映り、ホイールの回転が止まっているように見える。このホイールの回転速度が、毎秒二回転より遅くなると、今度は、静止状態から、ホイールが逆回転しているように見える動画になる。運動の逆行の現象も、こう考えると、カメラを目とすると、見方の問題となる訳である。

 であるので、理論的にどうして時間の逆行が可能なのかを推理するよりも、それが可能な映画的世界としてこのことを受け止めてしまうと、観ている者も、抵抗感がなく、ストーリー展開が楽しめるであろう。ゆえに、本作は、二度、三度と観られることをお勧めする。何回かと観ていくうちに、抵抗感が次第に薄められていくからである。

 なお、映像は、素材がIMAX版及び70㎜版であり、やはり、映画館の大画面で観たいものあるが、時間を刻むような音楽(本作より三年後に発表されたChr.ノーラン作の『オッペンハイマー』でも共作することになる、スェーデン人作曲家Ludwig Görranson)と共に、Chr.ノーラン組とでも言える、スイス生まれのオランダ人撮影監督Hoyte van Hoytemaとアメリカ人の女性編集者Jennifer Lameの仕事振りをじっくりと楽しみたいものである。

2023年7月3日月曜日

秒速5センチメートル(日本、2007年作)監督:新海 誠

 2007年作の本作は、SF味を無くした『ほしのこえ』(2002年作)であり、恋の物語りとしての『言の葉の庭』(2013年作)への展開の前提となる作品と位置づけられる。

 本作は、オムニバス形式で、三つの短編からなっており、合計で67分である。一本20分程度の長さの短編アニメを、一つのテーマ「別離」でまとめたものである。『ほしのこえ』も、同様のテーマであり、また25分の短編であった。

 ストーリーのセッティングとしては、小学校から中一年生にかけた男女生徒の、出逢いと離別から本作は始まる。年齢の割には「大人」である二人の精神発達のレベルを、少々訝しく思いながらも観る筆者にとってさえ、本作の第一話「桜花抄」は、鉄道の旅も含めて、浪漫的であり、雪景色の中での櫻の木の下でのシーンは、主人公の年齢を無視すれば、一幅の「絵」でさえ、あり得る。

 ゆえに、第一話での年齢を引き上げて、両者を高校三年生としてはいかがであろうか。より現実味が増すと思われる。それに合わせて、第二話「コスモナウト」は、大学での片思いのストーリーとしよう。一途に主人公を想う澄田花苗(かなえ)の、みずみずしさと痛々しさは、女子大学生の年齢でも十分に表現できるはずである。

 第三話の、櫻の花が地上に落下する速度を表すという題名の「秒速5センチメートル」でのセッティングは、原作同様の、主人公が社会人となっているものでそのまま行けるはずである。同様に、主人公と三年も付き合っていて、それでも、「1000回にわたるメールのやり取りをしたとしても、心は1センチほどしか近づけなかった」水野理沙の切なさと無残さは、主人公の、第一話での、初期体験の「初恋」の想い入れを強調するためだけの役割を持つとしても、本作を観る者にとっては、極めて印象に残るプロットである。

 さて、新海アニメのストーリー展開には、「喪失感」の契機が大きな役割を演じていることに注目すべきであろう。それは、つまり、男女の出逢い、別れ、そして、その喪失感に由来する「想い」の強烈さである。この契機は、新海がアニメ作家としてアニメ界で有名になった、2002年の、ほぼ自作自演の短編アニメ『ほしのこえ』以来、『言の葉の庭』までの新海アニメに、はっきりと通底するものである。そして、物語りの語りの視点は、基本的に男性、否、男子である。この傾向が違ってくるのが、『言の葉の庭』後の、『君の名は。』(2016年作)以降である。ゆえに、『君の名は。』以降を以って、新海アニメ・ワールドは、第二段階に入ったと言えるであろう。

 という訳で、『君の名は。』以降、制作形態も変わっているのであるが、本作での制作形態は、新海をアニメ界で有名にした『ほしのこえ』と同様で、無声映画期のチャップリンを思わせる「ワンマンショー」ぶりである。監督、脚本は当然として、メディア・ミックスということで原作も書き、絵コンテならぬ「ヴィデオ・コンテ」を精密に描きあげる。

 本作では、さすがにキャラクターデザインと作画監督には、他のアニメーターを持ってきてはいるが、演出は新海であり、新海アニメの「肝」となるべき、フォト・リアリズム・アニメに肝要な、色彩設計、また、とりわけ光効果に大事である撮影のパート、そして、編集(本作では共作)は、新海が担当している。このことを以って、正に、新海が「アニメ作家」たりと呼べる理由である。

2023年7月2日日曜日

君の名は。(日本、2016年作)監督:新海 誠

 46分の長さの中編アニメ『言の葉の庭』(2013年作)で「大人のアニメ」への展開を予想させた新海アニメ・ワールドは、次の三年後の長編アニメ『君の名は。』で方向を変える。神道主義者になった新海は、それ以降の『天気の子』(2019年作)と、2022年作の『すずめの戸締り』に繋がる、一つの制作定式を見つけた出したのである。

 つまり、本作『君の名は。』には、ストーリー展開において四つの特徴がある。

1.日本的民俗の要素、ここでは神社をストーリーに取り入れる。
2.ストーリーを基本的にファンタジーとする。
3.主人公を中学生・高校生とする。
4.女子生徒には、特殊な能力を持たせる。

 高校二年生の「三葉(みつは)」は、岐阜県飛騨地方にある神社の巫女である。祖母が一葉、母が二葉、妹が四葉と、世代が繋がっており、父親は、民俗学者である。『言の葉の庭』で万葉集をテーマとした新海は、日本古代を改めて「発見」したのである。それゆえに、「お神酒」でもある「口噛み酒」が本作でも重要な役割の演ずる。「口噛み酒」は、処女が噛んだ酒米でなければならないのである。

 主人公の三葉は、自ら望んだ訳ではないが、東京にいる、同じく高校二年生の立花瀧と体を「入れ替える」ことが出来るのである。物語りの展開に従って、それが、実は、空間だけではなく、時間軸においても「ずれ」が生じていたことが分かるのであるが、この時空間での「ズレ」というテーマは、新海は、2002年に彼が殆んど自作自演で制作したSF短編アニメ『ほしのこえ』で扱っていたものである。

 一方、もう一人の主人公・立花瀧は、女子の身体に入れ替えることが出来て、「興奮」する。実は、本作の題名は、企画書の段階では、『夢と知りせば―男女とりかえばや物語』であったと言う。つまりは、日本文学を大学で勉学した新海は、ストーリーを日本の古典から採ってきて、男児を「姫君」として、そして女児を「若君」として育てる、平安時代の『とりかへばや物語』を想定し、これにさらに、「絶世の美女」たる小野小町の和歌「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」(古今和歌集)を設定に取り込んだのであると言う。蓋し、妙案である。こうして、新海ファンタジー・ワールドは成立したのである。

 しかも、立花瀧がアルバイトをしているイタリア・レストランは「IL GIARDINO DELLE PAROLE」という。イタリア語を訳して、「言葉の庭」、つまりは、新海はここで前作の『言の葉の庭』と本作を繋げているのである。三葉が通う高校の古典の教員が「ユキちゃん先生」であるのも、新海の、『言の葉の庭』から採った「冗談」である。

 さらに、前作との関りから言うと、ラスト・シーンは、2007年の自身作『秒速5センチメートル』からの「パクリ」である。2022月4月に瀧と三葉は東京で偶然に再会するのであるが、それは、桜が満開の雨上がりの朝であった。

 さて、最後に、本作の題名を書く時には、句点を忘れてはならない。忘れてしまっては、それは、1950年代のラジオ・連続メロドラマ、そして、同名の、岸恵子主演の映画作品(1953年作)の題名と同じになってしまうからである。

 因みに、個人的には余り好みではないファンタジー・アニメの本作が成功した一つの要因は、アニメーター・安藤雅司が本作に作画監督として関わったことである。彼は、宮崎駿監督の『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』で、また、今敏監督の『パプリカ』で作画監督を務めた名アニメーターである。ここに敢えて彼の名前を記し、宮崎と新海のアニメ制作上の繋がりを強調しておきたい。

2023年7月1日土曜日

すずめの戸締り(日本、2022年作) 監督:新海 誠

 中編アニメ『言の葉の庭』(2013年作)で大人のアニメへの展開を予想させた新海アニメ・ワールドは、次の、長編アニメ『君の名は。』(2016年作)以降、『天気の子』(2019年作)を経て、本作(2022年作)へと三年毎に作品が発表され、『言の葉の庭』とは別の歩を辿る。『君の名は。』以降の、その展開を鑑みると、そこに一つの制作定式を新海が見つけたのではないかと筆者には思われる。

 つまり、『言の葉の庭』で見せた、リアリティーのあるストーリー性を離れて、ストーリーを基本的にファンタジーとする。その際、日本的民俗の要素をストーリーに取り入れる。主人公は、中学生・高校生とする。女子生徒には、ファンタジーでもあり、宮崎駿アニメ・ワールド並みに特殊の能力を持たせる。以上、新海がこのような制作定式を立てたと類推すると、上述の長編アニメ三作は、理解しやすくなるのではないか。

 という訳で、この制作定式を本作に当てはめると、どうなるか。

1.ファンジー性:現実世界、つまり現世(うつしよ)と常世(とこよ)が、扉・後ろ戸によって結ばれており、主人公たちはこの扉を通じて、二つの世界を行き来することが出来る。

2.日本的民俗:常世の概念自体が民俗的、ないしは、神道的世界の、「あの世」の理解であると共に、すずめの苗字が「岩戸」であり、しかも、すずめが叔母といっしょに育った場所が宮崎県である。岩戸と宮崎と言えば、「天の岩戸」が宮崎県にあったという日本神話の代表的な、女神天照大神の伝説である。

3.主人公は、すずめという、高校二年の女子生徒である。

4.すずめには、常世に繋がる「扉」を見つけ出すことできる、特殊な能力がある。

 何れにしても、本作では、前作二作に較べて、ファンタジー物語の恣意性が少なく、構造化されており、映画終盤における、日常の挨拶語「いってきます」と「お帰り」に込められたメッセージ性がはっきりしていて、好感が持てる。

 以上のように見てみると、本作のストーリー展開の構造がはっきり分かるのであるが、これに、宮崎県から目的地の岩手県宮古までロード・ムーヴィーの道筋が加わることにより、本作は、物語り展開がしっかり構造付けられている。

 ここから、同様に、そのルートが、なぜ神戸、東京、宮古という箇所を通るのかも容易に想像できる。つまり、この三カ所は、それぞれの大震災の被災地としての共通性があるからである。しかも、物語りの時間帯が、2023年ということであれば、関東大震災から丁度100年目の節目に当たる年である。その意味で、本作は、かなり考え抜かれたストーリー構成になっていると言えるのではないか。

 さて、ファンタジーには「悪の力」は、必須の存在であり、本作でもそれは、「ミミズ」となっている。その映画での形も、みみず、或いは、「目見えず」からくる名称「めめず」を巨大化させたものが青黒く描かれており、この名称が、本作における「悪の力」の形象化に大いに役立ったものと推察されるが、筆者個人には、ミミズが、「悪の力」の権化あることに、少なからず抵抗感があった。なぜなら、土壌の性質を肥沃なものにしていく上で、ミミズは欠かせない「益虫」であるからである。ウィキペディアは言う:

 「ミミズは土を食べ、そこに含まれる有機物や微生物、小動物を消化吸収した上で粒状の糞として[これを]排泄する。それによって、土壌形成の上では、特に植物の生育に適した、[単粒構造に対して、排水性ないしは保水性に優れた]団粒構造の形成に大きな役割を果たしている。そのため、[ミミズは、]農業では一般に益虫として扱われ、土壌改良のために利用される。表層性ミミズよりも土中性ミミズの方が土壌改良効果が高いとされる。」

 という訳で、筆者にとっては、「悪の力」をもっと無機質的なものにイメージして欲しかったのであるが、このミミズの悪のイメージは、ものの本によると、新海は、村上春樹が阪神淡路大震災後に書いた、短編『かえるくん、東京を救う』からインスピレーションを受けていると言うので、この非難は、むしろ、村上に向けるべきなのであろう。

2023年6月30日金曜日

言の葉の庭(日本、2013年作) 監督:新海 誠

 恋の物語りとしてのセッティングとしては、大人びた高校一年の男子生徒と、同じ高校で古文を担当する、27歳の女性教員という取り合わせは、余りに無理があるのではないか。

 その違和感を抑え込むために、筆者は、主人公の年齢を無視して本作を観ていた。ゆえに、男子生徒は、せめて高校三年生とし、相手方は、23か24歳の、他の高校の古文の新米教員として欲しいところである。であれば、現実味も増すのではないか。或いは、日本社会では、こんな現実味のある関係は、むしろ拒否されるのであろうか。であれば、こんな関係を描きたいためには、新海は、逆手を取って、むしろ現実味のない関係をセッティングしたのであろうか。

 一方、主人公・秋月孝雄の回りの人間模様も興味深い。母親は、47歳の大学職員で、離婚経験者である。若作りにして、一回りも年齢の若い恋人を持っていると言う。26歳の兄は、恋人と同棲するために家を出ていくと言う。保守的倫理観の持ち主からは、母親が「だらしない」から、息子も「だらしない」結婚観を持っているのであると言われかねない、主人公孝雄の家庭環境である。であれば、孝雄自身が、自分の「恩師」に血道を上げるのも無理からぬことと、保守主義者はのたまうかもしれないが、こういう倫理的・道徳的摩擦もストーリーの中に取り込んだ新海の「勇気」を応援するものである。筆者は、単なる男女の陸み事に終わらせず、ストーリーに社会性を持たせるストーリーの書きぶりに共感する。

 さて、新海アニメのストーリー展開には、一つの特徴がある。それは、つまり、男女の出逢い、別れ、そして、その喪失感に由来する、離別の遠くからの「想い」の独白である。この特徴は、彼がアニメ作家としてアニメ界で有名になった、2002年の、ほぼ自作自演の短編アニメ『ほしのこえ』以来、新海アニメに通底するものである。ゆえに、本作でも、両主人公は、ストーリーの終盤になると、東京と四国に別れて住みながらも、手紙を通じて繋がりを保ち続けるという展開となる。その意味で、出逢い、別れ、そして、別離の中での繋がりの三位一体が、新海アニメの特徴なのである。

 さらに、本作では、このストーリー展開の特徴に、和歌が重要な媒体となって加わっている点が「ミソ」である。この点において、さすがは大学で日本文学を勉学した新海の教養が大事な土台となっていると言えるであろう。調べたところによると、本作に登場するのは、万葉集からの、詠み人知らずの、一連二首の問答歌であるという。

 物語りの比較的最初に、古文の教諭は、初めて孝雄に遇った、梅雨入り前の雨が降る新宿御苑で、孝雄との別れ際に、謎のような和歌を一首詠む:

 雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ

 (なるかみの しまし とよみて さしくもり あめもふらぬか きみをとどめん)

一夜をいっしょに過ごした女が、相手を返したくないので、雷が鳴るのを聞いて、雨が降ってほしいと願う歌である。高校生に贈る歌としては、かなり思わせぶりの歌である。

 問答歌であるから、今度は、贈られた歌には返歌がなければならない。それゆえ、贈られた当人である孝雄は、映画の中盤に次のような歌を返す:

 雷神の 少し響みて 降らずとも 吾は留まらむ 妹し留めば

 (なるかみの しまし とよみて ふらずとも われはとどまらん いもしとどめば)

返歌なので、歌の始めが最初の歌と共通になっているのは仕方がないにしても、相手の女性が、「君を留めむ」と言っているのに、「妹し留めば」と言っているのは、少々野暮であろう。但し、この歌を本作の文脈にはめ込めば、この返歌を詠っているのは、「うぶな」男子高校生であり、この歌の稚拙さは、肯けなくもない。

