2022年12月31日土曜日

ダークナイト(GB, USA、2008年作) 監督・脚本・製作:Chr.ノーラン

悪玉が善玉を、その役作りで乗っ取った作品。悪の深遠とはどれだけ深いのか?


 ジョーイ少年は「シェーン!」と呼んだ。その呼び声は広大な山々に木魂のように反響した。しかし、傷つきながらも馬に跨るシェーンは、自らのガンマンとしての業の深さを思いながらも、なおも馬を操って、自分が故郷としようとしたその土地を離れていくのであった。 

 筆者は、この西部劇の名画のラスト・シーンを思い出しながら、本作のラスト5分のシーンを観ていた。

 その時、ゴードン警部補の子供は、「バットマン!」と、走り去ろうとする黒い影の後姿に向かって叫んだ。その無邪気な声は、深く、暗いビルの谷間に木魂していた。復讐の鬼と化していたデント検事に腹部を撃たれ、傷ついたバットマンは、しかし既に、愛用の二輪車に跨ってその場を走り去っていた。その背には、「正義の明るい旗印」となるべきデント検事の、公表されてはならない汚名を、今や「暗黒の騎士」として身代わりになって背負いながら。

 コミックスを実写映画化した、このシリーズの第六弾に当たる本作は、イギリス人名監督Chr.ノーランによって撮られ、コミックとしての、その生まれの素性を裏切るようにそのファンタジー性を否定し、謂わばその現実主義路線をかなり徹底的に追及して出来上がった作品と言える。

 バットマンのトレードマークとも言える、あのマスク、そして夜の闇の中を飛行する蝙蝠の翼、この要素を除けば、それはそのままアクション映画としても通用するタッチである。特に、映画の前半、ブルース・ウェインを演じるクリスチャン・ベールは、そのスマートさから言っても、筆者には「ジェームズ・ボンドではないか」と、見違えたくらいである。この喩えから言うと、モーガン・フリーマン演じる所のLucius Foxルーシャス・フォックスは、ボンド映画の例の技術開発屋Qというところであろうか。

 本作の成功は、この現実主義路線に相応しく、バットマンの敵役となる「Jokerジョーカー」の性格作りにあると思われる。ボンド映画の「悪役」の歴史を辿ることは、ボンド・ガールの歴史的変遷を「美形」が如何に変わってきたかを考察するの役立つのと同様に、考えてみるのに値する、社会学的に見て極めて興味深いことである。これと同様に、本作の「ジョーカー」像による、悪の造形をどう見るか。

 バットマン・シリーズの実写劇映画化第一弾(1989年作)が、この際、上手い比較対象となる。これ以外の作品では、悪役ジョーカーが登場しないからである。奇才T.バートン監督の手になるこの作品では、ジョーカーの役をJ.ニコルソンが演じている。この作品では、ジョーカーの本来の素性や、ジョーカーがどうしてそのような悪の行為に走るかという説明が、ストーリー内でなされており、その犯罪行為の動機は「美」に対する冒瀆行為であると、取り敢えず、その説明が付けられる性格設定であった。しかも、その悪行の数々は、内容的な幼稚性とそのアイロニカルな演じ方とによって中性化されいた。

 今回オーストラリア人俳優Heath Ledgerにより、ほぼ20年後に体現されたジョーカー像は、そのリアル性において他の追随を許すものではない。目の周りは黒に、唇と昔切り裂かれた口角から頬の傷跡を赤に、そしてその他の顔の部分を白に塗る。しかし、そのドーランの塗り様は、完璧ではなく、所々恐らく汗のせいであろう、塗りが剥げている。髪の毛の色は、オリジナルのコミックスでは緑色であるものを、本作では自然の色のままにしている。ジョーカーの本名は何なのか、どのような素性なのかなどは不明であり、突然、悪徳の町に現れ、秩序が崩壊してカオスが生まれるアナーキーな世界への憧憬を持ちながら、神がかった恍惚状態でマスメディアを通じて露出症的に自己顕示するのである。そして、酔った父親によってか自分でそうしたのか、口角の裂けた傷のせいで、舌を時々蛇のようにチョロリと出して、話す時のリズムを整えるのである。

 この、単なるコミックス性を超越した役作りで実在感を持たせられたジョーカー像が、映画史における悪役の歴史の一ページを飾るであろうことは、蓋し、誰も異議を唱えるものではないと思われるが、果たして、如何。

 如何なる事情によってH.レジャーが亡くなったのか、寡聞にして、知る由もないが、その夭逝した才能を悼み、衷心からその冥福を祈るものである。

 そして、さらにその約10年後の2019年には、今度は、Joaquin Phoenixによって体現された「ジョーカー」像が一本の映画となる。この映画は、この悪役が生まれる前史を描くという点で、H.レジャーの「ジョーカー」像をなくしては、考えられないものであることも、ここに付け加えておこう。

2022年12月30日金曜日

幕末太陽傳(日本、1957年作、白黒作品) 監督:川島 雄三

日本映画史上最上の喜劇、古典落語がまた聞きたくなる



 道の真ん中に置いたキャメラ目掛けて二頭の馬が走ってくる。その後ろを侍数人が追い駆けてくる。中に入れたショットで、所は品川宿と分かるが、時代は題名から幕末と分かっている。こうして、ハナの噺でイントロが入ると、『幕末太陽傳』と題字が出る。しかし、驚いたことにその背景は現代、即ち1956/7年当時である。中々粋な出だしである。

 スタッフ・ロールに重ねて、時事ニュース的な名調子の解説が入る。すると、キャメラは、品川駅を出る電車に合わせて右から左に振られ、止まったところが陸橋、それを受けて、今度は京浜国道を走る、中々いかす車に合わせてキャメラは、今度は左から右に頭を振り、止まって、品川の街の一角を捉える。その止まったところから、キャメラはさらに品川の街に入り込み、「実用旅館・さがみホテル」の前で立ち止まる。

 このキャメラの動きは、品川宿の歴史的発展をしっかり踏まえたものである。この映画の冒頭を飾るナレーター、俳優の加藤武が言う:「東海道線の下り電車が品川駅を出るとすぐ、八ツ山の陸橋の下を通過する...京浜国道にやや並行して横たわる狭苦しい街。これが東海道五十三次、第一番目の親宿、品川宿の今の姿だ...」と。

 ナレーター氏は、1956年成立の売春防止法によって所謂「特殊飲食店」が非合法化されることにより、品川遊郭も350年を誇るその歴史を1958年には閉じることを告げる。(この辺の事情は、川島監督自身の1956年の作品『洲崎パラダイス赤信号』や溝口健二の同年の作品『赤線地帯』が参考になる。)

 江戸時代には、日本橋から二里の距離にある品川宿では「旅籠」屋は宿泊施設というよりも、遊興施設として存在しており、旅籠屋の大方は、役人や大名が泊まる「本陣」や食料持参でただ泊まるだけの「木賃宿」と異なり、食売女(めしうりおんな、飯盛女とも)を置いている「食売旅籠」と言われた。この「食売女」が女郎・遊女の役目を果たしたのである。こうして、「北国」(ほっこく)と呼ばれた北の吉原と並び、「南国」または「南蛮」と呼ばれた遊里となったのが、品川遊郭であると言う。

 ナレーターの話が終わるとともに、「さがみホテル」のネオンがフェード・アウトし、妓楼「相模屋」の行灯が浮かび上がってくる。こうして、ストーリー世界は再び文久二年(1862年)に戻る。この絶妙に滑らかな映画的語り口を以って、本作のストーリーがさらに展開していくのである。

 ストーリー自体は、幾つかの落語を土台にしてあるそうであるが、まずは元々は北国吉原の噺『居残り佐平治』を軸に、それに何本かの噺を付け足し、このフィクションの世界に、歴史的事実としての、文久二年に起こった、長州藩士高杉晋作らが企て・実行した「英国公使館焼き討ち事件」を盛り込んでいる。実際に、この事件は品川で起こった事件であり、高杉たちは、この「相模屋」に逗留していたとのことである。監督川島も参加し、今井昌平及び田中啓一が練りに練った脚本である。

 中でも、小沢昭一と名女優左幸子が繰り広げる心中物のパロディーは滑稽味の極上品、それにフランキー堺が演じる左平治の、江戸っ子振りも中々スパッとして気持ちがいい。しかし、これだけでは底の浅い喜劇だが、そこは川島監督、左平治を労咳病みで、あのヘボン式ローマ字のヘボン先生から自己治療の方法を授けられているとする。左平治が時々見せる、その性格の陰影は、この良質の喜劇に、さらに重厚感を与えている。いつもは機転の利く「都会人」左平治が、映画終盤で杢兵衛大尽が体現するところの田舎者の実直さには最後には歯が立たなくなって逃げ出すというのも、中々のオチである。

 最後に、題名が何故「太陽傳」なのかであるが、それは、日活が本作の前年に製作した『太陽の季節』(古川卓巳監督)や『狂った果実』(中平康監督)が大ヒットし、時代の風俗としての、既成の道徳観念を何とも思わない「太陽族」が出現していたことに関係がある。本作の主演の一人南田洋子は、『太陽の季節』のヒロインであり、高杉を演じている石原裕次郎も同じ映画『太陽の季節』を切っ掛けに映画界入りするのである。蓋し、高杉ら勤皇の志士を幕末の「太陽族」と見なしたのは、川島監督らの、ストーリー上の、極めて極上の「冴え」であろう。

2022年12月29日木曜日

ビッグ・アメリカン(USA、1976年作) 監督:ロバート・アルトマン

痛烈な諷刺作品「M★A★S★H マッシュ」(1970年作)を撮った監督の腕がまたもや冴える!


 本作品に登場する、Buffalo BillことWilliam F. Cody (1846-1917), 名優B.ランカスター演じるところの、酒場に入り浸りのジャーナリスト兼作家Ned Buntline(1823-1886), そして、もちろん1866年からの十年間の、北米インディアンの「民族解放闘争」の最大の立役者の一人“Sitting Bull“(1831頃-1890)の、何れも歴史上の実在の人物である。

 さて、「Wild West」を売り物にするショー・ビジネスのアイディアは、実はもう一人の「Bill」が既に1870年代の初めに持っていたものである。この「Wild Bill」の本名はJames B. Hickok (1837-1876)といい、アメリカ史上、ヒーロー・ガンマンとして有名となり、また、バッファロー狩りの名手として勇名を馳せた人物である。その名声を、上述のニューヨーク出身のジャーナリストN. Buntlineが聞き及び、彼とのインタビューを売り出そうと考えてBuntlineは西部に出かる。しかし、彼がWild Billに追い返されて、すごすごとニューヨークに戻ろうとしていたところで、彼が、Wild Billとも知り合いであったBuffalo Billに出会い、この人物に惚れ込んだことで、『辺境の王、Buffalo Bill Cody』という三文小説を書くのである。これがまた世間で意外と当たったのである。しかし、1873年には、BuntlineとCodyの仲は悪くなり、二人は袂を分かつこととなる。

 それでは、この三文作家Buntlineと別れたCodyの方はどうなったか。Codyもまた、元々はWild Billと同様に南北戦争中とその戦後、故に1860年代にスカウトとして働いていた。その傍ら、バッファロー狩りの名手として鉄道会社の建設作業員にバッファローの肉を供給する仕事をし、ここから、通称となるBuffalo Billの渾名が付くのである。

 Buntlineと会う70年代の初めまでは駅馬車の御者として生計を立てていたが、Buntlineとの邂逅が彼の人生を大きく変えることとなり、Buntlineと訣別した後は、下積み時代を過ごした後、1883年に自分のショービジネス「企業」を興すに至る訳である。その「企業戦略」の一環が、例の「悪名高き」Sitting Bullの謂わば「見世物小屋」への呼び込みであったのである。

 では、そのSitting Bullであるが、彼はスー族の酋長として白人の西部侵攻に抵抗し、あの有名な、カスター中佐(正式には「将軍」ではない)の指揮する第七騎兵連隊が殲滅される1876年のリトル・ビッグホーンの戦い(先住民族の呼び名では「Battle of the Greasy Grass」)の、精神的指導者であった人物である。戦いの後は、騎兵隊に復讐の対象として執拗に追われる身となり、一時カナダに逃げたりもするものの、結局インディンの生活の基盤となるバイソンが根こそぎ捕獲されたことで、その生活の道を断たれて、1881年にアメリカ政府側に投降するところとなり、インディアンにとっては屈辱的である「居留区」で生活することを余儀なくされていた。

 そんな中、彼は、1885年にBuffalo Billに雇われることとなり、そのことを通じて、アメリカ政府側の彼ら先住民に対する違約行為を公にしようとしていたようであった。1890年12月半ば、交霊踊りの祭礼行為から発生したいざこざから、官憲当局に捕らわれる身となり、その直後官憲の手によって射殺される。その遺体は冒涜されたという。

 以上、比較的詳しく本作品に登場した人間たちの伝記的関わり具合を書き並べたが、それは、それと映画のストーリーとのギャップを浮かび上がらせることで、確かに元になる演劇作品があるにはせよ、巨匠アルトマンの制作の意図を明らかにしたいからである。

 Wild Billは映画では登場してこないが、彼は長髪であったようで、P.ニューマンの演じるダンディーな「Buffalo Bill」の身なりのモデルになっているようである。Buntlineとの訣別は実際には1873年のこと、Sitting Bullの死は1890年のこと、何れもその時点を演劇効果を高めるために後ろと前にずらしている。

 しかも、ショービジネスの虚飾性を暴露する、この映画の本旨は、(巨匠アルトマンの同様の意図の、1994年の作品『プレタ・ポルテ』を思い出してもらいたいが)一方では、アメリカ西部の「英雄」伝説を作り上げた知識人の「著作権」の主張(作家Buntlineの立場)を排除し、他方では、カスター「将軍」英雄伝説において、「悪玉」たる先住民族の生存権(北米インディアンSitting Bullの立場)が踏み躙られる、白人側の利己的な自己讃美の傲慢さの暴露であった。

 映画のラストシーンのBuffalo Billの倣岸な自己讃美は、しかし、この映画が制作された年代1976年を歴史的文脈に入れて考えると、それはベトナム戦争が終わった翌年のことであり、慢心のアメリカが「原住民族」に敗れたその倣岸さへの痛烈な皮肉であったのである。さすがは、「M★A★S★H マッシュ」(1970)を撮った監督の腕の冴えようだと言える。作中の、あの音程がずれた将来のアメリカ国歌の合唱が更にその感を強めている。原題は、Buffalo Bill and the Indians, or Sitting Bull's History Lessonである。

 抑圧された者たちから見た、歴史から学び取れる「教訓」を大事にしたいものである。

2022年12月23日金曜日

暗殺(日本、1964年作) 監督:篠田 正浩

「奇妙なり八郎」、幕末の策士・清河八郎とは誰だったのか


 アメリカ合衆国の東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが黒船で日本に来航した時、「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」という狂歌が詠まれたと言う。「上喜撰(じょうきせん:上物の緑茶喜撰)」とは、蒸気船をもじったものであり、「四杯」とは、四艘のことである。こうして始まった開国論争は、まもなく幕府の威信を揺るがし、1860年以降の幕末へと、250年の「泰平の眠り」を謳歌した江戸時代は、その最終段階へと突入する。

 さて、その幕末の政治状況を理解する一つの指標としては、「佐幕」か「倒幕・討幕」かという二項対立の軸がある。

 一方、「鎖国」か「開国」かという軸もありそうではあるが、これは1854年以降、開国が実施され、その実害が物価上昇という形で一般庶民にまで及んでいたことを鑑みれば、日本人の誰しもが開国反対であった筈である。問題はそこから、水戸学派的、或いは平田国学的な民族主義としての「攘夷」にまで過激になれるかどうかであっただろう。攘夷論を説く孝明天皇自体が「敬幕」であったことを鑑みれば、攘夷即ち倒幕とは簡単には割り切れないのである。

 そして、この「攘夷論」は、薩英戦争の時点(1863年)までに、現実的な国際政治力学上、実現が無理であることが判明する。これに対して、「尊王・勤王」において、「王」とは、武力の覇道を以ってする支配する覇者に対して、徳を具える王道を以って支配する王者を意味し、幕末の政治文脈では「王」が大王(おおきみ)たる天皇となって「尊皇」となるすれば、「尊王」たることは、一義的には「反幕」とはならないのである。

 「尊王(皇)・佐幕」という立場、朝廷からの大命により征夷大将軍として「大政」を預かっている公儀、即ち幕府があってこそ、「尊王攘夷」も成り立つという考え方もありえたのであった。この立場からは、所謂「公武合体論」への立場も遠くないのであり、「尊皇」が「討幕」に結びつくのは、幕藩体制を批判する社会革命的要素、つまり武士階層の下層にあった、百姓より貧しい郷士層出身の知識人・武士が政治革命を志向することによって可能になったのである。

 本作の主人公、庄内藩郷士・清河八郎(1830-1865)は、正にこの郷士層の出身である、尊皇派であった。文武両道に秀で、江戸で清河塾を経営したが、彼は、尊攘運動を唱道するも、自らの才に溺れた策士でもあった。

 本作でも言及される、約250名の浪士組の手勢で京都で「清河幕府」樹立を夢想するなど、悪く言えば、はったりを利かせた「詐欺師」とも言えなくはない人物である。ここに「佐幕」と「討幕」の間を綱渡りした清河の「不可解さ」があったと言えるだろうし、「奇妙なり八郎」という異名も頷けるものである。

 本作は、この清河の「奇妙さ」を、彼と関わった人間たちに証言させることで、ストーリーを展開する、実に語り口の上手い仕上がりになっている。清河という毒をもって「毒」、つまり反幕の「勤皇志士」を制しようとする松平主税介(名優岡田英次)、清河の妾お蓮(岩下志麻)、幕臣で同志の山岡鉄舟、その妻英子(彼女が暗殺後刎ねられ、奪還した清河の首級を保管した)、清河の弟子たち、そして坂本龍馬などがそれぞれの清河像を語っていく。白黒で、陰影のコントラストを上手く使った映像、映像のぶれることを嫌わないカメラワーク、さらには、一人称の語り口も入れたカメラ・アングル(撮影:小杉正雄)など、本作では、視覚的にも十分耐えうるものを、松竹ヌヴェル・ヴァーグの「三銃士」の一人・篠田正浩監督はものにしている。

 惜しむらくは、坂本龍馬をも後に暗殺したとされる佐々木唯三郎(木村功が好演)が、本作ストーリーにおいて、確かに重要な役割を本作では演ずるものの、しかしながら、ストーリー自体の眼目は、俳優丹波哲郎がその大時代の演技でうまく体現した、清河の「不可解さ」であり、この点、タイトル名とストーリーの主題がずれているということであろうか。

2022年11月24日木曜日

15ミニッツ(USA、2001年作)監督:ジョン・ハーツフェルド

意欲作ではあるが、残念ながら中途で頓挫

 Andy Warholの有名な「格言」„In 15 minutes everybody will be famous.” から本作の題名『15ミニッツ』は採られているのであるが、本作は、謂わば劇中劇、「映画の中の映画」を見せることでストーリー構造のメタ・レベルを示す。そのことで、制作、創作のレベルが、作品の鑑賞のレベルに取り込まれるのである。そのことは、確かに、作品の構造を深めるためには、いい手ではあるのであるが、これは、既にやりつくされている感のある手法なので、創作の「作戦」としては、今ではもう「二番煎じ」であり、それ自体としては新鮮味が余り無くなっているのもまた実態であろう。それでもなお、この手を使うのであれば、そこには、「新趣向」を試みることが要求されるが、さて、本作ではそれができているか。

 本作は、ストーリー的には三つの層から出来ている。一つは、N.Y.警察の殺人課の、ベテランで老獪な刑事エディ・フレミング(ロベルト・デ・ニーロがいつものようにこの役を上手くこなしている)と、消防署管轄の刑事捜査担当である、若き捜査官ジョーディ・ウォーソーとの、ほとんど父子的な関係の展開である。

 第二の層は、犯罪とメディアの関係である。とりわけ、特ダネ・キャスターであるロバート・ホーキンス(Kelsey Grammerケルシー・グラマーがその役を見事に体現)が、如何に視聴率確保のために倫理的境界をたやすく乗り越えていくか、その巧言令色な「したたかさ」に焦点が当てられているレベルである。

 第三層目が、ロシア人出身の犯罪者Emilエミールとそのチェコ人の相棒Olegオレグが巻き起こす犯罪の数々である。そして、映画好きのオレグが万引きしたカムコーダーで撮る映像が、更にストーリーのメタ・レベルを形成しているのである。オレグは、自分が見た、1946年制作のアメリカ映画『素晴らしき哉、人生!』に感動を受けたと映画の冒頭で語り、ことあるごとに自分をその監督である「フランク・キャプラ」と名乗るのである。ここに本作の監督John Herzfeldジョン・ハーツフェルドに隠された意図があるのであろうか。

 監督ハーツフェルドは、本作ではプロデューサーの一人でもあり、また脚本も書いている。という訳で、上述の四重構造のストーリーは、監督自身の意図を強く反映していると見て差し支えないが、観ていて、よく言えば重層的と言えるものが、その取り扱いの浅薄さで、集中力のない、焦点の定まっていない作りになっているともまた言えるのである。

 この作品の浅薄感は、ラスト直前のショー・ダウンで、帰責能力なしということで、フレミング殺害の懲罰を逃れようとするエミールを、ウォーソーがほとんどリンチ的に射殺し、その後は、颯爽として現場を去るという、ウエスタン的パッピー・エンドでさらに強まるのである。

 さて、最初の質問に戻って、本作において、「映画の中の映画」による新趣向が提示されたか、であるが、本作、惜しい哉、そこまでには踏み切れなかったと言えるだろう。

 本ストーリーの映画の画像に、ソラリゼーション、白黒などの効果も含めて、カムコーダーで撮られた映像を上手く取り入れた、フランス出身のキャメラマン、Jean-Yves Escoffierジャン=イヴ・エスコフィエ、そして、編集のSteven Cohenスティーヴン・コーエンの力量は買うものの、ストーリー的には、犯罪者がヴィデオで映像を撮影するという、ストーリーのメタ・レベルが、映画の後半から、ストーリーの他の層に食い込んでいくのであるが、結局は食い破れずにメタ・レベルに押し込まれてしまう。個人的には、寡聞にしてその他の例を観たことがないのであるが、メタ・レベルと他のストーリーとの関係が逆転するところまで行けば、そこに新趣向が出たと思うのである。が、さて、そこまで「映画作家」性を、元々俳優上がりの監督J.ハーツフェルド(1947年生まれ)に求めるのは、少々酷いのかもしれない。

2022年11月23日水曜日

ディア ドクター(日本、2009年作) 監督:西川 美和

ラスト・シーンの、女優八千草薫の、大いなる笑みが光る


 無医村という現代日本の社会問題をコメディー・タッチとして描くのは、重い問題を重いものとして物語る気合が無くなった現代では、その商業主義的方策にも合致した手であり、また、人間的悲劇を「喜劇」として見るA.チェホフ的立場から言えば、なくもない。

 しかしながら、本作冒頭のシーン、偽医者が逃亡してからの村人のドタバタと、このシーンに直後に続く、研修医と偽医者の、交通事故一歩手前の「邂逅」とは、如何にも笑いを誘おうというわざとらしさが何となく感じられて、いただけない。

 とは言え、コメディー・タッチ路線のその一貫性ということでは、本作の主人公を演じる役者を落語家にしたことは、当然と言えば当然と言う感も無きにしも非ずである。この意味で、作中に落語の話が出てくるのも頷けるし、ラスト・シーンは、これまた落語必須の「オチ」と見なすことも可能であろう。

 但し、主役を演じている笑福亭鶴瓶の個性に監督が呑まれて、果たして監督自身の演出が効いているのか、キャスティングの妙と言えば、それはそれで収まるかもしれないが、監督が本来的には脚本家出であることを勘案すると、疑問とする面も多々ありである。

 しかし、である。ストーリー全体を人間喜劇として一括りにし、冒頭の事件ばりの描き出しで物語の現在軸を出し、これに回想場面を適宜入れていき、この展開を以って、「偽医者」の人間像を描こうとする、この女流監督の、原作者・脚本家としての手腕は並々ではないものを感じさせる。

 とりわけ、無くてもよかったのではないかと巷で取り沙汰されているというラスト・シーンは、蓋し、偽医者が、村で関わった病人八千草に、失踪後もう一度関わっていくということで、偽医者が持つ人間性の深みを強調するものであり、ストーリーの全体像に真実味を持たせる上で絶好のエピソードである。