 とは言え、題名を『言の葉の庭』し、そのストーリーに『万葉集』からの恋歌を引いたのは、蓋し、ハイセンスの思い付きであろう。本作は、「大人の」アニメとして堪能したいものである。

2023年6月29日木曜日

天気の子(日本、2019年作)監督:新海 誠

 新海アニメ・ワールドの一つの特徴は、それが写真ではないかと、もう一度目を凝らす、写実的なアニメーション作画の精緻さである。それは、自然の風景や都市景観によく表現されるのであるが、この効果は、雨が降った後に太陽が差し込んでくる時の、刻一刻と変化する光彩の変化がアニメーション作画に付け加えられることにより、さらに強められる。ゆえに、新海は、ストーリー作りにおいて、「雨男」であると同時に、「晴れ男」でもあり、雨と、雲間から晴れだす太陽光は、お互いに「必要・十分条件」なのである。

 こうして、本作では、雨が降り続ける東京という、新海にとって絶好のセッティングが取られる。そして、これと、「晴れ女ならぬ晴れ女の子」がタッグを組めば、正に「最強」である。

 天気が晴れますようにという「願い」を考えると、人はすぐにでも「てるてる坊主」のことに思い至る。そして、ウィキペディアによると、さらに、この「照り照り坊主」の元ネタには、ある中国伝説があると言う。ウィキペディアは言う:

 「[当時の首都]北京には、頭が良く、切り紙が得意な美しい娘、晴娘[チンニャン]がいた。ある年の六月[日本であれば梅雨の時期]、北京に大雨が降り[続き]、水害となった。北京の人々はこぞって雨が止むよう、天に向かって祈願をし、晴娘も祈りを捧げた。すると、天から、晴娘が[四海龍王の内、尤も広大な領土を持つ]東海龍王の妃になるなら雨を止ませてやろうという声が聞こえた。街の人々を救うと誓った晴娘が頷き、同意すると、雨は止み、その瞬間に風が吹き、晴娘は消えた。その後、晴娘の姿は見つからず、空は晴れ渡った。以来、北京の人々は皆、雨が続くと、晴娘を偲んで切り紙で作られた人形を門[の左側]に掛けるようになった。」 というのである。(中国書の『帝京景物略』などに拠る。)

 これが、「掃晴娘(さおちんにゃん)」の伝説である。「掃」の字が最初に来るのは、晴娘に、雨雲を掃いて晴天にするための箒を持たせるためである。何れにしても、この伝説は、正に人身御供の話しであるが、これに、田舎から東京に家出をしてきた高校一年生の視点を加えることで、アニメ制作のターゲットとする年齢層を少々低くしたのが、今回の新海アニメのストーリー・セッティングである。大人びた高校一年の男子生徒と、古文を担当する女性元教員との関係を描いた『言の葉の庭』のセッティングに較べると、年齢が低くなった分、ストーリーがシンプルになり過ぎたのが、如何せん、気になるのが本作の出来であろう。

 しかも、気候変動をテーマにしている本作のストーリーにおいて、そのままにしていれば、東京は水没するというメッセージは、メッセージ性としては、筆者には弱すぎる。フライデー・フォア・フューチャー運動や「ラスト・ジェネレーション」という過激派さえもが生まれ出ている、今の時代を鑑みると、この不満感は余計に強まるのである。

2023年6月2日金曜日

昼下りの情事(USA、1957年作)監督:ビリー・ワイルダー

 本作は、果たして、「コメディー」なのか、或いは、コメディーであるとして、成功しているであろうか。喜劇は、悲劇を演ずるよりも、格段に難しいことを念頭に入れても、本作には、笑える部分がいくらかはあるにはあるが、観客を笑わせようとする意図が見え過ぎて、笑うに笑えないシーンがいくつかあったことも否めず、本作は、コメディーのジャンルを専門とするB.ワイルダー監督の手になるにしても、コメディーとしては成功していないように、筆者には、思われる。

 B.ワイルダー監督がA.ヘップバーンと共作して1954年に上映された作品『Sabrina:麗しのサブリナ』を人は誰も「ラブ・コメディー」とは呼ばないであろう。精々は「ロマンティック・コメディー」たる、この作品では、若いA.ヘップバーンは、中年のH.ボーガートとお相手をする。一方、その三年後の本作では、ストーリー上19歳であることになっているA.ヘップバーンは、金持ちのアメリカ人・中年紳士役のG.クーパーと共演している。

 若い女性が金持ちの中年紳士に恋することは、あり得ることであるので、本作でのG.クーパーが年が取りすぎていて、こんなカップルは考えられないという意見に筆者は組するものではないが、世界を駆け巡るプレイボーイとしての本作でのG.クーパーの役どころは、誠実感がただよう人間としての俳優G.クーパーと、どうしても違和感となり、それ故に、役柄と俳優の人間性との間のミスマッチ感が押えきれない。(映画に登場する、G.クーパーの世界を駆け巡るお色気の「行状」について、一つ、1953年という走り書きがある日本語の新聞記事の見出しがある。それには、「新聞王ケーン死す」とあり、恐らくは映画『市民ケーン』と関係がある記事の左横に、何か中国風の芸者に囲まれて、お風呂に入っているG.クーパーの写真が載せられてあり、それは、残念ながら、いかにも合成写真のように見える。)

 パリのコンセルヴァトワールでチェロを勉強しているパリ娘Arianeが恋に落ちるのであれば、その相手は、パリの、あるオペラ座でR.ヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を聴きながら、コンサート用のプログラムを望遠鏡のように丸めて、その一方からコンサート会場を覗くなどという無教養な人間であってほしくない、と感じるのは、筆者だけではないであろう。せめて、エスプリのある会話ができる漁色家であってほしい。こう考えると、本作の主人公Frank Flannagan氏のキャスティングも違ってくるであろうし、コメディー性ももっと他に探せたはずである。

 このコメディー性という点では、パリの高級ホテルHôtel Ritzに泊まっている、犬を連れたご婦人と共に、本作の初盤と、終盤への展開点で重要な役回りをする登場人物Monsieur Xを演じるJohn McGiverジョン・マッギーヴァーの存在に注目すべきである。アメリカン・「カサノヴァ」に自分の妻を寝取られた夫役で、その存在自体は何も笑えないのではあるが、彼の置かれた状況が作り出す「可笑しみ」は、その後のB.ワイルダー調の滑稽味につながるものである。ニューヨーク市っ子のJ.マッギーヴァーは、高校の英語の教員として働く傍ら、演劇に興味を持ち、舞台監督や舞台俳優として、活動していた。かつての同僚に誘われて、1955年に初めて、ある舞台劇の主役を務めたことにより、職業俳優となり、これ以降、その小柄で、はげ頭の容姿が印象深いところから、性格俳優としての道を歩むことになる。映画での初めての役は、本作であり、A.ヘップバーンとは、ティファニーの親切な店員として、1961年作の『ティファニーで朝食を』で共演している。

 さて、本作には原作がある。その名を、『Ariane, jeune fille russeアリアーネ、あるロシア人の若い娘』といい、スイス生まれのフランス人 Claude Anetクロード・アネが、1920年に発表したものである。C.アネは、1868年生まれで、ソルボンヌ大学で精神科学を勉学し、卒業後一時会社勤めなどをした後、イタリア、ペルシャ、ロシアなどを旅行をして歩き、その旅行記を発表したり、テニス選手として、1892年にフランスのテニス選手権で優勝したりしている人物である。ロシア旅行の際には、ロシア革命を実際に体験しており、『ロシア革命、年代記 1917-1920』という本まで出している。ノンフィクション作品だけではなく、C.アネは、小説も書いており、その一本が本作の原作になる本で、彼のロシアでの体験が反映されているものと思われる。

 ウィキペディアの解説をまとめると、この作品は、1900年頃のロシアを舞台とし、叔母の許で育った、17歳のArianeという娘が、叔母の許しを得て、但し、叔母の資金援助なしで、モスクワの大学に勉学に行くところから始まる。そして、そのモスクワで、彼女は、アメリカ人の金持ちのコンスタンティンと知り合いになり、休暇でいっしょにクリミア半島に出掛けたりするという話しである。20世紀の初頭のロシアでArianeのような若い娘がいたということが中々信じがたいのであるが、女子学生のArianeとアメリカの金持ちの男性という関係は、確かに、本作に反映されている。

2023年5月4日木曜日

戦場のアリア(仏/独/英/ベルギー/ルーマニア/ノールウエェー、2005年作)監督:クスリティアン・キャリオン

 1871年に成立したドイツ帝国は、次の対仏戦争が起こることを想定していた。なぜなら、1870/71年の普仏戦争でフランスを屈辱的に破ったドイツは、そのフランスから、フランス東部のエルザス・ロレーヌ地方(ドイツ語でアルザス・ロートリンゲン地方)を奪い取っていたからである。対独復讐戦を誓うフランスは、対独防衛線たるマジノ要塞線を整えていたが、それに対抗すべく、ドイツ側も、全八個の軍(平和時における最大の軍編成単位)の内の七個を、オランダからスイスまでの西部国境沿いに、有事に備えるべく、対峙させていた。

 なぜ、七個もの軍を投入するかというと、ドイツは、対仏と対露の二正面作戦を取らざるを得ず、まず、対仏戦で自国軍を一気に投入して、フランスを壊滅させた後は、自国軍を東部戦線に回して、対露戦を遂行するという戦術上の目論見(いわゆる、「シュリーフェン作戦)があったからである。実際、普仏戦争時にならってのドイツ軍側の合言葉は、クリスマスまでには戦争に決着を付けて、「パリでまた会おう!」であった。

 戦争が勃発した直後の1914年8月、まずは、フランス側が対独攻勢を掛ける。英仏協商との関連でフランス側に立つイギリスは、ドーヴァー海峡を渡って、英国派遣軍を大陸に送り、フランス側から見て、北フランスからベルギーに掛けての左翼に布陣する。このフランスの攻勢を押え、今度は逆に反攻勢に出たドイツは、8月中旬に入り、協商連合軍を押し返し、ベルギー方面では、ブリュッセルまでも占領して、北フランスの国境、北海沿岸に押し寄せる勢いであったが、9月の第一次のマルヌの戦いを境に形勢が悪くなると、戦線を後退せざるを得なくなる。こうして、当初の運動戦は膠着状態に入り、相手側の塹壕まで50mないし100mの間隔しかない位置に両陣営が塹壕を築いて、対峙するという戦況に、遅くとも14年11月頭からは完全に陥ることになり、ヨーロッパは、寒さと泥の生活を兵士に強いる塹壕戦の中、厳しい冬の12月を迎える。そして、西部戦線は、12月24日のクリスマス・イヴに「奇跡」を体験する。

 この「奇跡」は、英語では、「クリスマス休戦」、ドイツ語では、「クリスマスの平和」(「大きな戦争における小さな平和」)と呼ばれている。しかし、それは、14年12月であったから、可能であったのである。それぞれの国の国力が問われる総力戦たる本戦争において、毒ガス、戦車、戦闘飛行機などの近代兵器が登場するのは、15年以降であり、砲撃も、14年段階では連続十字砲火のような激しいものではなく、前線における機関銃掃射が、本作での戦闘場面に見られるように、精々であったのである。その意味で、19世紀までの戦争における良き伝統たる、戦場における「騎士道精神」が、14年末までは未だに生きていたのであり、戦闘を一時停止して、戦場に取り残された戦傷者を自陣に連れ帰ることは、戦争という反ヒューマニズム的行為の文脈において、当然の「人間性の表現」であった。

 とは言え、上述の歴史的制約を背景とし、本作が、事実を基にしているという、映画の冒頭の言説に対して、本作のストーリーは、筆者には劇的に過ぎる。ゆえに、若干戦史を調べてみると、本作においては、芸術制作における「芸術家の自由」が許され過ぎてはいないかと思われる箇所が多々あったので、そのことをこれから述べていきたい。

 まずは、本作の群像劇における主人公の一人となるNikolaus Sprinkニコラウス・シュプリンクの存在である。ドイツ人俳優Benno Fürmannベノ・フュアマン演ずるところの、このベルリンの劇場の人気テノール歌手は、確かに実在した。この1879年にベルリンで生まれたオペラ歌手は、Walter Kirchhoffヴァルター・キアヒホフといい、彼も戦争勃発と共に志願して戦場に赴く。とは言っても、西部ドイツの、ルクセンブルク国の南に位置し、ロートリンゲン地方を管轄下に置くドイツ帝国第五軍の上級司令部付きの将校として勤務しており、彼は、さらに、この第五軍の名誉司令官たる、プロイセン王国皇太子Wilhemヴィルヘルムの副官でもあったのである。つまり、彼は、映画で描くような一兵卒ではなかった。因みに、本作でも登場するWilhelm皇太子を、ドイツ人俳優Thomas Schmauserトーマス・シュマウザーが好演しており、ヴァイマール共和国時代にはその出自から当然として王党派であったヴィルヘルムが、ナチ時代になると、イデオロギー的には必ずしも相容れないナチス党を支持した経歴を持つ、Wilhelm皇太子の内面的陰影をさりげない演技でよく体現していた。

 第一次世界大戦後の1922年に発刊された皇太子ヴィルヘルムの回顧録によると、ある時、キアヒホフ自らが皇太子に以下のように述べたと言う:自分は、クリスマスの祝日のために、第130歩兵連隊が守備する塹壕の最前線まで行き、そこで、戦友のために、ドイツのクリスマス・リートを歌ってきたのであります、と。

 もちろん、この時は、キアヒホフは、愛人と前線に赴いた訳ではないはずで、クリスマスの祝日が過ぎた12月28日に、ロートリンゲン地方の中心都市Metzメッツ市の市立劇場で、スウェーデン人のソプラニストLilly Hafgren-Waagと共にR.ヴァーグナーのオペラ『ヴァルキューレ』の第一幕目を歌ったのである。つまり、キアヒホフは、映画で描くところの、デンマーク人の愛人のソプラニスト、Anna Sörensen(ドイツ人女優Diana Krügerディアナ・クリューガー)といっしょに、フランス軍側に投降しなかったのである。さて、実物のキアヒホフを映画のストーリー上であそこまで「英雄」にしてしまって、いいものであろうか。

 次に、今や国際的俳優でもあるドイツ人俳優Daniel Brühlダニエル・ブリュールが、中尉として指揮する小隊が所属する第93歩兵連隊についてである。兵士たちが被る、尖がりの付いたヘルメット(Pickelhaubeピッケルハウベ)の布の覆いに、数字の「93」と書かれてあるところから、それが分かるのである。つまり、映画では、キアヒホフが述べている第130歩兵連隊ではなく、別の連隊が登場しているのである。

 では、その第93連隊とは、どういう部隊であったのか。そのためには、まず、ドイツ第二帝国の軍制を見ておく必要がある。上にも述べた通り、ドイツ帝国においては、八個の軍があった。さらに、その下の部隊の単位は、軍団(Korps:コーア)で、1914年時点では25軍団があった。軍団から下降して、下の単位は、師団、旅団、連隊となる。何れも下位の部隊二個からなって、その一つ上の部隊単位が形成されるから、25軍団は、50師団、100旅団、200連隊と理論上はなり、実際、ドイツ帝国時代には、217連隊が存在したのである。

 その217連隊中の、第130連隊と第93連隊である。第130連隊は、テノール歌手キアヒホフが関わった部隊であるから、第五軍に所属するとして、本作に登場する第93連隊は、どこに所属し、14年12月段階でどこに位置していたかである。所属は、第一軍、第四軍団、第八師団、第15歩兵旅団の所属である。この第15歩兵旅団は、戦史録によると、14年12月中旬までは、ベルギーのフランドル・アルトワ地方で塹壕戦を戦い、14年クリスマスの直前までは、フランス領フランドルで「12月の戦い」を戦い、丁度クリスマス第一祝日の12月25日からベルギーのフランドル・アルトワ地方で再び塹壕戦を戦ったことになっている。ゆえに、第93連隊は、「クリスマス平和」の14年12月段階では、ロートリンゲン地方ではなく、ベルギーの地にいたことになる。