 また、このラスト・シーンでの八千草の演技は、絶妙である。最初は、気が付かずにいたものが、不意に気が付き、事の次第に驚く。しかし、すぐに事情を察知し、これに笑顔で応える。この笑顔がまた複雑な笑いを込めており、わずか10秒にも満たない演技でありながら、それまでの90分前からのストーリー展開を凝縮させる力を持っているのである。

 自分の娘に知らせたくない病いを持ち、それでも自分の病気がどう進行しているのか、不安で知りたくて、結局は、偽医者に診察させる八千草。そして、その病状を偽る嘘を偽医者にも頼む八千草。元々嘘の身分の偽医者が、患者に嘘を頼まれるという、謂わば人生の「皮肉」である。そして、この事情を頭に入れてラスト・シーンの八千草の笑みを読むと、そこに、嘘がバレないようにという遊び心の「共犯者」の笑みが紛れ込んでいるのではないか。この複雑なる笑みを体現した八千草薫という女優の演技力に筆者は脱帽するものである。

2022年9月24日土曜日

弟とアンドロイドと僕(2022年作)  監督:阪本 順治

 映画が始まって画面にすぐ出てくるテーゼがある。

 「自己とは、それ自身、抽象概念であり、フィクションにすぎないのだ。」
                   ダニエル・デネット

 まず、寡聞にして、「ダニエル・デネット」とは誰なのか、恥ずかしながら分からなかった。それで、それが誰であるか調べると、Daniel Dennettとは、USAの哲学者、認知科学者であると言う。その認知科学に関しての彼の発言が、上のテーゼと関わるのであろう。それぞれの人間が持っている、或いは、持っていると思っている「自己」とは、本来は存在しない、ただの「虚構」なのであるとここでは解釈すべきなのか?彼は言う:

 意識をつかさどる中央処理装置「カルテジアン劇場」(Cartesian Theater)などというものは、存在せず、意識とは、空間的・時間的に並列した複数のプロセスから織り出され、構成されるものである。(ウィキペディアによる)

 この立場から、さらには、複数のプロセスから織り出される「意識」は、進化が可能なのであり、デネットは、AI、人工知能が何れは意識を持つことも不可能ではないと主張する。ここまで来ると、監督の阪本順治が、なぜ、デネットの上述のテーゼを挙げたのかは、題名に「アンドロイド」があるので、分からなくもないが、 本作のストーリーを突き詰めていくと、デネットの、このテーゼは、本作のメッセージとは殆んど関係がない。

 なぜなら、本作では、自らの人間としての存在を体感できない人間が、自分自身をアンドロイドと認識し、その自己認識から、自分のDoppelgängerドッペルゲンガーを「創造」する。しかも、その創造されたアンドロイドの動力源が、死んだ鳥や生きたミミズであるとなると、そこには、人間対ヒューマノイドというSF的問題をテーマ化する気が、阪本監督にはないことが明らかとなるからである。阪本監督にとっては、それは、むしろ、非合理的人間実存の問題なのである。

 主人公は、桐生薫という、ある大学の「機械工学ユニット長」である。「長」ではあるが、部下はいないようであり、学生に講義はするが、黒板にチョークで何やらの数式を何面も、それも両手で書くのであるが、学生とは目も合わせずでの講義である。

 右足を制御する脳の部位が不正常なので、この男は、びっこを曳いて歩く。それもあるのか、大学への通いには自転車を彼は使う。しかも、雨が降ってでもある。と言うか、本作は、全編が雨が降ったままなのである。異常な気象現象であるが、これは、桐生の本人の内面をも反映しているようである。

 大学から自宅への道を自転車で走ると、途中には、自動車は通れないような狭い、洞窟のような自然石のトンネルがあり、そこを抜けるとすぐに、桐生の自宅がある。元々は、戦前からの由緒ある個人病院宅である。時々はSF映画に相応しくメタリックな色調を採るカメラは、建物内では色調が暖かいものとなり、これにより、建物やその内装の大正的、少なくとも戦前的レトロ感覚が誇張される。

 建物の中に置かれた調度品の内で、気になるものがある。あの、足を乗せるために両脇に突き出た部分がある、産婦人科に備え付けてある診察台である。この寝にくい診察台の上で桐生は寝る。それが、何を意味するか。恐らくは、自分を産んだ母への想いであろうか。なぜなら、桐生は、両親に、物心が着くか着かないうちに「捨てられた」からである。

 想像するに、父親が桐生家に婿として入ったのではないだろうか。父親は、その内に、他に、日活ロマンポルノ女優風祭ゆきが扮する愛人を作り、桐生家を出ていく。桐生家の娘であった母親は、そのことに耐えられずに衝撃的に自殺して、薫を「見捨てる」。それが、薫にはトラウマになっているのである。

 こうした、心に傷を負った薫を慰めてくれたのが、ひょっとして、Isaac AsimovのSF小説であったのかもしれない。建物の中を検分するように見渡すカメラは、ある、古びた本を映し出す。『われはロボット』という題名である。翻訳者は、小尾芙佐(おび ふさ)である。

 『われはロボット』とは、I.アシモフが1950年に発表した、初期のロボットものSFの短編集であり、本書において有名なロボット工学三原則が示され、アシモフはロボットSFの第一人者としての地位を確立することになるのであるが、小尾は、早川書房の女性翻訳者として、このアシモフの古典的作品を共同翻訳し、1963年に上梓している。つまり、今(2022年)からほぼ60年前の本である。薫は何歳の時にこの本を読んだのであろうか。

 さて、以上を読んで、本作は何と「暗い」ストーリーであろうか、と思われる方がいるかもしれないのであるが、本作には、何とはなしではあるが、ある種のHumorフモールがある。

 「異常」とは、常とは異なることである。常とは、普通のことであり、その普通と異なると、そこには、二重の意味での「可笑しみ」が生まれる。可笑しいから、変であり、可笑しいから、笑えるのである。この笑える部分が、滑稽なのであり、脚本も書いている阪本監督は、その可笑しみを、意図してか、或いは意図せずにか、よく出している。

 そして、この「可笑しみ」をよく体現しているのが、大阪人俳優豊川 悦司(とよかわ えつし)である。本作で、豊川は、阪本監督と5本以上目の共作となる。1958年に大阪府で生まれた阪本 順治監督は、基本的には脚本も書く監督であり、筆者は、その代表作であるという『大鹿村騒動記』(2011年作)や『北のカナリアたち』(2012年作)などは観ていないが、本作での「滑稽味」は、数ある阪本作品でも独特のものかもしれない。

 撮影監督は、儀間眞悟で、阪本監督とは、『団地』(2016年作)他、数本で共作している。一方、美術監督は、「阪本組」の一員と言える原田満生で、彼は、1998年以降、阪本監督の15本の作品で共作しており、阪本監督の『顔』(2000年作)を以って、第55回毎日映画コンクールで、美術賞を、同じく阪本監督の『亡国のイージス』(2005年作)を以って、第29回日本アカデミー賞で、優秀美術賞を受賞している。

2022年9月16日金曜日

プリデスティネーション(オーストラリア、2014年作)監督:ミヒャエル&ペーター・シュピーリヒ兄弟

 本作の原作は、USAのSF作家ロバート・A・Heinleinハインラインの『輪廻の蛇』である。この原作は、『ファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション』誌の1959年3月号で最初に掲載された。『輪廻の蛇』とは、上手く邦訳したと言えるが、原作の原題は、'—All You Zombies—' で、これは、映画でも台詞の一部として登場するのであるが、こう言われても、日本人には通じないであろうと考えた翻訳者が、蓋し、上手く、要点を衝いて、意訳している。

 さて、『輪廻の蛇』となれば、当然、「ウーロボロス (ouroboros)という言葉が浮かび上がってくるが、それは、古代の象徴の一つで、自らの尾を噛んで円環状となったヘビ、或いは、龍を図案化したものである。語源は、「尾を飲み込む(蛇)」の意の古代ギリシア語から来ているが、古代エジプト文明、アステカ文明、北欧神話やヒンドゥー教においても同様のシンボルが見られると言う。

 ウーロボロスには、一匹が輪になって自分で自分の尻尾を食むタイプと、二匹がいっしょに輪になって相食むタイプがある。その象徴的な意味は、ヘビが自らの尾を食べることで、始まりも終わりも無い完全なもの、更には、「不老不死」としての意味も備わっていると言う。「神は死んだ」という箴言で有名になったドイツの哲学者ニーチェは、「過ぎ去ったものが、すべての将来的なものの尻尾に噛みついている。」と言い、彼の有名なテーゼ「永劫回帰」を、過去と未来の時空間で言い換えている。

  では、本作の題名『プリデスティネーション』(Predestination)とは、何であろうか。「プリ」とは、「前もって」の意味であり、「デスティネーション」とは、「到着地、行先」で、併せて、前もって行き先が決まっていること、つまり、キリスト教神学の「予定説」の意味である。世界に出現する一切のことは、神が永遠の昔から事前に予定してあるものであるという説である。そして、本作では、原作同様に、あるバーテンダーが、ヴァイオリンのケースの形をしたポータブル型タイムマシンを使って、この「神」の役を演じる。それは、神学的に言えば、人間の驕り、不遜であり、神の罰を受けるべき行為であろう。

 さて、本作はオーストラリア映画であるが、脚本も書いている双子の兄弟監督ミヒャエル&ペーター・シュピーリヒ(Spierig、英語読みでスピエリッグ)は、元々は北ドイツで生まれた映画人である。彼らは、R.A.ハインラインの二匹で一つの円環を形成するウーロボロスのストーリーを、もう一つの円環を加えて、それを8の字にし、これを横倒しにして、さらに、一本の線ではなくて、1枚の細長く切った紙をねじって、表側の紙の一端を裏側の紙の別の一端に貼り付けた時に出来る立体的な8の字円環、つまり、無限ループに書き換えたのであった。実に考え抜かれた、原作を越えるストーリー展開である。JaneとJohnが絡むストーリー展開が、横倒しの8の字の一つの円環を形作るとすると、バーテンダーを巡る運命がもう一つの円環を構成し、この二つの円環が交わるのが、1970年のニューヨークにあるバーである。時空間は、1945年から1985年までの40年間を行ったり来たりする。

  ジェーンとジョンのストーリーでは、ジェーンの生い立ちが、時系列を正当に過去から現在に向けて、映画の前半で語られることにより、USAの1945年から1963年までの歴史的雰囲気が再現されるが、ジェーンが、他人とは協調できないタイプであり(それは、ジェーンの赤毛と緑色の補色の色の組み合わせで表現される)、孤独に孤児院時代を過ごし、自分が有能である自負から、宇宙関連の仕事に付きたい夢を抱いて(当時のUSAのアポロ計画を考えよ)、ある組織「Space Corp」の採用試験の試練に耐えるのである。ここで、上手くレトロ感覚の未来主義の雰囲気が出ていて、秀逸である。

 しかし、ジェーンがアンドロギュノス、両性具有ということから、それを本人に知らせないまま、採用試験の過程で落とされる。1963年、失望の中で、偶然知り合った男性と恋に落ち、妊娠する。翌年には女の子を産むが、帝王切開の手術の際に、大量出血のために、女性の器官を切除しなくてはならなくなる。こうして、ジェーンがジョンに性転換する、彼女の数奇な運命が展開する。このストーリー展開に、更に、例のバーテンダーの運命と連続爆弾魔Fizzle Bomberの事件が関わってくるのである。

 2015年のオーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞(Australian Academy of Cinema and Television Arts Awards, AACTA Awards)では、9部門でノミネートされ、その内、Sarah Snookに、最優秀主演女優賞が、Ben Nottに、撮影賞が、Matt Villaに、編集賞が、そして、Matthew Putlandに、美術賞が、授与された

2022年8月21日日曜日

オズランド(日本、2018年作) 監督:波多野 貴文

 「苦しくったってえ、悲しくったってえ、コートの中では平気なの。ボールが唸ると、胸が弾むわあ。レシーブ、トス、スパイク。ワン、ツー、ワン、ツー、アタック...」

 上は、あるTVアニメ・シリーズの主題歌の第一節である。上の歌詞を読んで、「ああ、あのアニメ!」と思い出せる方は、アニメの通と言えよう。

 そのアニメとは、1969年に放映された『アタックNo.1』である。『巨人の星』が男性版スポコンものの代表格であるとすれば、この『アタックNo.1』が女性版スポコンものの代表である。

 スポーツ根性ものの醍醐味は、努力が報われて、勝者になれる、或いは、勝者になれるかもしれないという、ポジティブな思いを共有できるところにある。もちろん、そこには「敗者」もいるのであり、努力が報われない、ネガティブな側面もあるのではあるが。

 この「醍醐味」は、スポーツの場面からそれを職業の場面へと移すと、新入社員の「成長」という形で味わえるものである。本作も、基本的にはこの、新入り根性ものの系列に入る作品である。そして、本作の女性主人公も成長する。ただ、ストーリー展開として、設定場所が遊園地であり、人を楽しませることの難しさという点での、ストーリーの深まりがないのは残念である。

 さて、遊園地側の登場人物の殆どが「ノー天気」でポジティブな人間として描かれる中で、一人だけ、表面の明るさにも関わらず、それがどこから来るのか分からないのであるが、ある翳りを見せる登場人物がいる。「オズの魔法使い」と言われる、女性主人公の上司、「小塚」である。(「こづか」ではなく、「おづか」と読ませるところが「味噌」であり、ここから「おず」、つまり「オズ」が出てくるという、駄洒落ではあるのであるが。)

 役柄自体にこの「翳り」を見せる必要はない訳で、これは役者の「芸」ではないかと思い、調べてみたら、この俳優が西島俊秀であった。ウィキペディアで経歴を調べると、国際的にも話題となった映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年作、濱口竜介監督)で主人公役をやっている男優である。この映画の西島の演技をニューヨーク・タイムズ紙が次のように批評している:

 西島の演技は、「鋭い批判的な知性を合わせ持っており、そのメランコリックで控えめな存在感が映画の重要なカギとなっている」と。(ウィキペディアによる)

 この批評を読みながら、本作での役作りも、さもありなんと頷くのは筆者だけであろうか。

オンリー・ゴッド(デンマーク、フランス、2013年作) 監督:ニコラス・W.・レフン

 女性の性の解放であるという、「錦の御旗」が飾り立てられたポルノ映画が、1970年代半ばにヒットしたことがあった。ヒットしたので、続編まで撮られた程である。この作品も、性愛映画の本場、おフランス製であり、その名を、『Emmanuelle』という。

 エマニュエル夫人は、タイに駐在している外交官夫人ということになっており、その日々の倦怠(アンニュイ)さから抜け出し、夫の「理解」もあり、次第に性に目覚めていくというのが、そのストーリーの大筋であるが、その背景には、タイという異国情緒が利用されており、そこには、ヨーロッパの社会通念、社会倫理、道徳一般が通用していない、特殊空間としてのタイであるからこそ、白人女性の性的解放もおおらかに唱えられるという、ヨーロッパ中心主義的視点が見え隠れしていた。その性的解放の一つとして、エマニュエル夫人が、タイ・ボクシングの、ある対戦の「賞品」になるという場面も登場したのであった。

 原題を『Only God Forgives 神のみぞ、赦され給う』という、フランス・デンマーク合作映画たる本作でも、ストーリーの背景は、タイであり、ここは、ヨーロッパの道徳観念一般が通用していない、「無法」な特殊空間としてのタイである。ここでは、国技である一騎討ち格闘技「ムアイ・タイ」の技を極めた者が「神」なのである。彼こそが、犯罪者を罰することができるのであり、神の如く、犯罪者を容赦できるのである。この、地上に降りた神の名を「チャン」といい、私服なのであるが、制服警官を付き従えて、犯罪者を私刑/リンチして歩くのである。私刑の後、チャンは、Karaoque・バーで、目に涙を溜めて、恍惚として熱唱する。

 しかし、本作のメインテーマは、暴力の神聖さではなく、ある白人男性の「帰巣願望」なのである。この願望は、言葉の真正な意味で、血に塗られた形で、叶えられるのであるが、蓋し、本作の眼目は、このことを描くことにあるのであり、暴力やリンチの許されるタイも、神の如きチャンの存在もこれを正当化するための供え物にしか過ぎない。

 さて、本作がこの「帰巣願望」を描く必要性が、どこから来るのかと言うと、思うに、本作の脚本も書いている、コペンハーゲン生まれの監督、Nicolas Winding Refn (デンマーク語読みで、「ネゴラス・ヴェンデング=レフン」)にある。彼の、母親との関係がどんなものであったのか、それが、本作にどう関わっているのか、気になるところである。

 Wendingとは、撮影キャメラ・ウーマンたる母親の苗字で、Refnが映画監督たる父親の苗字である。両親に連れられてニューヨークに移住し、そこでNikolasはどれだけ母親の愛情を受けて育ったのか。彼は、学校はデンマークで卒業する。卒業と伴に、ニューヨークに戻り、当地のアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学するも、暴力沙汰でそこを放校される。彼が暴力をテーマによく作品を撮っていることに、彼が暴力に魅了されているのではないかという「不安」が筆者の頭をよぎる。

 アメリカの演劇学校を追い出された後、Nikolasは、再びデンマークに舞い戻って、短編映画などを撮ったりしていたところ、1996年に発表した、初期作品『Pusher』(製作国:デンマーク)で注目を集める。経済的理由から、『Pusher II』(2004年作)、『Pusher3』(2005年作)を撮り、珍しく他人の書いた脚本で、童顔の俳優ライアン・ゴズリングを主人公とした作品『Drive』で、2011年にカンヌ映画祭で監督賞を取る。その2年後に、同じくR.ゴズリングを主役に据えて、自らの脚本で本作を撮ることになるのであるが...

 赤い提灯が天井一面にぶら下がったカラオケバーでの場面などでその力量を示す撮影監督は、イギリス人のLarry Smithである。彼は、スタンリー・キューブリック監督の遺作となった『アイズ ワイド シャット』(1999年作)で撮影監督を務めたキャメラマンであると言えば、その力量の程も肯ける。Wending監督とは、これも暴力の不条理性を描いた『ブロンソン Bronson』(2008年作)でいっしょに仕事をしている。

 本作のビートを効かした、何かおぞましい背景音楽も印象的であるが、音楽担当は、アメリカ人で、元ドラマーのCliff Martinezである。スティーブン・ソダーバーグ監督の『セックスと嘘とビデオテープ』、『トラフィック』、『ソラリス』、『コンテイジョン』を手掛けているそうで、であれば、やはり中々のものであるが、Wending監督とは、ウィキベテアによると、『Drive』で既に共演している。

 私見、本作は観て、視覚的「後遺症」を残す「暴力映画」である。故に、観ようとされる方はそれなりの覚悟があられたい。

のさりの島(日本、2021年作) 監督:山本 起也

 映画製作にどこかのフィルム・コミッションが関わり、それに、そのどこかの地元の観光協会などが協力して、体のいい「ロード・ムーヴィ」である、なんて言う売り込みで提供される映画には気を付けたい。要は、その土地を回って歩くのは、結局は、その地方の観光スポットであり、ストーリーもそんな風に組み立てられた、事実上の「観光宣伝映画」になってしまうからである。

 本作にも、天草フィルム・コミッションなどはクレジットされていないが、天草市が製作協力し、バックパッカーの「オレオレ詐欺師」が、行きずりに天草に寄って、ストーリーが展開するとなると、観光宣伝映画の「危険」は、高かったが、本作をそれでも見たのは、俳優藤原季節が出る映画のトレーラーを偶然に数本見て、興味が湧き、本作で主演を演じるということで、事実上の観光宣伝映画で、どんな演技をするか一度観たかったからであった。

 観ての評価は、彼は、2020年の第42回ヨコハマ映画祭で、映画『佐々木、イン、マイマイン』と劇場版『his』(いわば、日本版『ブロークバック・マウンテン』か )で以って、だてには最優秀新人賞を取ってはいないと言う感想である。将来の彼の活躍を期待する。

 さて、この藤原にたかられる老婆役を演じたのが、原知佐子で、顔に見覚えがあったので、調べてみると、どの作品でその印象が残ったのかはもはや思い出せないが、経歴では、彼女の夫は実相寺昭雄であった。実相寺と言えば、アンファン・テリブルなTV映画監督として、『ウルトラマン』にも関わった人間で、1970年制作の白黒映画『無常』(実存主義とエロスをテーマとした映像美の傑作)が思い出される。そして、原の経歴の最後には、本作が原の遺作になったという記述があった。(合掌)

 最後に、もう一つ気になったのは、ストーリー中、天草市の過去を撮った8㎜映画を編集し、それを天草市民に見せるというプロットである。山本起也(たつや)監督が、京都芸術大学映画科の教授でもあれば、さもありなんという、ある種、理論的なアプローチである。

 そのプロットの展開過程を見て、映像自体にはメディアとしてはまだ未来があるであろうが、映画館というものは、このコロナ禍がそのプロセスをさらに加速させた形で、「過去の遺物」となってしまっているという実感である。本作では、映画館は過去の撮影物を見せるノスタルギーの場であり、最早、映像媒介の未来を担うものではないということである。

 映画館と同様に、天草市「銀天街」は、かつての華やかさを失い、寂しいシャッター通りに今なってしまっている。ストーリー中にも「地方創生」の問題が登場してくるが、観光に頼る、他力本願の「町おこし」では、先が見えている。東京一極集中の体制を打破するためには、地元の農業を基幹産業としたアウタルキーな地域主義的な経済構造の構築こそが必須であると、筆者は、本作を観ながら、改めて思った。

南極料理人(日本、2007年作) 監督:沖田 修一

 まずは、舞台設定の説明をしよう。場所は、「ドームふじ基地」である。有名な「昭和基地」が南極点から見て南極大陸の北東にあるとすると、この昭和基地から、南極点に向かうようにして、南西に約1.000kmほど大陸内部に入った地点に基地がある。基地の建設は、1995年である。

 なぜ「ドーム」と呼ぶのかと言うと、この地域は、南極高原の円頂丘(すなわち、「ドーム」)の一つの頂点であるからである。そして、その標高が3.810mと富士山の高さと近いところから「ドームF」、「ドームふじ」と名付けられた訳である。南極で、しかもこの標高であるから、月平均気温が、一年間で、昭和基地で0度からマイナス20度の間を動くのに対して、ドームふじ基地では、マイナス35度前後からマイナス70度まで下がるのである(年間平均気温マイナス54度)。南半球であるから、北半球とは寒暖の時期が逆転し、12月から1月が最も気温が高い時期になり、最も寒くなるのは、昭和基地では8月であるのに対して、5月であると言う。

 時代設定は、日本本土では平成不況が始まって数年経った1997年で、基地開設から二年後のことである。登場人物は、第38次南極地域観測隊の越冬隊の8人の「猛者」である。主人公は、この越冬隊の調理人となる西村淳であるが、彼が、一年以上の月日の間、自分を含めた8人の胃袋を、冷凍食品と缶詰でどう満たすかの奮闘記が、本作のテーマとなる。原作は、西村本人であり、彼が実地体験したものに基づいて、ストーリーは描かれる。つまり、本作は、極限状況での料理・クッキングものである。

 主役西村を演じる俳優堺雅人が中々いい。それは、堺が醸しだす雰囲気が、本作の基調にある、状況から生まれる「滑稽さ」と上手くマッチするからである。この滑稽さを、原作が出しているのかは、原作を読んでいない筆者には分からないが、少なくともそれは監督の力量から来ていることは、監督の別作品から推して、自信を持って、言える。

 その監督の名を、沖田修一と言う。1977年に愛知県で生まれた沖田は、2002年から短編映画を撮り始め、2006年に初めての長編『このすばらしきせかい』を撮る。その3年後、本作で商業映画部門でデビューし、本作でその年に最も優れた新人映画監督に贈られる新藤兼人賞金賞を受賞した。作品を撮るペースは、長編映画部門で言えば、2、3年置きであり、2021年までの15年間に9本を撮っている。恐らく、必ず脚本を自ら書きながらの監督業なので、寡作と思われるが、筆者が観た内で、『横道世之介』(2013年作)と『滝を見にいく』(2014年作)、とりわけ後者がお勧めである。

滝を見にいく』については、筆者の批評も読まれたい。

2022年8月20日土曜日

女優ナナ(フランス、1955年作) 監督:クリスティアン=ジャック

フランスのアムール歴史映画はこうでなければならない


 赤味がかったブロンドを腰までの長さに垂れ、褐色の目には薄青いアイシャドウをつけ、肉感ある唇には深紅の紅を塗り、オペレッタ歌手の彼女はヴァリエテ劇場の舞台に立った。しかし、首から下はスキャンダルであった。黄金色の半ブーツを履いて、肉色のストッキングは身に着けてはいるが、前と後ろに形だけの白い布を付けている他は、コルサージュ姿である。彼女の名をNanaと言う。(この名前の第二音節にアクセントを置くのをお忘れなく! 因みに、コルセットかコルサージュでバストをリフトアップし、そのバストをさらに服で左右から寄せると、双なりの「バルコニー」が出来上がるが、デコルテのネックラインをどこまで下げるか、つまりバストの上半分を何パーセントまで見せるかで、その女性の家柄が昔は分かったという。その「デコルテ・何パーセント」のエピソードが、本作の始めの方でも出でくるので、ご注意!)

 こうして、Nanaは、パリの上層階級の、「その気」のある男性の「垂涎の的」となる。(このNana役をフランス人女優Martine Carolが演じているが、彼女はB.バルドーが出現する前のフランス版M.モンローである。)

 美人局の役割を演じるヴァリエテ劇場は、オペレッタの上演は、言わば、「イチジクの葉っぱ」であり、戦前の日本で言ったら、「置き屋」である。Nanaは、日本で言えば、世話をするのに大金の掛かる、言葉の真の意味での「傾城」・「花魁」である。19世紀半ばのおフランスでは、このような「花魁」をcocotteココットという。

 その、ほんの約80年前の、つまりフランス大革命勃発前の絶対王政期には、宮廷には、フランス王の公妾、つまりメトレス(ルイ15世時代のマダム・ポンパドゥール夫人など)がいたり、王侯の愛人となるクルティザンヌがいた。クルティザンヌcourtisane は、その語源から分かる通り、「宮廷人」であり、その意味で、平民・賎民の娘がなれるものではなかった。そこには、美貌と共に知性が求められ、彼女たちは、場合によっては、知的な社交場としてのサロンを「経営」しえたのであった。

 19世紀半ばのフランスと言えば、第二帝政期で、ナポレオン・ボナパルトの甥っ子ナポレオンIII世が、48年革命後の混乱の中、議会を解散し、叔父の七光を使って国民投票で勝って、フランス皇帝になった時代である。国民投票に勝ってというところが、既に今のフランス共和制の大統領制にも似ている訳で、ことほど左様に、絶対王政の時代は遠のいていた。ゆえに、クルティザンヌも平民化、或いはブルジョワ化して、cocotteとなり、自分の生計は自分で稼がなければならない「自営業者」となっていた。

 手練手管を尽くして、彼女等は、上流階級のお大尽から金を巻き上げる。このようなココット・Nanaの、女の一生を描いたのが本作であるが、それは同時に、愛欲に溺れた、ある公爵(名優Charles Boyerがこの役を好演)の運命でもあった。自らの愚かさ加減をしっかりと意識しつつも、自己の没落を見極める、このヨーロッパ的デカダンスの極みは、やはりこういう、いかにもシネマトグラーフ的歴史映画で味わいたいものである。

 本作では美術、衣裳、化粧に最良のスタッフを集め、キャメラマンは、Christian Matrasである。彼は、本作と同年にM.オフュルス監督の下、同様のテーマの作品『歴史は女で作られる』(原作:ローラ・モンテス)を撮っている。フィルム素材は、Eastmancolorで、その濃厚・濃密な深みのある色彩は、正にこのテーマに最適である。(Technicolorは、「総天然色」の宣伝に違わず、華麗な彩色であり、『風と共に去りぬ』は、やはりこの素材でなければ、合わなかっただろう。)

 原作は、社会派の自然主義作家E.ゾラであり、彼は、第二帝政期時代のフランス社会を文学的に活写しようとし、20巻の作品でこれをまとめる(1870年から1893年まで順次叢書として発表)。その一巻が『Nana』(1879年発表)である。原作の前半はストーリーに使われているが、本作の脚本の後半は映画独自のストーリー展開となっている。

 なお、E.マネも「Nana」という題名で作品を1877年に描(か)いており、女性の個室ブドワールで、紳士が同席しているという一義的な状況で、鏡を覗きながら化粧をしている若い女がそこには描かれている。本作鑑賞前に一度この絵をご覧になるとよいであろう。

2022年8月18日木曜日

元禄忠臣蔵 前編・後編(日本、1941/42年作) 監督:溝口 健二

日本映画史における三大巨匠が織りなす、国策映画を巡る人生模様とは

(No.3:溝口健二編、第三章)



 1937年に日中戦争が勃発するが、この年に溝口は、前年設立された協同組合日本映画監督協会の二代目の理事長を、協会が解散させられる43年まで、引き受ける。39年には映画法が制定され、映画産業に対する管理・統制が進み、42年に戦時統合が映画制作部門でも実施されて、映画界には、伝統ある松竹、1937年設立の新参者の東宝、そして、永田の大映の、三社体制が敷かれる。

 このような世相の下、溝口は39年から松竹系で、『残菊物語』に代表される、いわゆる、「芸道もの」を三本撮る。明治中期から、近代化のために強引に推し進めらた官製の欧化主義に対して、いわゆる国粋主義的、国家主義的、「日本主義」が台頭してくる。そこでは、欧米文化を物質「文明」と蔑視し、日本文化を日本精神「文化」の顕現したものとして称揚される。この日本精神主義を芸道の探求と重ね合わせれば、なぜこの時期に、つまり、日中戦争が開始された1937年以降に、溝口がこの路線と取ったかは明らかであろう。

 この立場をさらに推し進めてゆけば、日本人の精神性の根源、主君に対する忠義心に行き当たるのであり、それは、「忠臣蔵」において祝祭的に表象されるのである。ゆえに、41年/42年に、『元禄忠臣蔵』(前編、後編)を撮ることは、今更現代劇や東宝的戦争プロパガンダ映画を撮れない熟練した溝口監督の、彼なりの、誠に時宜に適った「国策」映画だったのである。

 しかも、ここで、溝口は、時代劇であれば、剣戟映画の通俗性を乗り越えた、つまり、情緒性を抑えた禁欲的で、精神性のある時代劇、否、前編、後編を合わせて合計223分の、しかも時代考証の各方面の専門家を九人も並べた歴史劇を撮ろうとした。その帰結は、浅野内匠頭の切腹の場面、吉良邸の赤穂浪士の討ち入りの場面がただ暗示としてだけ示される非大衆的「忠臣蔵」となる。

 浅野内匠頭の切腹の場面では、クレーンに乗せられたカメラが上方から状況全体を見下ろし、画面前景では閉ざされた門前で泣き崩れる家臣の場面を、画面後方では内匠頭が静々と切腹の場に赴く場面が、同一画面でカットなしで示され、カメラは、内匠頭の切腹する場面をアップで撮るというような「野暮」なことはしない。

 また、吉良邸の赤穂浪士の討ち入りの場面では、本来ストーリーのクライマックスを形作るであろう討ち入りが、内蔵助が別れを告げた、今は亡き内匠頭の正室瑤泉院の傍で、そのお付きの戸田局(梅村蓉子)が、本懐を遂げた四十七士の一人から届いた書状を読み上げることで、映像なしで、しかし、梅村の名演によりドラマチックに語られる。これほどのアンティ・剣戟映画があるであろうか。

 その逆に、討ち入りが終わった後の、ご公儀のご沙汰を受けて切腹するまでの内蔵助たちの姿に、カメラは、長回しの位置は保たれるが、あの冷たい距離感をなくして、「義士」たちに寄り添う。まるで、死に花を咲かせるために待機する特攻隊員の運命を予感でもするかのように。

 ここに、大衆から隔絶した、孤高の、ほとんど芸道の極を窮める、士道の自己陶冶の精神が示されたのであった。映画の冒頭に示される「護れ、興亜の兵の家」は、その精神において、その祈りは叶えられたのであった。(後編の後半、重要なプロットとなる、お小姓姿に身をやつした、高峰三枝子が扮する「おみの」の愛と死は、そうは言っても、恐らく隠された本音の、本作の浪漫のクライマックスであろう。)

 この精神の孤高を謳う、溝口の、ぶれない態度は、戦後、52年作の『西鶴一代女』、53年作の『雨月物語』、54年作の『近松物語』と結実する。これらの作品は、ヴェネツィア国際映画祭で受賞するが、『七人の侍』を含めて、何れも歴史映画である点に気を付けたい。ありていに言えば、それは、ヨーロッパ文化のデカダンス、「西洋の没落」を語るヨーロッパ人の、極東の、しかも異時代の文化現象を包摂しうる「したたかさ」を表していたのであった。

 一方、この徹底的に日本的であることが、逆に世界映画史における「国際性」を可能にさせ、ヨーロッパにおける長回しの巨匠アンゲロプロスこそが、溝口からその長回し手法を学び、それを吸収したと言う。さらに、ヌヴェル・ヴァーグの旗手J.ゴダールが、「好きな監督を三人挙げると?」との問いに対して、「Mizoguchi、Mizoguchi、Mizoguchi!」と口ばしる時、フランスのヌヴェル・ヴァーグは、実は、隠れた、第二次ジャポニスムであったと言えるのである。


(前段の第一章は、溝口の『西鶴一代女』で、第二章は、『浪華悲歌』で、お読みください。)

浪華悲歌(日本、1936年作)  監督:溝口 健二

日本映画史における三大巨匠が織りなす、国策映画を巡る人生模様とは

(No.3:溝口健二編、第二章)



 関東大震災が起こる直前の1923年に、日活から監督としてデビューした溝口は、トレンディーなものを追っていた。ドイツ表現主義が流行れば、試してみる。20年代後半には左翼的な「傾向映画」にも手を出してみる(『東京行進曲』)。満州事変後の1932年には、日活を辞めて新興キネマに入社し、同社第一作として溝口が撮ったのは、「入江(たか子)ぷろだくしょん」と提携した『満蒙建国の黎明』で、満州で二ヶ月間のロケーション撮影を行ったと言う。筆者未見であるが、題名からして、まさに国策映画であったことは間違いない。興行的には失敗作であったと言う。

 1934年からは、のちの大女優となる山田五十鈴(1917年生まれ)といっしょに仕事をしており、36年までに彼女と六本の作品を撮っている。山田がヒロインの『浪華悲歌(なにわえれじい)』(36年作)の原案を監督の溝口自身が作り、脚本は、本作で溝口とは初顔合わせをし、その後は溝口が亡くなる前年の1955年まで寄り添うことになる、依田義賢である。キャメラマンは、1933年の『祇園祭』以来、終戦まで溝口と付き合う、宮川一夫と双璧と言われる三木稔(後年、「三木滋人」と改名)、製作はのちに日活を「潰して」大映の社長となる永田雅一が興した、トーキー映画製作会社「第一映画社」である。

 永田「ラッパ」とは、既に『折鶴お千』(35年作、山田主演)から溝口の遺作となる『赤線地帯』まで、溝口は関わった。という訳で、『浪華悲歌』で以って、溝口-依田-三木(戦後は宮川)-永田の溝口組のベストメンバーが出揃ったという訳である。なお、1936年に溝口の指導の下で日本初の女性映画監督となった坂根田鶴子(1904年生まれ)が、29年以来溝口の下で監督助手として働き、『折鶴お千』等では助監督を務めた溝口組の一人であった。(田中絹代が日本映画史上二番目の女性監督となる。)

 溝口には珍しく現代劇の本作『浪華悲歌』は、大阪のモダンガール、「モガ」を描く。36年の段階で、約10年前の昭和初期の「昭和モダン」を描き、そこに、洋装の、釣り鐘型帽子クローシェを被らせた山田を登場させたのは、少々「時代遅れ」の感がしないでもないのだが、本作は、映像的に1930年代半ばの大阪の風情を活写している。

 映画冒頭の、夜のイルミネーション。「花王石鹸」と「キャバレー 赤玉」の広告塔が夜空に映える。モダンな高級マンションの、現代建築の「花」とでも言えそうな玄関口、そごうデパートの化粧品売り場、そして、そこのレモンスカッシュが飲める、喫茶室。はたまた、地下鉄の車内と地下道、そして、モダンな建築の警察署の建物と、そこに佇むモガの主人公の姿。これらが、浄瑠璃上演の場面では和服姿となる主人公の姿と好対照をなして、描かれて、大阪を知っている人間には1930年代半ばの大阪を知るためのドキュメンタリー映画的価値があるのが、本作である。

 本作と同年に制作された『祇園の姉妹』は、スタッフ・キャストからして、本作の姉妹編と言えるものであり、伝統的で、男に尽くすタイプの姉(それは、33年作の『瀧の白糸』でも35年作の『折鶴お千』でも同様、ここでは、溝口組とも言える梅村蓉子が好演)とモダンで打算的な妹(山田が「憎らしく」好演)が分かりやすく対比されて描かれている。その戦後の、自作リメイク版が、『祇園囃子』(1953年作)で、今度は名女優小暮美千代と若尾文子が姉妹役を演じている。(この作品では、撮影を宮川一夫が担当する。)


(前段の第一章は、溝口の『西鶴一代女』で、続きの第三章は、『元禄忠臣蔵』でお読みください。)

西鶴一代女(日本、1952年作) 監督:溝口 健二

日本映画史における三大巨匠が織りなす、国策映画を巡る人生模様とは

(No.3:溝口健二編、第一章)

[No.1:小津安二郎編『父ありき』、No.2:黒澤明編『一番美しい』]



 黒澤は、ダイナミズムな画面構成で勝負する。小津は、その逆で、「定点」撮影とぶつ切り編集で自らの映画的話法を作り上げた。他方、溝口健二は所謂「長回し」の監督として有名である。では、この長回しの映像構成の特長は何であろうか。

 言うまでもなく「長回し」とは、ワン・シークエンス = ワン・ショットのことである。このことにより、そこに大河が流れるが如く、時の流れが感じ取られることとなり、ここにある「時間性」が生まれる。この時間性は、場合によっては「歴史性」にも繋がるのであり、この「歴史性」を持った「長回し」の名匠がギリシャ人監督テオ・アンゲロプロスである。

 その代表作『旅芸人の記録』(1975年作)は、ある旅芸人一座が、十八番の牧歌劇を上演しながら、1939年から1952年までの、ファシズムと軍事独裁に翻弄されるギリシャの現代史を自らも生きるという歴史映画であり、ここにおいて「長回し」の美学が240分に亘って殆ど叙事詩的に展開される。

 「長回し」を技術的に捉えると、一つには、カメラをスタンスを置いてある地点に設定し、このカメラの前で、プロットを時間的に上手く構成しながら、俳優に演技をさせる方法と、もう一つは、カメラにレールを敷くか、或いは、カメラをクレーンに乗せて、カメラに俳優の後を追わせて撮る方法とがある。アンゲロプロスは、第一の方法に更に360度パンを組み合わせた撮り方が好みのようであるが、溝口はむしろ第二の方法を多用しているようである。田中絹江主演で、まさにこの長回しの手法が完成したものとして提示される、『西鶴一代女』(1952年制作)からその一例を出してみよう。

 お春(田中)は、映画の中盤、雄藩松平家の側室として取り立てられる。そこで、お春は、正室(山根寿子、1940年、衣笠貞之助監督『蛇姫様』で長谷川一夫の相手役となって人気スタアとなる)に挨拶を入れなければならない。カメラはまず、庭から香を嗅ぐ正室を「観察」している。こうして、カメラはゆっくりと正室のいる部屋の中に入っていく。すると、右から奥女中が来て、お春が正室に挨拶に来たことを告げる。正室が立ち上がるのと機を一にしてカメラも高く位置を取り、正室の右後ろから正室に付き添うようにして、画面の右に移動していく。その行く先の廊下にはお春が既に平伏しており、正室がお春の挨拶を受けようとすると、カメラは正室の頭の右に位置し、お春を見下ろす形となる。ここに、正室と側室の権力関係がカメラの位置関係で明確に表現される。と、カメラは開いた障子の隙間から、更に去っていくお春を後ろから観察するが、それが終わると、カメラは、急に正室との距離をとり、今度はカメラに振り返った正室を被写体として、その嫉妬に満ちた顔をアップで撮るという次第で、時間を掛けながら、ストーリーが展開される。 

 という訳で、長回しの特長の一つは、そこに時間性が生まれることである。故に、歴史映画を、或いは、大河ドラマを撮影するのに適している手法である。そして、もう一つ、被写体をスタンスを置いて観察しているカメラの在り様という点から、ある種の冷めたリアリズム的要素がそこに生まれる点である。こうして、溝口は男の視点でスタンスを取り、被写体である「女」を冷めたく観察して、それを映像的に「記録」するという、彼一生のテーマ「女性」を既に1920年代に見つけ出したのであった。溝口が「女性映画の巨匠」と言われる所以であるが、「女」を見つめる、溝口の視点には、被写体に対する「温かみ」が感じられない。

 こうして、名脚本家依田義賢(よだよしたか)によって、西鶴の『好色一代女』は、フランスの現実主義作家モーパッサンの作品『女の一生』ばりに塗り替えられて、語られる。映画の出だしでは、まずは、京都島原の遊郭の太夫身分から「夜鷹」にまで娼妓の階梯を滑り落ちたお春を追うキャメラの長回しを堪能してほしい。


(続きの第二章は、溝口の『浪華悲歌』で、第三章は、『元禄忠臣蔵』で、お読みください。)

父ありき(日本、1942年作)  監督:小津 安二郎

日本映画史における三大巨匠が織りなす、国策映画を巡る人生模様とは

(No.1:小津安二郎編)

[No.2:黒澤明編『一番美しい』、No.3:溝口健二編『西鶴一代女』]




 金沢中学の数学の教員堀川周平(小津組の常連俳優、笠智衆の小津映画での初主演)は、どういう訳か渾名を「むじな」と生徒から付けられている。ある日、その金沢中学の鎌倉・箱根方面への修学旅行の際、箱根の近くの湖で事故が起こり、ある生徒が亡くなる。笠は事故の責任を取って教員の職を辞し、田舎の長野県上田に息子の良平(のちに大きくなって、佐野周二)を連れて汽車で帰る。その帰省の汽車の中で、父親は息子に言う。「爪はいつもきれいにしとかんといかんぞ。」と。こうして、母親無き家庭の姿が浮き彫りにされる。さらに、地元のお寺で、障子張りの場面が出て、如何にも日常性が画面に満遍なく、そして静かに漂うのである。小津は、日常性を、ある映画的詩情で描くことができる名監督である。

 ある日、父親と息子は川釣りに出る。この川釣りの場面がよく後で効く。親子で川に入りながら、同じリズムで竿を川に投げ入れては流し、また投げ入れては流す。それが数回続き、そのルズムが崩れるのは、父親が、良平が中学(旧制)に入ったら、その時は宿舎生活になると、良平に告げたからであった。

 中学生活に何とか慣れ、再びまた親子の生活が始まるかもしれないという淡い期待を抱いている良平に、父親は又しても辛い事を強いる。父親に連れられて良平は、金沢にある料亭に来る。この料亭の二階からは、向こう側に洗濯物が干してあるのが見える。小津の好みの洗濯ものシーンである。その日常感覚の中で、父は息子に、自分がこれから東京に出て働くという決心をを告げる。

 場面が変わり、織布工場の大きな建物に例の窓が一杯ある、小津のお馴染みのシーンが出る。しかも、普通は2ショットであるのに、ここは3ショットで撮り、これによって場所の移動のみならず、時間の経過が示される。こうして、あの金沢の料亭での別離以来、ここで五、六年の月日が流れてたことが語られ、良平が高等学校(旧制)を出て、仙台の第三帝国大学に入ったことが分かる。

  すると、又、場面が変わり、もう一度五、六年の時間が飛んで、良平は今度は大学を卒業し、今は秋田の工業高校の化学の教員をしていることが分かる。良平は今は年齢がもう25歳である。上田に戻った最初の時以来、あれからもう十数年の月日が流れている。

 久しぶりで親子で温泉旅行に待ち合わせて出掛け、そこで親子が一緒に例の川釣りをする。今度は父が両手で、息子が片手で、竿を同じリズムで川に入れては川に流す。遠くに離れてはいても二人の心が通じ合っていることが、これで言わずもがなに感じ取れる名場面である。

 この平和な光景は、しかしながら、戦争の影に次第に覆われる。良平の勤める工業高校の、ある生徒の兄が戦地に行っていることが話題になったり、また、良平自身が徴兵検査で「名誉の」甲種合格をするというエピソードが盛り込まれたりする。制作年とほぼ同時代のストーリーを撮る小津の映画であれば、制作年の、多くとも数年前がそのストーリーの置かれている時間軸であろう。とすれば、日中戦争が始まって、いくらか経った頃で、恐らく太平洋戦争勃発前であろう。

 さて、1942年制作の本作を観ると、小津の映像美学の基本的な部分が既に本作で完成の域に達しており、謂わば、「小津節」が遅くとも戦中には語られるようになっていたことが理解できる。撮影担当は厚田雄治(ゆうはる)で、本作で小津とは三回目の協働作業である。彼は、これ以降、小津作品のほとんど全作品を撮る、小津組の名カメラマンとなる。

 それでは、究極の「小津節」とは何か。まず、カメラを固定する。しかも、そのカメラの首は回さない。だから、ある場面の中に既に俳優がいるか、または、そこの場面に俳優が入ってくるか、はたまた、その場面から俳優が出て行くか、しかないのである。つまり、カメラは俳優を追いかけることをしないのである。そこには、シネマ特有の映像をダイナミズムに創造するという意志がないのであり、その意味で小津は、ヌヴェル・ヴァーグ以前のアンチ・シネマの映画人と言えるのではないか。

 いわば「定点」撮影をする。その定点も一場面では数点に絞る。そして、その決めた複数の定点をカメラは移動して回る。しかし、カメラの首を回さないから、かなり硬い、ぶつ切りの編集になる。カメラはその複数の定点を一巡してまた元の定点に回帰する。

 しかも、その視点の高さは四、五歳の子供の目の高さの位置である。だから、畳の上では、座っている大人の俳優とほぼ同じ高さになり、それ以外ではやや空間を下から見上げる視点となる。さらに、これに伴って、その映像構成は、空間を手前から奥へと、まるで望遠鏡を逆さから見ているような遠近法を使って、なされている。特にこれは、廊下や縁側などの筒型の空間を使った場面によく出てくるものである。

 小津映画の真骨頂は、それ故、半身の肖像画として切り取られた俳優が固定されたカメラの前で日常の小さな真実を如何に本当らしく話して聞かせられるか、その話術にこそあるといって過言ではない、極限に様式化された美学である。これにストーリー上に失われていく父親・夫・男の「権威」に対する惜別の念が混じり込めば、それはそのままで、晩年の「小津節」になるのである。

 こうして、42年段階でその技量がほぼ出来上がっていた小津は、本作を以って、戦時中にはそれ以外の作品を撮っていない。しっかりと反戦という立場には立たなかった小津は、撮ろうとすれば、国策映画を撮れたのではあるが、個人の運命というか、その消極的態度、または、彼の、「勇ましいものには向かない」性向が、親友で、名作『人情紙風船』(1937年作)の監督・山中貞雄が38年に中国戦線で病死したこともあってか、彼に戦意高揚の国策映画を撮らせなかったのである。この小津の心的態度を人は、「内的亡命」だったと呼ぼうとすれば、呼べるかもしれない。

2022年8月17日水曜日

633爆撃隊(イギリス、USA、1964年作)監督:ウォルター・E・グローマン

第二次世界大戦中のノルウェーでのレジスタンス活動も描かれている英国・アメリカ合作映画


 この映画にはノルウェーの対独レジスタンスが出てくる。1944年、ノルウェー人のベルグマン少尉(G.チャキリス)は、ノルウェーの、ある地下組織のリーダーとしてイギリス軍に自分の組織が掴んだ重要な情報を運んできた。ナチス・ドイツ占領軍がフィヨルドの地の利を生かしてV2号ロケット燃料製造所を設けているというのである。

 イギリス空軍はこの情報を受けて、高速軽爆撃機De Havilland 98.モスキートからなる英国空軍爆撃中隊633にその燃料製造所の爆撃を命じる。モスキート型爆撃機は、高度10.000メートルで時速630kmを出せる高速の双発軽爆撃機で、高度25メートルの低空から目標を精密に爆撃することが出来る。フィヨルドのような狭い地域に低空で侵入して、精密に爆撃ができるのはこのモスキート型爆撃機しかないからである。こうして、隊長Grant(クリフ・ロバートソン)の下、633中隊の爆撃訓練は始まる...