 本作の監督は、フランス人のChristian Carionクリスティアン・キャリオンで、彼が脚本も書いているので、当然にフランス軍も一役買わなければならないことになったのであろうが、実際、この「クリスマス平和」にフランス軍側がどれだけ関係したかは、少々疑問である。それでからではないであろうが、ドイツ軍側を、上述のように第93連隊とすれば、基本的に「クリスマス平和」が成立したのは、ドイツ軍側とイギリス軍側とが対峙したベルギーのフランドル・アルトワ地方ということになるのである。

2023年4月16日日曜日

駆逐艦雪風(日本、1964年作)監督:山田 達雄

「一に脚本、二に脚本、(三・四がなくて、)五も脚本」


 タイトル・ロールの一番最初に、「協力 防衛庁」と出てくる。今の「防衛省」の前身である。制作年の1964年と言えば、第一回の東京オリンピックの年でもあるが、防衛省がまだ防衛「庁」であったことを思うと、時代は変わったとも思える。

 しかし、本作に防衛庁が全面的に協力したということであれば、それでは、本作は、防衛庁の「プロパガンダ映画」であり、「プロパガンダ映画」には、よくあることで、本作の脚本は、駄作中の駄作である。

 当時流行っていた「民衆視点」の歴史観よろしく、本作でも、一等主計兵の目で、駆逐艦雪風の、太平洋戦争中の運命が語られるが、ストーリーは、この「奇跡の強運艦」の「生きざま」を、おとなしく、その起工・進水・竣工から、戦後直後までを順を追って、詰まらなく描く。

 こんな駄作に駆り出された松竹の看板女優岩下志麻も、役者としての見せどころがなく、出ては、そのままストーリー上から消える。62年に撮られた、巨匠小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』で長女役をこなした彼女は、66年に、松竹ヌヴェル・ヴァーグの立役者の一人篠田正浩監督と結婚し、日本現代アート映画の顔の一人になる女優である。それを思うと、本作での岩下は、痛々しいほどであるが、脚本が良くなければ、いくらいい俳優であっても、映画は救えないということであろう。A.ヒッチコックにならって、述べるとすれば、「一に脚本、二に脚本、(三・四がなくて、)五も脚本」とでも言えようか。

 筆者が、不肖、一脚本家であったとすれば、まずは、艦の腹に平仮名で左書きで「ゆきかぜ」と書いてあるのを、カタカナの右書きで「ゼカキユ」とする。時は、戦前であるからである。そして、時間軸を戦後の復員輸送艦時代(46年2月から同年年末まで)とし、そこを基点として、過去から飛び石的にエピソードを語って、ストーリー上の現時点に戻ってきて、さらに、エンドロールで、未来を語る。なぜなら、「ユキカゼ」は、戦時賠償艦としての運命を辿り、48年以降「丹陽(タンヤン)」と名称を変えて、中華民国海軍の軍艦となり、更には一時期、その旗艦となるからである。

 なぜ時間軸を復員輸送艦時代とするかは、ユキカゼが、「奇跡の強運艦」として、太平洋戦争を生き残ったことをはっきりさせるためで、そのためにいいエピソードがあるからである。

 ユキカゼは、終戦後、復員輸送艦として改造され、1946年2月11日に舞鶴から佐世保を経由して中国汕頭へ向かう最初の引揚任務に出発する。本作のラストシーンは、恐らくこの時の光景を映像化したものであろう。同年7月から10月にかけては、戦前には中国東北部と華北を結ぶ戦略的に重要な地域の、拠点港湾都市であり、また満洲から日本への引揚船の出発地としても有名となる満州・葫芦島市(ころとう-し)からの復員・避難民輸送任務に計五回当る。更に、1946年12月28日までに、ラバウル二回、ポートモレスビー一回、サイゴン及びバンコク二回、那覇四回の計15回の復員輸送任務を遂行し、約1万3千人以上を日本に送り届けた。その中には、ラバウルのあるニューブリテン島から復員した、後に漫画家として有名となる水木しげるもいたと言う。また、サイゴン及びバンコクへの往路では現地法廷へ向かうB・C級戦犯を乗せていたのである。

 この時期のことである。ウィキペディアによれば、無傷のユキカゼの姿を怪訝に思った引揚者のある一人が、「お国が大変と言う時に、一体この艦はどこで何をしていたのか。今あちこち見回ったが、弾丸の跡一つ無いではないか。内地を出たのはこれが初めてだろう!」と難詰したことがあったと言う。このエピソードは、ユキカゼの「強運」をよく物語るものであると同時に、敗戦直後の日本を活写するのに格好のものであると筆者には思える。

 この1946年を基準として、過去に遡るとしたら、ユキカゼは、太平洋戦争の緒戦から敗戦まで、16回以上の主要な作戦に参加しているので、それを一々追っかけていては、些末になる。それ故、三つのエピソードを選んで、駆逐艦本来の水雷戦に関わることが出来た第三次ソロモン海戦、駆逐艦が輸送任務に携わざるを得なくなるガダルカナル島撤退作戦、そして、「不沈艦」大和が「水上特攻」などという不条理な作戦に駆り出されて沈没し、ユキカゼが、海に放り出された大和の乗組員を救助したエピソードの三つを取り上げてみてはいかがであろう。

 駆逐艦とは、その艦艇類別において、19世紀末から20世紀初頭にかけて成立した類別であり、水雷艇に対抗すべき駆逐艇として誕生し、それが水雷艇駆逐艦に発展し、更に、名称の簡易化が行なわれて、「駆逐艦」となったものである。水雷艇に対して水雷を以ってする訳で、今度は、防衛的な意味だけではなく、駆逐艦そのものが、敵艦隊への水雷襲撃を行ない、更に、対潜、偵察・哨戒活動も担うに至る。最初は、戦闘艦として、「軍艦」に類別されていたが、日本では、日露戦争以降の1905年には、戦艦や巡洋艦などの艦種から自立して、独自の艦種となる。1912年(大正元年)に等級を制定し、計画排水量1.000噸以上を一等、1.000噸未満600噸以上を二等、600噸未満を三等駆逐艦と分類する。1931年に、三等駆逐艦の等級別を廃止し、34年には、基準排水量1.000噸以上を一等駆逐艦、1.000噸未満を二等駆逐艦とし、等級分類の変更を行なう。

 水雷艇に対する、より大きな攻撃力を求められていた艦種としての駆逐艦は、元々大型化への傾向を内在していたが、艦隊行動が出来る航海性能の高さや、艦隊決戦における水雷戦を十分に行なえる、より強い打撃力を要求されるに至って、この艦隊型駆逐艦への傾向は更に強められた。1921年のワシントン海軍条約により、主力艦の保有制限が取り決められると、制限された分を補助艦で補おうと、小型巡洋艦とでも言える、駆逐艦の重武装化へと向かう。

 こうして出来上がったのが、吹雪型駆逐艦である。計画排水量を約1.700噸とし、凌波性能を追求した船形による良好な航海性能、艦橋を露天式から密閉式に改めるなどの居住性の改善、排水量に対して比較的重武装にした兵装化(砲塔式12,7cm連装砲3基、61センチ魚雷9射線)を目指した。

 1930年のロンドン海軍軍縮条約の結果、駆逐艦を含む補助艦艇の保有合計排水量と個艦排水量の制限が入り、日本は1.500噸(基準排水量)を超える駆逐艦の建造が不可能となる。初春型駆逐艦(計画排水量1.400噸)や、初春型駆逐艦の準同型艦ともいえる艦級「白露型駆逐艦」が建造される。しかし、この型は、小排水量に過大な武装を盛り込んだことにより、復元性能や船体強度が問題となり、最終的に、建造計画の中断を余儀なくされる。

 満州事変後の、国際連盟からの日本の脱退(33年)により、戦闘艦の建造制限がなくなると、日本は、再び、吹雪型の改良型を求める。これが、朝潮型駆逐艦であり、その後に建造される駆逐艦(陽炎型や夕雲型)の基本型となる。ユキカゼは、この陽炎型艦の八番艦である。

 全19隻が建造された陽炎型駆逐艦と、それから、その改良型である夕雲型駆逐艦とは、両者を合わせて「甲型」駆逐艦と呼ばれる。この甲型は、確かに、最新鋭の艦隊型駆逐艦として最良の完成形と言えるのであるが、しかし、対空・対潜能力が優れているとは言えず、太平洋戦争で第一線に投入されると、終戦まで生き残ったのは、陽炎型と夕雲型がそれぞれ19隻、そして、前身となった朝潮型10隻と合わせた全48隻中、ユキカゼただ一隻のみとなる。損耗率98%、生存率2%となり、いかにユキカゼが、強運艦であったかが窺われる。(因みに、甲型に対して、乙型駆逐艦、つまり、秋月型駆逐艦は、防空に兵装の重点を動かしている点で、丙型駆逐艦、つまり、島風型駆逐艦は、40ノットが出る高速艦である点で、丁型駆逐艦、つまり、松型駆逐艦は、兵装の重心を対空・対潜に移し、更に生産を容易なものとした点で、その特徴がある。)

 幸運艦としては、『呉の雪風、佐世保の時雨』と、白露型駆逐艦二番艦であるシグレが、よくユキカゼといっしょに言及される。シグレもまた緒戦当時からの「歴戦の勇士」であったが、1945年1月、輸送船団護衛中にマレー半島近海で米潜水艦に撃沈される。実は、この護衛任務には、シグレではなく、ユキカゼが当たることになっていたのであるが、機関故障のために直前に離脱し、このために、護衛の駆逐艦がシグレを入れて三隻に減っていた中であった。このシグレの沈没を以って、白露型駆逐艦全10隻が喪失したことになるが、シグレは、奇しくも、ユキカゼの身代わりになったとも言える。

 また、同年4月の坊ノ岬沖海戦においても、ユキカゼはその「強運」を示す。この、沖縄への海上特攻により、「不沈艦」戦艦大和、軽巡矢矧、駆逐艦浜風、朝霜、霞が沈没、駆逐艦涼月が大破、冬月が中破するという中、太平洋戦争中、三代目の艦長寺内正道は、ウィキペディアによると、「艦橋に椅子を置いて天井の窓から首を出し、航海長の右肩を蹴ると面舵、左肩を蹴ると取舵という操舵方法でアメリカ軍機の攻撃を殆ど回避した」と言われ、また、魚雷一本が命中しかけたものの、どういう訳か、ユキカゼの艦底を通過したというのである。こうして、ユキカゼは、敵潜水艦に攻撃される危険を冒して、長時間、大和他の乗組員の救助に当たった。その数日後には、中国の廈門市で座礁し、進退不能となった姉妹艦天津風が自沈し、全19隻建造された陽炎型駆逐艦もユキカゼ一隻となって終戦を迎えることとなる。

 中華民国海軍から除籍となり、既に60年代半ばに解体されていたという丹陽、即ちユキカゼは、奇しくも、真珠湾奇襲の丁度30年後の、1971年12月8日、横浜港において中華民国政府より、ユキカゼの舵輪と錨のみが返還された。現在、ユキカゼの舵輪は、江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている。

2023年4月12日水曜日

インディアン狩り(USA、1968年作)監督:シドニー・ポラック

 北アメリカ大陸の先住民ネイティブ・アメリカンの一部族であるKiowaカイオワ族は、18世紀に、恐らく、ヨーロッパから入植してきた白人たちに押しやられて西進せざるを得なかったスー族によって、南部大平原へさらに追いやられた。彼らは、言わば騎馬民族として、コマンチ族と同盟し、現在で言うテキサス州全土で略奪を行う。19世紀半ば以降になると、アメリカ・白人政府に、テキサスの「領土」を明け渡し、現在のオクラホマの保留地へ移住するよう強制される。これに対し、彼らは、再びコマンチ族と組んで一大抵抗戦を組織し、これにより、白人の入植地などは戦火で包まれることになる。こうして、彼らには賞金が掛けられ、その賞金を目当てに、白人の賞金稼ぎが彼らを追跡する。これらの、「インディアン」の賞金首を「ハンティング」する白人の賞金稼ぎを、本作の英語原題となる「Scalphunter」という。

 この賞金稼ぎの一味の一つが、Jim Howieハウイー(俳優テリー・サヴァラスが悪役を好演)を首領とする一団である。彼らは、酔っ払ったインディアンの一行を見つけ、彼らをあっさり撃ち殺してしまう。インディアン達が丁度毛皮も一山持っていたことから、一味はこれもチャッカリ頂いてしまうのであるが、それが、彼らの「運の尽き」であった。実は、この毛皮の一山の、元々の所持者は、Joe BassというTrapperトラッパーで、先程の、ハウイー一味に殺されたインディアン達に強要されて、毛皮と、それから彼が携行していた荷物を「物々交換」させられていたのである。

 さて、この「物々交換」の、インディアン側の交換物とは、何と黒人奴隷であった。この黒人は、コマンチ族から「黒い羽根」と呼ばれていたが、口から先に生まれてきたと言えるほど、口達者な奴隷で、本名をJoseph Leeといい、どういう訳か、学があり、中世のヨーロッパ知識人よろしく、ラテン語の箴言を引用し、Joe Bassとは異なり、読み書きも出来るという、文化人「奴隷」なのである。その一方で、彼は、野生で生きる術を何も知らず、腕力に訴えて敵対者に勝つ根性もない人間であった。

 この「文化人」の黒人奴隷Josephと、野生で生きる「野蛮人」の白人Joeの掛け合い、そして、この両者の、奴隷と主人の関係が次第に対等の関係へと発展していくストーリー展開が、本作の「旨味」であり、本作がウェスタン・コメディーの良作の一本であると言われる所以である。しかも、黒人と白人の立場が、文化人と野蛮人と逆転しているところに、本作の「コメディー性」があるのであり、人種差別の重い問題を、こうしたコメディーとして扱っているところに、本作の、とりわけ脚本(アメリカ人脚本家William W. Nortonの初期の脚本)の「強み」があるのである。

 黒人奴隷Josephを演じるOssie Davisも、白人の野蛮人を演じるBurt Lancasterも、1960年代前半からの公民権運動にひとかたならぬアンガジュマンを示してきた俳優であった。B.ランカスターが、本作の製作者の一人となっていることからも、彼の本作に対する思い入れの深さが感じられる。

 ところで、このランカスターとは私生活で一時深い仲であったのが、本作のヒロインShelley Wintersウィンタースで、本作では彼女は、その喉のいいところも示して、一曲歌っている。その彼女は、本作では、悪党ハウイーの、少々下品な愛人Kateを演じているのであるが、彼女を含む何人かの女性が馬車に乗り込んで、一味と同行をしている。こうした役柄で、S.Winters もこの映画のストーリーに絡むことになる。映画の終盤で、映画の初めの方でハウイー一味に殺されたカイオワ・インディアン達の仇を取る形で、その酋長「黒色のカラス」に率いられたカイオワ・インディアンの別動隊にハウイー一味が皆殺しに遇うことになる。この時、S.Winters達、白人女性達は生き残り、彼女達は、インディアン達に連れ去られる運命となる。

 その「運命」を悟ったのか、S.Wintersは一席演説をぶつ:„Indian Man, I don't know how many wifes you have now, but you're going to have yourself the damnedest white squaw in the entire Kiowa Nation!“(the damnedest white squawとは、今風に言えば、「とんでも白人スコー女」とでも訳せようか、squawとは、今では差別用語として使用が憚られるインディアン語で「女」を意味し、とりわけ、白人の妻となったインディアン女性を言うとのことである。)

 S.Wintersと言えば、1950年作で、アンソニー・マン監督の正統派西部劇『ウィンチェスター銃'73』で、J.ステュワートと共演でヒロインを演じた女優である。ここでは、開拓者の若い妻役を演じたS.Wintersは、表題のウィンチェスター銃を持って、危険とあれば、相手を射殺する女丈夫であり、仮にインディアンに生け捕りにされそうものなら、恐らくは、捕まる前に、自らを撃って自殺していただろう役柄である。その彼女が、18年後であるが、同じ西部劇ジャンルである本作では、インディアンの「妻」になることを、潔しくとはしないものの、それを受け入れるのである。『ウィンチェスター銃'73』が正統派ウェスタンの「走り」であるとすれば、本作の『インディアン狩り』を以って、西部劇ジャンルが変わっていく転換点がはっきりとマーキングされた言えるであろう。あの、アーサー・ペン監督の『小さな巨人』が上映されるのは、本作の二年後である。

2023年4月10日月曜日

大反撃(USA、1969年作)監督:シドニー・ポラック

文化論としての奥の深さがある、「変則」戦争映画。一度、ご覧あれ。


 アメリカの知識人にはよくヨーロッパ文化への賞賛から、そして、その底の浅いアメリカ文明自体への嫌悪感からか、歴史あるヨーロッパ文化に対するコンプレックス、乃至は、劣等感を持つ者がいる。本作に登場する、アメリカ歩兵部隊のベックマン大尉(パトリック・オニール)は、美術専門家でもあり、ヨーロッパ芸術に限りない尊敬を抱いている人物である。そのような人間の目から見れば、霧に包まれた冬のアルデンヌ地方の森の中にある、由緒ある城館の、伯爵夫人を「もの」にしているFalconerファルコナー少佐(バート・ランカスター)は、文化の花を踏みにじる「野蛮人」である。(因みに、少佐の階級の将校が、大隊ならばまだ分かるのであるが、小隊/分隊八人を率いているのも、アンバランスで不思議である。)

 一方、伝統的権威をものともせず、傍若無人に振舞う「アメリカ人」に、ある種の生命のバイタリティーを感じているのが、ヨーロッパ人なのかも知れない。隠花植物のように日陰にぼんやりと、か弱く棲息しているものが、頽廃、そして没落を予言され、その没落を自覚しているのであり、それが西欧文明なのである。アメリカ人のそのバイタリティーの前には、歴史の覇権者としての席を譲らざるを得ないと見たのか、de Maldoraisドゥ・マルドレ伯爵(フランス人俳優ジャン=ピエール・オモン)は、自分より随分と若い伯爵夫人、実は自分の姪テレーズとファルコナー少佐の睦言を敢えて容認する。

 このように、頽廃するヨーロッパ文化対「野蛮な」アメリカ文明の間の「文化・文明」論風に解釈できる戦争映画というのも珍しいのではないか。本作の原作を読んでいないので、その内容には寡聞であるが、さすがは純文学作品(William Eastlakeの、本作の英題名と同名の『Castle Keep』)を映画化しているからであろう、中々奥が深い。浅薄な邦題『大反撃』では、全く当てる的が異なっており、困ったものである。せめて、『城塞死守』ぐらいには命名してもらいたかったものである。

 本作の前半における、この「文化・文明」論に「色合い」を添えるのが、ファルコナー少佐が率いる小部隊を構成する兵隊たちの顔ぶれである。上述の、美術専門家のベックマン大尉、宣教師志望の中尉、シャバではパン職人の軍曹、ドイツ車Volkswagen狂いの伍長、そして、小説家志望の二等兵で本作のナレーターを務めるベンジャミンなどである。このベンジャミンは、恐らくは、原作の作者Eastlakeの姿が引き写されている存在であろう。彼は、映画の終盤、ファルコナー少佐から、ある重要な「任務」を追わせられることになる。しかも、彼は、黒人であることも、気に掛けておいて点であろう。本作の制作が1969年であれば、60年代前半の公民権運動の展開、68年からの学生運動の高揚を背景にしていることは間違いない。

 と、ドイツ軍の機甲師団が、突如、城に攻めてくる。時は、1944年冬である。アルデンヌの森からのドイツ国防軍の、西部戦線における最後の「大」反撃が始まったのであった。城を死守するとなぜか決断したファルコナー少佐の命令の下、防衛線を敷くアメリカ軍分隊である。壕に囲まれた城の屋根に50㎜機関銃座と迫撃砲を据えさせ、彫刻とバラに埋もれた庭に塹壕が掘られる。

 こうして本作の前半とは全く異なるストーリー展開と後半はなる。攻めてくるドイツ軍と死守するアメリカ軍との戦闘の中、庭にある彫刻群は無残に打ち砕かれ、バラは踏み躙られ、城館は砲火の下、焼け落ちる。ベックマン大尉やファルコナー少佐も壮烈に戦死してゆく中、この映画の、殆んどシュールな大団円は、戦争とは、文化も文明をも破壊する「狂想曲」であることを表現している。最後の死の「狂宴」は、砲火の下、詩的でさえある。恰も、その死の灰の中から、不死鳥フェニックスが生き返るが如く、新しい文化が生まれてくるとでも言いたげである。


追記:

 原作者William Eastlakeについて、ウィキペディアで調べたものを簡単に記する。

 Eastlakeは、1917年にニューヨークはブルックリンで、イギリス生まれを両親の許で生まれた。その後ニュージャージー州で育った彼は、40年代の初めに、ロスアンジェルスで、本屋の店員として勤める。42年にアメリカ陸軍に入隊し、数か所の基地を移動する。1941年12月7日(アメリカの現地時間)の真珠湾奇襲攻撃以降、アメリカ軍に所属していた日系アメリカ人兵隊は、カルフォルニア州にあるCamp Ordに一時集められていた。Eastlakeは、ここの監視兵として、日系アメリカ人と接触することになる。彼は書いている:「私は、これらの日系アメリカ人兵より、アメリカ寄りで、アメリカ愛国主義のグループを知らない。」これらの日系アメリカ人兵は、日系人部隊に編成されて、ヨーロッパ戦線に送られる。後に、Eastlakeは、この経験を元に、『Ishimoto's Land』という作品を彼の最初の作品として書くのであるが、ある出版社がこのような作品を出版するには時期尚早であるとして、この作品は、この時に発表されていないままであった。

 Eastlakeは、彼がイギリス生まれの両親の許で生まれたという経歴であろう、イギリスに駐屯するアメリカ軍兵士がイギリスに早く馴染めるために世話をする部署に付くためにイギリスに送られる。その世話をした部隊と共に、Eastlakeは、ノルマンディー上陸作戦で「オマハ・ビーチ」に上陸。続けて、フランスからベルギーへと進攻する。こうして、本作のストーリーに反映される体験を彼自身がする。小隊長としてアルデンヌ地方にいた彼は、アメリカ軍のいう「バルジの戦い」、ドイツ軍のいう「アルデンヌの反攻」に遭遇し、右肩を負傷することになる。

 終戦後は、スイスやパリに行き、文学活動を行なう。パリ滞在中に発行した雑誌『Essai』に、上述の作品『Ishimoto's Land』が初めて発表されることになる。本作の原作となる『Castle Keep』は、1965年に発刊された。

2023年4月7日金曜日

第三の男(英国、1949年作)監督:キャロル・リード

 本作の撮影が1948年であったので、ストーリーは46年乃至47年を想定していると考えられる。こんな時期のWienを、友人H.Limeに呼ばれて、アメリカ人・三文小説家H.Martinsが訪れるところから本作の物語は始まる。本作の脚本を書いたイギリス人作家G.Greeneは、本作の脚本を書くために実際Wienにやって来ている。恐らく、その時の自身の感じたものをGreeneは、ストーリー中の作家Martinsの姿に、きっと投影しているにちがいない。

 脚本家Greeneは、監督C.Reedとは本作以前にいっしょに働いたことがあった。それは、48年作のイギリス映画『落ちた偶像』でである。元々はハンガリー出身のイギリス人・名プロデューサーであるAlexander Kordaコルダの下、監督ReedのためにGreeneは、自らの短編を原作にして、この作品のために脚本を書いたのである。子供を主人公にしたこの作品は、英国アカデミー賞で作品賞を、ヴェネツィア国際映画祭で脚本賞を取って、成功した作品となった。

 そこで、コルダは、ある時Greeneに次の映画製作のためのいいアイディアはないかと聞くと、Greeneは、自分が一度封筒の裏に書き付けたプロットを読み上げる。が、それは、コルダにはあまり気に入らなかった。そこで、丁度そこに同席していた、映画監督でもあるKarl Hartlカール・ハルトルが、そのプロットの場所をWienにし、しかも、Wienをロケ地にしてみれば、いいのではないかと提案した。ハルトルは、オーストリア人で、20年代にWienでコルダのために製作アシスタントを務めていた男であった。

 こうして、監督Reedと伴に、Greeneは1948年のWienに赴くこととなり、そこで、ペニシリンの密売のことやWienの地下を巡らす排水溝網を実際現地で体験することになる。

 以上のようにして出来上がった台本であったが、その第一稿は、ハッピー・エンドで終わるものであった。Limeを進駐軍に引き渡す小説家と劇場の踊り子のヒロインは、ラストシーンでは、腕に腕を組むという結末であった。この終わり方には、監督のReedが大反対をして、最終的に、本作のような終わり方になったと言う。

 脚本の作成には、主役のO.Wellesも関わっていたと言うが、それは、ストーリーの後半、Praterプラーター公園にある大観覧車のワゴンの中で、主役のH.Limeがぶつ、いわゆる、「郭公鳥時計・演説」のみであったというのが真相であるようである。しかも、この演説は、1938年のW.チャーチルの演説からの引用であると言う:

 「ボルジア家支配下のイタリアの30年間は、戦争、テロ、殺人、流血に満ち満ちていたが、この時代は、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、そして、ルネサンスを生んだ。スイスでは、同胞愛、500年間の民主主義と平和があったが、これが一体何を生んだか...? つまり、郭公鳥時計だよ。」

 郭公鳥時計自体が、スイス製ではなく、南西ドイツにある黒い森の工芸品であるという、事実認識の誤りを、この「名言」は、含んでいるだけではない。エリート主義の傲慢さの下、同胞愛、民主主義、そして平和をないがしろにしているのが、このLimeの「演説」である。闇市でぼろ儲けが出来ることに目がくらみ、道徳倫理を失ってしまった人間Limeと時代の狂気がこの言葉には如実に示されている。そして、この倫理観を失った人間Limeがアメリカ人であるということも興味深い。

2023年4月6日木曜日

乱れる(日本、1964年作)監督:成瀬 巳喜男

 映画の冒頭に宣伝カーがうるさく流している歌謡曲は、舟木一夫の『高校三年生』という、1963年に大ヒットした曲である。これで、映画の頭から本作が、上映年度の前年をテーマとした作品であることが、当時の観ている人には分かる「現代劇」となっている。

 さて、その宣伝カーが何を宣伝しているか。あるスーパーマーケットが、開店一周年記念に、「歯ブラシから農機具まで」の全品半額引きの大セールをやろうという宣伝である。農機具というから、このスーパーマーケット、どこかの地方の店舗らしい。(ウィキペディアによると、今は静岡市に合併されて存在していない清水市)

 この派手な宣伝を、地元の個人商店の経営者たちは苦々しく聞いている。プロットが更に進むと、卵一個を11円で売っている食料品関係の個人商点経営者が、このスーパーマーケットに卵一個を5円で売られ、やれきれずに悲観して、妻と子供を残して首吊り自殺をしてしまうというところまで話しが展開する。

 1963年と言えば、73年のオイル・ショックの10年前で、55年以来の、所謂「高度経済成長政策」が完全に軌道に乗った時期である。そして、それは、日本の経済復興と成長が実を結んだ証明となる第一回東京オリンピックの前年である。本作を観ながら、既にこの時期に、将来の、地方都市の商店街の「シャッター街」化現象が芽生えていたのであると痛感する。思えば、ここ約半世紀ほどに過ぎない間の、日本の地方経済の展開である。この地方のスーパーマーケットは、当時は恐らくは、まだしも地方の資本で経営されていたであろうが、その後は、この地方資本も中央の資本に飲み込まれていく。経済合理性を突き詰めるとこうなるのであろうが、この資本の原理に、安いものを求める「消費者」もまた、これに加担していることも認識しておくべきではないかと、筆者は本作を観ながら、思う。

 という訳で、本作の批評からは大分逸れたが、本作の本題は、松山善三がオリジナル脚本を、1960年代の「コンビ」の成瀬巳喜男監督のために書いた、「悲劇」のメロドラマである。地方都市の酒屋に嫁いできた高峰秀子は、夫が戦死した後は、姑三益愛子にかしづきながら一人で店を切り回していた。小姑の草笛光子や白川由美は嫁に出ていっているところに、東京の大学を出て、就職を一応したのではあるが、そこの職場を辞めた義弟の加山雄三が、元恋人の浜美枝を残して、実家に戻ってくる。地元に進出してきたスーパーのこともあり、加山を経営者として酒屋自体をスーパーに切り替える話しさえも出てくる中、高峰は実家に戻ることを決心し、長年務めた森田家を後にすることにする。ここで、ストーリーは、一度に展開する。

 一回り年齢が違う義理の姉を慕う義弟の情熱にほだされ、ストーリー上37歳の高峰は、「乱れる」。義弟の加山は、少々「大根」っぽいのであるが、それが逆に、この25歳の青年の一途さに、ある種の真実味を与えている。送っていくと言い、列車内で次第に高峰に近づいていく加山であり、一方、高峰は、加山に「男」を感じ、身を引こうと、自分の実家のある、山形県新庄市に列車で帰ろうとしていた。そこを、義弟に追いかけられて、途中下車をする。奥羽本線の途中にある大石田駅である。ここから、当時はバスで一時間も乗るのであろうか、大正ロマンを彷彿とさせる銀山温泉に二人は到着する。そして、五重塔の建物に両翼を付けて広めたような、この地の有名な旅館の、右隣の旅館に二人は泊まることになる。このシークエンスが、本作の山場となる。映画ラストの高峰の、クローズアップに堪える女優として力量が光るのが、成瀬監督作品の本作である。

2023年4月5日水曜日

秋立ちぬ(日本、1960年作)監督:成瀬 巳喜男

 1951年作の『めし』で、成瀬は、自らの監督としての特長の「方程式」、すなわち、女性を主人公にした現代劇を、原作は女性作家のものとし、その脚本を女性脚本家に書かせて撮るというやり方を確立した。その「女性映画監督」としての成瀬は、60年代に入ると、松山善三脚本による、大人の女をテーマとした作品を撮りだす。『娘・妻・母』(60年作、脚本:松山、井出俊郎)、『妻として女として』(61年作 脚本:松山、井出)、『女の座』(62年作 脚本:松山、井出)などである。

 そんな中、60年に撮られた『秋立ちぬ』は、子供の視点から撮られた成瀬作品として異色である。成瀬自身がプロデュースしている作品としても、彼の思い入れの程が推察できよう。原案は、東宝の専属脚本家笠原良三のオリジナルシナリオ『都会の子』により、成瀬自身がこれを翻案したと言う。

 信州の田舎から東京に出てきた小学六年生秀男が主人公である。母親は、夫に死なれ、生活に困って、秀男を連れて、東京で新しい生活を営もうと、東京にいる自分の親戚を頼って、出てきたのである。母親は、自分は旅館の仕事を見つけて、旅館に住み込みで働くようになり、息子を親戚の許に置いたままにする。こうして、母親が働く旅館の娘、小学校四年生の順子と秀男は仲良くなる。母親に捨てられる秀男の孤独と、また、母親役の乙羽信子が、母親の責任を捨てて、男にすがらざるを得ない女の「弱さ」が、観ている者の胸を詰まらせる。