 この、スコットランドで撮影された戦争映画は、飛行シーンでは、7機のDH.98モスキートを使用して撮影が行なわれた。7機中4機のみが飛行可能であり、残り3機が地上走行のみが可能であったと言う。他の飛行シーンは、戦時中の実写撮影を流用している。終盤の敵基地攻撃の撮影場面では、その当時(1964年作)の特撮技術としては上質で、モデル(1:48サイズ比)を使用していることの違和感が余りないくらいで、安っぽいCGよりは余程いいのではある。ただ、残念ながら、戦争の中での人間の、生と死を賭けたドラマがよく描けていない。そのような難点はあるものの、この作品は、戦時中の、あるエピソードを語るものとして、一見の価値はあると思う。

 同じモスキート爆撃機が活躍する英国映画に、テレビ映画『0011ナポレオン・ソロ』のロシア人・Illya Kuryakinイリヤ・クリヤキン役で有名になったデヴィッド・マッカラムが主演した、1969年作の「Mosquito Squadron」という作品がある。こちらは、北フランスにあるVロケット発射場の爆撃作戦である。

 さて、私事の、しかも古い話で恐縮だが、これは1980年代半ばに筆者がバイクで約6週間ドイツ・スカンディナヴィアを旅行した時の話である。

 それは、ドイツを南北に縦断し、デンマークへ、そこから、スウェーデンに出て、更にノルウェーへ。ノルウェーは首都のオスロから、ベルゲンへ斜めに北上し、そこからフィヨルドの細かい襞を舐めるようにして南下し、そこの南端から少し東寄りの町からフェリーで北海を渡って、又、デンマークのユトランド半島に戻ろうとしていた時のことである。そのフェリーの出る町をKristiansandといい、フェリーは夜の十時頃の出発の予定であった。物価が高いスカンディナヴィアのこと、レストランなどに入る金もなく、サンドイッチを買って町のベンチにでも座って簡単に夕食を済まそうとしていた。それは、余り人気のない広場のベンチであった。

 座ってそのサンドイッチを食べていると、どこからともなく、60歳は過ぎているだろうか、一人の男が現れて筆者の座っているベンチに腰をかけた。内心は何だろうかと色々と思いをめぐらせていたのであったが、その男は、「どこから来たのですか。」と、英語で話しかけてきた。で、英語嫌いの筆者は、その時もついドイツ語で、「日本人です。」と答えてしまった。すると、その男は、こう質問を続けた。「何故ドイツ語を話すのか。」と。「今ドイツを旅行してきたので。」と応えるのに対して、その男は堰を切ったかのように、話し出した。後から思い出してみるに、少し悲しそうな顔をしながら。

 彼の話をかいつまんで話すと、こうである。それは第二次世界大戦中のこと、ノールウェーがナチス・ドイツに1940年に占領されると、ノルウェーにもレジスタンスが組織され、自分も17歳でこの抵抗運動に参加したが、ドイツ軍側に捕えられて収容所送りとなって、そこで終戦を迎えたとのことであった。

 フェリーの船上にありながら、筆者はその夜、色々な思いに囚われていたが、それまで遠かったヨーロッパでの第二次世界大戦が、これ程身近に感じられたことはそれまでなかった。あの、Kristiansandのノルウェー人は、収容所でどうやって生き延びたのか、戦後はどうやって人生を過ごしたのか、筆者は、ある種の興奮を胸に抱きながら、あれこれと想像したものであった...

2022年8月16日火曜日

ザ スコーピオン キング オブ リングス(フランス、2007年作)監督:ジュリアン・セリ

ある女優が気になった映画


 最初に、はっきり言おう、筆者は混合フリースタイル格闘技に全く興味がないと。それでも、本作を最後まで観た。それは何故か。何故なら、本作最初の出だしが気に入ったからである。殆ど白黒の画面で、ストーリーはモノローグで始まる。この撮影のセンスで、おやっと思った。キャメラマンは、Michel Taburiaux ミシェール・タビュリオーというが、Wikipediaでは経歴が出ていない。ひょっとしたら、記憶に留めていいキャメラマンかもしれない。

 すると、ストーリーは月並みの展開で、フランスの「裏街道」を描く作品である。筆者は、基本的には一度観始めたらまずは最後まで観るタイプなのだが、それでもやはり観るのはそろそろ止めようかなと思ったところで、ある登場人物が一人出てきた。フランスでは当時まだ非合法の混合フリースタイル格闘技を闇興行主に雇われてプロモートするための写真を撮る女性フォトグラーフである。彼女がその後のストーリーの展開のロコモティブになるし、ストーリーの「どんでん返し」の要にもなるのである。

 この女性フォトグラーフの役をやっているのが、フランス人女優Caroline Proust カロリーヌ・プルーストである。別に美人という訳ではないが、何か知的さとパッションを内に秘めた複雑な雰囲気を漂わせて魅力的である。彼女が主人公に絡むのである。大体は舞台女優とテレビ映画女優として活躍しているようだが、本作の前の2005年に撮ったテレビ映画シリーズ『Engrenages 』(ギア装置 ― 司法の歯車に巻き込まれて)で女性刑事を演じ、フランスで有名になった女優であるようである。2020年に同じ役で第8シーズンでも登場している。

 という訳で、本来なら観なくてもいいような作品を意外にも最後まで観てしまう切っ掛けとはどこかに落ちているということであろうか。いつか無料で観るチャンスがあったら、自分の映画鑑賞力を高める、或いは「試す」意味で、ご覧になってはいかがであろうか。

ミッシング 消された記憶(USA、2007年作)監督:デイヴィッド・オーバーン

 本作は、まず、家族・家庭劇である。映画宣伝では、何かスリラー的要素を匂わせているが、それは、観客を誤った方向に誘導するミス・リードである。それを知ってか知らずか、日本の配給会社も、大変な邦題を付けたものである。確かに、自分の娘の誘拐に関わるので、『ミッシング』は許せるにしても、そのままでは、同名のたくさんの映画があることから、副題に「消された記憶」と付けてある。しかし、娘を失った母親は一時たりとも公園から連れ去られた娘のことを忘れてはいないのである。こういうミスリーディングの邦題は止めてほしい。原題は、『The Girl in the Park』である。

 ニュー・ヨークの、ある公園で、ちょっとした隙に娘が連れ去られて16年後、娘の失踪事件で未だに自責の念に駆られる母親(S.Weaver)は、夫とも別れ、一人息子との関係も疎遠にして、地方で、ある会社に勤めていた。しかし、勤めていた会社の仕事の関係でN.Y.に戻ってくる。

 既に元の夫は再婚しており、大きくなった息子も、ガールフレンドが妊娠しており、結婚まじかである。そんな中、S.Weaverは、ルイーズという、「ホームレス」の若い娘(Kate Bosworth)と知り合うことになる。S.WeaverとK. Bosworth(『スーパーマン リターンズ』のロイス・レイン役) の絡み合いが、本作を最後まで引っ張っていく。また、それが本作の主題でもある。

 助演の、息子役のAlessandro Nivala(『フェイス/オフ』のポラックス・トロイ役)、その彼女役のKeri Russell(『M:i:lll』のリンゼイ・ファリス役)、さらには、S.Weaverの同僚役で、ギリシャ系カナダ人俳優Elias Koteas(『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のガトー役)もしっかり脇を固めており、キャスティングも手堅い。 さすがは、演劇畑から来ている監督David Auburnである。

 1969年にシカゴで生まれた監督David Auburn は、基本的には劇作家で、1991年にシカゴ大学の英文科を卒業した後、90年代後半から演劇関係で活動し始め、98年に劇作家として本格的にデビューする。同年数々の台本をものにするが、2000年に発表した作品『Proof(証明)』で、翌年に演劇部門のPulitzerプリツァー賞を受賞する。この作品(これも問題ある邦題『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』)は、ジョン・マデン監督、グウィネス・パルトロー主演で、アンソニー・ホプキンスやジェイク・ギレンホールが助演する同名の作品として2005年に映画化されるが、D.Auburn自身がその映画脚本化に関わっている。その2年後、彼は、本作の脚本を書き、自らが監督となっている。その後は、舞台では監督もしているが、本作で映画監督業には懲りたのか、映画脚本を書く以外には映画監督としては活動をしていないようである。

 という訳で、脚本家が監督も兼ね、しかも本人だけでその作品の脚本を書いている場合は、要注意である。なぜなら、ストーリーが自己満足に陥る可能性が高いからである。確かに、本作は、よい助演陣に囲まれて手堅い作品にはなっているが、主演のS.Weaverの人物設定が何かしっくりこない。娘が誘拐される直前まで、ジャズ・シンガーとしてN.Y.のクラブで歌っていたと言うところが、まず、そうかなと思わせるところである。また、そういう人間が会社である程度まで出世し、アッパー・ミドル・クラスでそれなりのアパートをN.Y.で借りられると言うのも、俄かには信じがたいセッティングである。そう言うこともあり、映画の出だしは、かなり負のイメージで観始めることにはなるが、それを乗り越えれば、本作は、家庭劇としてそれなりのメッセージ性は持っている点において、心に傷を負った人間が対人関係の中で如何に自分の心を開いていくのかと言う心理劇に興味のある方には本作をご覧になることをお勧めできる。

2022年8月15日月曜日

アラモ(USA、1960年作) 監督:ジョン・ウェイン

 前回は何十年ぶりかで本作を観て、気になることを調べ上げた。それは、テキサス民兵軍が掲げる旗になぜ「1824」という数字が横に黒字で書かれてあるかである。


 スペイン本国にヨーロッパ大陸のナポレオン戦争が波及すると、これが謂わば飛び火した形で植民地メキシコに、1810年、メキシコ独立戦争が勃発した。こうして始まった革命戦争は、1821年、スペイン統治軍の将軍たち、特に本作に登場するサンタ・アナ将軍がメキシコの革命派へ支持を切り替えたことで、一挙に形勢が革命派に有利となり、ここにメキシコ独立戦争が終わった。そして、政治的紆余曲折を経て、メキシコは新しい「1824年憲法」の下で若い共和国となったのであった。上述の旗の上の数字は、この共和国憲法成立の年を意味していたのであり、テキサス民兵軍は、政治的には、つまりリベラルな共和制派だったのである。

 サンタ・アナ将軍は、1833年には自ら一時共和国大統領となるものの、その後、国内の保守派の蜂起を利用して、権力の座を堅め、連邦制を骨抜きにして、中央集権主義体制を樹立しようとしたのであった。こうして、Generalissimoサンタ・アナは州議会の解散、州市民軍の武装解除、そして1824年憲法の廃止を行う。この意味で、テキサス、いや正しくはスペイン語のテハス(Tejas)州民兵軍は、「自由のための抵抗運動」軍だったと言える。

 しかし、この理解は、テハス州に住むヒスパニック系市民、即ちテハーノ(Tejano、スペイン語で「テキサス人」の意味で、古くは「Texano」とも表記)には当てはまる。このテハーノを作中で代表していたのが、アルゼンチン人女優Linda Cristal演じる、情熱を内に秘めながらも毅然としたFlacaである。

 これに対して、共和制憲法のための戦いという「正義」を、アングロ系入植者、所謂テクシヤン(英語:Texian)に当てはめるのは、極めて問題がある。このテクシヤンの代表が、R.Widmark演ずるところのJames Bowieで、この地域の土地ブローカーなどを営んでいた彼は、「利害関係者」であった。

 というのは、彼らは、基本的には、メキシコ政府に許されてその土地を「占有」している人々だが、その多くはアメリカ合衆国からの移住者だったからである。つまり、外国人がその住んでいる国の内政に「干渉」するということである。

 実際、1827年、29年には、アメリカはテキサスの購入の意図を明らかにしており、いずれもメキシコ側に拒絶されていたが、こうした中で、1835年10月に起こった、テハス州の分離「独立」を目指して行われた「テキサス独立戦争」は、アメリカ側にとっては正に好都合な事態の発展だった。この、1836年4月まで続いた独立戦争の文脈の中で、同年2月下旬から3月上旬までの13日間に亘った包囲戦が本作のテーマとなる「アラモ砦の戦い」である。

 この戦いの数ヵ月後には、本作にも登場するサミュエル・ヒューストン将軍が、サンタ・アナ元帥率いるメキシコ正規軍(フランス制式軍隊)を破り、サンタ・アナを捕縛して、独立戦争を勝利に導き、テキサス共和国を成立させる。J.ウェインが演ずるところのD.クロケットが、作中、自分の政治的夢であると語った「夢」が実現したのである。(J.ウェインは、本作で、制作、監督、主演を担当し、彼の「愛国者」ぶりが面目躍如としている。)

 テキサス共和国は、早くも11年後の1845年には、USAとの合併がテキサス住民の「総意」であることを理由として、28番目の州として米国に併合され、この「テキサス併合」が、翌年からの米墨戦争のきっかけとなる。そして、この戦争に敗北したメキシコは、その領土の約3分の1をUSAに割譲せざるを得なくなるのであった。(という訳で、現在のUSAとメキシコの国境問題も、このメキシコからの領土「奪取」にその元凶があったのである。そして、西海岸に到達したUSAは、対メキシコ同様、「自由」の旗印を掲げて、ハワイ王国を併合し、さらに、スペイン領フィリピンを「植民化」したことも、日本人として、なぜ対米戦争になったかの一因として記憶しておいていいであろう。)

 さて、今回再度本作を観て、改めて思ったのは、自然の景観も上手く取り込んだ、いかにも映画的撮影と言える撮影のよさである。Eastmanの70㎜フィルムを使用した、さすがにTechnicolorで撮影された場面は、白黒フィルム撮影とはまた味わいの異なる、ある種の「抒情性」を醸しだす(例えば、数百年の樹齢を持った大樹の前で交わされる、D.クロケットとテハーノ人Flacaとの「熱い」会話のシーン)。70mmフィルムの上映可能な映画館で、政治的には極めて問題のある作品ではあるが、もう一度本作を観てみたいものである。撮影監督は、アメリカ人のWilliam H. Clothierで、数多くの西部劇の撮影を手がけている。

 最後に、独裁者サンタ・アナ元帥の名誉のために、書いておくと、本作のラスト・シーンとして、トラヴィス大佐の副官ディッキンソン大尉の妻スーが(金髪の女優Joan O'Brienが、黒髪のL.Cristalと好対照をなす)、その娘と黒人奴隷の子供と共に誇り高く、脱帽して敬意を表するサンタ・アナ元帥を一顧だにもせずに、戦場を去るところがある。実際は、メキシコ軍は戦闘後(!)に、ボウイの奴隷のサム(映画では戦死することになる)、トラヴィスの奴隷ジョー、そして24人の女性と子供を解放したことになっている。

2022年8月14日日曜日

ReLIFE リライフ(日本、2017年作) 監督:古澤 健

 学園もの漫画の劇場版。

  「ああ、あの時、ああしておけば、よかった!」とか、「自分の人生をもう一度別に生きて見たかった。」とかの願望が湧き起こることは、人にはあるものである。そして、この願望を青春時代に当てはめてみると、それは、高校生時代、とりわけ、それも人生の分岐点となる、高校三年生時代に該当するであろう。分別がより付き、多感な17歳、或いは18歳の時に、人は、就職か、専門学校進学か、或いは大学進学かの選択を迫られ、そして高校卒業の3月に自分の将来が現実のものとして決まっていく。この、「高校三年生を再度生きてみたい、つまりリ・ライフしてみたい!」という願望を叶えてくれるのが、10年の若返りを可能にする一錠のカプセルであり、こうして本作のストーリーは展開していく。

 そして、青春映画に典型的な「青春は一度しかない」という月並みなスローガンがストーリー展開の動機になっているという点で、本作は、平凡なメッセージの繰り返しであるには違いないのであるが、それに、他者との関わり合いというヴェクトルを絡めるところに本作の特異性がある。

 他者へ関わっていくことを「なんか、オジサン的」と自分で皮肉りながら、それでも他者へと関わっていく男性主人公は、それが「リライフ」であるからこそ、一度青春を味わった者の自意識、或いは悔悟で「同級生」に関わっていく。

 「困った人を放っておけない、面倒見のよさ、気遣い」を見せる男性主人公は、「対人スキルの高さ」を持つ、そして、その対人スキルの高さが、「どうしようもなく、『暑苦しい』、熱くてお節介で、真っ直ぐ」な人間と評価される。

 共助よりも自助が優先される現代日本においては、いわゆる新自由主義が跋扈し、既に1960年代に問題化されていた「個人のアトム化」が社会の隅々まで進行している。この意味で、たかが漫画の映画化という目線ではなく、現在の日本社会の在り方を見直してみるというつもりで、本作を「楽しく」ご覧になってはいかがであろうか。

陸軍中野学校 密命(日本、1967年作) 監督:井上 昭

 007シリーズの第一弾として、カラー作品として1962年に発表された 『007は殺しの番号』(後に『007/Dr. No』に邦題が変更)は、翌年に日本で公開され、日本での「秘密諜報部員もの」のブームの先駆けとなった。第二弾の『007/危機一発』(四文字熟語「危機一髪」をもじった名タイトル;後に『ロシアより愛をこめて』と邦題が変更)は、日本では1964年、つまり東京オリンピック開催前に公開された。(蓋し、コネリー・ボンドの作品中、最良の作品)


 ボンド・シリーズは、その後、『007/ゴールドフィンガー』(64年作、日本での公開65年)、『007/サンダーボール作戦』(65年作、同年12月日本公開で、しかも英・米よりも早い)と来ては、日本の映画界もこのブームに相乗りする他なかったのであろう。

 さて、強引な社長だったと言われる永田雅一が当時引き回し、今はない映画会社「大映」が製作した「諜報部員もの」が、本作『陸軍中野学校』シリーズである。

 日本のジェームズ・ボンド役に大映の看板役者・市川雷蔵が当てられる。眠狂四郎のちょんまげを、7・3分に分けた、サラリーマン風の髪型に変えて市川は登場する。ボンド映画の英国諜報機関MI6のMに当たるのが、帝国陸軍草薙少佐を演じる、加東大介である。

 しかし、東西冷戦の最中の国際防諜戦を描くには、日本を舞台にしてはスケールが小さすぎる。スコットランド人俳優コネリーに対抗するには、市川ではさすが見劣りがする。こうして、大映が取った方針は、時代を現在ではなく、戦時中に戻すという作戦である。となれば、歴史ものであり、そうであれば、カラー作品ではなく、モノクロ作品で撮った方が真実味がより湧く。さらに、これにフィルム・ノワールのタッチを入れれば、よりよい感じとなる。という訳で、若干犯罪・刑事もの映画のストーリーに、更にこれに市川のオフからのナレーションが入ると、これが、諜報部員ものでありながら、フィルム・ノワールの感覚をさらに強める。実にうまい「作戦」である。

 この「趣向」で、『陸軍中野学校』シリーズは、66年の第一作から68年の第五作まで5本が撮られた。ストーリー上の時代設定は、38年10月の中野学校一期生訓練時代から41年12月の『開戦前夜』までで、舞台は、東京・横浜(第一作、人間群像を描いてさすがの増村保造監督)、神戸(第二作、森一生監督)、上海(第三作、田中徳三監督)、東京・箱根(第四作、井上昭監督)、香港・東京(第五作、井上昭監督)となっている。そして、ボンド映画の敵役「スペクター」に当たるのが、このシリーズではその逆で、戦前・戦中のことであるから、もちろん英国或いは米英連合諜報機関が主に敵役を担っている。

 さて、日本製ボンド映画となれば、ボンド・ガールが出てこなくてはスパイ映画にはならないから、本シリーズでも、各々それと言える女優が登場する。小川真由美(第一作で、市川の許嫁として登場、敵側スパイとなる)、村松英子(第二作で、神戸の売れっ子芸者で実は中国共産党側のスパイとして登場)、松尾嘉代(第三作で、中国国民党側スパイとして登場)、小山明子(第五作で、抗日抵抗組織のスパイとして登場)と言った具合である。市川と小山の接吻シーンは、画面構成も斬新であり、カメラを右上に据えて、市川の後ろ姿、小山の顔面への斜め上からの構図で、接吻時の小山の目蓋の動き具合が彼女の心境を微妙に表現し得て秀逸である。フィルム・ノワール感が満載である。

 そして、シリーズ第四作の本作『密約』の「ボンドガール」が、野際陽子である。英国諜報機関に利用される男爵夫人役であるが、ウィーン育ちということもあり、日本人女性離れをしており、野際は市川を誘惑する。本シリーズで、恐らく唯一のはっきりした「濡れ場」である。しかも、彼女は薬物中毒者でもあり、そのことから、ドイツ大使館付き武官でSS将校のヴィンクラーと関係を結んでいるという次第であるが、ここに本作のストーリー上の「一捻り」があるのである。

 このヴィンクラー役を本物のドイツ人がこなし、劇中、彼がドイツ語を話す場面がある。野際がこのヴィンクラーに一言だけ、発音正しく、ドイツ語で語りかけるシーンがあるが、さすがは、おフランス留学をして日本に戻ってきた女優であり、ものの本によると、有名人で初めてミニ・スカートを履いて日本に戻ってきた女性第一号であったと言う。

 本作は基本的に娯楽サスペンス・アクション映画であるが、英米の大使館員と交流があり、箱根に住む、言葉の真正な意味での「自由主義」政治家山形勲の毅然たる態度が興味深い。戦前においては、共産主義者だけではなく、自由主義者もまた政治的に「弾圧」されていたことは、いわゆる保守政治家吉田茂の軍人嫌いを理解する上で大事なポイントであろう。娯楽作品からも学べるところはあるのである。

2022年8月13日土曜日

デスパレート(フランス、2011年作) 監督:クリストフ・ルッジア

 本作のフランス語の原題は、『Dans la tourmente』で、訳せば、「渦巻きの中に」であり、一旦取り込まれれば、どんどん中に引きずり込まれる、つまり、一度犯罪を犯せば事態が悪くなり、そこからは抜け出られなくなるという、典型的な犯罪もののストーリー展開を指している。

 主人公フランクは、南フランスのマルセイユにある、ある工場に勤めている。この工場が、軍事用ヘリコプターを製作している会社であることは、後で分かり、このことが本作のストーリー展開に重要な役割を演じるのであるが、フランクの親友マックスは、三年前にこの工場から解雇され、家庭にも軋轢があり、しかも、金に困っている。

 フランクが勤めている工場は、しかし、経営がうまく行っておらず、工場が閉鎖される直前で、経営陣側と労働者側は、対立関係にある。そんな中、さすがはフランスの労働者である、工場が閉鎖されるのであれば、工場を占拠し、経営陣側に工場を爆破すると脅しを掛ける相談が持ちあがる。フランクもその中の一員であり、工場占拠の下調べに、休憩中を装って、地下室を通って、経営陣がいる建物部分に侵入すると、偶然に、社長たちが、その夜に、工場にある機械や資材等を梱包して持ち去り、「夜逃げ」を計画していることを盗み聞く。しかも、その際、200万ユーロの金も持ち出そうという打合せがなされていた。これを聞いたフランクは、強盗の計画を立て、結局、親友のマックスと犯行を同日の夜に強行することになる。こうして、フランクとマックスは、犯罪の渦巻きに、あっという間に飲み込まれてしまう。

 さて、本作の邦題名は、『デスパレート』である。「自暴自棄」、「破れかぶれ」という意味で、蓋し、脇役であるマックスの生き様に焦点を当てた題名の付け方である。実際、このマックスという危なっかしい人間が本作では印象的である。この役を体現しているのが、Yvan Attalイヴァン・アタルというアルジェリア系ユダヤ人である。彼は、イスラエルのテルアビブ出身であり、映画俳優のみならず、舞台俳優、脚本家、映画監督もやっている多彩な才能がある人物である。やはり、本作では、彼が、すっかり他の主演俳優たちのお株を奪った格好になっている。

  人物背景も、ある程度、丁寧に描いているし、会社側と労働者側の実力での闘争もしっかりプロットの中に入れ込みながらも、結局は、単純な犯罪映画で終わるのかなと思いながら、映画を観ていると、本作は、終盤、意外にも、「政治スリラー」に話が展開する。ここにおいて、フランスの国内情報中央局が登場する。国内情報中央局(フランス語:Direction centrale du Renseignement intérieur、略称:DCRI)とは、国家警察総局付けの中央官庁の一つで、 フランス国内を管轄とする、テロリズムやサイバー犯罪などに対抗するための防諜・情報機関である。現在は、国内治安総局(フランス語:Direction générale de la Sécurité intérieure、略称:DGSI)となっている警察組織であるが、これが、ストーリー展開に絡んで、本作は終局を迎える。マックスとフランク、そして、フランクの妻エレーヌの運命は、どうなるか。

ローマの休日(USA、1953年作)  監督:ウィリアム・ワイラー


白黒の世界に魅せられて


 写真の展覧会に行って、個人的によく経験するのであるが、同じ写真家が撮った写真でもカラーと白黒ではその写真家に対するこちらの評価が異なることがある。筆者の場合、全般的に言って、白黒写真の方に軍配が上がるのであるが、今までは、なぜそうなのかを自分に問いただしたことがなく、そういうものだと自分で思っていた。しかし、この間、フランス人映画キャメラマンのHenri Alekanアンリ・アルカン(1909 - 2001)についての展覧会を見たことがあり、改めてこの問題を素人なりに考えたみた。

 なぜ、本作『ローマの休日』でこの問いが問われるかと言うと、Alekanが、Franz F. Planerフランツ F. プラーナーと共同で本作の撮影監督になっているからである。二人の内、どちらがどの場面の撮影に責任を負ったか確定できないので、ここでは、本作での白黒撮影について、調べ上げたこと、思ったことを述べたい。

 まずは本作の監督であるWilliam Wyler(ドイツ語でWilhelm Weilerヴィルヘルム・ヴァイラー)である。フランス・エルザス地方のドイツ系ユダヤ人を母とする彼は、その、1920年代から1970年までの間の映画監督歴で、12回アカデミー賞・監督賞にノミネートされ、1943年、47年、そして、60年に三回同監督賞を獲得している。60年の受賞作品は、あの歴史モニュメンタル映画『ベン・ハー』である。

 ジャンルの守備範囲が広いWylerは、1953年本作、コメディー・タッチも入れたラヴ・ロマンスを(敢えて「ラヴ・コメ」とは言わない、なぜなら、本作のストーリーは、いわば、royal one-„day”-stand であるから)ローマでの現地ロケで撮る。製作者でもあるWylerは、パラマウント映画会社に申し入れ、ハリウッドのスタジオ撮影ではなく、現地ロケで撮ることを条件にする。映画会社は、これを受け入れるが、経費削減のため、カラーではなく、白黒撮影に固執する。のちに、Wylerは本作が白黒で撮られたことを残念がっているようであるが、正にこれが本作を永遠の名画にしていると筆者は思う。なぜなら、これがカラーで撮られていたとしたら、ローマの名所巡りでもある本作を安っぽい絵葉書レベルに貶めていたことに違いなく、白黒フイルムで撮られていたことで、1950年代のローマを記録した時事性とその時代のロマンスのあり方に真実味を与えるからである。

 では、まず、キャメラマンFranz F. Planerについて一言述べておく。オーストリア=ハンガリー二重帝国下の、現チェコのカールスバートで1894年に生まれた彼は、無声映画時代からベルリンで活動していたが、自身の妻がユダヤ人であることから、ナチス政権成立と共にヴィーンに戻り、それでも、30年代のキャメラマンの中で最も確実な仕事をこなすキャメラマンとしての名声を得る。ナチス・ドイツによるオーストリア併合に伴ない37年にアメリカに亡命し、キャリアに穴を空けることなく、アメリカで今度はFrankと名乗ってキャメラマンとして活動する。彼は、ロケ撮影を好み、その白黒撮影はドキュメンタリー性を持ったスタイルで名を成していた。恐らくこの点からWylerはPlanerを起用したのであろう。

 Planerは、A.Hepburnとは、本作で初めて仕事をいっしょにし、59年の『尼僧物語』(カラー作品)、61年の『ティファニーで朝食を』(カラー作品)と『噂の二人』でも撮影を担当している。『噂の二人』の監督はWylerであり、8年ぶりに『ローマの休日』のトリオが再会したことになり、しかもこの作品は、白黒で撮られている。(Wylerは、Hepburnとは66年に三作目『おしゃれ泥棒』を撮っている。)

 『ローマの休日』でWylerがなぜ二人の撮影監督を使ったのか、筆者は寡聞にしてその訳を知らないが、PlanerとAlekanの経歴を考えると、基本的にPlanerが野外撮影を、Alekanが室内撮影を担当したのではないかと想像する。本作の製作には、ローマ近郊にあるチネチッタ・スタジオも使ったというので、Gregory Peckのアパート内でのシーンはここで撮ったものと推察される。因みに、GregoryのアパートがあることになっているのはVia Margutta 51番地で、この職人が多く住んでいたという通りにはF.FelliniやA.Magnaniなどのイタリア映画人も住んでいたということで、「ローマン・ホリデー」の際には、テヴェレ川から東のローマ市第四地区にある、ローマの旧市街地の一部で、ポポロ広場や、GregoryとAudreyとの意図された「偶然の再会」が演じられるスペイン階段から遠くないこの通りは一見の価値があるであろう。

 本作で有名な、Bocca della Veratà(真実の口)のシーンは、それがアドリブで撮った画面であるのか、粒子が粗い白黒フイルムで撮っているように見えるが、それに対して、コロッセオの、闘技場を最上階から俯瞰するシーンでは、重厚な、コールタールを流したような滑らかな画質が上手く出されている。

 AudreyとGregoryとの、公けの場だが、それでも無言で密かな二人の別離が演じられる記者会見のシーンは、荘厳なColonna宮殿で撮られる。プロトコルにない、記者との個人的な挨拶を終え、記者会見場から姿を消そうとする「アン王女」ことAudreyがふいに後ろを振り向き、Gregoryの方に視線を投げながら、微笑みの中に憂愁の哀しみを滲ませる、Audreyの一世一代の名演技は、後ろをぼかして、Audreyのアップで撮ってある。このシーンを堪能するだけでも筆者は何百回でも本作が観られると思うのであるが、このシーンは、Colonna宮殿内の撮影ではなく、スタジオで別に撮ったものを編集して映画に組み込んだのでないかと筆者は想像する。

 この想像の根拠は、『Des lumières et des ombres 光と影について』という、ヨーロッパの撮影技師の必読の「聖書」と言われている本を1984年にものにしたAlekanの撮影技法の一つ、照明による被写体の「モデリング」がこのシーンで使われているように思われるからである。照明によるモデリングとは、照明一本で被写体に光線を当て、撮影すると、画像が平板化する。フラッシュを焚いて撮った写真が詰まらなく見える理由である。それで、これを避けるために、照明度の異なる照明を何本も当て、それによって被写体に立体感をより強く持たせる照明効果のことを照明による「モデリング」という。ゆえに、照明器具を多数投入するには、ロケ撮影よりはスタジオ撮影の方が撮りやすいと想像し、あの名シーンはスタジオ撮影ではないかと想像する次第なのである。果たして、この推察は当たっているか。


 以上、白黒映画好きの筆者の「独断と偏見」による本批評を最後まで読んで下さり、筆者の光栄と致すところである。

2022年8月11日木曜日

戦艦大和(日本、1953年作)  監督:阿部 豊

「天下ニ恥ヂザル最期ナリ」

と言う文で、本作の原作となる、元帝国海軍少尉・吉田満が1946年に書いた初稿『戦艦大和ノ最期』(文語体、しかも、漢字とカタカナの文章)は終えられている。GHQの検閲により発表できなかった、吉田が一日で書き上げたというこの初稿を、その間口語体で発表した後、この秀逸な戦記文学が再び文語体で刊行されたのが、1952年8月であった。本作はこれを受けての映画化であった。

 吉田自身が、予備少尉に任官された後、戦艦大和に副電測士として乗艦を命ぜられて、大和の電探室勤務となる。運命の日の、1945年4月7日には、彼は、哨戒直士官を命ぜられ、艦橋にいたのであった。という訳で、原作は、記憶違いがあるにしても、吉田が見て、印象に残ったものを一日で書き上げた記録文学であった。(本作でも「吉村少尉」役あり。)さらに、53年の映画化に当たっては、大和副長であった能村次郎元海軍大佐が「教導」として参加しており、能村の視点からも本作は考証されている。 

 監督は、阿部豊である。ハリウッドで無声映画の俳優となって日本に「凱旋」し、1925年映画監督としてデビューした彼は、ハリウッド的「ソフィスティケート・コメディ」を日本映画に移植した後、太平洋戦争中は国策映画会社東宝で、あの円谷英二の特撮を存分に生かした国策戦争映画を撮った監督であった。

 さらに、応援監督として松林宗恵が加わっており、彼は、戦前は映画に「仏心を注入したい」と考え、東宝の撮影所の助監部に入った後、海軍第三期兵科予備学生となり、1944年には海軍少尉に任官されて、部下150名を連れて南支那廈門島の陸戦隊長なったという経歴を持つ人物である。(C.イーストウッドの『硫黄島からの手紙』に出てくる帝国海軍陸戦隊の、狂信的な士官が思い出される。)松林は、その後、『人間魚雷回天』(新東宝、1955年作)、『太平洋の翼』(東宝、1963年作)、『連合艦隊』(東宝、1981年作)などの戦争映画を撮っている。とりわけ、『連合艦隊』では、市井の目から見た連合艦隊の、先の大戦の命運が急ぎ足で語られ、当然、戦艦大和の轟沈の運命も作中で描かれた。

 ことほど左様に、本作では大日本帝国海軍に関係したスタッフが制作に関わっているので、史実に関しては、100%の信頼は置けないにしても、まずまずは「安心」して鑑賞できる作品となっている。(『男たちの大和』は、その点、「眉唾物」で、「下からの目」で見るという「ミクロ的」視点を取ることで、逆に「マクロ」が見えない、単なる「生き残った者」の「罪の意識」が強調される、心情主義的駄作となっている。ラストシーンでする敬礼が、帝国海軍式でないのが、これまた、駄作さの駄目押しである。)

 アメリカ側からの目で見て 、1941年12月8日は、7日であり、しかも日曜日であった。キリスト教社会においてこの曜日は聖なる日である。この日曜日に、大日本帝国海軍は、宣戦布告前に(!)、真珠湾攻撃を敢行した。

 42年6月のミッドウェー海戦では、連合艦隊は、正規空母4隻を失い、同時に錬成された飛行士を多数失った。ガダルカナル島(「餓島」)争奪をめぐる海戦では、辛うじて互角に戦えた海軍は、その後はジリ貧を余儀なくされ、44年6月の、サイパン島攻防をめぐるマリアナ沖海戦では、航空艦隊による戦闘能力を喪失した。アメリカ軍からは、「マリアナの七面鳥撃ち(Great Marianas Turkey Shoot)」と揶揄される壊滅的敗北であった。零戦を含む日本側の航空機は、目をつぶって撃っても当たる、「マッチ箱」だったのである。

 その4か月後の、アメリカ軍のレイテ島への進攻を受けての、いわゆる「捷一号作戦」に伴なう帝国海軍が総力を挙げての迎撃でも、それは失敗に終わるのであるが、戦艦大和及び同型艦の戦艦武蔵が参加するレイテ沖海戦では、武蔵が、栗田艦隊のための囮となって「死に花」を咲かせたものの、謎の「栗田艦隊の再反転」を以って戦術的成功なしに、連合艦隊は事実上消滅した。

 本作は、このような帝国海軍の終焉の運命を担った、45年3月末からの連合軍の沖縄侵攻に反抗する、いわゆる、陸・海軍共同の防衛作戦「天一号作戦」の文脈で起こった海戦をテーマにしている。その際、帝国海軍は、特攻航空(!)作戦「菊水一号作戦」を遂行し、その際に、連合艦隊旗艦でもあった大和を沖縄に向けて「水上特別攻撃」させたのであった。この「不沈艦大和」が轟沈した海戦を、「坊ノ岬沖海戦」と言う。

 ミッドウェー海戦以来暗号を解読していたアメリカ軍側は、自軍の潜水艦隊に「敵艦隊が被害を受けて引き返すことのないよう」魚雷発射を禁止して、哨戒配置につかせていた と言う。この海戦で、日本軍側は、大和、軽巡矢矧が撃沈され、護衛の八隻の駆逐艦中、浜風、朝霜が撃沈され、霞、磯風が処分された。涼月は佐世保のドック内部で擱座した。同年7月、連合艦隊司令長官豊田福武大将が布告した戦死者総数は4,044名であった。対して、アメリカ軍の損害は、日本側に撃墜された航空機が13機であったと言う。(なお、アメリカ機の編隊が大和の生存者に機銃掃射を浴びせるために出撃しており、この戦争犯罪を本作は描いている。)

 戦後、連合艦隊司令長官であった豊田大将は回想して言う。「大和を有効に使う方法として計画。成功率は半分もなし。うまくいったら奇跡。しかしまだ働けるものを使わず残しては、[筆者:沖縄の]現地将兵を見殺しにする。だが勝ち目のない作戦で大きな犠牲を払うのも大変苦痛。しかし多少の成功の算あれば、できることはなんでもやらねばならぬ」。(ウィキペディアより)「死に花を咲かせる」どころではない、これでは「犬死」であろう。何を以って、「一億総特攻の魁」であろうか。そして、「一億総特攻」は、周知の如く、なかったのである。

 さて、戦中の東宝は、円谷が特撮を受け持っていたので、それなりに見られる特撮を撮っているが、戦後に東宝争議の、いわば「スト破り」的に出来た映画会社「新東宝」の特撮は、質が落ちている。大和の部分的セットも大和のミニチュアも、セット作業、フィルム合成作業が粗雑である。

 しかし、キャスティングはいい。第二艦隊司令長官・伊藤整一中将を演じる高田稔、テクノクラート的聯合艦隊参謀で、水上特攻を映画冒頭の会議で主導する中村伸郎(小津映画の主人公の同級生役)、水上特攻に慎重派の聯合艦隊参謀役の宮口精二(『七人の侍』のストイックな剣士役)がいる。そして、戦中の映画『加藤隼戦闘隊』で主演を務めた藤田進が副長能村を演じる。関西弁を話し、その現実主義的な商人の「知恵」を体現する高島忠夫もいい。そして、今作中の紅二点。映画の序盤、若い少尉・中尉の中で女性の写真を持っている奴がその写真を見せるように他の士官に促される。すると、二人の少尉が写真を出し、観ている者もそれを見る。
久我美子と嵯峨美智子(のちに、三智子と名乗る)である。

 久我は、1950年の映画『また逢う日まで』で岡田英次と窓硝子ごしの接吻を演じた女優で、その白百合のような清楚さが似合う女優である。彼女を棒立ちで演技させたのは失策の演出であろう。

 対して、嵯峨は、当時17歳、その彼女がどういう訳で、ある少尉の写真で出てくるのかは、本作を観てのお楽しみの「オチ」が付いている。しかし、日本映画史上の大女優山田五十鈴の娘、嵯峨の、まるで蘭の華が匂うような艶美さは、大日本帝国海軍の「葬送式」に相応しくない、「徒花」とは言えないであろうか。「色即是空、空即是色」を悟る人間は数少ないのである。

2022年8月10日水曜日

シェナンドー河(USA、1965年作)  監督:アンドリュー・V・マクラグレン

 19世紀に成立したアメリカ民謡に『Oh Shenandoahオー、シェナンドウア』がある。作詞の構造は単純で、全部で5番まである、それぞれの節は何れも「'Cross the wide Missouri」で終わる。

 Shenandoahとは、18世紀から19世紀初頭に実在したネイティブ・インディアンの酋長の名前で、あるカナダ系乃至はフランス系の、毛皮取引と関わったカヌー乗りがこの酋長に歌いかける形式で歌詞の内容が展開し、歌詞の二番では、カヌー乗りは、自分が酋長の娘に恋をしていることを告白して、それを謳った歌である。

 アメリカ人であり、「Shenandoah」という言葉を聞いたならば、このアメリカ民謡のメロディーを、思い出しながら、人は本作を観ることであろう。しかし、本作では、その題名は、この酋長のことではなく、Shenandoah溪谷のことを言っているのである。「ヴァージン・クィーン」、エリザベス一世に因んで命名されたヴァージニア州にこの溪谷はあり、同名の河がここを流れている。

 映画のストーリーが設定されている年は、1864年である。アメリカ史上最大の内戦、南北戦争が起こっている年である。南北戦争は、1861年に始まり、65年に終わる。ということは、南北戦争の最終段階にある時期ということになる。

 ヴァージニア州は、対大英帝国に対する独立戦争で闘った13州の一つであり、現在のアメリカ合衆国成立の核を構成した州である。南北戦争が始まった時には、ヴァージニア州は、南部・連合(コンフェデレーション)側に付く。大西洋岸に続く平地部では、富裕層が経営するプランタージュ園が、内陸に行くに従い、山がちになり、中農層が経営するファームがよく見られる。こうして、奴隷制度に関わって勃発した南北戦争の対立は、プランタージュ園経営に奴隷が必要な富裕層と、奴隷をあまり必要としない中農層とでは、その利害の度合いが異なってくる。南北戦争をこのプランタージュ園の富裕層の立場から描いたのが『風と共に去りぬ』であり、実際、スカーレットの実家も、南北戦争の激戦地となる、このヴァージニア州にある。一方、本作の主人公チャーリー・アンダーソン(父権丸出しでジェームズ・ステュワートが演ずる)は、奴隷を使わないで自分のファームを家族(息子六人!と娘一人)で経営している中農である。

 この、独立戦争では闘ったであろうCh.アンダーソンにとっては、南北戦争は、奴隷を使っていはいないが故に「彼らの」戦争であり、自分の戦争ではない。こうして彼は、南軍へ息子たちが徴兵されるのを拒み、自分が育てた良馬を南軍に接収させようとはしない。 

 しかし、戦争は容赦なくアンダーソンの許にやってくる。そして、結果として二人の息子と義理の娘を奪っていく。この状況下、戦争には加担したくないアンダーソンは如何なる行動を取るべきか。

 さて、南北戦争時代に自立したウエスト・ヴァージニア州との州境にほぼ沿うシェナンドー河或いは溪谷は、戦術的意義を持っていた。なぜなら、この渓谷を北東に上って行くと、ポトマック川に通じ、その河畔にある、USAの首都ワシントンD.C.に攻め込めるからである。

 この理由から、1864年の5月から10月にかけていわゆる「Valley Campaigns of 1864」という諸戦闘がこのシェナンドー溪谷で闘われた。北軍のU.グラント将軍は、シェナンドー溪谷を通ってヴァージニア州に進攻しようとする。リッチモンドに貼り付けられていたリー将軍は、別動隊を送ってそれを阻止し、この隊は一時はワシントンD.C.まで攻め上るが、これも押し返されて、11月までにはこの渓谷は北軍に制圧される。『風と共に去りぬ』で描かれる、北軍W.シャーマン将軍による、ヴァージニア州にあるアトランタの焼き討ちもほぼこの時期で、65年4月の南北戦争終結にあと約半年の時期であった。

 歴史的に本作が制作された1964年の年(初上映は65年)を考えると、シェナンドー溪谷での戦争100周年、1964年のトンキン湾事件でアメリカ軍のヴェトナム戦争への介入が本格的になるこの時期、本作の、不戦ならずも「非戦」というメッセージは、政治的「発信力」があったと言う。

 ロンドン生まれの監督Andrew V. McLaglenは、J.フォードなどの助監督を務めた西部劇映画の職人的監督で、J.ウェインとの映画を5本も撮っている仕事ぶりからも、本作が「反戦」の意味合いで撮られたものではないであろう。製作も、B級映画の製作会社ユニヴァーサル・ピクチャーズであり、ここにそこまでの反骨精神は求められないであろう。脚本家James Lee Barrettも、元海兵隊員であり、68年作で、J.ウェインが監督を務めるプロパガンダ映画『グリーン・ベレー』の脚本も書いているのである。ゆえに、Ch.アンダーソンの態度は、「反戦」とは言えないのであり、場合が場合であれば、彼は、前大統領トランプ支持者になったかもしれないのである。

 本作のBarrettの脚本を基に、約10年後の74年に同名のミュージカルの台本が書かれる。最初は地方舞台で上映されていたが、翌年にはブロードウェイで上演されるようになり、それは、77年8月までロングランが続いたという。75年4月30日にサイゴンが陥落するが、このミュージカルのロングランは、Ch.アンダーソンの、あの、「彼らの戦争」には関わらずの態度が、当時のアメリカ人の心境に共鳴させるものを持っていたからかもしれない。

 本作を観たのは、図らずも8月15日、日本史で言えば、ポツダム宣言を受諾する旨が公表された「降状の日」であった。そして、本作を観終って、テレビを点けたら、カブール陥落のニュースが出ていた。20年も続いたアフガン侵攻が、アメリカ軍、Nato軍が既に撤退していたとは言え、敵対するタリバン勢力によってカブールが陥落させられたことを以って、事実上の敗北で終わったのである。

 観た時の状況のせいで忘れられない映画というものがある。初めての恋人と初めて観に行った映画もそういう忘れられない映画となるが、本作『シェナンドー河』も偶然に重なった象徴性を以って筆者には忘れられない映画となった。(映画『卒業』で、自分の母親が好きになった男と情事を重ねていたことを知らされてショックを受ける、清楚なキャサリン・ロスが、この役になる二年前に本作で、Ch.アンダーソンの義理の娘役で出ている。戦時の無残な運命がこの義理の娘Annを待っていたことも胸に刺さる。)


2022年8月9日火曜日

修羅の群れ(日本、1984年作) 監督:山下耕作

 旧大日本帝国領内で、最高峰の山はどこかと聞かれて、今更のように問われて、誰もそれが富士山であったとは思わないであろう。それは、「新高山」であった。これを「ニイタカヤマ」と読む。「ニイタカヤマ」?日米開戦の日時を告げる、大日本帝国海軍の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を、これで連想する人があるかもしれない。そして、この連想は正しい。

 それでは、この「新高山」とはどこにあるかというと、旧帝国日本領だった台湾のほぼ中央部、若干南よりにある。台湾が大日本帝国領となり、それで以って、富士山より高い、3.950m(これは、当時の標高値で、現在の衛星測量ではより高い3.978mであるという)もある、「新しい高い山」として、明治天皇によって名付けられたと言う。この山は、新高山の周囲に住むブヌン族が話すブヌン語では「Saviah, Savih」と呼ばれて、台湾語では、「玉山」という。

 このことが、本作とどんな関係にあるかというと、映画の始めの方に、本作の主人公のやくざ者の稲原龍二が、かたぎの娘中田雪子と偶然に知り合うことになる熱海海岸で、雪子が水兵帽のような形をした白い帽子を被っていて、恐らくアルバイトとしてであろう、そこでキャラメルを売る屋台に立っていたのである。その被っていた帽子の前立て部分に、横から右書きで、「ニイタカキャラメル」と書いてある。

 そこで、フィクションかなとも思い、調べてみると、「新高製菓」という会社が実際に存在し、この会社は、1950、60年代まで、「森永」、「明治」と並ぶ三大菓子メーカーであったと言う。「新高」の名前の由来は、この会社の本社が戦前に台北にあったことからである。

 この「雪子」を演ずるのが、酒井和歌子で、本来現代劇で精神的に、人形のような「不感症」の役をやらせると上手い女優である。やくざ映画の本作に果たしてマッチしていないようにも見えるが、彼女は、役のモデルとの絡みで登板させられたのかもしれない。対する稲原龍二を演じるのは、松方弘樹で、この役のモデルは、稲川会の首領・ドン「稲川角二」であると言う。

 という訳で、本作、東映ヤクザ映画オールキャスト出演のような「豪華版」で作った、いわゆる「実録路線・ヤクザ映画」の一本である。東映の「実録路線」と言えば、その火蓋を切ったのが、『仁義なき戦い』である。この、1973年の作品では、菅原文太が主演し、実録路線の「偶像」となったが、ほぼ10年後の本作では、菅原は役的に面白い、愚連隊上がりで頭の働く、稲原の「四天王」若衆の一人という脇役を演じている。

 実録路線も10年も経つと、やはりマンネリ化が目立たない訳はなく、本作も、口を悪く言えば、稲川会「よいしょ」映画とも言えなくない。果たして、あと10年間東映はこのマンネリズムを続け、94年の作品『首領を殺った男』を以って東映は、その実録ヤクザ映画の最終作品とする。そのトリを取ったのも、本作で主演を演じた松方弘樹であった。

 72年に、任侠道の緋牡丹一輪たる藤純子が引退したことを以って、任侠映画のある一章が終わり、同年にヒットした『ゴッド・ファーザー』が上映されたことで実録路線への製作方針の転換が確実化する。しかし、この路線は、エクスプロイテーション映画が社会問題をテーマにしているように見せて、実は暴力描写を正当化する、観衆の「覗き見」の好奇心を満足させたように、「猟奇犯罪映画」に堕する危険があったことも見逃してはならないであろう。