銀座化粧(日本、1951年作)監督:成瀬 巳喜男

 主人公雪子(田中絹代)が雇われマダムをやっている、西銀座にある「バア」の名前は「ベラミイ」である。「Bel Ami」は、フランス語で、「美しき男友達」の意であるが、映画でも言われている通り、フランスの自然主義文学作家Guy de Maupassantの小説である。美貌の、下層階級出の青年ジョルジュ・デュロアが、自分の美貌を使い、上流社会の女性たちを次から次へと「乗り換えて」、19世紀中頃のフランス社会で栄達する姿を描く、この小説の内容が本作のストーリーにどう絡むのかは、謎であるが、現実社会の厭らしさをあまり経験したことがないようである、東北か北陸の良家の「お坊っちゃん」が、このバーの名前を見て、すかさず、de Maupassantに思い当たり、「モパサン」と言う。de Maupassantは、普通は、日本語で「モーパッサン」と表記されていて、「モパサン」と言われると、最初は変な感じを受けるが、確かに言われてみると、「モパサン」の方が、より原語に近い。さらに、銀座のネオンサインの宣伝には、「モンパリ」や、広告には「Vogue」が登場するので、原作者は、フランス文学でも勉強したのではないかと想像して、調べると、その通りであった。原作者井上友一郎は、1930年代に早稲田大学で仏文科を卒業し、一時新聞記者になったりしながら、在学中からの文学活動を続け、戦後は、風俗作家となった人物である。本作の原作は、映画誌連載小説であったので、映画化がしやすかったのであろう。映画の中盤、主人公雪子が、ひょんなことから、田舎出の「坊っちゃん」に銀座を案内するシークエンスがある。1950年当時の銀座や、少し前に埋め立てられた三十間堀川、三原橋、真正な意味での「トルコ風呂」サウナを売り物にした、工事中の「東京温泉」の高層の建物が描かれ、当時の風俗資料を見るようで興味深い。

 「終戦」は45年であるから、その5年後である。闇市が蔓延っていたのは、束の間であったのであろう。一様は、「戦後復興」が終わったかの感さえある。特需景気を促す朝鮮戦争が同じ50年に勃発する。日本の、西側諸国一部からの主権回復となるサンフランシスコ平和条約の締結はその一年後、つまり51年で、本作の上映年の年である。こんな時代であれ、主人公雪子が一人息子と住む、戦災にも焼け残ったという、新富芸者で有名な新富町にある借間は、長屋の一軒家にある。この頃未だ来ていた山手の「上客」が寄る繁華街たる、モダンな銀座と好対照をなす新富町である。東京生まれの、職人の息子、監督成瀬は、ここら辺の下町の雰囲気は肌身で感じていたのであろう。ストーリー展開の端々に、チンドン屋や紙芝居屋のシーンを挿入する。とりわけ、二回も出てくる紙芝居屋のシーンは、ファンファーレのような大きなトラペットを吹き鳴らし、その後ろに、ハーメルンの笛吹きよろしく、子供達を引き連れて歩く紙芝居屋の姿はユーモラスでもあり、印象的である。ここに、庶民の日常をさり気なく描く監督成瀬の思い入れが感じられる。

 最初は偶然に入社した松竹蒲田撮影所では小道具係りであった成瀬は、約十年の下積み時代を過ごして、1930年に監督となる。まもなく若手監督として注目されるものの、松竹では不遇であり、34年に、東宝の前身であるPCLに移籍する。移籍後の作品『妻よ薔薇のやうに』(1935年)では批評家から高い評価を受け、『キネマ旬報』ベスト・ワンにも選ばれるが、この作品は「Kimiko」という英題で37年にニューヨークで上映された、USAで上映された日本映画の第一作目となる。第二次世界大戦下では、『鶴八鶴次郎』、『歌行燈』、『芝居道』など、いわゆる「芸道もの」を、溝口健二同様に、撮り、戦時体制への「協力」を最低限に抑えている。

 

 終戦後は、自分が脚本を書いた作品を撮ったりしていたが、戦時中にプロパガンダ映画を大量に撮っていた東宝で、東宝争議が起こり、これにより東宝撮影所の機能が麻痺したことから、成瀬は、他の監督などとと共に東宝を離れ、「映画芸術協会」を設立し、フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督する。本作は、この時期に成瀬が新東宝のために撮った作品となった。

  成瀬巳喜男と言えば、今では、家庭映画の、女性映画の「巨匠」であると言われているが、家庭映画の「巨匠」と言えば、小津安二郎がいる。その意味では、成瀬もいた松竹に、二人の「小津」は必要なく、成瀬がPCL、後の東宝に移籍したのは、必然であった。成瀬は、東宝の「小津」になったのである。

 一方、女性映画の「巨匠」と言えば、溝口健二がいる。男に翻弄される、女性としての「業」を背負った「女」を運命的に描かせれば、その右に出る者はいないと言われた溝口である。とりわけ、本作で主演を演じた田中絹代は溝口作品で有名になった女優である。

 いわば、成瀬の監督としての立ち位置は、「小津」と「溝口」の間である。その間で、どうやって自らの「特長」を出していくのか。1950年には、成瀬の助監督を一時やっていた黒澤明が、『羅生門』で、ヴェネツィア国際映画祭で「金獅子」賞を取り、日本映画の存在を世界に知らしめたと同時に、黒澤は、「世界の黒澤」になっていた。

 こういう中での本作である。「溝口組」の田中を使って、銀座の夜の世界を描いては、「溝口」スタイルと比較される。シングル・マザーとして、かつての旦那に金をせびられながら、一人息子を健気に育てる家庭劇とすれば、松竹・家庭劇の「小津」と比較される。そういう中途半端の立ち位置では、成瀬も立つ瀬がないであろう。

 こういった自己の、監督としての存在意義をいかに見出すか、そんな模索の中で、本作と同年に撮られた作品『めし』が、成瀬が「第四の巨匠」となるべき道を開いてくれたのである。時代劇ではなく、現代劇を撮る。そして、女性を主人公にして撮る。原作は女性作家のものとし、その脚本を女性脚本家に書かせる。この「方程式」が成立した時に、成瀬の監督としての「特長」が顕在化したのである。

 溝口が亡くなり、女性映画の「巨匠」として成瀬の定評が付く1960年代の、成瀬の脚本家は、主に松山善三となるが、それ以前、成瀬が自分で脚本を書いていない時の脚本家は、長らく東宝専属の脚本家として勤めていた井出俊郎である。それに対し、『めし』(1951年作)の原作者は、林芙美子であり、その原作を脚本化したのは、田中澄江である。こうして、林原作・成瀬監督による、文芸映画作品の第一弾が出来上がったのであり、この作品は、第25回キネマ旬報ベスト・テン第二位となる。この、林原作・田中脚本・成瀬監督のトリオは、さらに、『稲妻』(52年作)、『晩菊』(54年作)、『放浪記』(62年作)と続く。林芙美子の原作作品としては、これ以外に、『妻』(53年作、脚本:井出俊郎)、『浮雲』(55年作、脚本:水木洋子)がある。水木脚本の成瀬作品は、『浮雲』以外にもあり、注目すべき点であろう。本作の翌年に撮られた『おかあさん』(52年作、同じく新東宝)の脚本を書いているのが、水木洋子であり、この作品では、田中絹代が母親役、その娘が香川京子、そして、父親役が三島雅夫という点でも、本作と繋がりがある作品である。

 余り目立たない点かもしれないが、本作『銀座化粧』での助演男優陣の良さは、特筆されてよいことであろう。戦前は羽振りがよく、戦後は時勢に乗り遅れた、かつての情人で、今は雪子に小銭をたかりにくる男・藤村役の三島雅夫、雪子が借り住まいする長唄の師匠杵屋佐久の夫・清吉役の柳永二郎、雪子に金を貸すことを口実に彼女に言い寄るスケベ親父・菅野役の東野英治郎、雪子目当てに杵屋に長唄を習いに来ている若い男・白井役の田中春男が中々いい。


2023年3月24日金曜日

デモリションマン(USA、1993年作)監督:マルコ・ブランビア

まずはSF小説の古典的作品『すばらしき新世界』をお読みください。


 出だしの「花火師」の大活躍する場面、映画最後の善玉・悪玉のショーダウンと、本作は、典型的なアクション・SF映画である。S.スタローンが主演であれば、その程度であるのは無理はないであるが、本作と製作同年の1993年には、A.シュワルツェネッガー主演の『ラスト・アクション・ヒーロー』も公開されており、これまた自己諧謔的なタッチは両作に共通していなくもない。実際、本作の中では、シュワルツェネッガーがアメリカ合衆国大統領になったと、元々オーストリア人の「アーニー」に「エール」を送っているのである。更に、作中、その性格適正からS.スタローン演じるところのジョン・スパルタンには編み物がお似合いであるというフモールにも、やはり苦笑いが抑えきれないのも確かである。

 しかし、である。本作では、この映画のストーリーの背景となっている未来社会を描ききるまでの、最初の45分ぐらいまでが意外と興味深い。確かに、『スター・ウォーズ』や『ターミネーター』からのプロットの流用しているような部分もあるものの、完全管理社会体制によって「安定と平和」が維持されているユートピア社会の在り様に、何か古典的なSFの臭いがして、調べてみると、やはりストーリーの背景にはAldous Huxleyオルダス・ハクスリー作のディストピア小説『すばらしい新世界』があるという。(原作では、“Brave New World“だが、これはシェークスピアの『テンペスト』からの引用であるそうで、そうであるとすると、英語のbraveは、「勇敢なる」の意ではなく、「美しい」の意である。とすれば、せめて『すばらしき新世界』と訳したいところである。)

 そこで、オリジナルの『すばらしき新世界』と本映画を比較とすると、意外と面白い一致が出てきた。

 まずは、未だ有名になる前の女優サンドラ・ブロックが演ずるところのサン・アンゼルス市警の警部補「レニーナ・ハクスリー」の名前である。ここに一義的に「ハクスリー」の苗字が出ている。しかも、「Lenina レニーナ」も『すばらしき新世界』に出てくる女性主人公の名前であり、これは実は、Leninレーニンの女性形であるという。そして、『すばらしき新世界』に出てくる「野蛮人」の名前が「ジョン」で、これまた「ジョン・スパルタン」と一致するのである。

 また、本作が設定されている時代は、2032年のアメリカということであるが、『すばらしき新世界』が発表されたのは、1932年であり、小説中の設定年代がフォード年632年と、小説中ではキリスト紀元ではなく、あの自動車王H.フォードが紀元の主になっているのである。さらに、胎児の出産に関しては、映画、小説ともに人工授精が基になったいるのも共通点であろう。

 しかしながら、映画と小説の違いもまた存在する。特に、セックスに関しては、小説がグループ・セックスを取り上げているのに対して、映画ではバーチャル・セックスであり、これは、映画では、エイズを含む感染症を防ぐために身体同士が触れる行為が基本的に全て禁止されているからであった。それで、人は身体接触を避け、握手もせず、挙げた手を空中で接触せずに円を描くように回すという方法が取られている。キスや性行為は、「体液トランスファー」として忌み嫌われているのである。と、如何にも、優生学上、衛生的な世界が未来社会として本作の背景に描かれているのである。

 以上、本作のストーリー構成には中々興味深いものがあり、この点、脚本家達Daniel Waters, Robert Reneau, Peter M. Lenkovらの三人の名前は明記してよいものであろう。まずはSFの古典的原作『すばらしき新世界』をお読みになることを衷心よりお奨めする。

2023年3月14日火曜日

アメイジング スパイダーマン(USA、2012年作)監督:マーク・ウェブ

 筆者は、何故か分からないが、監督Sam Raimeサム・レイミの『スパイダーマン』三部作(2002年–2007年)で、俳優Tobey Maguireトービー・マグワイアーによって体現された「スパイダー・マン」というキャラが好きではない。否、嫌いである。なぜなら、いつも正義が自分の側にあるという傲岸さが鼻に衝くからである。それは、USAが民主主義の旗持ちであることから、いつも正義の側に立てるのと同様であり、さらに別に日本史の文脈で言えば、官軍が、錦の御旗を掲げることで、その政治的正当性をいつも主張できるのと同様である。敢えて言えば、ピーターのメントール、即ち、精神的庇護者、アンクル・ベンがピーターに諭す格言「With great power comes great responsibility.(大いなるパワーには、大いなる責任が伴う)」もまた、USAの政治的道徳感にむしろ当てはまる。スーパー・パワー、超大国には、世界の「警察」としての責任があるとも読み替えることができるのである。因みに、この格言は、古代ギリシャ時代から似た格言があると言われるものであるが、遅くとも、フランスの啓蒙思想家ヴォルテールが成文化した格言である。

 確かに、いじめられっ子の高校生のティーン・エイジャーが、蜘蛛に刺されたことにより超能力を持つようになり、次第に自分に対して自信を持っていくようになる、いわば、教養小説のプロセスは、それは、それなりに面白いのではあるが、悪に対して戦うことが自明の理であり、自己の持つ超能力を悪事に使おうとする誘惑には駆られることのない、そのような一元的な人間が日の当たる街道ばかりを突っ走る「直情さ」に、筆者は、何か胡散臭さと物足りなさを感じるのである。

 それが、Marc Webbマーク・ウェブ監督の本作『アメイジング・スパイダーマン』(2012年作)で、Andrew Garfieldアンドリュー・ガーフィールが演ずるところPeter Parkerは、「正義の味方」の臭さが大分消えていて、好感が持てる。ここでは、彼は、頭脳明晰な、オタク的なアウトサイダーとして描かれており、「リブート」前の厭らしさもなくなって、意外とすんなりとガールフレンドGwen Stacyもできてしまうのである。(因みに、コミック世界では、Peterが最初に付き合ったのは、Betty Brandで、それに横恋慕して二人目のガールフレンドとなるのが、Liz Allanである。Gwenは、Peterの三人目のガールフレンドとなるが、映画『スパイダーマン』での、Peterの意中の人、MJことMary Janeは、Gwenの恋敵的存在である。)

 最後に、Peterを演じる若い俳優ガーフィールドの脇を固める、二人の名優について述べておこう。まず、アンクル・ベンを演じるMartin Sheenは、知らない人がいないほど有名な俳優で、『地獄の黙示録』で主人公ウィラード大尉を1997年に演じている人物である。一方、メイ叔母さんを演じるところのSally Fieldである。彼女は、1979年の『Norma Raeのーマ・レイ』、1984年の『Places in the Heartプレイス・イン・ザ・ハート』で二度もアカデミー主演女優賞を受賞し、さらに、ゴールデン・グローブ賞でも二回、エミー賞では三回受賞した経験がある名女優である。

2023年3月8日水曜日

誰も知らない(日本、2004年作)監督:是枝 裕和

大都市東京で生き抜かれた少年時代への、これほどの詩的なオマージュが在り得るだろうか?