 「任侠」とは、自分の命も顧みずに、暴力を以ってしても他者を助けることである。その失われていこうとする「義侠心」への「白鳥の歌」が、東映やくざ映画の金字塔を飾る「昭和残侠伝シリーズ」である。「残侠」という、ノスタルギーのこもった言葉を味わいたい。その様式化された美は、時にうぶな男気の羞じらいを見せる高倉健と、苦みの効いた、男立ちの高貴を匂わせる池辺良の間の、殆どホモ・エローティッシュな感情の絡み合いによって伴奏される。任侠道が失われれば、そこには露骨な、仁義なき闘いしか残らないであろう。昭和残侠伝から実録やくざものへの転換もまた、時代の変化に対応したものであり、それは、一つの必然であったとも言えるのである。

 最後に一言:
 本作の中盤、日本人ヤクザ・グループと韓国人ヤクザ・グループが抗争になりそうになって、稲原こと松方が言う。日本人も韓国人も同じ人間であると。そうして彼は、博打で自分の家族を貧困に追いやった自分の父が、関東大震災の際に日本人の警防団に追われた「朝鮮人」を自分の家にかくまったことを思い出す。これが、先の、稲原の言説の理由であったのである。

 この時、松方は、映画内で「日本人」という言葉をどう言ったか。いきり立った「にっぽんじん」ではなく、やさしい響きのこもった「にほんじん」と、松方は言ったのである。

2022年8月7日日曜日

シノーラ(USA、1972年作)監督:ジョン・スタージェス

スタージェス監督が撮った「スパゲティー・ウェスタン」は、法律上の問題を投げかける:合法性はいつも正義だとは限らない


  黒澤監督の『七人の侍』を翻案した西部劇『荒野の七人』(1960年作)を撮った監督がJohn Sturges である。そのストーリーの大枠は原案通り、侍ならぬガンマンが農民を助けるという構図で、同じスタージェス監督によって1972年に発表された本作も、ある白人アメリカ人がメキシコ人農民を心ならずも助けるというものである。しかし、1964年作の「スパゲッティ・ウェスタン」の『荒野の用心棒』を知っている観衆は、しかもその主人公であるClint Eastwoodが本作の主人公でもあれば、当然本作でもイタリア製ウェスタンのタッチをイメージする訳で、実際本作は、アメリカ製にも関わらず、「スパゲッティ臭」がぷんぷんする。やはり、筆者には、イーストウッドが演じるところの、非道徳とは言えないまでも、期を見るのが早くて打算を働かせながらも、ある種のシニカルさを含ませた主人公キッドの振る舞いに何か惹かれるものを感じる。

 さて、ストーリーが進むにつれて本作は少々辻褄が合わなくなるのであるが、それは、やはり本作が取り扱っている問題の二重性にあるのではないか。つまり、いわゆる「合法性」の問題である。映画の最初に、アメリカ国旗の権威の下、合法的にメキシコ人が貧困に貶められていく不正義が提示される。その不正義に「非合法に」反抗すれば、反抗した者は「犯罪者」になる。となると、犯罪者は法の下に裁かれはするが、本来的な不正義は依然として解決されず、合法的であるが、不正義状態はそのまま固定化される。ここにはいわゆる「法治国家」における社会的不正義を如何に止揚し得るかの問題が開示されているのである。ドイツ・ナチズム時代におけるユダヤ人迫害は、「人種法」という法律を以って「合法的」になされたのであり、民主的ヴァイマール憲法下の議会は、「授権法」という法律を以って機能停止に追い込まれたことを人は記憶に留めておくべきであろう。その意味で、本作の「善玉」がどこで「悪玉」をどうやって裁くか、とりわけご注目ありたい。

 その大地主の「悪玉」を演じているのがRobert Duvallで、好演している。この卑劣な大地主に雇われて登場するガンマンたちも如何にも悪さ加減が滲み出ているのであるが、その中の一人、格好は付けてはいるが、間抜けのガンマンが一人いて、そいつがまた格好のいい銃をこれ見よがしに見せびらかす。銃器にはあまり詳しくない筆者も一目で分かる銃で、それがモーゼルC96である。独特な形状と、木製ストックを取り付けると代用カービン銃として使用できる点で、一度見たら忘れられない銃器である。なお、名前の「モーゼル」は、本来なら、Mauserマウザーと読むべきところ、これがフランス語読みされて「モーゼル」となるところ、ひょっとしてフランスの武器商人がドイツ製の武器を日本に喧伝し、それでMauserという名前がフランス語読みされて、その名前が日本で広まったのかもしれない。

2022年8月6日土曜日

滝を見にいく(日本、2014年作)監督:沖田 修一

中年女性を「おばちゃん」と呼ぶのは止めよう!

 本作、音楽センスがいい!エンディングには、わざとだろうが、ポップス系を使っているが、映画内でモーツァルトを使った妙は、時々はっとする自然の美しさと相まって(撮影:芹澤明子)、中々いける。音楽的フモールを持ったハイドンであれば、もっとよかったかもしれないが、本作、全体として静かにユーモアを発揮する佳作としてお勧めしたい。

 ストーリー的には想定内で正に平凡なのであるが、山の中で道に迷うという非日常的な状況で人間の中身が少しずつ引き出されてくるところに本作のドラマ的眼目があり、そこに人間がなまに見えてくる。この沖田監督の意図に合うのは、やはり、わざと無名の、或いは半分素人の俳優を使うことである。そして、それによって、観ている方に俳優が如何にも演技をやっているという感じがその分少なくなるという得点も出てくる。観衆は予感なく役を演じている俳優に対等に向き合う。とりわけ、「師匠」役をやった徳能敬子がいい。年齢が一番上のせいもあって、迷ってすぐにグループのリーダー格になるのであるが、彼女には何か戦前の上流階級のお嬢様だったような感じが未だに出ていて微笑ましい。キャスティングの勝利であろう。こうやって、七人の「小人」ならぬ、レイディースたちは、我々を一時メルヘンの世界へと導いてくれるのである。

 最後に提案:

映画宣伝自体、また、レヴューでも登場人物の彼女たち七人を「おばちゃんたち」と呼んでいるが、女性をそう呼んでしまうことで、25歳になったらもう年を取らないという日本人女性に、精神的な若さを保とうとする意欲を失わせることにならないだろうか。恐らく長年の主婦稼業で日常のマンネリズムの中に埋没していた「ジュンジュン」が、サバイバルの中で蛇を取ったりする果敢ぶりを発揮し、眼が生き生きとしてきて「美しく」見えてくるのは、筆者にだけであろうか。女性が生き生きとして美しく、男たちが「ダンディー」である、そういう美しい国に日本がなって欲しい。

イミテーション・ゲーム(イギリス、USA、2014年作)  監督:モルテン・ティルドゥム

The Imitation Game と何故この作品は名付けられたのか

 まず、この点ははっきりさせる必要がある。Alan Turingがドイツ帝国暗号機エニグマ(Enigma)を解読或いは破ったとするのは誇張であると。既に、1932年の段階で、ポーランドの暗号解読部がギリシャ語で「謎」という意味のEnigma暗号の原理を破っており、その土台の上にA.Turing達の仕事が成り立っていたということである。

 ただ、A.Turing達の仕事の画期性は、まずは「総当り攻撃」でエニグマをマシーンを使って解読しようと試みたことである。このマシーンのことをA.Turingは、映画では、自分の子供時代の友人「クリストファー」と名づけたとあるが、実際は「Bomb-e(ドイツ語では「爆弾」の意)」と名付けたようで、それは、ポーランド暗号解読部が製作したマシーン「Bomb-a」の命名から来ている。

 では、題名の「The Imitation Game」のImitation(真似る)とは、本作のストーリーとどう関係するのであろうか。映画内ではその謎解きがなされていないように思うが、諸君はどう思われるであろうか。

 そこで、A.Turingのことを色々読んでいてある箇所に突き当たった。正にThe Imitation Gameと呼ばれる箇所である。このゲームには、まずA,B,Cの三人が登場する。Cは、AとBと直接ではなく、別個にテキストのやり取りをする。Bは女性、Aは男性で、女BはCと普通にやり取りをするが、男AはCと、女性のふりをして、つまり女性に「真似て」やり取りをし、CはAをどう判定するか、というものである。この男Aを更にマシーンに入れ替えて同じゲームをした場合、それは、同時にまた、いわゆるTuring-Testとなり、この人間のAとマシーンのAとで、果たしてCはその区別ができるか、という人間の知性と人工知能の区別の問題にもなりえるのである。

 そして、この「真似る」というゲームをこの映画のストーリーと掛け合わせると、それは、A.Turingが自分を「普通の」人間、更に言えば、普通の「男」に真似たという、この映画のストーリーのもう一本の筋書きが出てくるのである。

 ちなみに、この映画でA.Turingの同僚として出てくるIrving John „Jack“ Good(Joan Clarkeといっしょに採用される、細面で眼鏡を掛けた男性)であるが、彼は、後にアメリカでも教授になった人物で、実は、A.Turingから碁のルールを習い、その後ヨーロッパにおける碁の普及に一大貢献をすることになる人物である。

2022年8月5日金曜日

ツナグ(日本、2012年作) 監督:平川雄一朗

 死とは、人生という列車の「終着駅」である。終着駅に着いたら、人は列車から降りなければならない。乗っていた列車はもうそれ以上は進まないのである。故に、死後の世界などは存在しなのであり、死後とは「無」なのである。死後の世界というものは、生者の願望でしかない。

 以上の前提から出発すれば、本作のフィクション構成はナンセンスであり、生者が死者と豪華ホテルの一室で、お互いに話せたり、或いは、物理的に接触できたりする訳がない。(因みに、この豪華ホテルは、横浜にある、1927年創業の「ホテルニューグランド」で、入り口から上りかける、タイル張りの階段と、上った二階にある、古色蒼然としたエレベーターが印象的である。)

 しかし、である。仮にある人が死に際にあり、自分の人生で会った人たちの中で、最後にもう一度会ってみたいとして、それが誰であり得るかという設問は十分意義のあるものである。そう考えて本作を観れば、それはそれなりに意味を見つけることができるであろう。

 さて、この、生者と死者を「つなぐ」、言わば、「霊媒」役を演じているのが、樹木希林という役者である。自然体で役をこなしている、或いは、人柄の地がそのまま演技になっていると言うべき役者である。本作の制作年が2012年であり、同年に同じく発表となった作品『わが母の記』(原眞人、脚本・監督、役所広司主演)で、樹木は、役所の母親役をやって、第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞している。同賞受賞は、彼女にとって2007年以来の二度目であったが、13年の、その受賞スピーチで本人は、自身が癌に侵されていることを公表したのであった。

 つまり、本作を撮影中にも、樹木は、癌に侵された体に、無理を押して、演技をしていた訳であるが、本作での役柄が死に関わるものであり、本人がどういう気持ちを抱えて演技を行なっていたかを考えると、胸が詰まる。

 その俳優暦の初めの1960年代前半に、樹木は、文学座の大女優杉村春子の付き人をやったりしていたが、後にアドリブを重んじる男優森繫久彌に傾倒して、杉村を批判していた。しかし、後年の2008年のある機会に、彼女は次のように発言している:

 「映画は脚本が第一、監督が二番目、三番目が映像で、役者はその後ですよ。優れた監督と出会ったら、何も変なことをする必要はない。遅いけど、監督に何も文句を言わなかった杉村さんの良さが今になって分かりました」。(ウィキペディアによる)

 こうして役者としての信条の変遷を遂げながら、樹木本人は、役作りの「奥義」を窮めていったに違いない。本作を撮った後の6年後の2018年に樹木は亡くなった。享年75歳であった。

 その樹木が、作中に老いの「重み」について、本作の終盤で話す台詞がある。エンディング・ロールを注意深く見ていたら、ヘルマン・ホイヴェルス『人生の秋に』という本が挙げられていた。Hermann Heuvers(「ホイフェアス」と発音するかもしれない)は、オランダ国境に近い、現ドイツの西部にある町で生まれたドイツ人で、カトリック・イエズス会派の神父であり、1923年に訪日し、上智大学の学長などにも就いたりしながら、1977年に東京で亡くなるまで、数多くのキリスト教をテーマとした著作・戯曲を書いた人物である。『人生の秋に』は、このキリスト者が1973年に日本語で上梓した著作である。

 そして、奇しくも、樹木の、その遺作となった映画作品が、ドイツ人女性監督Doris Dörrieドーリス・デリエ作品『Kirschblüten und Dämonen櫻の花と鬼ども』(日本語題名:命みじかし、恋せよ乙女)である。日本語題名は、『ゴンドラの唄』の出だしから採られているが、この曲は、黒澤明監督の名画『生きる』で歌われた曲である。この時には、名優志村喬が、癌に侵されて余命いくばくもない中、自分がその建設のために余命を掛けた児童公園のブランコに座りながら、雪の降る中、つぶやくようにこの曲を歌うのである。樹木もまた、この歌をその遺作となる作品で歌う。ここにおいて、運命の、ある意志を感じるのは、筆者だけであろうか。

2022年8月4日木曜日

アンダー・ザ・スキン 種の捕食(イギリス、USA、スイス、2013年作) 監督:ジョナサン・グレイザー

 こういう「芸術映画」を気取って、内容のない作品ほど嫌なものはない。第70回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品され、上映が終わって、賛否両論に別れたというが、ブーイングもあったということで、むべなるかなである。

 監督は、1965年にロンドンで生まれたジョナサン・グレイザーで、元々はミュージック・ヴィデオ畑から来ており(なるほど、それだからと、肯くのだが)、長編映画は、これまでに本作を入れて3本ぐらいしか撮っていない。長編映画では、2000年に犯罪映画でデビューし、2004年に『Birth記憶の棘』を発表している。その2004年の作品では、主演がN.キッドマンで、その後の9年ぶりの本作の主演がS.ジョーハンスンであるところを見ると、監督は、美人がお好みのようである。

 監督は、本作のための映画化権を既に2001年に獲得し、脚本も共同執筆しているが、同名の原作は、その前年に出版されていたものである。筆者は、原作を読んでいないので、どれだけ脚本の方で変えてあるのかは判断が付かないが、原作は、Michel Faberが作家経歴として初めてノヴェルとして書いたものである。M.Faberは、デンハーク生まれのオランダ人で、オーストラリアへ両親と移住した後、ここに馴染めずに、結局イギリス、それもスコットランドに移り住んだ人物である。ウィキペディアによると、このノヴェルの構想は、スコットランドのHighlandsから受けていると言う。なるほど、それで、本作の色々なシーンでもスコットランドの風景や印象的なTantallon Castle城跡などが見られるのである。映画の終盤で、主人公「女」が(何もエイリアンではなく、ガイノイドにした方がプロット的には面白いはずだが)彷徨する村々や原生林、そしてラストシーンもこの原作からイメージがなされているのであろう。

 撮影は、1962年にイギリスで生まれたDaniel Landinで、彼も監督同様ミュージック・ヴィデオ畑出身である。本作でもモード雑誌に出ているようなスタイリッシュな映像を撮っており、液状物中撮影を含めて、印象的場面が、映画の口数の少なさと内容の軽薄さを若干補ってくれる。

 観客を「慰撫」してくれるもう一つの要素は、音楽である。担当は、1987年に生まれたイギリス人で、自己のジェンダー・アイデンティティを「ノン・バイナリー」と規定しているMica Leviである。2000年代から音楽活動を始め、映画音楽分野では本作のためのものが手始めで、「初心者の運強さ」とも言ってよく、本作で2014年度ヨーロッパ映画賞の最優秀音楽賞を受賞している。

 さて、「お目当て」の、主人公「女」を体現しているS.ジョーハンスンである。2003年に『ロスト・イン・トランスレーション』(最初の20分が日本の奇異さを集約して表現して秀逸)でブレイク・スルーしてからの、10年後の彼女である。文字通り「体当たり」役とでも言える本作では、裸体を惜しげもなく見せてくれる。サイドから見ると、S字型の体型で、ヒップが大きく威勢よく突き出している。胸の二生りは西洋梨型をしているが、双方があっちこっちを見ている。男の「垂涎の的」として、本作では、厚い唇を真っ赤に口紅で染めて、いかにも街に立っている「あれ」のように、安物の人工の毛皮に、Gパン、ハイヒールの出で立ちである。こうして、スコットランドのグラスゴーの男たちを誘惑して歩く彼女であるが、さて、その行く末は?そして、その目的は?(因みに、本作でのS.ジョーハンスンの肉付きが意外といいのに「落胆」をしてはいけない。なぜなら、それは、彼女の身体自体が、ストーリー上の「外皮」であるからである。2017年の『ゴースト・イン・ザ・シェル』では、S.ジョーハンスンの太さに「落胆」したが、それは彼女が光学迷彩用の「外皮」を着ていていたからである。)

 『アンダー・ザ・スキン』という題名が既にネタを明かしているので、ラストシーンは最初から既に予想が付く。ゆえに、その先の、プロット的展開が求められる。この展開がないことが本作の絶対的な弱みである。日本語副題「種の捕食」が、観ている者を、更にミスリードをすれば、騙された観衆が「怒り」出すのも当然と言えば、当然である。

いとみち(日本、2020年作)監督:横浜聡子

 本作は、典型的なふるさと振興・観光映画である。振興対象は、青森県、とりわけ、津軽郡、つまり青森県の西半分と青森市である。しかし、面白いことに、エンドロールの「協力」というところで最初に出てくるのは、弘前市である。そして、弘前市のことは本作のストーリーでは、本作の主人公が通う高校でしか出てこないのである。その意味で、弘前市の「鷹揚さ」に感服する。一方、青森市は、青森県の県庁所在地で、本作のストーリーの主要な舞台の一つとなる「津軽メイド珈琲店」がある場所である。

 東北新幹線が、それまで盛岡までであったものが、延長され、津軽半島を抜けて、北海道の函館まで延びると、新幹線は、昔は青函連絡船の港であった青森市は通らずに、弘前経由で、更に線路は北に進む。それ以来、弘前市が成長し、青森市は停滞しているとも聞く。

 更に、青森県人でなければ知らないとは思うが、現在の青森県は、弘前藩(別名「津軽藩」)と盛岡藩(別名「南部藩」)が明治時代になって強引に合併させらた県であった。
 元々は、古代の「陸奥(むつ)国」とは、現在の青森県から太平洋岸を北から南に下って、福島県あたりまで降りた地域を指す。その後、「陸奥(りくおう)国」が、陸奥国の奥にあるということで、現在の青森県と岩手県の北の一部を併せた地域にでき、更に、16世紀末に南部家の代官として津軽地方の郡代補佐をしていた大浦氏が謀反を起こして「津軽家」を名乗り、これを以って「弘前藩」を成立させる。これにより、盛岡藩と弘前藩との仲は本来非常に悪いまま、異なる「文化圏」として江戸時代を過ごし、方言で言えば、「南部弁」を話す人は「津軽弁」を分かろうとはせず、その逆もまた然りだったのである。

 さて、本作のもう一つの舞台は、弘前市の北にある板柳町で、ここはりんご生産で有名な地域の一つである。弘前市から在来線としては五能線があり、「能」とは秋田県の能代から来ており、東能代駅 - 岩館駅 - 深浦駅 - 鯵ケ沢駅間は日本海沿いを、鯵ケ沢駅 - 木造駅 - 五所川原駅間は田園地帯を、五所川原駅(ここから五能線の「五」) - 板柳駅 - 川部駅間はりんご果樹園を走って、区間によって異なる沿線の風景が見られる路線であるという。映画でも列車の場面があり、車窓から見える山は、津軽富士と呼ばれる岩木山である。

 そして、太棹の津軽三味線がやはり津軽には似合う。主人公が、若くして亡くなった三味線弾きの母親を想い、長い間弾かないでいた三味線をもう一度手に取り直し、津軽三味線の名もなき名人である祖母と三味線の二重奏を奏でる場面には、やはり感動する。せめてこの場面だけでも観てほしいところである。

 監督・脚本は、青森市生まれの横浜聡子、主役は、津軽郡出身の駒井漣である。駒井は2000年生まれで、将来の成長が楽しみな女優である。  

2022年8月3日水曜日

MUD -マッド-(USA、2012年作) 監督:ジェフ・ニコルズ

 本作の主人公は、14歳の少年Ellisである。彼の視点から見て、ストーリーが展開する。その意味では、本作は児童映画にでも分類できるのであるが、それにしては、両親の離婚問題、恋愛、殺人とテーマが穏やかではない。それに、Ellis自身が、18歳の女子生徒を「軟派」する「おませ」ぶりである。

 そういうEllisには、Neckboneという友達がいる。そのNeckboneが、ミシシッピ川の川中にある島で、木の上に乗り上げたボートを発見した。恐らくミシシッピ川の水嵩が増した時、木の幹と枝にのかったままとなり、その後に水嵩が引いたのであろう。こうして、EllisとNeckboneは、朝早く、まだ暗い内に、しめし合わせて、モーターボートを駆って、木の上に乗り上げたボートを見に行くのである。正に冒険である。

 ここまで見て、少年二人、ミシシッピ川、冒険とキーワードが出てくると、Mark Twainの冒険譚『Tom Sawyerの冒険』とその続編『Hackleberry Finnの冒険』を思い出さない者はいないであろう。

 『Tom Sawyerの冒険』と『Hackleberry Finnの冒険』の舞台は、1840年代のミズーリ州にあるミシシッピ川沿いの町である。本作の舞台は、アーカンソー州で、この州は、ミズーリ州の南、ルイジアナ州の北にある州で、州の東側の境をミシシッピ川が流れているのである。

 ウィキペディアによると、アーネスト・ヘミングウェイはある所で『Hackleberry Finnの冒険』を指して本書を以下のような歴史的な文脈に位置づけた:

「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する。……すべてのアメリカの作家が、この作品に由来する。この作品以前に、アメリカ文学とアメリカの作家は存在しなかった。この作品以降に、これに匹敵する作品は存在しない。」

 という訳で、アーカンソー州生まれで、脚本も書いている監督のJeff Nicholsも、『Tom Sawyerの冒険』と『Hackleberry Finnの冒険』の両作品を念頭に置いていたことは容易に想像できるであろう。母親を失くして叔母の許に住んでいる10歳のTomと「宿なしHuck」をもちろん、EllisとNeckboneに一対一で引き写しにした訳ではないが、EllisとNeckboneも簡単ではない家庭環境に置かれている。(『Hackleberry Finnの冒険』における主要な、Huckと黒人Jimとの交流は、黒人が一人も主要人物として登場しない本作ではテーマとはなっていない。)

 この基本的なストーリーの枠組みに、「脇役」のMudとMudの永遠のマドンナJuniperの腐れ縁が関わってくるのである。この腐れ縁の複雑さに、14歳にしてはませたEllisは、男女の関係の何たるものか、その不可解さを学ぶことになるのである。

 最後に一言。Mudの、年齢のいった友人にTomがおり、終盤は彼が重要な役を演ずることになるのであるが、この役を体現しているのが、むしろ劇作家として有名なSam Shepardである。白髪を短く刈り上げた、いかにも元兵隊という感じで、その精悍な顔立ちと、シャキッとした身のこなしが印象的である。

2022年8月2日火曜日

噂の女(日本、1954年作) 監督:溝口健二

 この白黒映画の出だしは、気が利いている。町中(まちなか)の、ある道をカメラは俯瞰的に捉える。しかも、その道は、画面の左下から右上に斜めに抜ける構図で撮られてある。カメラの位置は、画面右下、建物の二階から身を乗り出して撮ったような構図で、この道の向こう側に、つまり、画面の左上から画面中央に向かっての、画面の約三分の一ほどを占めるように、ある大店(おおだな)の入り口の構えがある。間口が何間あるであろうか。かなり広い店である。この道の奥、つまり画面右上には格子が見えるが、この道にさらに細道が後ろの方へつながっているのが、想像できる。そこへ突然、画面の右上の、想像される右折の角の道から大きな車がこの道に入ってくる。

 それは、アメリカ製の1950年代前半の、大柄のボディーの車、恐らくフォード車で、今でもキューバの町中を走っている、あのオールド・タイマーの車である。この車が、その大店の玄関の入り口に止まる。車からは人が降りてくる。すると、カットで、今度は、店の中から、距離を置いたアングルで、車から出てきた人間をカメラが捉える。車から出てきた人間は、和服の女が一人、その後から、洋装の、若い娘が、入り口からカメラの方に歩いてくる。こうして、本作のストーリーは、始まり、そして、ラストシーンも、映画の最初の、この通りの俯瞰図で終わるのである。さすがは、一流のキャメラマン、宮川一夫の手になる撮影である。

 この車から出てきた和服の女が、田中絹代であり、その後を不機嫌そうに付いてきた、センスよくカットされたシルエットを持つワンピース・ドレス姿の若い娘が、久我美子である。ストーリーが展開するうちに、この大店の店は、井筒屋という、京都は島原にある、置き屋兼お茶屋であることが分かる。この母(田中)と一人娘(久我)に、青年医師・的場が絡んでくる。医師・的場は、早く開業医になりたいために、大店を男手なしで切り回す田中と男女の関係を結んでいる「若いつばめ」である。(それで、本作の題名も付けられている。)そこに、若い娘久我が、訳あって東京の音楽学校から戻ってきたのを幸いと、的場は娘の方に手を出す。このかなり破廉恥な役を、歌舞伎役者、大谷友右衛門、のちの四代目中村雀右衛門が好演している。(中村は、女形の大御所的存在として晩年になるまで活躍する。2012年没)

 本作の上映年が1954年である。ストーリーの時代設定も50年代前半と考えていいであろう。売春防止法が施行されたのが57年であるので、ストーリーが設定されている時代がその前であるとすると、未だに公娼制度が存在した時代である。医師・的場も、「組合」に雇われている医師であると言うから、娼妓達を定期的に検診するために京都に来ていた、その話す言葉からして、「東男」と思われる。

 56年作の、溝口の遺作となる『赤線地帯』では、戦後吉原の娼妓達の生活を描くことになる溝口は、本作では、京都・島原の「太夫」達の生活を、謂わば、サイド・ストーリーとして描く。が、本作のストーリーの主眼は、この母と娘の、戦後の世相を反映した、関係である。この、映画の最後が調和的に終わる脚本を描いているのは、溝口組の脚本家である依田義賢と、もう一人の成沢昌茂である。

 さて、この、よくまとめられている脚本の中に挿入されている、あるエピソードが興味深い。それは、映画の中で実際に能舞台で演じられる狂言である。母・田中は、嗜みで小鼓を習っているのであるが、その師匠が弟子に、能・狂言の、ある上演会に、母・田中の知人・友人、さらには顧客も含めて、来てくれるようにと頼む。能が演じられた後、休憩後は狂言の一番である。作は、『枕物狂』といい、最初は、面を付けていない二人の孫役が、やり取りをし、年老いた祖母(御ばば)が懸想をして、「胸患い」をしているから、この祖母の恋を成就させてやりたいものだと言う。そこへ、件の祖母役が面を付け、笹の枝に枕をぶら下げて登場する。叶わぬ恋にもだえ苦しみ、夜も寝られないと言う。この狂言に、作中の観客は笑うのであるが、母・田中は、顔を強張らせ、その場にいたたまれなくなって、狂言の途中で桟敷席を離れる。

 インターネットで調べてみると、『枕物狂』は、普通は、祖母ではなく、祖父(御じじ)が、刑部三郎の娘おとに恋慕し、枕尽くしの謡を歌って、老醜の恥を晒す状態になる。孫が、それを見て哀れに思い、おとを連れて来ると、祖父は恥じ入りながらも、これを喜ぶと言う筋である。恐らくは、本ストーリーに合わせるために、御じじではなく、御ばばに役を代えたのであろう。この狂言の逸話を見せつけられた年増女・田中は、どう出るか、ストーリーは終盤へと繋がっていくのである。

2022年8月1日月曜日

みをつくし料理帖 劇場版(日本、2020年作) 監督:角川 春樹

 料理・クッキングものに、関西風の商人(あきんど)成功物語を組み合わせ、更に時代設定を19世紀初頭の江戸時代に持っていった、関西人原作者の、ストーリー構成の思い付きの妙には脱帽する。しかも、それが、関西の味覚文化と関東のそれとの対照として提示されるとすれば、原作が当時の日本において大ヒットしたのも肯ける。

 本映画は、この大ヒット作を原作にして撮られているが、原作の漫画版、TV版(しかも二本)が既に存在している中、2020年に劇場版を今更撮る動機は、製作者兼監督でもある角川春樹に聞くしかない。10巻ある原作を映画脚本としてどうまとめるかは、TV版との比較もされるであろう、角川自身も入っている映画脚本化チームの腕の冴え所である。果たしてこれが成功したかは、原作を読んでいない筆者には判断外にある問題であるが、映画の出だしで、澪(みお)の、大阪での子供時代のエピソードの一つが語られ、そこから一挙に10年後の江戸に飛んでストーリーが展開し、澪の過去は、カットバックで語られるという手法は、よくある手ではあるが、効果的であるとは言える。

 しかし、この手法が繰り返されると、ストーリー展開には、やはり「めりはり」がなくなり、中だるみになる。それを抑えているのが、澪を体現する女優松本穂香の自然体の演技の魅力であろう。ウィキペディアによると、原作では、澪が以下のように特徴づけられている:

 「丸顔で、眉は下がり気味、鈴のような眼、小さな丸い鼻は上向き。緊迫感のない顔をして」いる。

 故に、澪の身分違いの初恋の相手「小松原様」には初対面の時から「下がり眉」と綽名が付けられるのであるが、実際、松本の顔もまた、上述の人物描写に似ており、その演技力と併せて、松本をこの役に抜擢したキャスティングの妙と言うべきであろう。松本の今後の活躍を期待したい。

 さて、作中何度か出る台詞「食は人の天なり」は、蓋し、名言である。人が食べたものが栄養となり、その人間を作る。この意味で、食は、天のように大事なものであると解釈したい。(あるブログによると、これは、吉田兼好の『徒然草』に出てくる言葉であるという。)

 つまりは、人が食する食材が大事であることになる。言い換えれば、人は、よい食材を食べるべきなのである。その意味で、食材は厳選されなければならない:モンサントなどの農薬が使われずに育てられた野菜、抗生物質が投与されずに成長した家畜の肉、そして、遺伝子組み換えなしの食品などなど...

 ただ美味しいという点だけではなく、健康な食材を大事にする食文化が日本にも発展することを、気候変動に脅かされる食糧生産の問題の解決とも併せて、希うものである。

 最後に、本作のエンディング・ロールが終わると、作中の、もう一つの大事なスローガンである「雲外蒼天」(「雲上蒼天」と言うべきか?)を映像化した最終シーンが出る。映画とは映像が勝負ではあるが、何でもかんでも映像化すべきものではない。その映像化が、下手なCG合成であれば、尚更である。

ミラーズ クロッシング(USA、1990年作) 監督:ジョエル・コーエン

「コーエン兄弟ワールド」、本作では未だ全開せず


 ユダヤ系のコーエン兄弟の第三作目の本作は、ストーリーの舞台が禁酒法時代、つまり、1920年代から30年代にかけてのことであり、恐らくアメリカ東部の、とある街での、ジェントルマンライクのアイルランド系ギャングスターと、お下品なイタリア系マフィアとの抗争がその背景になっている。

 そのアイルランド系ギャングスターのボスが、 Liam „Leo“ O’Bannonで、この役を、その苦み走ったところが中々よく似合う、イギリス人俳優Albert Finneyが演じている。その一方の、O’Bannonの右腕Tom Reaganは、自分のボスと、富と愛欲の、はざまを泳ぎきるユダヤ系アメリカ人女性を巡り対立するのであるが、その本能的生存知と幸運で、結局はボスとの仲たがいを乗り越える。その意味で本作は、典型的なフィルム・ノワールなのである。この主人公T.Reaganの役を、国籍的にも役にぴったりのアイルランド人俳優Gabriel Byrneが演じており、キャスティングにおいて、本作は、誠に的を射得ている。

 そして、本作には、O’BannonとTom Reaganの二人の間に、いわば、ギャングスター・ロマンティックとしての、男同士の友情の絆が存在しているという「落ち」が付くのである。この意味で、本作は、1990年代と言う、ギャングスター映画に事欠かない時期に、若きコーエン兄弟がギャングスター映画で映画制作にチャレンジした、USAギャングスター映画史上の記念すべき作品であると言える。

 しかし、クレジットには記されてはいないが、ダシール・ハメットのハードボイルド小説である『ガラスの鍵』が参考にされていると言われている脚本には、やはり、「コーエン兄弟ワールド」の、ユダヤ系Humorフモールが醸し出すところの、「グロ」をもう一捻りしたところに出てくる「滑稽さ」が一つ欠けているという意味で、本作では、未だ「コーエン兄弟ワールド」が全開していないことは否めないであろう。

 「コーエン兄弟ワールド」とは、私見、映画のメッカ、ハリウッドをネタにして、おフランスのカンヌで三賞総ざらいの大ブレイクした『Barton Fink』(1991年作)を皮切りに、さらに、映画史からのポスト・モダーン的引用集『The Hudsucker Proxy』(1994年作)と日常性と犯罪性の乖離から生まれる滑稽さを描く『Fargo』(1996年作)を経て、これらの集大成としての傑作『The Big Lebowski』(1998年作)において、結実するのである。

 本作で、憐れむべき、ホモのチンピラ「Bernie Bernbaum」(Bernbaumという、いかにもユダヤ的姓名)を演じるJohn Turturro は、『Barton Fink』で主演を演じ、『The Big Lebowski』では、いかにも悪の権現と言える、紫色の「イエス」を体現するのである。

 John Turturroと並んで、本作で突出して好演しているのは、殺人を意に返さずに、だが、「倫理」は説くと言う、イタリア系マフィア・ボスJohnny Casparを体現したJon Polito であろう。彼もまた、役に合うイタリア人系俳優で、本作以外、他にも4作のコーエン兄弟作品に登場しているが、本作での役が、その中では一番大きい役である。筆者としては、この年度のオスカー助演男優賞受賞に相当する好演ぶりである。

 最後に、美術監督として言及しておきたいのが、Leslie Macdonaldで、本作で実に手堅い仕事をしている。こちらも、私見、この年度のオスカー美術監督賞に値する仕事で、そのギャングスター・ロマンティックの映像世界に説得のあるセッティングを構築している。彼は、上述の『Barton Fink』並びに『The Hudsucker Proxy』でも美術監督を担当している。

2022年7月31日日曜日

マップ・トゥー・ザ・スターズ(カナダ、USA、フランス、ドイツ、2014年作) 監督:デイヴィッド・クローネンバーグ

 Hollywoodを巡る風刺作品と言えば、古い所では、ドイツ人名監督Billy Wilderの1950年作の『サンセット大通り』が挙げられよう。この作品の主人公で、サイレント映画時代の嘗ての大女優ノーマ・デズモンドは、ウィキペディアによると、「世間から忘れられたという事実を受け入れられず、およそ実現不可能だと思われるカムバックを夢見るスター気取りの中年女優」であるという性格設定であり、これは、正に、本作でJ.Mooreが演じるところの嘗ては一応有名であった、マザコンの女優に当てはまるものである。それゆえ、『サンセット大通り』より約65年後に撮られた本作がこの点で目新しいものを付け加えたとは言えない。それでも、J.Mooreは、2014年度のカンヌ映画祭において本作でのハヴァナ・セグランド役で女優賞を得ている。ヨーロッパではHollywood批判は受けるのである。

 Hollywoodを巡る風刺として、さらに、本作では、名子役と言われて傲慢になっている、しかし、その名声が、年齢が重なるに従い、脅かされているBenjie Weiss(俳優Evan Birdが好演)と彼の家族の「悲劇」が描かれている。しかし、Benjieとその姉Agathaとの間の心理的な相互依存関係は、監督D.Cronenbergが1988年に撮っていた、双子の兄弟の心理的依存関係を描いた『戦慄の絆 Dead Ringers』のヴァリエーションではないか、という訳で、筆者は、かなりの不満感を持って、本作を観終った。(Hollywoodの、金を巡っての汚い組織としての暗黒面を完膚なきまでに描いたのは、D.Lynch監督の2001年の作品、『マルホランド・ドライブ』 であろう。)

 監督D.Cronenbergは、カナダのトロントで、1943年に生まれている。1961年、即ち、今から60年前に(!)、彼は、トロント大学で一年だけ生化学・生物学を専攻する。この経歴から、彼の、いわゆる「Body Horror」性癖もまた肯ける。しかし、翌年には英文学に学籍を変えて、作家になろうとするが、自己の才能の限界を感じ、それを断念する。映画の世界には、友人との交友から偶然に接することとなり、60年代半ばあたりから16㎜の短編映画を撮り始める。60年代末には実験映画を撮りだし、70年にCrimes of The Future を撮る。2021年現在、この作品のリメイクを制作中であるという。

 1980年代に入り、トレーラーで観るかぎり、かなりカルト的なホラー映画を撮りだす。81年に『スキャナーズ Scanners』を、83年に『ヴィデオドローム Videodrome』を発表する。同年には、今まで自分で脚本を書いていたものが、初めて他人の原作を映画化するようになる。すなわち、『デッドゾーン The Dead Zone』で、この作品の原作はSt. Kingのものであり、主演は、名優Chr.Walkenである。86年には、同名の作品をリメイクした『ザ・フライ The Fly』を、その二年後には、上述の『戦慄の絆 Dead Ringers』を撮っている。この作品において、Cronenbergは、その後の彼の制作上の方向性、すなわち、心理過程の描写にストーリーの重点を置き換えていく方向を示す。

 自分が愛読する作家ウィリアム・S.バロウズの作品『裸のランチ』を1991年に映画化した同名の作品では、D.Cronenbergは、ベルリン国際映画祭での金熊賞(最優秀作品賞)を取り逃がしたが、1999年に撮った『イグジステンズeXistenZ 』で、同映画祭の銀熊賞(審査委員会賞)を受賞する。『イグジステンズ』で、D.Cronenbergは、『裸のランチ』で見せた現実と意識界との交錯を、現実、意識界、ヴァーチャル・リアリティと何重にも交錯させ、これに彼の得意のSFがかった、Body=Bio=Horrorを組み合わせて、私見、最もCoronenbergらしい作品を撮っている。

 2000年以降のCronenbergの作品を筆者は余り観ていなので、断定はできないが、『イグジステンズ』で集大成したCronenberg世界は一応完結し、これ以降、より正統的な映画作りに方向性を転換したものと思われる。2007年の作品『イースタン・プロミス Eastern Promises』 は、ラシアン・マフィアの世界を描いているし、14年作の本作も、Hollywoodの風刺とは言え、ストーリーはむしろ正統的であると言える。Hollywoodのセレブの世界、それが虚構・虚飾であろうと何であろうと、セレブとは関係のない筆者、彼らの悲劇は、対岸の火事を見る如く、全くの他人事であり、それゆえに、筆者は本作を、感情の移入なしで、冷たく見放して観ていたのである。

卍(日本、1964年作) 監督:増村保造

 人間のエロスを耽美主義的に描いた谷崎潤一郎の、この原作が発表されたのが、1928年ということを念頭に置くと、そのストーリーの「現代性」に、意外と驚かされる。既に「モガ」が横行していたこの時代、確かに「自立した女性」と言うまでではないが、気の弱い夫を尻に敷いて、好き勝手に絵を描くために美術学校に通う主人公が興味深い。小説では、恐らくは谷崎自身とでも言える「先生」に主人公園子が延々と独白するというストーリー展開である。その饒舌なモノローグが表記されている言葉は、大阪弁であるが、関西出身の女性の友だちに聞いたところによると、「大阪のいいとこ」のお嬢さんが使う大阪弁であると言う。関東人である谷崎がよくここまで大阪弁をものにしたとも思うが、実は、彼の書いたものをきちんと大阪弁に校正し直した大阪人女性がいたのであると言う。むべなるかなである。しかも、東北人である筆者にはこんな大阪弁が誠に色っぽい。

 しかし、映画の「テースト」と比べて、原作を読んでいても、そこに「可笑しみ」というものは感じられないのである。ストーリー自体は、レズビアン「趣味」と、二重の三角関係の交錯、そして、社会的制裁を恐れての、自殺と重い話なのではあるが、映画化された本作には、そこに何か一種の滑稽味がストーリーの最初から最後まで絡み付いているのである。これは、ほぼ室内劇に仕立て上げた脚本(新藤兼人)の勝利であろう。監督は、イタリアに留学し、そこで映画についての論文までもものにした増村保造である。この理論家肌の監督の意を受けて、その制作意図を、誇張しながらも度を越さずに、確実に形象化した俳優陣にも本作制作上の、もう一つの功績があると言わねばならない。そのカルテットとは、胡散臭い綿貫を演じた川津祐介、ちゃっかりした、「女王様」光子を演じた若尾文子(同様の造形は、溝口監督の『赤線地帯』でも)、そして、秀才肌だが、生活力が無い柿内孝太郎を演じた船越英二、さらに、わがままで少々ヒステリー気味の園子を演じる岸田今日子の四人組である。とりわけ、自分が操っていると思い込んでいて、しかし最後は「アホ」なくじを引かされた園子を演じた岸田の演技力に満腔の賞賛を送りたい。岸田は、本作と同年に出来た、勅使河原宏監督作品『砂の女』でも大役を演じており、蓋し、1964年とは、彼女の映画女優経歴の中でも、最も有意義で、多産の年だったのではないだろうか。拍手!

2022年7月30日土曜日

万引き家族(日本、2018年作) 監督:是枝 裕和

家族の枠組みから抜け出た本作は、是枝監督の新しい次元を切り開いた。そのような本作を助成した文化庁は、文化国家としての広い度量を示したのである。「弘毅」とはこのことを言う。


 「血は水よりも濃し」の諺の反対を行くのが、本作の擬似家族である。この擬似家族は、心情で結びあっており、その「家族」関係は、「本物」の家族関係より、濃密であり、ゆえに、人間関係における情愛関係こそが、大事なのである。

 こんな凡庸なメッセージを本作で是枝監督が言いたかった訳ではないであろう。彼は、本作の原作を書き、製作をも担っており、制作への気合の入れ方が違うからである。

 これまでにも、是枝監督は「家族」をテーマにしている。『そして父になる』(2013年作)で正に家族と血縁の問題を扱っている。2008年には、『歩いても歩いても』で、小津安二郎ばりの家族映画を撮っている。さらには、その前の、2004年に撮った作品『誰も知らない』では、ある母子家庭において、子供たちを愛しているのではあるが、その養育責任を放棄した母親に去られた四人兄妹の物語りが語られた。この2004年の作品では、是枝は、 監督・脚本・編集・製作を担当しており、14年後の本作と同様に、大人になりかけた少年が、この作品では主役であり、長男がまだ子供でもありながら、他の兄妹の生活の面倒を見なければならなくなる、そのギャップの「むごさ」が映像化された。

 『誰も知らない』での長男、明は、12歳の男の子として、声変わりをし、中学生にもなれる年齢になって、次第に子供から、状況に強制されて早くも「大人」へと成長せざるを得ないところに置かれていく。そんな明の、変化の、揺らぐ機微を、半ば子供のままの無邪気さと半人前の大人の恥ずかしさ、シャイさをないまぜにした、表情の「カクテル」で描く効果が、観る者の目を明に惹きつける。時に素人風の演技と見えるところがまた、何となく初々しく感じられるのであるが、これは、ストーリーと明の性格描写とキャスティングの為せる技であった言うべきであり、この映画がカンヌでこれで以って賞を取ったのも肯ける。この、子供に対する是枝監督の演技指導の妙が、本作においても冴えている。

 では、是枝監督は何を言いたかったのか。まず、彼は、タイトルを『万引き家族』と名付け、本作を「犯行」の場面から始めて、この似非家族が、犯罪性の上に成り立った存在とする。その存立のきわどさが、「家族の仲睦まじさ」に並立して、観る者を引っ張っていく。そして、冬に始まるストーリーは、その「家族の絆」において、夏の海浜旅行を以って頂点を迎え、直後の「祖母」の突然死を以って、崩壊し始める。終盤、観る者は、フランキーや安野サクラに半身像と対面させられて、警察官の視線を取らせられる。だが、だからと言って、是枝監督は、やはり「血は水よりも濃し」と言いたい訳ではない。

 秋の、風が強い日に街の中を歩いていると、ふと、風の吹き溜まりに落ち葉が吹き寄せられている場所を見ることがある。無風ではないが、ある程度強い風から守られている場所である。そこに落ち葉が寄ってくる。そのように、東京の高層建築に囲まれた吹き溜まりが、本作のストーリーが展開する場所となる、古く雑然とした平屋である。そこでは、社会の強風に吹き寄せられた「落ち葉」たちが、似非家族の構成員として生活している。つまり、家族の問題とは、社会のあり方の問題でもあるという認識に、是枝監督は、『そして父になる』での、家族内だけの枠組みから突き抜けたのである。

 であるから、本作では、家庭内暴力と児童虐待から始まり、ネグレクト、非正規雇用、リストラ、家族の機能不全、JK風俗営業従事、年金の違法取得に至る、この似非家族の「絆」の背景となっていた社会問題が、ストーリーが展開する中で提示される。

 家族の血のつながり、構成員の情愛関係、そして富があれば、幸福の必要条件が、まずは揃うであろう(健康も本来その中に入るであろう)。であるが、富が欠けたら、さらに、血縁がなかったら、そして、情愛心がなくなったら?これは、二者択一の問題ではなく、幸福の最低条件は何であり得るか、の問題なのである。

 日本社会では、幸福とは自分の努力で勝ち取るものという、謂わば、「自助」のイデオロギーが支配的であるが、果たして、そうであろうかと、問うているのが、是枝監督の意図ではないか。そして、幸福は自分だけのものであろうか。人間は、アリストテレスが言う、社会的存在としての人間(正にヒトの間)であるとするなら、そして、人はなぜ社会を構成するのかという問題を鑑みれば、社会を構成する人々と連帯するセイフティー・ネットの充実こそが必要なのであるというのが、本作を観て、筆者が辿り着いた結論である。

2022年7月29日金曜日

マッド マックス 怒りのデス・ロード(USA、2015年作) 監督:ジョージ・ミラー

良質のアクション映画に北欧神話の次元が加味する第四弾、M.ギブソンが主演でなくてよかった

 文明社会が崩壊したデストピアでは、むき出しの暴力だけがものを言う。Immortan Joeもウォー・ボーイズという暴力装置を持った軍閥の一人に過ぎないのであるが、彼は自らを「不死身の、ジョー或いは米国兵士」と名乗り、自らの支配のシステムに教祖的権威を付与していた。その権力の物質的基盤は、砂漠化した自然界において何より大事な水源と、城塞(シタデル)に改造した岩山であるが、彼は、他の集団から略奪してきた健康な女たちを「受胎母体」として自分の「王朝」の後継者づくりに資し、他から連れてきた幼年男子たちは、将来のウォー・ボーイズとして洗脳する。彼らはJoeのために戦う戦士(真実はただの「戦争の肥し」)になるのである。彼らはJoeのためなら死をも厭わない。なぜなら、戦死したウォリアーには「Walhallaヴァルハラ」が待っているからである。

 では、「Walhallaヴァルハラ」とは何か。古北欧語の古ノルド語ではValhöllで、「戦死した者の住居」という意味である。ある戦場で最も勇敢に死した勇士は、「ヴァルキューレたちWalküre」によってヴァルハラに連れて行かれる。ヴァルキューレは、古ノルド語ではValkyrja(ヴァルキュリャ)で、彼女たちは、鎧・兜に身を固め、馬に乗って天空を駆け巡る精霊的処女たちである。ある10世紀の、北欧の叙事詩は次のように謳う:

そはいかなる夢なりしか 
余、神々の長オーディンは夜明けに起き 
倒れし勇士を迎えんがため 
ヴァルハラをととのえんとす 
エインヘリャル(einherjar:戦場で斃れた勇士の魂)を
おこし立って 長腰掛けをおおい 皿を洗うよう 
ヴァルキューレたちには王侯が来たらば 
蜂蜜酒möjdを運ぶよう 命じたり


 ヴァルハラは、投げ槍を交差させて作った天井の上に楯が屋根として乗せられて出来ている荘厳な宮殿で、540もある門から、ヴァルキューレによって選別されて連れて来られたエインヘリャルたちがホール内に入城するのである。

 さて、ヴァルキューレたちが乗っている馬をオートバイに換えると、それは「鉄馬」となり、本作中の七人のオートバイ乗りが「鉄馬の女たち」グループになる。正に、そのリーダー格の女の名前が英語読みのヴァルキューレ、「ヴァルキリー」なのである。こうして、デストピアの荒野を放浪する英雄「狂気のマックス」の流離譚には、実は北欧神話の次元が噛んでいることを観る者は頭に入れておいた方がよい。

 地球の引力を感じない希薄なCGを使わない、スタントマンの命を掛けたアクション・シーンは映画館の大画面で堪能したいところであるが、当然そこには撮影と編集の職人技がものを言う。これには、二言を待たない。