 その、さり気無さが観ている者の心を何故か締め付ける。スーツケースをじっくりとさする長男、明の手。一番下の四歳になるゆきの好きなアポロ・チョコレート。或いは、長女の京子が酔っ払った母親にしてもらう紅いマニキュア。これらの、謂わば、演出上の「小道具」が、本作では実に上手く効いている。それは、いかにもそうでございます、と言うようなわざとらしさではない。そんな、是枝監督の、日常への観察眼と、ストーリーの優しい語り口が観る者の心を和ませてくれる。監督の子供たちへの慈しみの情愛が観る物の心を直に伝わってくる。

 現実に起こった事件を題材にしながら、その現実の事件の残酷さを意図的に追及はしなかった是枝監督の「創造性」を、いつもはそんな甘い、調和主義的描写を許せない筆者は、本作を観ている内にいつの間にか許していた。自ら脚本も書き、制作者ともなり、そして撮ったフィルムの編集も行なった是枝監督。15年間も暖めていたという、ストーリーをゆっくりと時間をかけて練っていたことに、監督の本作に対する並々ならぬ、個人的な「こだわり」の強さを推察せずにはいられない。

 この映画の「優しさ」は何処から生まれてくるのであろう。映画のかなり始めの方から、本作を観ながら、この疑問を自らに問いかけていた。そして、映画のほぼ終わり頃に、明が死んだゆきを羽田空港で埋めた後に乗って帰るモノレールが出てくるシーンで思った。川の上の架橋を画面の左下から右方向にモノレールが音もなく滑っていったシーンでである。それは、あたかも水の中を泳ぐ蛇か龍かの如くに。この時、筆者は何故か、こう悟ったのであった:本作は、東京のある下町の風景、完全に護岸工事された川べり、何処にでもありそうなありふれた公園、古そうな黒ずんだコンクリート製の階段、それらの何気ない平凡な日常の風景をすべて含めて、数切れない人間が住んでいながらも、お互い同士は殆どまるで関係のない他人である「都会たるジャングル」東京への、東京出身の是枝監督の、自分の少年時代へのオマージュなんであると。正に、このことからこそ、この作品のあの「優しさ」が滲み出ているのであると。

 「優しさ」のもう一つの源泉は、是枝監督が子供たちに演技を強制していないことにある。ほとんど実際の家庭生活のような撮影環境を作り上げ、特に次男の茂とゆきには殆ど本当の兄や姉や、頼りないが優しい母親といるような錯覚を覚えさせたに違いない。二人の挙動が、実に自然であり、ここに監督の並々ならぬ力量を感じる。そして、母親役のYouは、それが恐らくは地なのであろう、演技ではない演技をしている。地が演技になっている、不思議な存在、それがYouという名前の女優なのであろうか。(このような人間の、いつも外に向けらた内面とは、どんな内面なのであろうか?それを思うと、何か怖い気がしないでもない訳であるが。)

 一方、京子や明の方はどうか。精神年齢の発達の点から言うと、女子は男子より早い。だから、明より若干年下の京子は、一ヶ月留守にしたあと、久しぶりで帰ってきた母親の、偽りの心を素早く感じ取っていた。年上の明もまたそうであったが、母親に妹と弟を頼まれては、むしろ、その責任感に負われていた。そんな、12歳の男の子が、声変わりをし、中学生にもなれる年齢になって、次第に子供から、状況に強制されて早くも「大人」へと成長せざるを得ないところに置かれていく。そんな明の、変化の、揺らぐ機微を、半ば子供のままの無邪気さと半分大人の恥ずかしさをないまぜにした、表情の「カクテル」で描く効果が、観る者の目を明に惹きつける。時に素人風の演技と見えるところがまた、何となく初々しく感じられるのである。これは、ストーリーと、明の性格描写と、キャスティングの妙の、為せる技であったと言うべきであろう。

 こうして、本作で描かれた子供たちの映画的世界。この世界の中で、子供たちは、親がその親権を行使することなしに放置されていた。しかし、「都会のジャングル」の中に放置されたことで、「誰も知らない」うちに、彼らは彼らの「自由」をも享受していたのでもある。これは、実は、そんな「幸福」な存在でもあったとも、言いたげな是枝監督の、この逆説的な語り口の上手さに、筆者は深くこうべを下げるものである。

2023年3月3日金曜日

スターシップ・トゥルーパーズ(USA、1997年作)監督:パウル・ヴェアフヴァン

 オランダ人監督のPaul Verhouvenパウル・ヴェアフヴァンは、あるインターヴューで、原作は詰まらなかったので、最初の二章ぐらいしか読んでない旨、答えている。それ故、本作のストーリーが原作にどれだけ忠実なのかは、比較しても意味がないのであるが、それでも、原作の作者が、Robert A. Heinleinローバート A. ハインラインであれば、1959年に発表された、この軍事SF「二等兵物語」がどんな内容なのかを知っておいて損はないはずである。

 実際に原作を読めばいいのではあるが、手許にないので、ウィキペディアでその粗筋を調べてみると、意外とそれが、時事性を含み、面白い。ウィキペディアの一部を引こう:

 「21世紀初頭、増加する犯罪と政府の非効率に対して寛大すぎた西側諸国は荒廃し、加えて1987年に始まった覇権主義的な中国に対するアメリカ合衆国とイギリスとロシアの連合の大戦争で地上は破壊されたあげく、2130年に中国に敗北した連合国は一方的な捕虜解放など屈辱的な講和条約を締結させられ、終戦後の米英露は無政府状態となって秩序は崩壊した。混乱する地球社会においてスコットランドで自警団を立ち上げた退役兵たちは事態を収拾し、その後、新たに誕生した地球連邦では軍事政権によりユートピア社会が築かれていた。」

 1959年という、冷戦真っただ中の状況で、USAとロシアが同盟するというのは当時は奇想天外な予想であったであろう。今のウクライナ戦争を思えば、ハインラインの予想は確かに外れたの感があるが、1987年と言えば、現実の冷戦時代が終局を迎える2年前であり、ゴルバチョフの下、ロシアのポスト共産主義社会が順調に発展していれば、USAとロシアの協調は、全く予想外な絵空事ではないと言えた段階ではなかったろうか。更に、台湾有事が殊更に強調される、現在の米中対立は、中国建国10年後の1959年の段階では、正に予想だにしなかった事であり、さすがは、SF作家のハインラインの「鋭さ」には、脱帽するものである。

 それでは、そのハインラインが描くところのユートピア社会とはどんな社会であるかと言うと、人種差別、ジェンダー不平等などない平等な社会で、ただ、選挙による参政権について、軍歴があるかないかでの違いがあるだけである。この違いによって、人々は、真正な意味での「有権者市民」と「無選挙権市民」に分かれる。古代ギリシャの「ポリス」を形成した「市民」は、自作農であり、同時に、重装歩兵でもあった。故に、原作には、ポリスを形成する「武装する市民」のイメージが根底にある。この理想を説くのが、フィリピンのタガログ語を母語とする主人公Juan Ricoホワァン=リコの恩師Duboisデュボアで、彼の担当科目が「歴史と道徳哲学」なのである。そして、デュボアは、地球連邦軍機動歩兵部隊退役大佐である。

 このような軍事国家は、宇宙からの外敵に対する「防衛戦争」を戦うという場合は、その正当性を保持できるのであるが、それがなく、単なる支配機構になる時には、このような軍事国家は、全体主義化、ファシズム化、最近の用語としては、「権威主義国家化」する。この危険な傾向は、映画のストーリーで面白可笑しく「茶化されて」、「噴出」している。(その茶化しを茶化しと捉えずに、そのままに捉えて、本作の「ファシズム性」に感動している、一部の人間たちもいないことはないのであるが。)

 一般兵卒Troopersの命を何とも思わない過激なスプラッター描写で風刺化されてはいるのであるが、旧帝国陸軍歩兵の万歳突撃を厭わないようなTroopers小隊に組織されている、Spaceship宇宙戦艦に乗り組んだ「宇宙海兵隊員」たちは、軍国主義体制イデオロギーを不思議とも思わない。ビッグ・ブラザー並みのメディア通信は、ナチスのプロパガンダを思わせて、常に市民にTrooperになることを呼び掛けている。その呼び掛けに応えるように、高校生リコとその友人たちは、軍隊に入隊する。リコの同窓生のカールは、リコが下士官程度で何とかやっているのに比べて、軍事情報部でとんとん拍子に昇進して大佐になっている。その軍事情報部のユニファームが、また、ナチスの、黒皮のロング・コートの、秘密警察ゲシュタポの、あのユニフォームなのである。

 このように、あちこちに風刺と皮肉が入れてある本作のストーリーとプロットは、監督のVerhouvenと、アメリカ人脚本家のEdward Neumeierノイマイヤーの功績であろう。この二人は既に、同じくSFデストピア映画『ロボ・コップ』(1987年作)でチームを組んだ仲であり、この作品『ロボ・コップ』で、翌年のサターン賞で、作品・脚本賞を取っている。因みに、本作と『ロボ・コップ』並びに『トータル・リコール』(1990年作)を以って、監督VerhouvenのSF・B級三部作を形成している。

2023年2月18日土曜日

Cure キュア(日本、1997年作)監督:黒沢 清

 これ程までにエンディング・ロールに映画の全編の意味が込められた作品も珍しいのではないか。しかも、それ自体では何気ないものである。作品中のD.リンチ並の、何かボイラーの騒音ででもあるかのような不気味な通奏低音はこの時点で消えている。恐らく明け方の暗がりで、小鳥たちがさえずりはじめ、今日もまた、日常のある一日が始まるという感じである。しかし、このありふれた日常性が、それまでの映画の展開の文脈の中で、出来事の異常さを逆に強調し、その異常性が日常性の中に入り込んだことで、筆者は、余計に恐怖感を覚えて背筋に何かじわりとした寒気を感じざるを得なかったのである。ここに、監督黒沢清の力量の程が伺われる。

 ラスト・シーンのファミリー・レストランの中では、これまでストーリーの中心となっていた一連の猟奇的殺人事件に一見決着が着いたかのような安心感を観ている者に与える。しかし、この安心感を裏切るかのようにまた殺人事件が主人公高部刑事のいる前で起こるのであるが、実はこの殺人事件を「教唆」したのが高部刑事本人であり、また、その教唆の方法もそれまで同様の殺人教唆を行った手口よりも、はるかに巧妙である。このことは、それまでの犯意の媒体よりもより強力なメディウム:媒体、謂わば「魔王」が登場したことを意味していた。これに例のエンディング・ロールが繋がると、この「啓示」が心肝寒からしめるものとして見ている者の意識に明確化されるのである。

 話はある売春婦が頚動脈付近をX字に切られて殺されるところから始まる。同じ手口の犯行は既に数件起こっていた。しかし、それぞれの犯人自体は異なり、その殺人の動機も不明瞭であった。犯人は異なるが、手口が同一の連続殺人事件の奇妙さ。殺人が回を重ねられていく毎に、その殺人を「教唆」する背後の人物像のベールが一枚一枚剥がされていき、その巧妙な手口が暴かれていく。そして、この過程は同時に犯行を追う高部刑事自身が殺人教唆者の魔の手に取り込まれていき、そして最後にはこれを逆に乗っ取って、自らが「魔王」となる過程でもあったのである。

 その殺人教唆者間宮の手口とは如何なるものか。「あんたはだれや?」のソクラテス的質問を繰り返す精神異常者を装い、火や水の道具を使って相手を暗示状態に持っていく。そうやって、相手が元々抑圧して持っていた願望を解き放ってやって、その願望を殺人という形で成就させてやるという、正に魔の「癒し:キュア」であった。この、「教唆」即ち悪の「癒し」の施療をより巧妙に継承したのが高部刑事なのである。映画は、こうして「癒し」を求める日本社会の危険性を衝く、社会批判の次元を持つに至る。

 この社会性という点で、本作品は、同じ連続殺人事件を描き、明暗の「暗」を生かした同様のフィルム現像の手法を使ったアメリカ映画界の気鋭D.フィンチャーの『セブン』を凌駕するものである。『セブン』(1995年作)の場合、その犯人は七つの大罪をその犯行の宗教的動機とし、最後には自分をキリストの如くに犠牲、「生贄」にするという、全く精神異常の犯行者である。であるから、映画の彼岸と観る者の此岸とは隔絶しており、そこには、ひょっとして自身が犠牲者になるかもしれないという危機感があるだけで、自らが犯行者になるという危険がない、「安全な」世界である。これに対して、社会性を持った、良質のサイコ・サスペンス映画が日本にできたことに、本作に対して、日本の映画ファンとして満腔の賞賛を送るものである。

2023年2月11日土曜日

クリスティーン(USA、1983年作)監督:ジョン・カーペンター

ホラー版『アメリカン・グラフィティー』はいかが?


 「Christineクリスティーン」が突然カー・ラジオを操つる。独りでにカー・ラジオが掛かり、車内はクリーム・ソーダを緑色に着色したようになった。ラジオのボリュームが幾らか上がって、カー・ラジオのスピーカーから曲が流れ出てくる。年代はうまく特定できないが、恐らく車のモデルからして、1950年代末のロックンロール系の曲であろう。(音楽は、一部は監督のJ.Carpenterが担当)

 この、50年代、60年代への懐古趣味といい、音楽の選曲の好みといい、はたまた、ストーリーの演じられる場所がハイ・スクールということで、筆者は、1983年作の本作を楽しみながら、G.ルーカス監督、F.F.コッポラ製作の『アメリカン・グラフィティー』(1973年作)を懐かしくも思い出していた。

 あの映画では、1960年代初頭のヒット・パレードの如く、これでもか、これでもかという具合にロックンロールが聴けたものであった。そして、車という偶像への畏敬もまた、この映画では青春の一つの要素として重要な役割を演じていた。

 さて、Stephen Kingの同名の小説を原作とする本作品のストーリーであるが、これは、車という外形の事物に人間がフェティシズム的に偏愛し、この人間の愛に今度は呪物対象物がそれに応えて自ら動き出すという、例のギリシャ神話のピュグマリオーン王と象牙の彫刻ガラテアの恋愛ストーリーを、ホラーとして変形させたものである。(或いは、このようなObject Sexuality対物性愛を、1979年に自分はベルリンの壁と結婚していると主張した、スェーデン人女性芸術家「エイヤ=リータ・エクレフ=ベルリナー=マウアーEija-Riitta Eklöf Berliner-Mauer」現象という。 )

 ホラー映画とは、その人間の原初的な恐怖感だけに訴えるということで、本来B級映画としてしか存在し得ないものである。しかし、そのB級性においてもそこに傑作と駄作とがあるのであり、ホラー映画の「巨匠」J.カーペンター監督の本作品は、カーペンター監督の作品歴の中でも秀作の一つに入るものであろう。

 音楽と供にその濃厚なフィルムの色彩感覚も1950年代にマッチさせてあり、監督のセンスのよさを感じさせる。(撮影監督は、この時期のCarpenter組のDonald M. Morganである。)1958年型のPlymouth Furyプリムス・フューリー(Sportcoupé型)の特殊赤色塗装(Toreador Red)が、如何にも「クリスティーン」と呼ばれる、この車への情熱を代弁している。

 ホラー映画というと血だらけのシーンを連続させたり、わざと観衆を驚かせるように大胆な編集をしたりと、下品な小手先を使う作品がままある中、本作品、映画作りを職人的にこなしている監督の「粋」が感じられて、好感が持てる。

 惜しむらくは、この映画の制作でプリムス・フューリーが、恐らくは20台近くが壊されていると聞いていることで、オールド・タイマー・ファンが、映画の終盤ともなると、少々悲しくもなきにしもあらずであろうことは、容易に想像できることである。

2023年2月8日水曜日

トゥルー グリット(USA、2010年作)監督:コーエン兄弟

 原作の『True Grit』は、1968年に新聞連載小説として発表された、ジャーナリスト兼小説家のCharles M. Portisの長編小説である。Portis自身が、ルイジアナ州の真北にあるArkansasアーカンソー州出身であり、小説のストーリーもアーカンソー州にあるFort Smithから始まる。小説では、当時14歳であった主人公であるMattie Rossが、あたかも自分の自叙伝を書いているように、1928年時点からの懐古としての視点が採られている。

 1968年度のヒット作となった原作は、早速同年にはH.Hathawayハサウェイ監督により、同名の映画化がなされ、翌年に初上映を飾った。J.Wayneウェインが、連邦保安官MarshalのReuben „Rooster(雄鶏)“ Cogburn役を、70年に映画『イチゴ白書』でのLinda役で映画史上忘れられない女優となるKim Darbyが、Mattie役を担う。当然ストーリーの重点はJ.ウェインに置かれ、彼は、この役で、その年のアカデミー賞男優賞を獲得する。

 一方、2010年に原作の二度目の映画化となる本作では、ストーリーは、年を取ったMattieの懐古の視点からの、オフレコのナレーションを以って、語られる。M.Damon演じるTexas Rangerテキサス・レインジャー、LaBoeufラ・ボフ(フランス系移住民の子孫か)の絡み方が若干異なる以外は、本作の脚本は、ほぼ原作に忠実になぞられて書かれてある。

 本作の原題も、原作同様であるが、邦題では、69年作で、『勇気ある追跡』とされているので問題はないとして、本作では、英語の原題をそのままカタカナ化しているのは、問題であろう。Trueは分かるとして、普通の日本人には分からないGritを「グリット」では、何のための邦題か。Gritを「勇気」と訳すことも可能ではあるが、英語辞書によると、この言葉は、「珪質砂岩、堅実、堅忍、気概、闘志、意気、肝っ玉」と、様々な訳が付いている。Trueとの関係で、思うに、True Gritを「真実の気概」と訳するとすれば、本作の描き方から言って、別の解釈が成り立つのではないか。„Rooster(雄鶏)“ Cogburnの、本当の気概とは、毒蛇に咬まれたMattieを助けるために、Mattieの愛馬を乗り潰し、その後は、Mattieを両腕で抱えて、息も絶え絶えに走り続けた、その後ろ姿に示されたのではないか。

 さて、本作の監督は、Coenコーエン兄弟である。コーエン兄弟と言えば、あのユダヤ人的ブラック・ユーモアが「ミソ」である。という訳で、筆者は、それなりに捻りにひねった皮肉をストーリーに期待して観ていたのであるが、それは、原作をほぼ忠実に追うばかりで、そこには、皮肉や風刺が効いた「捻り」が、殆んどない。

 俳優J.Bridgesブリッジスは、本作で„Rooster(雄鶏)“ Cogburn役を、左目に眼帯を掛けたJ.Wayneに対抗して、右目に眼帯を掛けて、熱演する。その彼がコーエン兄弟と初めて組んで撮った傑作『ビッグ・リボウスキ』(1998年作)を思えば、本作での皮肉の捻りのなさが意外とさえ言える。

 コーエン兄弟の、1984年以来の作品歴を鑑みるに、その後期の制昨年歴に数えられる本作を以って、コーエン兄弟の創作力も、後期に入って、いまいち若干低下したかと疑われる程であるが、調べてみて、本作の製作総指揮がS.スピルバーグであると分かると、この甘いストーリー展開は、むべなるかなとも思われる。何れにしても、コーエン兄弟作品としては、本作を以ってして、作品経歴史上、最高の興行収入を得たと言う。

2023年1月31日火曜日

キャッチ-22(USA、1970年作)監督:マイク・ニコルズ

諷刺とは何と難渋な作業であろうか!


 近松門左衛門が言ったというその創作論に所謂「虚実皮膜論」というものがある。即ち、「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」と。

 別の言葉で言えば、「虚(うそ)にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みが有るもの也」。芸術とは虚構と現実との相互関係の中にあるものであり、その違いは紙一重であるべきであろう。フィクションが全く現実から離れてしまえば、それは単なるファンタジーであり、夢物語である。そこには人間の真実を描いて訴えるものがない。現実をそのまま映すだけでは(現実にはそれは不可能であるが、)それはフィクションではないのであり、誇張していえば、それは、つまり芸術ではないのである。現実の混沌を捨象・抽象してそこから現実の真実の姿を抉り出すこと、そこにこそ芸術の芸術たる本質があるのである。

 さて、上述の論理が特に厳しく当てはまるのが、諷刺やパロディーである。諷刺やパロディーは、その創作の土台となる元のものから離れすぎると諷刺やパロディーではなくなってしまうからである。

 本作は、その制作当時の1970年前後のベトナム戦争という具体的な対象があり、その文脈の中での戦争批判ということでその作品の価値がとりわけ高く評価されたのであるが、筆者の目から言わせれば、その諷刺は誇張されすぎており、その誇張によって戦争の本質がより明確に摘出されているとは残念ながら言いがたいのである。

 確かに印象的な場面がいくつかある。双発のB25爆撃機ミッチェル(太平洋戦争中の1942年に東京を初空襲した爆撃機と同機種)の編隊が、イタリアのある歴史的文化都市に向かっている。何故その文化都市フェラーラが爆撃に値する戦略的意味を持っているのか、それを自問した先頭機の爆撃手、つまり名優Alan Arkinアラン・アーキン演ずるところの主人公John Yossariánヨサリアン大尉は、フェラーラの町に爆撃する進入路にあたる海上で爆弾を投下してしまう。すると、僚機もまたそれに倣って爆弾を投下して、爆弾は海上で爆発して、海水の飛沫が遠くの青空とフェラーラの町を背景に高く舞い上がるというシーンである。戦略空爆の非倫理性がここに見事に描かれている。

 また、敵のドイツ空軍にそのアメリカ軍航空隊基地が夜間に爆撃されるシーンでは、何とその夜間空襲の誘導をやっているのが、John Voightが演じる、味方のMainderbinderマインダーバインダー中尉で、この軍需物資の配給係を担当している中尉は、敵とも通牒して自分の物資横流しの商売を上手くやり抜こうとしていたのであった。ここに軍需産業に対する痛烈な批判が込められているのは、誰も見逃さないであろう。「死の商人」には、敵・味方の区別はないのであり、どちらも「お客さん」であり、要は、武器を威勢よく使ってくれればいいのである。

 このような的をついた諷刺もあることはあるのではあるが、私見、本作においては全般的にはその諷刺は誇張されすぎている感が強く、そのために本作が現実への批判力をかなり失ってしまっていることは残念ながら否めない。改めて、諷刺作品の創作の難しさを思い知らされる。

 原作者は、ニューヨーク市生まれのユダ人Joseph Hellerジョセフ・ヘラーで、彼は、そのユダヤ人的ユーモアも以って、自身が体験した経験を作品化した。彼の、長編小説のデビュー作品である。

 ウィキペディアによると、彼は、「1942年、19歳の時にアメリカ陸軍航空隊に入った。2年後に第二次世界大戦のイタリア戦線に送られ、B-25の爆撃手として60回出撃した。ヘラーは後に戦争の時のことを回想して『初めは面白かった...そこには何か輝かしいものがあるような気がした。』と語った。戦争から戻ると、ヘラーは『英雄のように感じた...私が飛行機に乗って戦い、60回も出撃したことで、楽な偵察飛行みたいなものだと言ったとしても、人々は目を見張るようなことと考えた。』と言った。」とのことであり、この話から考えると、ヘラー自身はそれ程、戦争に対して批判的であったとも思えない。

 原作の題名『Catch-22』は、catch自体が、英語で「陥穽、落とし穴」を意味し、数の22自体は、適当に採った数字であるが、作中では、軍紀第22条を意味し、それは、「狂気に陥った者は、自ら請願すれば、除隊できる。但し、そうであれば、自己の狂気を意識できるのであるから、この程度ではまだ狂っているとは認められない。(故に除隊できない)」というものである。この言葉は、「板挟みの状況」を指し、1960年代のスラングにさえなったと言う。

 1961年の発表当時、USAでは、賛否両論の評価が下り、べた褒めするものから、「無秩序で読むに耐えず、粗野だ」というものまであったと言う。USAでの、61年の発表年での販売冊数はそれ程でもなかったが、イギリスでは、爆発的に売れ、発売から一週間でベストセラーとなる。それが、翌年には、ペーパーバック版ということも相まってか、USAに飛び火し、一千万部も売るヒット作となるのである。

 本映画の脚本家Buck Henryバック・ヘンリーもまたニューヨーク生まれのユダヤ人である。最初はコメディアンとして活動していたが、傍ら、脚本も書くようになり、映画の脚本としては、彼の処女作品である、青春映画『卒業』(1967年作)で、受賞は出来なかったが、いきなり、アカデミー賞脚本賞にノミネートされた。

 この映画『卒業』の監督が、本作の監督でもあるMike Nicholsマイク・ニコルズである。彼は、ロシア系ユダヤ人として、1931年にドイツはベルリンで生まれた。父親は医者としてロシア革命から逃れ、さらに、30年代末にナチス政権から逃れて、ニューヨークに移住する。息子のマイクは、最初は心理学を勉学していたが、次第に舞台芸術に惹かれ、50年代にコメディー・デュオ・グループの一員として舞台上に立つ。60年代には、ブロードウェイの舞台監督、劇作家として活動し、映画界には、1966年作品『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』で登場に、このデビュー作品でいきなりアカデミー監督賞にノミネートされる。そして、翌年の発表作『卒業』で、アカデミー監督賞を射止めるのである。この時にいっしょに仕事をした脚本家のB.Henryと、ニコルズは、本作『キャッチ22』でも協働することになるのである。

 原作者、監督、脚本家と、ユダヤ的ジョークが分かる人間たちが制作した本作、それが戦争風刺映画として成功したかしなかったか、本批評の最初の方で述べた通り、筆者にはいささか大きな疑問が残る出来であったと言わざるを得ないところである。

2023年1月27日金曜日

キャロル(英国、USA、2015年作)監督:トッド・ヘインズ

 本作の原作を書いたP.Highsmithが「Claire Morgan」という別名を使って発表した小説『The Price of Salt』は、女性同士の「性的志向」をテーマとしたもので、その発表された年代である1952年を鑑みると、その内容から言い、その発表された時代と言い、当然「偽名」で出版されなれければならない小説だった。

 時は正に「赤」狩りのマッカーシー旋風が吹き荒れた1950年代前半、公職に就いている男性職員が同性愛であることが「バレれば」、その職場を追われるという時代だったのである。発表当時既にかなりの反響があった、この小説を書いた本人が、ほぼ40年経った1990年に『Carol』と題名を変え、当時の「偽名」を今度はP.Highsmithの名前で再公表したのである。時代の変遷と言ってしまえばそれまでであるが、その変遷のためにどれだけの人間たちがそのために闘ってきたのかを思うと、考えさせらるものがある。

 そういう1950年代の時代の制約があればこそ、また、禁断の「罪」を犯すハードルが高ければ高いほど、それを求める「憧憬」は強くなるものでもある。監督のTodd Haynesは、脚本家と共に原作にほぼ忠実にストーリーを追う。但し、テレ-ズがキャロルに接触を取るのは、キャロルが人形ではなく、鉄道模型をクリスマスのプレゼントに買った際に、革の手袋を玩具売り場に忘れていったからであり、また、テレーズは、舞台美術の方面ではなく、女性カメラマンとして自己実現を遂げる意図を持っており、実際にNYタイムズでその意図が満たされる手前まで行っていた点が、原作と異なる点であろう。

 丁寧な時代考証(美術監督はJesse Rosenthal)、時代の雰囲気を的確に醸し出す楽曲選択、更に、美しくも切ない映像(撮影はEdward Lachman;映像素材は、スーパー16㎜コダック・フィルム)、どれを取っても、監督Todd Haynesは、この甘美な映画的世界を再現している。監督は、既に2002年に『エデンより彼方に』で、1950年代後半の社会的・人種的偏見を乗り越えた人間同士の触れ合いのあるべき姿を謳った作品を世に問うており、その意味でも的確な仕事をしていると言える。本作は、1950年代のレトロ・タッチで、見ごたえのある映画的世界を久しぶりに堪能したい方には必見の作品である。

 米国アカデミー賞6部門でノミネートされた本作は、カンヌ国際映画祭で、テレーズ役を演じたRooney Maraルーニー・マーラが女優賞を獲得した。彼女の、小柄な顔の作り、知的な眼、鼻筋から両端に、少々太めであるが、すっと伸びた眉毛が、極めて印象的であり、これらが、また、金髪のCate Blanchettと好対照をなして、蓋し、適切な配役である。

2023年1月21日土曜日

カポーティ(USA、2005年作)監督:ベネット・ミラー

自分が「冷血漢」だから書けた作品『冷血』


 筆者は、1924年にニュー・オリンズで生まれ、1984年にロス・アンジェルスで薬物中毒の結果病死したTruman Capoteトルーマン・カポウティの作品を読んだことがない。だから、その文学的、アメリカ文学史上におけるその意義についてはそれがどうなっているからは知らないし、また、言えない。

 しかし、少なくとも映画『ティファニーで朝食を』(1961年作)を観た時、脚本が意外と内容が深く、その、一応ラヴ・コメディー仕立てである内容が、しかし、アメリカの知識人階層の屈折した、ある種の恥部を描きだしているところに、あの当時筆者は、中々感心したものであった。そして、このインデぺンデント映画『カポーティ』(2005年作)を観て、あの清純なヘップバーンが出ていた、殆どコールガールの線の一歩手前にまで入り込んでいたその役柄が、実は、この作家によってその原作が58年に発表されていたことに気付いて、今更ながら、この作家の、その内面の複雑さが納得できた。

 さて、カポウティが『冷血』(1965年、公式には66年発表、映画化は67年)という作品で目指そうとした「ノンフィクション・ノベル」とは、実は自己撞着である。「ノベル」とは本来的にはフィクションであり、その虚構性を捨てるとは、それは、即ち、自己否定なのである。正に、この矛盾の領域でカポウティがその創造性を賭けたのは、確かに「勇気ある」冒険ではあるが、それはまた、自己存在の意義を賭けた危険な試みであったと言えるであろう。

 それ故、この作品で更に名を成したカポーティが、その後、作品を殆ど書けなくなったといのもまた肯けることなのである。そして、その創作過程が、自分に心を許す犯罪者の心理を操作しながらのものであり、場合によっては欺瞞に満ちた操作によって創作という作業が可能であったことを、この静謐で、真実を見極めようとする映画作品が暴いて見せてくれる。

 この点で、筆者は、監督Bennett Millerと、二人の死刑囚がカポウティ宛に書いた約40通ほどの手紙を基本的に土台として初めての脚本を書いた脚本家Dan Futtermanの、真実に向けた容赦ない態度に敬服するものである。脚本の原作は、伝記作家Gerald Clarkeが書いた、カポウティ自身が「お墨付き」を与えた『カポウティ:ある伝記』(1988年発表)である。

 本作は、米国並びに英国アカデミー賞の該当年度に、作品賞、監督賞、最優秀助演女優賞(Catherine Keener)、脚本賞にノミネートされ、最優秀主演男優賞(Philip Seymour Hoffman)を受賞した。

  Philip Seymour Hoffmanフィリップ=シーモア・ホフマンは、1967年にニューヨーク州で生まれた性格俳優であった。高校時代から演劇に興味を持ち、1990年代の初めから映画に出演するようになる。その後、2000年代前半までは、とりわけ、インデペンデント系の映画に出演し、批評家の目に止まる演技を見せる。

 実は、ホフマンは、本作の監督ミラーと、そして脚本のファッターマンとは、高校時代からの知人・友人の関係であった。同い年のミラーとファッターマンは、中学時代からの親友で、二人は演劇に興味を抱いていた。高校になって、ある演劇のサマーキャンプに参加するが、そこで、彼らは、ホフマンと知り合いになる。

 その後、それぞれがそれぞれの道に進むことになるが、1990年代の初めにドキュメンタリー映画を撮り、その後宣伝映画の制作に忙しくしていたミラーのところに、俳優業をしていたファッターマンが、自分が付き合っていた伝記作家のG.クラークから、上述の二人の死刑囚の、カポウティ宛の手紙を見せれら、それに触発されたファッターマンが脚本を書くことを決意し、さらに、この話を親友であるミラーに持っていく。映画制作の構想を二人が練る中で、二人は、直ぐに、カポウティ役は友人のホフマンしかないと思ったと言う。こうして、親友・友人のトリオが、本作を以って、2006年の様々な映画賞にノミネートされたり、映画賞を受賞したりすることになる。

 こうして、性格俳優の座を勝ち取ったホフマンではあったが、2014年2月に麻薬・薬物の過剰服用のため急死する。薬物依存には長らく悩んでいたということで、自分が有名になった役T.カポウティと同じ運命を辿るとは、本人も思ってはいなかったであろう。享年46歳であった。黙禱

2023年1月19日木曜日

ボーン・アイデンティティー(USA、2002年作)監督:ダグ・リーマン

男の「汗臭さ」を嗅ぎたい人にはお勧め


 秘密諜報部員が主人公になる映画のストーリーは、大胆に二種類に分類するとすると、こうなる:

 ジェームズ・ボンド映画のストーリー展開がそのひとつの典型で、敵陣に何とか潜り込み、そこで諜報活動を行い、相手方の活動を妨害または阻止するというものである。とどのつまりは、ボンドの活躍に脚光を浴びせることになる。この日向を歩くスパイに対して、言わば日陰を歩むスパイの運命を描くタイプがある。

 秘密諜報組織の汚い陰謀の一つの歯車となり、その歯車は、やがてその組織に冷酷に闇から闇に葬る形で抹殺されていく。一例を挙げるとすれば、R.バートン主演の1965年の作品『寒い国から帰ったスパイ』がある。

 本作もストーリー展開から言えば、後者のタイプに入り、それ自体としては目新しいものがなく、平凡とさえ言える。この作品のよさは、しかし、何と言ってもアクション映画としての「クラシック性」である。

 もちろん、この映画にも飛び道具が出てくるのではあるが、その体を使った格闘場面の迫力にこそ、この映画の真髄があると筆者は言いたい。

 『マトリックス』のアクション場面は、それは観ていて圧倒感があるにはあるのであるが、何か薄っぺらで、皮のスーツの下に本物の肉体が、痛みを感じながら、格闘しているという印象が余りない。それに対して、このMatt Damonマット・デイモンが主役になっている作品では、その格闘シーンに骨が軋む「身体性」があり、主人公の、地に足を付けた存在感が観ている者に伝わってくるのである。この地味ではあるが、存在感のある演出に拍手を送りたい。この点をまた、M.デーモンが与える、アメリカ人好青年が持つ、ある種の「真面目な印象」が、よく補完しており、これまた、キャスティングの妙とも言える。

 もう一つ、この作品で特筆に価するのは、カメラワークである。大写しではないが、普通の拡大度でカメラはそのシーンに入っていく。であるから、対象が画面からはみ出たりすることがあるが、それがまた、場面に緊張感を与えて中々いい。そして、これを受ける形で、場面の大胆なカットが行われる。このコンビネーションが、上述の迫力ある格闘場面を可能ならしめているのである。(蛇足であるが、初期のボンド映画では、格闘シーンにスピード感と迫力を与えるために、その場面のコマ取りを少なくするという「ずるい」手を使っている。)

 こうして、この『Jason Bourneジェイソン・ボーン』シリーズの映画的骨格が出来あっがった訳である。原作者は、アメリカ人ベストセラー作家Robert Ludlumラッドラムで、彼のJ.Bourne三作シリーズがこのシリーズの原作となっている。『Jason Bourne自己同一性』(1980年作)、『Jason Bourne至高権』(1986年作)、そして、『Jason Bourne最後通牒』(1990年作)の三作である。

 このシリーズには、スピンオフ作品や、M.デイモンが再度主役となる、原作にはない第四作作品があったりはするのではあるが、2004年作の第二弾を経て、シリーズ第三弾目作品(2007年作)は、2002年の第一作目を方向性を堅持し、さらにその方向性を完璧にこなしているという点で、一見の価値ありである。それが証拠には、第三弾目の作品は、米国アカデミー賞で編集賞、録音賞、音響効果賞を、英国アカデミー賞でも、同様に編集賞、音響賞を、そして、全米映画俳優組合賞でスタント賞を獲得しているのである。

 

2023年1月11日水曜日

ブラックホーク・ダウン(USA、2001年作)監督:リドリー・スコット

従軍カメラマンの目で撮られたドキュメンタリー的劇映画


 命からがらモガディシュー市内の戦闘区域を撤退してきたアメリカ兵十数人は、駆け足で国連軍の管理下にあるスポーツ競技場を目指していた。そのスポーツ競技場へのゲートに続く道路上、あと200メートルもあるであろうという所である。

 突然、煙に包まれた中から現地のソマリア人の子供達が数人、笑いながら、そしてアメリカ兵に手招きをしながら、アメリカ兵を先導するように道をいっしょに走り出てくる。この子供達の笑顔を、モガディシュー市内の前日の15時40分以降一昼夜を掛けた市街戦の「地獄」と比べると、それは何という違いであることか。

 すると、道路上に、ビジネスマンなのであろう、スーツを身につけたソマリア人が携帯電話を掛けながら何か話している光景が目に入ってくる。今までの異常であるはずの戦闘状態の中に突然表出した日常的行為。しかし、それはアメリカ人の目から見た世界の捉え方であり、内戦状態の中に生きているソマリア人にとっては戦闘状態こそ「常態」であり、その常態の中で、所謂「日常的」生活もまた営まれているのである。沿道には、アメリカ兵を歓迎しているのか、揶揄しているのか、これまた現地のソマリア人達が立ち並んでアメリカのエリート兵士に手を振っている。

 このソマリア人の「世界」から隔絶した世界が、実は、国連軍やアメリカ軍のベース・キャンプなのであり、駆け足で、そして疲れきって競技場のゲートをくぐりぬけた、これらアメリカ兵士を出迎えてくれたのは、パキスタン人風の軍属らしき数名で、彼らは、手にお盆を持って、「死地」から逃れてきたアメリカ兵たちにコップに入った水を差し出してくれる。何という違いであろうか。

  安心感がどっと溢れ出る。この競技場は、ソマリアという「海」の中の絶海の孤島であり、植民地主義的「地上の楽園」である。こうして、二日間に亘って繰り広げられた「モガディシューの戦い」が事実上終わった。それは、本来一時間で終わるはずであった、アメリカ派遣軍の独断専行の作戦だったのであるが……。

  約二時間二十分のうち二時間は戦闘場面に費やされている本作品は、その戦闘場面がまるで従軍カメラマンがその場にいて撮ったような、リアルで迫力のある作品である。ロケット弾が当たって下半身がちぎれた人体や、トラックのドアを突き破ったロケット弾が胴体に突き刺さって即死する兵士、吹き飛ばされた右足の応急処置が上手くいかず大量出血で死ぬ兵士などと、戦場の現実と真実 (「自分が殺られるか、殺られないか、自分が左右することは出来ない」) が余すところなく描かれており、「散花」した18人の(19人ではない)アメリカ兵の戦死の場面をほとんど個々に記録しようとしているかのような印象である。

 一方、確かに自分の子供に撃たれて死ぬソマリア人民兵のある父親や、恐らく自分の夫であろう、その殺られた夫の銃を取って仇を討とうとするソマリア女性が撃たれるシーンなどがあることはあるが、基本的にはウンカの如くに押し寄せるソマリア人民兵が機銃掃射で次から次へとなぎ倒されていくという、かつてのベトナム戦争のベトコン兵の無名性とこれは同じレベルの表現である。この「モガディシューの戦い」で、それが、たとえ千人以上の死者をソマリア民兵の側で出したことが本当だとしてもである。結局はアメリカ人の視点で撮られている映画であることを頭に入れて見る必要があるであろう。

 ところで、 この映画の製作者は、例の言語道断の駄作、安っぽいCG技術で作られた映像に彩られた、陳腐なメロドラマ・戦争映画『パール・ハーバー』の製作者である。イギリス人監督R.スコットは、あの『パール・ハーバー』の監督よりは才能があるのであろう。映画は中々よく取りまとめられており、ストーリー自体はアメリカ万歳の愛国主義映画には堕してはいない。しかし、突き詰めると、その内容は、個々の兵士の「仁義」、即ち「戦友は置き去りにしない」という極小化されたレベルのストーリーであり、この作品には、『アポカリプス・ナウ』のようなテーマの大局性の次元が欠如している。ジェノサイドの蛮行に国際連合軍が介入することの是非が語られていないのである。

 登場人物の一人が映画の中で語っているように、兵隊として考えすぎないことがいいのか。つまるところは、兵隊も「父親」なのであり、「英雄」も「ウォー・ジャンキー」なども本来存在せず、兵隊とはただ戦友を助けるために戦争をしているというのか。これがこの作品のメッセージだとすれば、これでは筆者には物足りない。こう考えると、映画の最初のプラトンの箴言の、中途半端な引用が象徴的である。即ち、「戦争の終わりを見る者はただ死者のみなり」と。では、諸君考えてみよう。戦争に生き残った者はどうするべきであるのか、と。

2023年1月9日月曜日

トワイライト~初恋~(USA、2008年)監督:キャサリン・ハードウィック

清純主義の、ヴェジタリアン・ドラキュラはお好み?


 本作は、吸血鬼界と人間界とに隔断されているご両人、エドワードと、美女BellaことIsabellaイザベラの、『ロメオとジュリエット』の恋物語にもまさる、永遠(とわ)を賭けたティーニー・ラブ・ロマンスである。

 吸血鬼ものとしては、本作は、内容的には別に何も目新しいものを提供するものではないが、エドワードとその、「パッチワーク」一族は、人間の血を吸うことを自らの意志で拒む、そして、そこに「克己の徳」を自らに課している点で、目新しく、誠に興味深い。これは、謂わば、動物的存在が持つ「肉欲」を自制していることにもなるが、また、彼ら自身が、「ヴェジタリアン」と自称しているところに、原作者のウィットを感じるのは筆者だけであろうか。

 さて、いつからか、どんな理由でかは知らないが、性の自由主義に対抗して、婚前交渉を拒みながら、結婚にゴール・インしようという「清純主義」の若者たちが2000年代から増えていたという。今もそうなのかは分からないが、この点を鑑みると、この傾向は、上述のエドワードの自己抑制の態度と似ており、実際、映画の中でも、恥じらいながらのファースト・キスの後に、むしろ積極的なベラに対して、その誘惑に負けずに自ら「Stop!」を掛けたのは、エドワードであったことも、注目に値すべき点であろう。この意味で、本作、時代の流れをうまく衝いたことが、本作のヒットの原因ではなかったかと、筆者は密かに察するものである。

 スタッフの顔ぶれを見ると、本作では、女性が要所を占めているのが興味深い。まずは、監督がCatherine Hardwicke、脚本がMelissa Rosenberg、同名の原作はもちろん女性作家のStephenie Meyerである。さらに、キャスティングであるが、ツンデレ役で、好奇心の強いBella役にKristen Stewartを、どこかにインテリジェントでシャイなところを見せながらも、野性的な魅力を持つエドワード役にRobert Pattinsonを、少々「とんでる」ピッチャーのアリス役にAshley Greeneをと、その他の役柄でもその妙が冴えている。調べてみると、キャスティング担当は、Deborah AquilaとTricia Woodの女性のお二人である。

 という訳で、本作、名作とは言えないまでも、その後の『トワイライト・サーガ』の礎石を築いた作品として、また、2000年代の、ある社会的傾向を反映したものとしても、映画世界史事典に取り上げるべき一項目となった作品であることには間違いないであろう。


追記:
映画の中盤で、エドワードとベラとが交わす会話は、ひょっとして後世に残る名言かもしれない:
エドワード:そんなにも獅子は、子羊との恋に落ちた。
ベラ:なんてお馬鹿さんな子羊!
エドワード:なんて病に冒されたマゾヒスティックな獅子!

2023年1月7日土曜日

アパッチ砦(USA、1948年作)監督:ジョン・フォード

John Ford監督の古典的西部劇、一度は是非見ておきたいもの!


 雄大な自然美、ぎらつく太陽、乾いた砂埃、アメリカ先住民、入植してくる白人、そして、その白人たちを護るべき騎兵隊、これらの要素を組み合わせて「西部劇」は語られる。このUSA特有のジャンル「西部劇」の古典的作品を撮ったのが J.フォード監督(1926年から40年間監督として活動)であろう。

 このフォード監督が撮った、所謂「騎兵隊三部作」の一つで、1949年作の『黄色いリボン』、1950年作の『リオ・グランデの砦』の先駆けを取ったのが、本作、『アパッチ砦Fort Apache』(1948年作)である。主演は何れも、言わずと知れたJohn Wayneである。

 南北戦争で恐らくは北軍義勇軍で名誉進級を遂げて「Generalジェネラル」と呼ばれたサースデイ(Thursday;Henry Fondaが、役としての傲慢さと人柄の冷たさを名演)は、南北戦後、合衆国正規軍に入り、「Lt.Col.中佐」となっていた。自らを「名将軍」と自負し、軍律と軍階級に厳格な中佐は、自分が何故フォート・アパッチの守備隊の司令官に任命されたのか理解できないでいた。スー族やシャイアン族ならまだしも、名もないアパッチ族に何故自分が当たらねばならないのか。この傲慢さが、結局は、自身の、そしてその命令に従った部下の命取りになるのであるが。

 さて、アメリカ史について少し本を読んだことのある人なら、この「サースデイ中佐」が例の、無謀な功名争いの結果、1876年に第7騎兵連隊の数個中隊を壊滅に導き、自らも戦死を遂げたGeorge Armstrong Custer中佐をモデルにしていることを容易に想像できるであろう。

 一方、J.ウェイン演ずるところの、Captain Yorkヨーク大尉は、サースデイ中佐の自殺行為的命令に抗議したため、中隊指揮権を剥奪され、ウェスト・ポイントの軍事アカデミーを卒業したばかりの、ほやほやのLt.二級ロイトナント、O'Rourkeオルーク少尉と供に輜重隊に回されたこのにより、この「虐殺」(James Warner Bellahの原作の題名がそうである)を辛うじて逃れえたのである。ラスト・シーンが示すとおり、数年後、連隊長に昇進したヨーク中佐は、アパッチの酋長Cochiseコチーズの後を受けて、ゲリラ戦を展開した「ジェロニモ」ことゴヤスレイの討伐戦へと出発するのであった。ストーリー的にはこれが第三作の『リオ・グランデの砦Rio Grande』につながる訳である。

 アメリカ先住民に対するフォード監督の、本作での描き方は、筆者の目には制作年代の割には、ほぼ公平を保っているように見えて、好感が持てた。映画内では、騎兵隊側との会談で、アパッチの酋長コチーズに何故彼らが居留地から出て、メキシコ側に逃れたのかを滔々と語らせている。ただ、本作ではその理由が、あるアメリカ政府から商業権を得た一商人のせいにだけしているのは、さすがにフォード監督の限界であろう。現実には、アメリカ先住民からその生存権を制度的に剥奪していくのは、「偉大なる白い男」を頭に置くアメリカ政府であったのである。

 最後に一言、 「英雄」伝説について。本作のラスト・シーンの直前にヨーク連隊長がジャーナリストの数人とインタヴューをする場面がある。

 サースデイ中佐の戦死の理由を知っている者は、彼が真の英雄ではないことを知っている。一方、ジャーナリストたちは、逆に、その「英雄」ぶりを強調していて、連隊長とジャーナリストたちの両者の、その意識の開きを生み出させている。これによって、フォード監督は「英雄」というものは、「捏造」されるものであることを、正しくも提示している。

 他方では、連隊の伝統としては、嘘でも「英雄伝説」が必要であり、その英雄のために犬死した部下たちを記憶に留める者たちも連隊の人間であると、ヨークに言わせている。その意味で、連隊、ひいては軍隊こそがTrooperたちの「家族」なのだという発想が出てくるのである。

 退役する、ある騎兵大尉の悲哀を描く次作『黄色いリボン』も、この観点から言えば、ストーリーとしては当然と言えば当然の帰結でもあったのである。

 この点、三作ともにイギリス人俳優Victor McLaglenが作り出した、何か「黒澤明流」を思わせる、ユーモアある軍曹像(本作では、Mulcahy軍曹役、その後の二作では、Top Sergeant乃至はSgt. Major Quinncannonあ役)に拍手を送るものである。(本作中の、新兵の乗馬訓練の、あのドタバタ喜劇的なシーンにご注目あれ!)

若草物語(日本、1964年作)監督:森永 健次郎

 映画の序盤、大阪の家を飛行機(これがコメディタッチ)で家出してきた、四人姉妹の内の、下の三人が、東京の一番上の姉が住んでいる晴海団地(中層の五階建て)に押しかけて来る。こうして、「団地妻」の姉が住む「文化住宅」の茶の間で四人姉妹が揃い踏みするのであるが、長女(芦川いづみ)は、何...