 しかし、最後に美術について一言。マックスたちの一行がインペラートア・フュリオーサの故郷「緑の地」を目指す途中、湿原地帯に彼らが入り込み、数秒であるが、濃霧が立ち込めて湿った不気味な荒涼地が映像で示される。中景から後ろの方をマックスたちの一行が右から左に抜けていく場面の前景を、竹馬に乗ったクロウズが登場するシーンである。16世紀フランドルのヒエロニムス・ボス或いはボッシュの、奇怪な、そして意味深な絵画を参考にしたのではないかと想像される卓越な美術である。美術担当のColin GibsonとLisa Thompsonは、本作で、2016年度の様々な映画賞の美術部門で、米国アカデミー賞を含む5つの権威ある映画祭で賞を取っている。敬意を表する。

ラスト、コーション 色・戒(台湾、香港、USA、2007年作)  監督:アン・リー



「この世界の果てから最遠の海原まで
私は探す、私を分かってくれる一人の男(ひと)を...」

と、何回か熱い肉体関係を結んで、男の膚の温もりを忘れられなくなっていたヒロインは、1920、30年代以来モダンで、「東洋の巴里」とも「魔都」とも呼ばれた上海租界地にある、ある日本料亭の座敷で、一人座る、その男の前で歌い始めた。

 歌は、『天涯歌女』といい、上の歌詞に続けて、遠く離れた男を想いながら、辛い思いをしながらも愛を貫くことを謳い、次のように歌い終える:

「私は、糸のよう、貴男は、針のよう。
私の最愛の人よ、私達は、この糸と針のようで、
何ものも私達を引き裂くことはできないのよ。」


 このヒロイン(中国人女優タン・ウェイ)は、蒋介石の重慶国民政府の特務機関の意向を受けたスパイであり、一方の男(香港人俳優トニー・レオン)は、汪兆銘(中国では汪精衛の名が一般的)が率いる、親日・傀儡政権の南京国民政府の下、上海租界地に本部を置く、特務工作部の長である。この意外な取り合わせがなぜなのか、その経緯と顛末を語るのが本作のストーリーである。

 原作は、中国人女性作家張愛玲Eileen Changが書いた短編小説『色・戒』である。(漢字文化圏にも入る日本で、わざわざ英語の題名にしておく必要はないであろう!「色欲・戒め」と日本人であれば、それなりに推測が付くはずである。)登場人物にはそれぞれ実在のモデルがあり、女スパイには、父親を中国人に、母親を日本人にもつ鄭蘋茹(てい・ひんじょ、または、テン・ピンルー)が、特務工作部部長には、汪兆銘の親日・傀儡政権を防諜部門で支えた中央委員会特務委員会特工総部の丁黙邨(てい・もくそん)がいると言う。実際に、テン・ピンルーは丁を狙うが、暗殺に失敗し、捕らえられて、1940年2月に上海郊外で銃殺されたと言う。享年22歳であった。

 本作のストーリーでは、映画の出だしが1942年の秋、タン演ずるところのヒロインは密命を帯びてT.レオン演ずる、用心深い易(イー)に近づいていた。この冒頭のスピード感ある編集が上手い。タンも入れて四人の女が麻雀の卓を囲んでいる。女四人の話をアングルを変えてぶつ切りにして撮り、次から次へと緊張感を持たせてつなげていく。その時の女たちの表情や目の使い方をカメラはしっかりと捉えていく。2000年にアカデミー編集賞を取っているティモシー・S・"ティム"・スクワイアズ(Timothy S.“Tim”Squyres)の腕が冴えている。彼は、アン・リー監督作品には『ブロークバック・マウンテン』以外の全作品に参加しているという「リー組」の一人である。

 また、撮影監督は、メキシコ系アメリカ人ロドリゴ・プリエトRodrigo Prietoで、彼は、本作で、ヴェネツィア国際映画祭の撮影賞を受賞している。同映画祭では、台湾人監督リーは2005年作の『ブロークバック・マウンテン』につないで二度目の金獅子賞を獲得している。音楽は、フランス人Alexandre M. G. Desplatアレクサンドル・デスプラで、彼は後に二度アカデミー映画音楽賞を受賞することになる。しかし、筆者は、美術監督のJoel ChongまたはKwok-Wing Chongに美術監督賞を与えたいところである。なぜなら、本作では、私見、上海租界地の1930・40年代の雰囲気を上手に再現しているからである。茶館、映画館などの造り、41年作で、ケーリー・グラント主演の二本の映画ポスター、そして、市電などと、事前調査が大変だったことは容易に想像できる。

 出だしからその後のストーリー展開では、一時話を戻して、4年前の1938年となる。37年には日中戦争が勃発しており、タンたちを含む、広東省にあった私立嶺南大学の学生たちは戦火を逃れて香港に疎開することになる。大学生であるということは、彼らは中産階層から上の「お嬢さんやお坊ちゃま」ということになる。嶺南大学は、アメリカのキリスト教長老会によって1888年に設立されたミッション系の大学で、1906年には中国初の男女共学校となり、27年に、私立嶺南大学(Lingnan University)に改名して、それと共に中国人によって学校運営がなされるようになったという先進的な大学である。香港に疎開していたこの時に、タンも入れた6人の学生達が、演劇活動を通じて友人となり、そして、抗日運動にも加担することになる。この抗日運動との絡みで、彼らは当時香港の特務機関で敏腕をふるっていた易を暗殺しようとし、それが未遂に終わっていた経緯があったのである。

 ストーリー展開は今度はその3年後に進み、タンも上海の叔母の所に身を寄せる境遇になっていたが、ここで、再び嘗ての仲間たちに誘われて、タンは、易暗殺のための「ハニー・トラップ」になることを承知をした。彼女は、当時は男女平等を標榜する新しいファッションとして、胸や腰の曲線をタイトに強調し、サイドに深いスリットの入ったワンピース「海派旗袍」(上海風チー・パオ、いわゆる「チャイナドレス」)を装って、易に再び近づく。こうして、映画内の時間系列が映画の冒頭につながるという、中々の「にくい」ストーリー展開となっているのである。

 さて、激しいセックス・シーンで有名になった映画作品と言えば、筆者が思い出せるものとしては、三本ある。1972年のB.Bertolucci監督の『ラスト タンゴ イン パリス』、1976年の大島渚監督の『愛のコリーダ』、そして、1986年のエイドリアン・ライン監督の『ナイン・ハーフ』である。

 性愛の中に実存主義的意義を見つけようとする点では、『愛のコリーダ』をこの三本の中では一押しする筆者であるが、さて、本作を上述の三本と比較すると、その性愛行為の背後には薄っぺらな内容しか見えないのである。日中戦争と重慶・南京両国民政府の防諜戦というストーリーの枠組みはあるのではあるが、それは、恋愛映画ではない、この単純な「性愛」映画をドラマチックに盛り上げるための単なるお飾りの素材でしかないのではないか。本作を観ていて、筆者にはそんな「疑惑」がひしひしと心の中に頭をもたげてきた。

 という訳で、本作の7年前に撮られた、王家衛ウォン・カーウァイ作品の恋愛ロマンス『花様年華』にこそ筆者は断然と軍配を上げる者である。この傑作の男性主人公は、本作同様のT.レオンである。既婚の男女同士の間に芽生える恋愛感情を、両者をいっしょにベッドインさせずに、高揚させる、その、むずがゆいエロティシズムは、その映像美と相まって(キャメラマンはChristopher Doyleとリー・ピンビンの二名)、本作のそれが如何に大胆な、一部暴力的なセックス・シーンを持ってきても到底到達できない、殆ど芸術的な高みを窮めているのである。

 さて、本作は、台湾、USAそして香港の共同製作作品である。制作年は、2007年の、今から約15年前である。日本はようやく平成不況から抜け出そうとしている時期、未だ、リーマンショックやトランプ登場前で、世界で新自由主義のイデオロギーが大手を振って歩けていた時代である。現在の米中対立、更に香港の民主化運動の根絶政策を鑑みる時、本作を観ていて、その前の時代である2007年当時の、ある種の「鷹揚さ」を感じるのは、筆者だけであろうか。

2022年7月28日木曜日

ラスト・キャッスル(USA、2001年作) 監督:ロッド・ルーリー

 「監獄もの」映画というジャンルがある。刑務所という特殊な空間で展開するストーリーである。そのタイプには、大まかに分類して、二つある。一つは、囚人たちの間に生まれる集団同士の抗争を描くものである。この場合、刑務所の所長や看守は、脇役的存在となる。もう一つのタイプは、囚人たち対刑務所所長ないし看守の対立を描くものである。(例えば、B.ランカスター主演の『終身犯;原題:アルカトラズのバードマン』や、C.イーストウッド主演の『アルカトラズからの脱出』)この場合、所長或いは看守が非人間的な「モンスター」としてあり、囚人たちがこれに抵抗するというケースが多い、この意味で、本作は、この後者のタイプの「監獄もの」の定番に属する。(例外は、もちろん、存在し、例えば、T.ハンクス主演の『グリーン・マイル』では、看守と囚人は協調的である。)

 しかし、アメリカという国は軍人が特別のシステムを構築している社会である。軍事裁判所もあれば、当然それに伴なって軍刑務所も存在する。そして、日本ではこれはない。故に、軍刑務所という、本作のストーリー設定自体が、日本の観る者にとっては、珍しい。という訳ではないが、筆者は、本作をもう何回観たことであろうか。一度見始めると、結局、結末が分かっているのにも関わらず、最後まで観てしまう。この間も偶然に観てしまった。

 さて、本作の主演は、R.Redfordである。彼が映画に出れば、彼が「正義」を体現するであろうことは、ほぼ決まっている。故に、「善玉」に対抗する「悪玉」が、やはり、本作では、定番に従って、軍刑務所所長(J.Gandolfiniが好演)となる。しかも、R.Redfordは、元陸軍中将で、大統領命令に従わずに、戦争犯罪人を捕らえる作戦を命令し、それ故に、8人の部下を死なせてしまった罪により刑務所に収監されている「囚人」である。対するJ.Gandolfiniは、階級が大佐である。R.Redfordがいくら階級が剥奪されていようとも、階級が下であるJ.Gandolfiniには、やりにくいことは、明白であり、しかも、Redfordが「正義」をかざして、元軍人の囚人たちを組織し、反抗するとなると、逆に、Gandolfini所長に、同情の念さえ湧き上がってくるのは、筆者だけであろうか。(少々穿って見れば、これは、民主主義の旗をかざし、他国に侵攻しても国際的制裁を受けないアメリカ合衆国の「正義」を体現しているようにも見える。)

 とは言え、権力的抑圧に対する抵抗は、「正義」であることには間違いがないのであり、ラストシーンが、結局は、アメリカ的軍人賛歌で終わるとしても、この「正義」は、旗高く揚げられるべきである。

 そして、この「正義」の側に、観る者を立たせることになる決定的エピソードが、吃音症持ちのAguilar元伍長の、刑務所内での射殺事件である。この元伍長を体現した俳優Clifton Collins Jr.には注目しておきたい。メキシコ系アメリカ人の彼の、少々不釣り合いな顔の作りと、身体全体から醸しだされるシャイな雰囲気が印象的である。

 最後に、音楽はおやと思うほど、印象的ではないが、クレジットには、映画音楽の「大御所」J.Goldsmithと、Tom Waitsの名前が見える。T.Waitsが好きな方には、音楽にも気を付けたいところである。

一番美しく(日本、1944年作) 監督:黒澤明

日本映画史における三大巨匠が織りなす、国策映画を巡る人生模様とは

(No.2:黒澤明編)
[No.1:小津安二郎編『父ありき』、No.3:溝口健二編『西鶴一代女』]



 1943年、準備期間を終え、黒澤(1910年生まれ)は、12月中旬、横浜市戸塚区にある、日本光学工業(のちのニコン)の戸塚製作所第一工場に、配役された女優群23名を実際の「女子挺身隊」として入所させ、撮影を開始した(カメラマン:小原譲治)。 日本光学工業は、1930年代以降は、日本軍の光学兵器を開発・製造する点において、陸軍系の企業である東京光学機械(現・トプコン)と比較されて、軍需光学機器製造の双璧として「陸のトーコー・海のニッコー」と当時呼ばれていた。

 翌1944年1月末に工場での退所式が行われ、その後は、東宝撮影所でセット撮影を開始、作品は3月中旬に完成した。その三ヶ月後米軍がサイパン島に上陸する。

 さて、プロパガンダ映画のいやらしさは、それが右からであれ、左からであれ、見ている者にその論理を強要するところにある。そのプロパガンダの目的がさらに戦争遂行ということであれば、その映画の監督としての倫理的責任はより大きくなる。その意味で黒澤のこの責任は問われなければならない。

 同様に、一見恋愛映画に見えるM.カーティスの『カサブランカ』も反ファシズムの政治宣伝と戦意高揚という点では、同様の責任の地平にあると言える。さらに非政治的であるということ自体が、既に政治的態度の一つであるということからすれば、芸術と政治性とは、かくして、切っても切れない問題であるが、この問題は、全体主義の時代にはその問題性が頂点に登りつめると言っていいであろう。

 全体主義体制の中に身を置いたものは、このような時代では、自分の芸術家としての潔癖性を守るためには,少なくともプロパガンに関わるような活動は控えるべきであったのである。「内的亡命」という言葉が思い出される。

 では、話をこんなに割り切れるであろうか。心情的には、国が危機にあり、その国を「守る」ために(もはや、「攻める」ためではなく)兵隊達が戦っている。その兵隊達のために銃後で女子として何が出来るか。そのような意識で、皆が自己を捨てて全体のために献身する、「挺身」の自己犠牲の「美しさ」、英雄死の、ある種の美学を銃後の日常性の中に描いてみること、これが、黒澤が脚本も書いている、監督二作目の本作のテーマではないか。題名の『一番美しく』とは、何が「美しい」なのかを考えると、筆者にはこう考えざるを得ない。

 とすると、現代の、自分の小さい世界の中で自分のことだけしか考えない人間が多いなかで、あの頃の高揚した自己犠牲の「純粋性」を今見てみると、それに憧れさえ生まれてくるのは筆者だけであろうか。

 本作の映画美学的点について、二、三述べると、ドキュメンタリー性ということであれば、この映画は、戦中・戦後のイタリアのネオ・レアリズモの美学に通じてはいないかということ、編集を良く使って流れに緊張感がうまく出されていること(女工員の工場内での作業の場面、映画中盤の主人公渡邉ツルを等間隔から色々な視点でショットしたものを立て続けに見せる点)、そして、人間集団を動かしてそれを画面として構成する集団運動の、殆ど「ファシズム的」美意識(映画の最初の方で、女工達が寮に帰ってきた時、玄関で寮母先生を狭い空間でありながら、ぐるぐる巻きにしてしまう女工たちの集団としての動き)、これらの点を鑑みると、さすがは、将来の日本の、否、世界の巨匠監督、黒澤の力量がプロパガンダ国策映画の限界の中にも出ているのではないか。

 日本映画史の三大巨匠の一人、溝口健二(1898年生まれ、ということは黒澤とは干支で一回り違う)は、戦中は、『元禄忠臣蔵』(前・後編、1941,42年作)など、松竹で時代劇を撮っていた。もう一人の巨匠小津安二郎(1903年生まれ、故に溝口と黒澤の間の年代)は、1937年から二年間中国戦線を転戦した後、招集解除で帰国し、溝口同様松竹で、のちの『東京物語』の戦前版とも言える『戸田家の兄弟』を41年に撮る。翌年には笠智衆主演で『父ありき』を撮り終えているが、こちらも戦意高揚の内容ではない。43年から終戦までは、軍報道部映画班員として南方へ派遣された小津は、主にシンガポールに滞在した。彼は、国策映画を撮らされそうなったにも関わらず、結局は一本も撮らずに戦後を迎える。

 かくして、世代の違い、個人の運命、そして倫理観の違いによって、国策映画を巡る人生模様が描かれるのである。

2022年7月27日水曜日

コントラ Kontora(日本、2019年作) 監督:アンシュル・チョウハン

 白黒作品は観たくなる筆者は、「逆走」する男が出てくるトレーラーを観て、本作を観てしまった。143分と長丁場で、後半に入って、ストーリー的な中だるみがあるが、最後は見せる映像を作っている本作は、「過去」とは人にとって何であろうかと考える人には観てほしい作品である。

 題名の『コントラKontora』がなぜcontraなのかを思うに、それは、歴史が、日本的にあいまいに忘却されることに対する「抵抗」の意味をインド人監督Anshul Chauhanがそこに込めているのではないかと推察するからである。ホームレスの男が逆走するのも、この意味から来ると思われる。

 ストーリーは、まず、ある家の中をゆっくり歩き回る老人のシーンから始まる。その老人は軍歌調の歌を口ずさんでいる:

今日も暮れゆく 異国の丘に
友よ辛かろ 切なかろ
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る 春が来る

 後で調べると、この歌は、『異国の丘』という歌である。1948年に流行ったこの曲は、戦後の歌謡曲の作曲界では名をなすことになる吉田正がシベリア抑留でウラジオストック郊外にあったアルチョム収容所にいた時期に、自分が作った、もともとの軍歌に、収容所の仲間の増田幸治が作詞し、シベリアの極寒がようやく溶けて初めての春が訪れた頃の1946年3月に、これを収容所内の演芸会で発表したことが、この歌が生まれた経緯だと言う。この歌は、収容所の他の仲間にも歌われるようになり、その収容所にもいたある一人が復員兵として抑留から戻って、48年、NHKの当時の人気番組「のど自慢素人演芸会」で歌って、注目を集めたことから、ヒット曲となったものである。

 老人は、ある部屋から木箱を取りだし、縁側に近い別の部屋にそれを持っていき、そこでその木箱を開ける。中からは、飛行士用のグーグルが出てくる。革製の飛行帽も出てくる。そして、「戦時記」と書かれた日記のページをめくっているうちに、その老人は亡くなる。戦時記は、1945年1月2日から書き始められており、土浦海軍「空軍」基地の言葉も出てくる。こうして、観る者は、老人が太平洋戦争中、海軍飛行士、性格に言えば、飛行練習生であったことが分かる訳である。

 日記に書いてある、「ドイツ語の本を大声を出して読みたい」という個所から、老人は戦時中、大学の独文学科にいて勉学していたが、1943年11月からの所謂「学徒出陣」で、45年に学徒兵として招集されていたことが分かる。

 海軍土浦航空基地は、茨城県にあり、土浦航空隊は、もともとは、海軍飛行予科練習生(所謂、七つボタンの「予科練」)を訓練している教育部隊で、老人は、ここに、恐らく第15期の「海軍飛行専修予備学生」として招集され、終戦を迎えたのであろう。学徒出陣で、しかも飛行科と言えば、「特攻」で予備士官として戦没したケースが最も多い。老人が入隊する前の、43年の第13期と44年の第14期が戦没者も急増しており、第15期も、敗戦が半年伸びていれば、同じような運命が待っていたであろうことは想像に難くない。

 この、既にこと切れていた老人を見つけるのが、孫娘の「そら」である。母親がなぜかいない家庭で父親に育てられている高校3年生の彼女は、父親との関係がギクシャクしている分、余計に「おじいちゃんっ子」として、祖父への関係も深く、祖父の戦時記を見つけて以来、父親に隠れて、戦時記を「研究」し出す。

 戦時記の中にある手書きのスケッチは、祖父が自ら、恐らく上官に隠れて、描き綴ったものであるが、所々にチラシが貼り付けてある。兵舎でチラシが手に入る訳がないので、恐らくは、戦後除隊してから、時々戦時記に、戦前にどこかで手に入れたチラシを貼ったのであろう。「少国民 皆で飼はう 軍用兎」とか、「電力は戦力」、「富士のフイルム 写真で翼賛」などのチラシが戦前の「匂い」を強調する。チラシの中には、「松坂屋特製 教練銃」という意外なチラシがあり、こうして、戦時記の中に一箇所「鉄腕を埋める」という謎の記述が現れる。
 
 この記述がストーリーをさらに回し、これに逆走の男が絡み、さらには、父娘関係の複雑さがストーリーを、よく言えば「重層化」し、悪く言えば、「拡散」させて、物語りは終盤に収束していく。が、観ていて、なぜインド人監督がこんな作品を撮るのか、疑問が湧き上がる。

 監督チョウハンは、1986年生まれで、2006年にインドでアニメーション制作に関わる勉学を終えた後、2011年に日本に移住し、日本でCG部門で、アニメ制作に関わりながら、2016年、妻の茂木美那と共同で映画製作会社の設立し、2018年に劇映画部門でデビューした後、本作をその二作目として世に問う。本作において、監督、脚本、編集、及び制作を担当し、脚本は妻茂木が翻訳している。映画最後のクレジットでは、本作は、大戦中戦没した学徒兵ともに、自分の亡くなった、自分が見も知らない祖父に対してオマージュされている。

 大日本帝国に関連し、しかも、インド人となると、チャンドラ・ボースがすぐに思い出され、あの、戦前の無責任体制の中(今もそうかな?)、無謀な作戦計画を実行して、無駄に日本将兵を死なせた「白骨街道」のインパール作戦が思い出される。実際、チャンドラ・ボースが率いる、反大英帝国の「国民軍」は、この作戦に参加しており、或いは、監督チョウハンの未だ見たことがないという祖父はこの作戦に参加して、ジャングルの白骨になったかもしれない。そんな余韻を以って本作は、終わるのであるが、その最終の力強い映像イメージは、極めて非日本的であり、その忘却への「反骨精神」は、筆者には、好感が持てる。


 「そら」を演じた女優円井わんは、筆者には、本作における「発見」であり、今後の活躍が属望される。撮影の、Max Golomidovも言及してしかるべきであるが、その内省的な音楽を担当した香田悠真(こうだゆうま)も今後記憶すべき名前であろう。

ワイルド アパッチ(USA、1972年作) 監督:ロバート・アルドリッチ

 殆ど仏教的死生観に達しているランカスターに敬意を払うものである


 戦争もののよくあるプロットの一つの筋は、士官学校ポット出の若い将校が実戦経験を積んで成長してベテランになっていくという、いわば、教養小説(ドイツ語でいうビルドゥングスロマーン)的展開である。本作も、その西部劇版と言え、その当該人物をデ・ビュイン少尉という。(英語でLieutenantは少尉にも中尉にも使えて、本作についてのWikipediaの解説には中尉と出ているが、本人の言によると、士官学校を出て半年経ったばかりだというので、ここは敢えて「少尉」と訳しておく。なお、本作についてのWikipediaのあらすじの投稿には間違いが散見される。

 デ・ビュイン少尉は、牧師の息子だという。であれば、プロテスタント系であり、フランス語風の名前からして、彼はユグノー系のプロテスタントかもしれない。分厚い聖書を読み、良心的な人物らしい。その彼が「白人」のキリスト教的倫理観を体現する。そして、この倫理観を以って、彼は、「赤銅色人」の「アメリカ原住民」の「残虐さ」に対峙させられる。なお、この若輩将校を演じているのが、本作の2年前に、学生運動・反戦運動映画の『いちご白書』で有名になったBruce Davison である。

 一方、経験不足の将校の脇を良き軍曹が固めなければ、小隊は上手く機能しない。という訳で、Richard Jaeckel 演ずるところの軍曹がデ・ビュイン少尉を補佐する。もう一人の「お守役」が老練な白人のスカウト、マッキントッシュで、実は、本作の主人公は彼なのである。若いインディアン娘と同棲している彼は、職業柄インディアンの世界に精通している。ある種の達観を匂わせるマッキントッシュは、いわば、白人世界とインディアン世界の間に立つ「通訳」の役を担っている。このような難しい役を当時こなせるアメリカの俳優というとBurton、„Burt“ Lancasterしかいないのではないか。L. ヴィスコンティ作の『山猫』(1963年作)では、自身が所属する貴族階層が市民革命の前に没落していく運命を、ある種の諦観と矜持を持って受け入れる深みのある役を見事にこなしたランカスターであった。だからこそ、本作のラストシーンもまたそういう次元の重みが出てくるのである。必見である。

 さて、「悪役」のアッパチ族のUlzanaは、有名なジェロニモと同時期の実在の人物で、実際に1885年に居留地から逃亡して、いわば、強奪と殺戮の限りを尽くすのであるが、実際にはこの時騎兵隊に追われながらもメキシコへ逃切るのである。しかし、映画では別のストーリー展開となっており、そこに監督のRobert Aldrichと脚本家のAlan Sharpの制作意図も感じられる。Ulzanaの最期に日本人の観衆としてそこに「武士道」を読み込むのは筆者だけではないかもしれない。

 アメリカ西部劇史の転換点となるA.ペン監督の『小さな巨人』が出たのが本作の出る2年前の1970年である。本作は、撮影的には残念ながらB級映画のレベルであるが、ストーリー的には『小さな巨人』を接ぐものである。

青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己

 冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる:  「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...